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2-3

 次の日の朝、広場には必要十分な仕切りとなるロープが張り巡らされていた。


 職員たちが余裕を持って人々を並ばせる様子を、クラウスは聖庁の生け垣そばからぼんやりと眺めていた。昨日とそう変わらない来訪者の数ながら、スムーズに人の波が流れていく。


 ぱたぱたという軽い足音が近づいてきたことで、眠そうな目は傍に駆け寄ってきた助祭に向けられる。

 助祭は少し興奮した面持ちで、誘導用のロープを指差した。


「クラウス様も見ました? あれ、ちゃんと昨日の人の流れと同じように置かれてるんですよ」

「ええ……ロープは使い勝手がいいですね。魔法よりも」

 要領を得ない答えに、助祭は不思議そうな顔をした。

 それ以上話す様子のないクラウスを、助祭は気まずそうな顔をして見ていた。

「昨日のこと、気にしてます?」

「……いえ」

 クラウスは気にしていないと答えかけて、少し考える。


 気にしていなければ、こんなことはしていない。

 そこに思い至って、クラウスは言葉を続けた。


「気にはしましたが、それは魔法の在り方についてです。貴方に対してどうということではありません」

「気分を害された、とかではなく?」

「大丈夫ですよ」


 その言葉に安心した助祭は、やがて人混みに戻っていった。

 クラウスも一つ欠伸をしたあと、大聖堂の中の様子を見ようと歩き出す。


 この日も午前中は大聖堂での仕事の予定ではあったが、相変わらず祭壇に立てる雰囲気ではなく、クラウスも昨日よりかは慣れた様子で人の誘導を手伝った。


 正午になると、クラウスは用意した昼食を持って一目散にオルヴァンの執務室を目指した。

 執務室の扉をノックすると、どうぞと声がかかる。


「失礼します」

「ああ、いらっしゃい」

「……先生?」

 どことなく拗ねた雰囲気のオルヴァンが書類から顔を上げた。その様子が珍しく、クラウスは目を丸くした。


 オルヴァンはまっすぐクラウスの顔を見据えたままペンを置き、真剣な表情になって口を開いた。

「誰かがやったんだろうってみんな気にしてないけどね、さすがに僕は気づくよ」

 オルヴァンの言わんとすることを察し、クラウスは顔を伏せた。

「……あまり、眠れそうになかったので」

 自分の言葉の言い訳がましさに、クラウスはつとオルヴァンから視線をそらした。


「僕は休んでって言ったはずだよ。二日連続でちゃんと休まないなんて、体調管理がなっていない」

「すみません」

 全くの正論だと、クラウスは謝ることしかできない。

 良かれと思ったのも事実ではあるが、独りよがりだった自覚もある。


「確かに君は若いけど、無理を続ければ絶対にどこかに出てくる。ナルーシャの為にも、ついででいいから僕やフィスの為にも元気でいて欲しいんだよ……わかってもらえてないけど」

「いえ、わかっています」


 わかってない、そう呟くオルヴァンは詮方ないという顔をしていた。

 呟きはクラウスに聞き取らせないほど小さく、また俯いている彼はその表情を伺い知ることもなかった。


 しばらく黙っていた二人だったが、オルヴァンは長く息を吐くと表情を緩める。


「はい、説教は終わり。それで、クラウスの用事はナルーシャかな?」

 クラウスが少し顔を上げ様子を伺えば、いつもの穏やかなオルヴァンだった。


「先生の部屋で昼食を取らせていただきたいのですが」

 ばつが悪いままのクラウスだったが、問われたことに返事をしないわけにもいかず、正直に答えることにした。

 クラウスが昼食の包みを掲げて見せれば、オルヴァンは得心がいったようだった。

「じゃあ僕も一緒に食べるよ。いいかい?」

 断る理由もないとクラウスが頷けば、オルヴァンは嬉しそうに席を立つ。

「先に部屋に入ってて。昼食用意してくるよ」

 クラウスを残し、オルヴァンは小走りで執務室を出ていった。


 その場に立っていても仕方ないと、クラウスは休憩室の扉を軽くノックしてから中に入る。

 昨夜覗いたときのようにソファにはナルーシャが、カーペットの上にフィスティテスがいた。


「クラウスだ」

『おつかれ』

「こんにちは」

 話しながら三人掛けのソファの部屋から奥側、真ん中に陣取ったナルーシャの横に腰掛ける。

「フィスに迷惑はかけていませんか?」

「大丈夫、優等生ってやつだよ。ね」

 ナルーシャが同意を求めた先のフィスティテスが頷く。

『まあ、相変わらず魔法の才能ないぐらい』

 その言葉にナルーシャが満面の笑みをクラウスに向け、フィスを指さす。

「クラウス、フィスってなんでこんな心ない精霊なんだろう」

『自分の無力さを恨め』


 悪役のようなセリフを吐くフィスティテスを、ナルーシャはジト目で見つめる。

 宥めるようにクラウスが頭を撫でれば、ナルーシャは直ぐに機嫌を良くして、嬉しそう微笑む。


「そうですね、魔法が使えなくてもナルーシャはナルーシャですから」

 笑みがひくりと引きつった。

「クラウス……」

 ナルーシャは微笑んだまま手を伸ばしたかと思うと、力の限りクラウスの両頬を掴んだ。


 歩けない足と同様に、指先もまだ上手く動かすことが出来ないのか、五本の指全てで文字通り掴まれた。


「ッ!?」

 なぜだという動揺と、それなりの痛みに戸惑ったクラウスは、弾かれたようにフィスティテスを見た。

 すがるような目で見るクラウスに、やれやれと言わんばかりにフィスティテスは長い首を横に振ってみせる。

『それ全然慰めてない』

(そうなのか)

 一つ学んだクラウスの頬が、唐突に開放された。

 呆けたままナルーシャを見れば、焦った表情を浮かべている。


「……ごめんなさい、強く握りすぎちゃった。アスランがよくやられてたみたいに引っ張ってみたかっただけなのに」


 そう言われれば、友人同士が戯れにこんなやり取りをよくやっていたことをぼんやり思い出す。


 強く跡がついたクラウスの頬を、ナルーシャはしょんぼりとした顔で恐る恐る撫でた。

 魔力が動くのを感じると、ゆっくりと痛みがひいていく。


「……歩くのもそうですが、力加減も練習しないといけませんね」

 クラウスは苦笑しながら、ひりひりする頬を撫でる手の上に自身の手を重ねた。

「ありがとう。魔法も、少しずつ上手くなってます」

「ごめんね」

 昔と比べれば、だいぶ上手くなっているナルーシャの魔法に感心していると、クラウスの中にふとした疑問が湧いた。


「そう言えば、魔法の練習をしているんですよね? あまり魔力を持っていかれる感覚がないのですが」

 午前中を振り返っても、魔力を持っていかれた感覚がなかったことに気づく。

『ああ、それは』

「ただいまー」

 何かを言いかけたフィスティテスだったが、ドアが開きオルヴァンが戻ってきたことで口をつぐんだ。


 昼食を調達したオルヴァンはいそいそと空いているナルーシャの隣りに座ると、膝の上にトレーを乗せた。


「おかえりなさい先生。早かったですね」

「待たせたら悪いからね……って、クラウスそのほっぺどうしたの?」

 痛みはひいたものの、まだ少し赤みのあるクラウスの頬にオルヴァンは目敏く気づく。


「……私の自業自得です」

「わたしの過失」

 ナルーシャの言葉にクラウスはぎょっとする。

「過失……そこまで大げさなことでは。お転婆なぐらいです」

『どっちもどっちでいいじゃん』

 フィスティテスが投げやりに呟く。

「……? そうなんだ?」

 疑問符を浮かべながらもナルーシャによるものということで納得したオルヴァンは、早速両手を組んで食前の祈りを唱える。

 それに倣い、クラウスも何も考えないよう精霊王に祈りを捧げた。


 ナルーシャは全く気にしていない様子で、オルヴァンの昼食の内容を覗き込んでいた。


 二人が昼食をとる姿を最初は眺めていた精霊たちだったが、やがて暇を持て余し始めた。


 ナルーシャはクラウスの髪をいじり三つ編みを始め、フィスティテスは部屋の中をぺたぺたと歩き回る。歩くのも飽きれば、フィスティテスは昼食をしているクラウスの足元に座り込んだ。

『広場のあれ、結構手が込んだやつ書いたな』

「そうでもないですよ」

 咀嚼していたザワークラウトを呑み込み、クラウスは深夜に行った魔法の陣について語り始めた。

 指定した線上に等間隔に支柱を設置し、支柱にロープを張る。

 その工程をクラウスは一つ一つ説明し、フィスティテスが理解した様子で聞き入っている。

 オルヴァンとナルーシャは、肩身狭くその話を右から左へ聞き流す。


 精霊の使う魔法と、魔法使いの使う魔法陣を介した魔法は原理が異なるが、フィスティテスが魔法陣に理解があることで、二人の会話は成り立っていた。


 一方オルヴァンはクラウスの魔法陣理論は半分ほどしか理解できないし、精霊の魔法で精一杯なナルーシャには魔法陣のことなんて微塵も理解できない。


『不安定なのは不均一なロープ側による括り付けか』

「おそらく、今日一日でも解けてるものはいくつかあるでしょうね」

『陣じゃ臨機応変とは行かないな』


 オルヴァンは二人の談義を聞くともなし――そもそもクラウスの言葉しか聞き取れないのだが――に、ニシンの甘酢漬けに手を付けようとしたところ、袖を引く力を感じてそちらを見る。

 さっきまでクラウスの髪に不器用な三つ編みを拵えていたナルーシャが、オルヴァンの袖を掴み引っ張っていた。

「なにかな?」

 問いはしたものの、その不満そうな表情の原因はオルヴァンでも察せる。

「フィスにクラウス取られた。オルヴァン契約者なんだからなんとかしてよ」

「ごめん、僕フィスと喋れないし……というか、僕もフィスにクラウスとられてるよね? あ、ほらニシン巻きをあげよう」

「いらない」


 ぷいっとそっぽを向いたナルーシャに、オルヴァンは少し拗ねる。美味しいのになぁ、と呟きながら差し出していたニシンを自分の口に放り込んだ。


 咀嚼しながら、相変わらず話し込む二人を眺める。

 横に座るナルーシャは袖から手を離すと手持ち無沙汰になって、ぱたぱたと足を揺らしていた。


「僕だけじゃなかったんだな。フィスとクラウスがしゃべってるときに暇だったのは」

「オルヴァンはまだいいよ、わたしクラウスとフィスぐらいしかしゃべる相手いなかったんだよ」

 オルヴァンの言葉に今度はナルーシャが拗ねる。

「そうだねぇ」


 オルヴァンの記憶している限り、ナルーシャは常にクラウスの傍にいた。そのクラウスが避けている枢機卿二人と精霊に話す機会はそうない。


「どうしてそうなったかよくわからないけど、僕はこうして話せるようになったことは嬉しいよ。精霊王の思し召しなのかな」

 精霊王という言葉に、ナルーシャは一瞬返答に詰まる。

「んー……精霊王は置いといて、わたしもオルヴァンと話せるのは、まあまあ嬉しい気がする」

 奥歯に物が挟まった言いようだったが、オルヴァンはそこまで深くは考えなかった。

 女の子に言われれば、中年の男としてはなかなか悪くない言葉ににっこりと笑う。

「お世辞でもありがとう。スープ飲む?」

「いらなーい」

 まだ手を付けていなかったスープを差し出すと、そっぽこそ向かないもののナルーシャは首を横に振った。


「クラウスにもだけど、オルヴァン食べ物押し付けすぎ」

「だってクラウス、ほっとくと黒パンとザワークラウトしか食べないじゃないか」

「?」

 ザワークラウトという言葉に反応したのか、話の切がよかったのか、クラウスが小首を傾げながら二人の方を向いた。

 そして今日の彼唯一の昼食である、ザワークラウトの入った器を少し掲げる。

「食べますか?」

「あ、いや……いいよ」

 クラウスの唯一の昼食を奪うようなことをするつもりは、オルヴァンに全くはない。

 無言で食事を再開したクラウスを見て、よほど好きなのだろうかとオルヴァンは首をひねった。


「ああ、そうだ……」

 残り僅かのザワークラウトをつつく手を止め、クラウスはオルヴァンの方を見る。気乗りのしないのが見て取れるオルヴァンの次の句を待つ。


「聖女様が外に出てみたいらしいんだ」

 オルヴァンがスープをスプーンでかき混ぜながら、ぼそりとため息混じりに呟いた。

「外ですか」

「街を見てみたいそうだ。午後は聖女様にその話を詳しく聞きに行って欲しい。まだわからないけど、でも護衛となると君に任せることになるだろうしね」


 この教会に明確な武力はない。

 警護対象足り得る高位者が魔法使いの上位ともいえる精霊の契約者――枢機卿であり、これまでは外部の人間で事足りていた。


 しかし最高指導者の地位にある聖女――契約者でもなく魔力はあっても魔法が使えない存在が現れれば、自ずと事情が変わる。


 枢機卿が護衛につくわけにもいかない。外部へ依頼するにしても、聖女の護衛ともなれば身元の洗い出しなどが必要となり時間がかかる。

 当座を教会内で見繕うとなった場合、魔法に秀で且つある程度の護身術があるものとなれば一人しかいなかった。


「面倒事ばかり、君に押し付けてしまうね」

 諦めたように言って、オルヴァンはスープを口にした。

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