3
「ごめんて~」
「はあぁ」
ホームルームが終わると同時に席を立った夏希が沖津君に話しかけている。
たぶん私が大げさな反応をしてしまったのを取り成しているのだろう。
「あ~、ため息ついた」
「どうせまたアホなこと言ったんだろう」
「アホじゃないよ。私の成実物真似が似てるって言ったら、慈雨がそもそもオリジナルがわからないから似てるかどうかわからないって言うから。じゃあ、オリジナルを聞いといてって促しただけだよ」
「それがアホなことなんだよ」
「アホじゃないよ」
そう思って会話に耳を傾けると、ある意味予想通りで、そして、全く予想外の会話を二人は繰り広げていた。
沖津君ってあんなに話すんだ。
「夏希。今日はもう帰るね」
「うん」
「沖津君もごめんね」
「いや、別に気にしてない」
「慈雨は悪くないよ。私が悪いんだから」
「そうだな。夏希が全部悪い」
「あ~、さっきは気にしてないって言ったのに」
「あれは相馬さんに言ったんだ」
『差別だ~』と騒ぐ夏希とそれを宥める沖津君に別れを告げて帰路につく。
後ろでは『成実の声。私は聞きやすくていいと思うよ』や『自分の声は自分が一番している』や『私の方が良く知ってる』と二人は言い合っている。
やっぱり二人は仲がいいみたいだ。
「慈雨。学校から帰ったのならきちんと挨拶くらいしなさい」
バタバタと急いで家に帰り自室に向かっていると、お母さんの叱る声が追いかけてくる。
「うん。ただいま」
だが、慈雨は止まることなく階段を登りながら返事をする。
「もう、全く仕方ないわね」
「ごめんなさ~い」
母親の声音が叱る口調から呆れたようなものに変わったのを確認し、慈雨はそのまま自室のPCの電源を入れるまでを一気にやり遂げた。
オーディションの結果がいつ返ってくるかわからないのにどうしても毎日メールをチェックしてしまう。
「返事来てるかな」
キーンと音を立てて起動するPCを待ちきれずに呟くと、不思議なことにそれだけで心音が少しだけ早くなった。
「あっ」
そして、PCと共に立ち上がったメールソフトに『オーディションの結果』という題名のメールが入っている。
アイドル系のVチューバ―をプロデュースしている事務所――アグライア――からのものだ。
慈雨にとっては自分の憧れのVチューバ―の所属事務所であり、ライブ活動が出来る事務所でもあるアグライアは当然第一志望である。
アグライアのオーディション要綱を見て、動画共有プラットフォームに動画の作り方を調べながら動画を作成し投稿したし、動画の内容も歌とゲーム実況、雑談とアグライア所属Vチューバ―のアーカイブを見て、標準的にしている活動を取りそろえた。
動画作成もVチューバ―についても学び始めたばかりのため、どうしても毎日の作業が夜遅くなり、通学もギリギリ、学校でも夏希に見つかった時のように眠さを堪えられない瞬間があった。
「受かってる。うん、受かってる! 絶対受かってる!!」
慈雨はこれまでの努力を思い出し、そして、不安を吹き飛ばすために自分にしっかりと望む結果を言い聞かせる。
それでもメールの題名へ持っていくマウスポインタ―がふらふら揺れ動くあたり、隠しきれない不安が生理機能へと影響を与えているようだ。
それはこれまで受けたオーディションの結果が全て不採用だったせいだろう。
中には結果すら帰ってこないオーディションもあった。
合否連絡すらないことに慈雨は衝撃を受けたのだが、SNSで調べたところどうやら業界あるあると言える程度にはあることらしい。
そんな経験も、これまでの苦労も、このオーデションが合格であれば全て吹き飛ぶ。
SNSで使われている絶対的勝利と言うやつだ。
「よしっ!!!!!」
慈雨はもう一度気合を入れてダブルクリックをする。
緊張が極限を超えたからだろうか。普段は時間を感じない画面の切り替わりに心がざわついた。
そして…………
「うそぉ」
メールに書かれている『不合格』という結果を見て、慈雨は心の底から絶叫した。
いや、したつもりだった。
「どうして……………………」
だが、慈雨の耳に届く音は掠れた今にも消え入りそうなもので、夕方から叫んでいたら聞こえるだろう母の慈雨を叱る声も当然のように聞こえてこない。
………………………………
……………………
…………
「あれだけ頑張ったのに、なぁ。駄目だったか」
自分がこの言葉を絞り出すのにどれくらいの時間が経ったのだろうか?
慈雨はあれからずっと不合格通知をモニターいっぱいに広げて見つめ続けていた。
窓から部屋を照らす役目はいつの間にか太陽から月へと変わり、暗い部屋に頼りない光が届けられている。
「心配、かけちゃった、かなぁ」
硬くなった体をゆっくりと伸ばすと僅かな痛みが伝わって来る。
いつもならとっくに夕ご飯に呼ばれているはずなのに。そんな様子はなかった。
きっと母も何かを察したのだろう。
もしかすると俯瞰的な感覚に陥っていて叫び声に聞こえなかっただけで、慈雨はしっかりと叫んでいて、それを聞いた母が今日はそっとしておこうと判断したのかもしれない。
「私には向いてないのかな。Vチューバ―」
いつもはそんなことないと跳ねのける自問がぐっさりと胸に突き刺さる。
「諦めたくないなぁ」
無意識のうちに動画サイトを開いていた。
その後はお決まりのごとくお気に入り最上段に入れたライブ動画の再生だ。
同時接続10万人を達成したライブ。慈雨にVチューバ―を志させたライブ。
「諦めたくないよぉ」
慈雨の視界に映るのはきらきらと輝く演者とそれを盛り上げる観客。
時折頭上に手を振り上げながら軽快なステップで歌うサビでは、盛り上がった観客がコメント欄を青色のサイリウムで埋め尽くしている。
ある種お決まりとなった演出で、その絵文字はサビが終わるまでとめどなく流れ続けていた。
両者に共通する楽しいという感情が画面越しでもしっかりと伝わってくる。
「うん、諦めたくない」
原点の動画が慈雨の心にもう一度灯をつける。
とあるVチューバ―がオーディションについて語る動画で、同じ事務所のオーディションを3回受けてやっと受かったと言っていた。
確かに慈雨はいくつものオーディションを受けたかもしれない。
でも、何度も受けた事務所は一つもないのだ。
「うん、まだやりきってないよね」
少し考えただけで出来ていないことが浮かび上がる。
慈雨には動画配信をした経験もないし、業界研究も始めたばかりだ。
そのせいもあって当初は好きなVチューバ―の配信だけを見ていたし、オーディションの準備では第一志望だったアグライアの配信者ばかりを追っていた。
「そうだ。個人勢って呼ばれるVチューバ―さんも見てみないとね」
そうして動画を色々漁っていく中で慈雨はあるゲーム実況者のライブ配信に出会った。
『クラスのなんだろう。マドンナ? みたいな存在がいるんですけど』
『マドンナって古っ!』
「えっ」
どこか聞き覚えのある声。
その声の主である鳴海という名の配信者は、最近リリースされたアクションシューティングゲームをゴルタという配信者とコラボしながら実況しているようである。
『古いです?』
『古い、古い』
『じゃあ、なんて言うんですか?』
『まあ、普通に考えたらアイドルじゃね』
『あ~、なるほど』
『なるほどって。鳴海君、学生とか言ってるけど、絶対おっさんやん。敬語使ったほうがいい?』
『止めてくださいよ!!』
『あっ、鳴海さん。すいません。どうか焼きいれないでください』
『ゴルタさん!』
やはり相手に突っ込んだ言葉にも聞き覚えがある。
どこでだろう? たぶん学校だよね。
『アハハハハハハ。悪い、悪い。で、マドンナがどうしたん?』
『アイドルがですね。授業中こっちを見ていたんですよ』
『お~、マドンナが鳴海君を見つめてたのね』
『…………』
『鳴海君。春やね』
『んんっ。視線を感じて振り返るじゃないですか、そしたら目が合う訳ですよ』
『そんで、そんで』
『目が合う。慌てて目を逸らす』
『恋が始まる?』
『いえ、地獄が始まるんですよね~』
『地獄?』
『はい。アイドルが目を逸らした後ですね。後ろにめちゃドヤ顔でこっちを見てる女子がいたんです』
『うん? もてすぎて地獄ってこと? 喧嘩売ってる? 今すぐ演習フィールドに行って戦う?』
『何でですか。最後まで聞いてくださいよ』
『いいよ。一応最後まで言い訳させてあげる』
『で、何してたか気になるじゃないですか。でも、陰キャなんで当然アイドルには話しかけられないわけですよ』
『まあ、そうやろね』
『だからドヤ顔していた女子に「なっ、なんなん?」って聞いたんです』
『キモオタボイスで』
『はい、キモオタボイスで』
『そしたら?』
『そうしたらですよ。休み時間にドヤ顔女子がした僕の物真似のですね。審議が付けられないってアイドルが言ったわけですよ。声をちゃんと聞いたことないから』
どこで聞いた声か?
慈雨が追いかけてきた記憶が今日の学校でのエピソードと結びつく。
「沖津君だ!?」
配信者鳴海の正体に思い当たり慈雨は声を上げた。
『アッハハハハハハハハハハハハ。マジで? それで鳴海君のことジーと見て声を聞いてたってこと?』
『はい』
『そんなん地獄やん』
『はい。地獄です』
『それは鳴海君、泣いていい』
『物真似審議のために発表の声を聞かれるってマジヤバくないですか?』
『やばい、やばい。なに、鳴海君は虐められてるの? 学校辛かったら休んでいいねんで。いつでもここに帰ってきてええねんで』
『え? 僕も留年させようとしてます』
『誰が二留や。今年は単位取って進級したるわ』
「絶対に沖津君だ。沖津君って動画配信してるんだ」
配信を聞きながらいつの間にか手を握りしめていた。
自分以外にも動画配信をやっている同級生がいる。
「動画投稿してオーディションで見てもらったんだもんね。やる気になればそれを全体公開して配信者を始めることだってできるんだよね」
負けないという思い。先に配信者という道を歩んでいる同級生へのエールを込めて――
慈雨は鳴海のチャンネルをチャンネル登録する。
まだまだやれることがある。
配信者と歩み始めていた同級生を見てそれが厳然たる事実と認識し慈雨の頬が緩む。
*
「鳴海君。今日めっちゃうけてたじゃん」
「あ、ありがとうございます」
ゲーム実況を終えて、コラボ相手に礼を言おうと思った矢先に褒められた。
想定外のことがあると言葉が続かない。そんな自分が少しだけ嫌になる。
「あれ実話?」
「少し誇張してます。ドヤ顔女子が幼馴染で、嫌みがあって僕の物真似をやったわけじゃないんですけど、話の流れで悪役にしちゃってましたね」
夏希に謝らないとなと考えていると、スマホにメッセージの通知が表示された。
『私、悪者』という言葉の後ろに泣き顔の絵文字。どうやら先手を打たれたようだ。
そして、通知に収まる簡易的な表示はゲーム配信をしていた成実を気遣ってのものだろう。
とりあえず、返事代わりに土下座の絵文字を送り、ゴルタさんとの通話に専念する。
「じゃあ、別に虐められてるとかはないのね?」
「ストレートですね」
「遠回しに聞いても上手く話せんし。こうやってオンラインゲームを遊ぶ、現実を知らない同士だから吐き出せることもあるでしょ」
「ありがとうございます」
「鳴海君が嫌じゃなかったらその幼馴染のことか、マドンナのことかと交流してみるのもいいかもね」
「ゴルタさん。ア、イ、ド、ル、です」
「ああ、アイドルね、アイドル」
暗くなった空気を配信でしたやり取りで明るくするゴルタの気遣いに成実は内心舌を巻いた。
話しやすい空気を作るのが抜群に上手い。
「それで、どうしてそう思ったんですか?」
「鳴海君はゲームの腕は充分上がってきてるからね。今以上にゲームに専念してトップ層に食い込んでいくっていうのも目指す先の一つではあるんだけど」
「そうなれるかはやってみないとわからない?」
「そうそう。確実になれるとは言えないよね」
「それは仰る通り」
「これは口うるさいなって聞き流してもらっていいんだけど。野球部ってさ、学校で野球したら運動得意なサッカー部にもバスケ部にも無双できるじゃない」
「はい」
「スポーツ上手い人が相手でもそうだからさ。一般人の俺からするとこいつら滅茶苦茶うまくて勝てっこねえってなる訳よ」
「ゲーマーは一般人と言ってもデバフのかかった一般人ですしね」
「耳が痛いなぁ。で、話を戻すと、その上手い野球部の奴らでも大会にでると途中で負けて甲子園に行けないのよ」
「甲子園球児レベルになるともう天才の集まりですね」
「そう。で、その甲子園で活躍した天才の一部だけがプロになれるんだけど、プロになって1軍登録されるのって30人くらいしかいないんだよね」
ゴルタさんの話したい内容の先を成実は察した。
「でも、続けてたらその30人に成れるかもしれないじゃないですか」
「そうだね。でも実際にそうなるまでには時間もかかるし才能もいる。結果を待てるならいいけどそうじゃないんでしょ」
そしてそれに対する成実の反発をゴルタさんはわかったように受け止める。
もしかすると成実の言った道を歩こうとして諦めたことがあったのかもしれない。
「それにもしそうなれたとしてもやっぱり応援してくれる人がいないとね。ただゲームが上手くても立ちいかなくなるよ」
その時にアドバイスをくれた誰かのことを思い出し成実にも同じアドバイスをくれているのかもしれない。
「それならさ。今日のエピソードがうけたからさ。色々経験してゲーム以外の引き出しが増えたら、鳴海君の選択肢が増えるかもしれないなと思ってね。今人気の配信者ってゲームがプロレベルじゃなくても人気って人。たくさんいるでしょう?」
「はい」
その背景に考えが及んだからだろう。
成実はゴルタさんのアドバイスに今度は素直に頷くことができた。
「まあ、偉そうに言ってるけど登録者数鳴海君と変わらんのだけどね」
「凄い参考になりました。ありがとうございます」
自嘲するゴルタさんの礼を告げると。
「いいって。照れくさい」
詰まるように返答が来た。
同じなんだ。ゴルタの返答を聞いて失礼ながらそう感じてしまった。
これまで成実は配信をする人間の皆が口が達者なんだと思っていた。
自分だけが苦手と思っていた喋りにしても些細な日常で同じように照れたり、上手く言葉を紡げなかったりする。
ゲームが上手くなるために苦手という理由は使わなかった。
向いてないと話術の向上がどこかおざなりではなかっただろうか?
春のバイトを夏希としていれば今日のように視聴者を楽しませることができたのだろうか?
そう自問しながらちらりとPC画面を確認すると、チャンネル登録者数が増えていた。
「なんか余裕なかったみたいです」
「まあ、学生の内に結果だしぃって言われたらしゃあ無いよ」
長期休みにゲームに集中したことでゲームの腕が向上したのは事実だ。
間違いなく有意義な時間である。
それでも登録者数の増加という現実を見て、自分の歩まなかった未来の可能性を夢想してしまう。
もしかすると自分の可能性を自分で狭めていたのかもしれない。
「ですかね」
新しい道が開けたのを感じて話を続ける成実の表情に自然と笑顔が増えていった。