またね、先輩
こういう関係性が好き!
「おはよう。そんなにコソコソして、どこに行くつもり?」
凛とした声が静まり返った駅に響いた。
別段驚いてすらない俺は、小さくため息をつき振り返る。
「先輩こそ、こんなとこで何してんです。あんたまだ寝てる時間でしょ」
時刻は午前四時半。まだ薄暗いホームは露出した顔の皮膚が裂けそうな気温だ。
赤いチェックのマフラーを鼻まで上げた先輩は、ご自慢の長い黒髪を揺らして、立ち止まった俺にずんずんと詰め寄ってくる。
「残念だわ」
白い息を吐き先輩は言った。
微塵も残念そうではない声で、その勁い目で真っ直ぐに俺を見上げて。
敵わないなあ、と小さく呟き苦笑する。思い返せば長い付き合い。この人に勝ったと思ったことは一度もない。
「これ、あげる」
黒い布に包まれた何かを突きつけられる。怪しさ全開だが渋々受け取る。
「絶対に開けないで?」
「はあ、いつもの無茶振りですか」
「そんなところよ」
握ると何やら細長く硬いものが入っているようだとわかる。
「何ですかこれ。ペン?」
「違うわ。それは冷凍コウモリ」
「は?」
地球上で一番嫌いな生物の名前を出され盛大に顔を顰める。直後、軽やかな笑い声。
「冗談よ」
「あんたは……こんな時まで変わりませんね」
声に呆れを滲ませれば、いたずらっぽくにやりと笑む。
「好きでしょ、その方が」
「はは、違いない」
話すこと全部が白い煙になって、空に溶けて消えていく。この時間が酷く愛おしかった。
先輩が不意に空を見上げた。つられて首を反らす。いつの間にか厚い雲の隙間から一筋の陽光が覗いていた。
「日が登るわ」
「はい」
「もう行かなくちゃ」
「はい。……先輩、」
踵を返しかけた彼女の腕を咄嗟に掴む。湿っぽい言葉など自分たちには似合わない。
けれど込み上げてくる何かがあって、それを伝える言葉もわからず、ただ振り返った先輩を見つめ口を開けては閉めてを繰り返した。
そんな俺に先輩はやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。
どうしよう。
目を泳がせた瞬間服を強く引っ張られ俺は体勢を崩した。
かじかんだ唇に熱い感触、続いて吐息がわずかに鼻をしめらす。
「忘れないで。また会う日まで」
そう言ってするりと俺の手から逃れたその表情を見て、俺は思わず微笑んだ。
「仰せのままに」
今度こそ去りゆく彼女に俺の言葉は届いたのか否か。赤い耳は見なかったことにしてあげよう。
ポケットに入れた「コウモリ」をゆっくりと撫ぜる。
「またね、先輩」
呟いた言葉は空気に溶けて、生まれたての朝日にきらきらと光っていた。