2-4
気に病んでいるオルヴァンに対し、仕事と割りきっていたクラウスは首を傾げた。
「面倒事でしょうか? きちんとした護衛というのは経験がないので、確かに緊張しますが」
「……聖女様に関わるなら、ヘルムートが出てくるからね」
オルヴァンの答えに、クラウスの疑問が氷解する。
枢機卿ヘルムートは、クラウスがこの教会において苦手とする数少ない内の一人だ。
一方枢機卿同士の仲は良く、オルヴァンはクラウスとヘルムートが関わるといつも板挟みのようになっていた。
クラウスは気にしていないと言うように、微笑んで見せる。
「先生が気に病むことではありません」
「……ううん、気に病むというか」
なおもオルヴァンは言いにくそうにしつつも、言葉を続けた。
「実は彼から予め言われてたんだ。聖女が館の外に出るなら君を同行させるようにって」
『昨日言ってたな』
話す二人の言葉に、また疑問が浮かびあがる。
「なぜ、私なのでしょう」
街中での護衛なら、クラウスにも理解出来た。
しかし聖女の住む館の外、例えば特に危険のないだろう教会でも同行すると受け取れる。
言葉の解釈に間違いがなければ、その理由がクラウスには思い浮かばない。それはオルヴァンも同じようで、わからないというふうに首を振る。
「……彼もそこまでは話さなかったね」
話を聞いていたフィスティテスとナルーシャも、二人と同じで理由は思い浮かばない様子だった。
しかしヘルムートの意図がどうあれ、命じられたクラウスの仕事が変わるわけではない。クラウスはそれ以上は考えても仕方がないと、思考を打ち切った。
「僕も今度は詳しく聞いてみる」
オルヴァンの言葉に頷き、昼食の最後の一口を口に放り込んだ。
昼食を食べ終えるとオルヴァンは執務室へ姿を消し、そう間を置かずに布の入った籠を持って戻ってきた。
「まだ時間があるから、これ先に渡しておくよ」
クラウスが中の布を手に取って見れば、教会の女性が着ている修道会の制服だった。生成りのチュニックと、その上から被るように着る焦げ茶色のワンピースが入っている。
「白い布だと目立つからね」
オルヴァンの言うとおり、ナルーシャが今纏う服はとても白く目につくものだった。
「……ありがとうございます」
「ありがとうオルヴァン!」
横からじっと見ていたナルーシャも、それが自分への者と察してオルヴァンにお礼を言う。
何から何まで世話になりっぱなしなことに恐縮しきりのクラウスに、オルヴァンは穏やかに微笑んだ。
「じゃあ、僕は食器を戻してくるから。あとはがんばって」
「……がんばる?」
クラウスが不思議そうにしているうちに、オルヴァンはトレーを手に持つと引き止める間もなく部屋から出ていった。
言葉の意味を考えながら、クラウスはナルーシャを見た。
そしてすぐに師の言葉の意味に、そして逃げるように飛び出ていった理由に気づき、思わず顔を引つらせた。
ナルーシャの今の服は、布を巻いて両肩で留めただけのものだ。森で見つけたときからなので、土埃の汚れなどもあり着替えさせなけれならないとずっとクラウスも思っていた。
しかし、立てないナルーシャが一人で着替えられるとは思えない。
オルヴァンもクラウスも男であり、女の子の姿をしたナルーシャの着替えの世話を素面で出来るはずもなかった。
「クラウス?」
着替えさせてもらえると思いきっているナルーシャは、クラウスへ両手を伸ばしている。しかし当のクラウスは体を硬直させて、服とナルーシャを交互に見ては何も出来ずにいる。
ふと、わざとらしいほど大きな溜息が二人の耳に届いた。
音の先にいたのはフィスティテスだった。
『しょうがない、私がなんとかしてやる。クラウス、ナルーシャを立たせろ』
「フィス……」
『目瞑ってていいぞ』
あまりの頼もしさに、クラウスはフィスティテスが神々しい何かの様に見えて――確かに、れっきとした精霊だったことを思い出した。
「くすぐったいかもしれませんが、我慢してください」
「わかった」
クラウスはナルーシャの背後から両脇の下を布を挟まないようにそれぞれ両手で掴むと、立たせるように持ち上げた。
背丈の違いから、クラウスの姿勢は少し苦しいものとなる。
『それ大丈夫か?』
「大丈夫です。よろしくお願いします、フィス」
『おう』
普段はしないような中腰は確かに辛かいものだったが、裸を直視する羽目になるよりも中腰で耐える方がクラウスの中で勝った。
返事を聞いたフィスティテスが動いたので、クラウスは軽く目を閉じる。
「どうするのこれ」
『うーん、こっちのここかな』
会話の合間にしゅるしゅるという衣擦れの音が聴こえて、ナルーシャが身をよじれば動きが手に伝わる。
重さがないのに伝わる動きの感覚で、クラウスはよろけそうになる。口を引き結んで踏ん張り、無言を貫く。
「うまく取れない。フィス、出来る?」
『やってみる……よし、いけた』
ぱさり、と布が落ちる音がしたのでクラウスは強く目を瞑った。両腕にかかる、もともとない重さがさらに軽くなったがクラウスに気づく余裕はない。
(ナルーシャは精霊。精霊というか蝶。蝶……)
目を開けないよう、頭の中に見慣れた蝶のナルーシャを思い浮かべる。
裸を見たとしても、ナルーシャがそれを気にも留めないという確信はあった。だが、女性の裸を見て平静を保っていられるほどクラウスは枯れてはいない。
そして何より、そんなことをするのは彼の良心が許さない。
「クラウス、降ろしてー」
一人思考に耽っていると、ナルーシャがクラウスに声をかけながらぺちぺちと叩きながら声をかけていた。
ナルーシャの言葉に気づいた途端、即座にそしてゆっくりとその体を床に降ろすと、間髪入れずに二人の精霊に背を向け両手で顔を覆った。
深く息をついているうちに再び衣擦れの音がして、それもじきに音が止んだ。
「もういいよ」
クラウスにとっては、長い時間のように思えたナルーシャの着替えだった。
「似合う?」
「はい、とても」
丈も長くしっかり身を包み込む修道服は、先程まであった際どさと程遠くクラウスの目に優しい。
青く長い髪がぼさぼさのままだったのが目に付いて、軽く手で梳いた。
ナルーシャをソファに座り直させて、床に落ちっぱなしの布を拾い上げる。なんとなしにそれを見つめていたクラウスは、布を左腕に掛けて腕を上下させた。
麻で厚みのある布はそこそこの重さがある。例えるならば、先日までナルーシャを抱き上げたときくらいの。
(……?)
布の重さを体感したクラウスは、一つの考えに至る。
「フィスティテス、少し失礼します」
『なに』
布をソファにかけて、床に座っていたフィスティテスを両手で持ち上げた。
その身体は、空気のように重さが感じられない。視覚と体感の違いに落ち着かず、クラウスは手に持った精霊をすぐに床に降ろした。
『急になんだ』
「なにしてるの?」
ナルーシャとフィスティテスが胡乱げにクラウスを見上げている。
「……精霊は、やはり精霊なんですね」
『意味がわからない』
しみじみと呟けば、フィスティテスは分からないと言った様子だった。
ただ、突然持ち上げられたことは不本意だったのか羽根でばさばさとクラウスを叩いた。
聖女の住まいは聖テレーゼの館という。
250年前の聖女が住まっていたことからその名を冠している。
大聖堂とは広場を挟んで少し離れた場所にあり、枢機卿などの借家が囲うように周りに建てられている。
高い塀に囲まれ、一般市民に公表もされていない。
聖女は身の回りのことを自身で済ませており、出入りのほとんどは教会関係者と、館の清掃と食事の為に雇われた者が何人か出入りしているのみだ。
人避けの魔法が施されている為、辺りは静かなものだった。
門番として詰めていた修道士に話を通すと、クラウスは門をくぐり抜けた。
クラウスの背よりも高い塀の外からはわからなかったが、華やかそうな印象に反し庭は花が少なく緑ばかりが目につく。
館の中へ入ろうと視線を扉に向けるや否や、その庭の奥に人影を捉えた。
クラウスは立ち止まって、何気なくその人を見つめる。すると、相手もクラウスを見つめ返して歩み寄ってきた。
近づいてくる男は、クラウスと同じく教会付きの魔法使いであるリヒャルト・ゾルゲだった。
「クラウス殿も聖女様へ御用ですか」
「はい」
リヒャルトはクラウスとは正反対の男だ。
際立った美貌を持つ訳ではないが、いつも微笑みを絶やさず柔らかい物腰から信徒から人気を得ていた。
魔法使い同士は人数の少なさと集団で行動する必要がないことから、二人は顔を合わせることはあまりない。
特にリヒャルトはヘルムートに師事しており、ヘルムートを避けるクラウスとは殊更であった。
そんなクラウスにも、今のリヒャルトがどこか刺々しい雰囲気を纏っていることが見て取れる。
「リヒャルト殿は、何の用でこちらに?」
クラウスは単刀直入に尋ねた。
彼の記憶が確かならば、聖女に関係のする職務の従事者の中にリヒャルトは居なかったはずだ。
「大したことではありませんよ。少なくとも、クラウス殿が気にする事では」
リヒャルトは薄く笑いながら答える。
その含みのある言い方に、クラウスは眉をひそめる。
「この館は用もなく入っていい場所ではありませんが」
「わかってます。私の用事は済みましたので、失礼しますね」
リヒャルトは何食わぬ顔でクラウスに軽く礼をすると、クラウスの横をすり抜けて門へ向かっていく。
リヒャルトが何をしていたのか見当もつかなかったが、教会の魔法使いが館にいただけと言えばそれまでだ。
その場で追って追及することはせず、クラウスはそのまま館に入った。
聖女の滞在してる部屋に入れば、中に居たのはソファで対面で座り寛ぐ聖女とアスランだった。
聖女以外にいるとは誰にも聞いていなかった為、クラウスは瞬きを繰り返して本来なら王宮にいるであろうアスランを見た。
「……こんにちは」
取り敢えず挨拶をしたクラウスの姿を認めたアスランも、クラウスが来ることが予想外だったのか、意外そうな顔をして胸の前で両腕を組んだ。
「クラウス、なんでお前がいる」
「私が聖女儀典室員だからですが」
開口一番の指摘に、クラウスはただ事実を述べた。
予想していなかった答えに、アスランは目を丸くして組んでいた腕を崩した。
「は? なら今日まで何をしていたんだ」
アスランの戸惑いはもっともだった。
クラウスが所属している聖女儀典室は、文字通り聖女の聖務や身の回りについて対応する部署だ。聖女が空位だと業務がほとんどない為、他部署と兼務の人間がほとんどである。
オルヴァンはここの室長を兼務していた為、弟子のクラウスもついでにと人数埋めの為室員に入れられていた。
それが今回の聖女の登場によって、100年振りとなる聖女儀典室の正式な業務が始まった。
約一週間前、クラウスがナルーシャの行方を捜すために教会の職務を休んでいた間に。
「ええ、まあ。室員としての仕事に携わるのは、今日が初めてです」
個人的な都合で休んでいたと真正面から言えず、クラウスは少し言葉を濁した。
お披露目式には顔を出していたが、クラウスは周りに言われて出ただけだ。挨拶だけ済ませ、知った顔から逃げるように会食は辞退した。
「……」
不本意だと顔に書かれたアスランをそのままに、聖女は立ち上がるとすっと右手を差し出した。
「よろしくお願いします、クラウスさん」
「はい、よろしくお願いします聖女様」
顔を見つめられていたので、まっすぐ視線を返し差し出された手を握り返す。
お披露目式のときと同じく、聖女の頬が赤いと思いながら眺めていると、マリは恥ずかしそうに視線をそらした。
「マリでいいです。堅苦しい話し方もちょっと……仰々しいのに慣れないので」
「では、マリ様で」
「やっぱ様付けかー」
少ししょげたように言われるも、クラウスが聖女に仕える職務に従事している時点で、あまり砕けすぎることも出来ない。
そもそも砕けた呼び方をすれば、目の前にいる男が黙っていないだろう。
マリは先ほどまで座っていたソファに腰掛け直すと、クラウスにもソファに座るように促した。目の前の向かい合った二脚の二人掛けのソファーーそこに座る人物二人を見る。
聖女の隣りとアスランの隣りを見て、仕方なくクラウスはアスランの隣りに腰掛けた。
アスランが何とも言えない顔でクラウスの方を見たが、それだけだった。
「……それで、その儀典室員が何の用だ」
気を取り直したらしいアスランは、クラウスにいつもの調子で尋ねる。
「マリ様が街を出かけたいとおっしゃられたそうなので、詳しく話を伺いに来ました」
クラウスの言葉に、マリはぱあっと顔を明るくした。
「いいんですか?」
「本当に言ったのか」
あきれた様子のアスランに、マリは頬を膨らませる。
「せっかく来たんだから外見てみたいじゃない。だいたいエミールが街のこと色々言うから……気になるじゃない」
「……俺のせいか?」
大聖堂へ巡礼という名の観光に来た市民のような口ぶりが気になりつつも、クラウスは深く訊くことはしない。
二人が話し込む内容に耳を傾け、マリが見たがっている場所を紙に書きとめていく。
商工組合の店先、城壁の外に広がる葡萄畑、商人と客に溢れる市場、様々な人々の行き交う大通り――クラウスやアスランにとっては取るに足らない日常の風景だった。