2
「相変わらず強キャラ、強装備好きだな」
「おう、俺はリセマラする男だぜ。俺は……人権が欲しい」
右手を握りしめて天井を仰ぐ晴翔。
「ハハッ、何年前の話だよ。エンジョイ勢なら好きな装備で歓迎されるよ」
成実の答えに晴翔が『本当か?』と言わんばかりの疑いの視線を向けてきた。
「いや、まあ。楽しめるかどうかとか、嫌な目に合わないかって言ったら、そりゃあ強キャラが無難だけど、さ」
「だろう~」
「でもそれで同キャラばっかになってもそれはそれでつまらんじゃん」
「おはよ~」
「おう、おはよう」
「ぉはよう」
ん? 珍しいな。そんなことを考えながら、相馬さんの背中に消え入りそうな挨拶を返す。
ギリギリとはいえ相馬慈雨が成実よりも遅く登校したことはなかった。
「成実?」
「……ああ、悪い、ボーっとしてた」
「ハハッ、寝ぼけてるのもしかたないか。昨日は夜遅かったみたいだしな」
そう言って晴翔がスマホをこちらに向けて軽く振る。
成実がゲーム実況をしているアカウント――鳴海――で動画視聴のお礼メッセージを呟いた時間を示唆しての行動だろう。
友人の活動の具合を合間にチェックしている。相変わらずまめな男だ。
「夜型人間だから朝は調子が上がらんのよ。晴翔は今日もインするのか?」
成実は感じた照れくささを誤魔化すためにわざと視線を内履きへと向け話題を逸らす。
「いや、今日は遠征だから無理だな」
「あ~、いつものやつか」
バドミントンを真剣にやっている晴翔は時々市民体育館で強豪校や大学生等、普段の部活ではできない相手との試合や練習を重ねている。
「試合近いんだっけ?」
「ん? まだだけど成実のゲームと同じで大切なのは日ごろの積み重ねだろ?」
「いや、聞いとかないと当日気付かず寝てそうだから」
そう成実が答えると、晴翔は目を真ん丸にして絶句した。
関係ない部活の応援に行くなんて普段の成実の行動からは考えられないんだろう。
「いや、配信のいいネタになるかもなって」
「拝金主義者かっ!」
晴翔のネタで稼がせてもらうよと邪悪な笑みを浮かべる成実に晴翔は仕方がないやつと肩をすくめる。
「まあ、応援しているのは本当だよ。ただ、バド部の集団には混ざれないから夏希と一緒に端っこで見てるけどな」
「ハハッ、そこは相変わらずか」
始業の鐘の背中を押され、『ヤバい急ごう』と走り出す晴翔の背中を追いかける。
*
「ふあぁぁ」
不意に欠伸が出た。
「お疲れですな」
そして慈雨があっと思う間もなくニヤリと笑みを浮かべた親友の夏希が慈雨の机にやって来る。
『ちょっとね』と誤魔化しながら照れて暑くなった顏を仰いでいると、「まあ、あれよりはましか」と夏希が視線を向けた先には授業が終わると同時に机に突っ伏した沖津成実の姿があった。
「毎時間毎時間よく眠れるもんね」
夏希が呆れた様子で発した言葉で慈雨は、確かに授業中は律儀に起きて休み時間の度に机に突っ伏しているなとぼんやりとした記憶を手繰り寄せる。
「よく見てるね」
欠伸姿を見られた反撃とばかりに慈雨が悪戯な表情で問いかける。
「まあ、幼馴染だからね。ついつい目についちゃうわけよ」
「そういえばそうだったね」
「で、慈雨様はいったいなんで眠そうなのかなぁ?」
でも反撃空しく、夏希は沖津君を気にする理由を淡々と答えて、慈雨が眠そうな理由の追及を始める。
「バイトを始めようと思って」
誤魔化されてくれなかったかと内心冷や汗をかいた慈雨の口から出たのは、嘘でもなく、かといって真実でもなかった。
「バイト?」
「う、うん」
何でも話せた親友にもVチューバ―事務所のオーディションを受けていると言えなかったのは何故だろか?
どことなく生まれた後ろめたい気持ちが慈雨の口から滑らかさを奪う。
「そうなんだ。何のバイトするの?」
「まだ決めてなくて。地域誌とか求人アプリとかで何がいいか探してるところ」
「あ~、それで眠そうにしてたんだね」
「そうそう。色々見ているうちに夜遅くなっちゃって」
わざとらしく眠さをアピールする慈雨の瞳に不思議そうな表情をした夏希が映り込む。
「でも、いいの?」
「えっ…………」
「春休みにバイトに誘った時は勉強に専念したいって言ってなかった?」
「ああ、そういうことか。うん、勉強も問題なく進んでるし、社会勉強にもなるし、バイトやってみたいなと思って」
「お~、アグレッシブだね」
「でしょ~」
夏希が『うん、うん』としたり顔で頷く。どうやら納得してくれたようだ。
慈雨は親友へとごめんねと心の中で謝り、デビューしたらいの一番で報告しようと密かに決心する。
歌で大舞台に立ちたいという夢を夏希は誰よりも応援してくれるだろう。
「そうそう。春のバイトといえば、慈雨がバイトできないからってわざわざ成実を誘いに行ったのに。アイツ、『俺は忙しい』とかいって断ってきたの」
「なにそれ。沖津君の真似?」
「似てない?」
「そんなに話したことないからわからないよ」
慈雨が困ったように笑うと夏希は不満げに唇を尖らせる。
「絶対似てるから!」
「幼馴染の夏希が言うなら似てるんだろうね」
「信じてないな~」
「信じてるって」
夏希は次の現代文で沖津君が先生にあてられるから話し方をちゃんと聞いておいてと言い残して、慈雨の席から離れていく。
向かう先は話題の主の座席だ。そろそろ授業が始まることもあり起こしてあげるのだろう。
一緒のバイトに誘ったり、寝ている所を起こしたりと、なんだかんだ言って二人は仲がいいようである。
*
教師に指名されて成実は立ち上がった。
「はい」
現代文の授業は苦手だ。人前で話すのが苦手だ。
40人程度の前で教科書を朗読するだけで喉がきゅっと狭まる自分はたぶん配信者というものが向いていないのだろう。
滔々(とうとう)とは程遠い自分の語り口だけでそうコンプレックスが刺激される。
配信が上手く行かない度にすぐネガティブになるのを考えると、適性という意味では本当に向いていないのかもしれない。
「はいそこまで」
暗澹とした気持ちでノルマを達成した成実がそっと息を吐いた時、その視線に気が付いた。
恐らく朗読をしている間は余裕がなく気が付かなかっただけで、ずっと見られていたのだろう。
「!?」
どうせまた夏希かと振り返ると、慌てて視線を下げたのは意外なことに相馬慈雨だった。
夏希が相馬さんにアホなことを吹き込んだ。
そう当たりをつけて夏希に目線で問いかけると、彼女はニヤリと満足そうに笑みを浮かべるだけだ。
サスペンスドラマの犯人よろしく罪を認めて悔恨の念を抱いてほしいものだが、夏希にそれは望めないらしい。
「どうかしましたか?」
「なんでもありません」
成実は誰にもばれないようにまたため息をつき椅子にそっと座る。
「そうですか。はい、じゃあ次の文を……………………」
自分もだが巻き込まれた相馬慈雨もいい迷惑である。
相馬慈雨…………か
成績優秀・スポーツ万能・眉目秀麗と欠点のない存在だ。
そして、性格も明るく朗らかで、朝すれ違うだけの成実に『おはよ~』と声をかけるくらいには気さくである。
きっと彼女はクラスで教科書を朗読するなど苦でもなく、自分が毎度毎度話のネタに四苦八苦しているゲーム実況さえも悠々とこなすのだろう。
話すのが苦手というコンプレックスを刺激されながらも、自分の武器であるゲームの腕を相馬慈雨は持っていないと言い聞かせる。
勝手に嫉妬して、勝手に勝てる部分を探している自分に嫌気がさしながら成実は教師の板書を書き写していく。
制度が進んだ学校ではタブレットが生徒に配布され、板書の内容をカメラで撮るなり、授業内容のファイルや動画を共有するなりしているという。
そんな時代の変化には影響されず、昔ながらの黒板の内容をノートに書き写すスタイルを崩さないのはしっかりとした教育理念を持っていると褒めるべきか頭が固いと眉をしかめるべきか……
はあぁぁ。駄目だな。授業に集中しないと……
成実は散らばって発展する思考をいったん脳から放棄する。
赤点補修などくらえばどれだけの活動時間が削られることになるか。
落ち着かない心無視するために悪い未来を想像し、理性で教師の言葉に必死に耳を傾けさせる。
大抵の授業で重要なところは強調されるのだ。
そしてそれを押さえておけば、テストで最低限の点は確保できる。
親から出されて配信者を目指す条件。
それは、学生の内に結果を出すというものだ。
期間はまだあると言っても時間を無駄に出来る程余裕があるわけでではない。
効率よくやらないとな。
そう言い聞かせて授業を聞き続けるうちに成実からは雑念が消えていった。