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2-2

 ナルーシャを預けたあと、いつものようにクラウスは大聖堂へ向かう。

 聖庁から大聖堂側へと出て、初めてクラウスは今日の恐ろしい人混みを知ることとなった。


 王国の首都という巨大な街に建てられた、総本山でもある大聖堂に訪れる人が途切れることはない。

 そこに聖女の出現を知った人々まで押し寄せたことで、大聖堂周りは嘗てないほどの混雑を様していた。

 大聖堂前の広場には、中に入りきらない人々がひしめいている。


 教会付き魔法使いの仕事に、教会を訪れた人々に精霊について説教するというものがある。

 大聖堂には枢機卿を除くと四人の魔法使いがいて、これは持ち回りとなっていた。そして、この日はクラウスが担当で祭壇へ立つはずだった。

 本来であれば。


 クラウスは人混みに巻き込まれないよう可能な限り聖庁の壁沿いに進むと、大聖堂側面奥に伸びた袖廊から中に入ろうとした。

「っと」

 袖廊から人が飛び出してきたことで、クラウスは立ち止まる。


 見れば、クラウスもよく知る助祭の少年だった。助祭もすぐにクラウスに気づくと、挨拶するよう軽く片手をあげた。

 そしてクラウスが挨拶をしようとするよりも素早く寄ってくると、助祭はクラウスの腕を掴んだ。


「クラウス様、今日はお話はいいので人の整理を手伝ってください!」

「はい?」


 幾分年下の助祭の少年は見た目に反し力強く、クラウスは否応なしに腕を引かれ、大聖堂に立ち入ることなく外を回らされる。

 人だかりは大聖堂に群がるように出来あがっており、少年は早歩きでその人の合間をうまい具合に抜けていく。

 大柄でそれなりに厚みのある身体のクラウスは早歩きの必要こそなかったものの、すれ違う人々にあちこちぶつかり、謝りながら歩く羽目になった。


 広場まで出ると助祭は歩みを止め、人の列の流れと何をするかを説明し始める。クラウスはあわてて懐から万年筆と紙を取り出し、説明を書き留めた。


 助祭がじっとその紙を見つめる。

 何を見ているのかとクラウスは一瞬訝しんだが、メモ用紙にした紙の裏は書き溜めておいた魔法陣だったことに思い至った。


「人の列整理に使える魔法とかないんですか?」

「……すぐには浮かばないですね」

 クラウスの答えに、助祭は少しがっかりした様子で去っていった。

 その反応に内心傷つきながらも、クラウスも慣れない列整理に取り掛かることにした。


 押し寄せる人の整列を手伝い、頭一つ分上背があるというだけで目印のように立たされ、人手が足りないところへ走る。

 普段から大聖堂に通う顔見知りの信者たちには、温かい目で見守られていた。


「聖女様が一目見たくて、普段来ない人もみんな来てるんだよ」

 よく見かける中年の女性信者は、笑いながら言った。

 そんなものなのかと、クラウスは相槌を打つだけだった。


 その後もクラウスは、嘗てないほど人に揉まれ続けた。

 目を回しながら慣れない人の誘導に走り回った結果、昼食を食べ損ねた。それにも気づかないまま夕方が過ぎ、日が沈むという頃になってようやく人々が捌けた。


 後片付けを終えたときには、もう日はとっぷりと暮れていた。

 聖庁に入れば暗い廊下には点々と明かりが灯り、微かな光が足元を情け程度に照らす。


「戻りました」

「やあ、ごくろうさま。そこ座って」


 這う這うの体で帰り着くと、わずかな明かりで手元を照らして仕事をしていたオルヴァンが出迎えた。

 クラウスの姿を認めたオルヴァンは椅子から立ち上がり、幾つか火を入れずにあった部屋のランプに明かりを灯してく。


 オルヴァンに示された執務机の手前の応接用のソファに、クラウスは言われるがまま深く座り込んだ。


「あの、ナルーシャは」

 一番の気がかりを口にすると、オルヴァンが苦笑しながら振り返る。

「さっきまで起きてたらしいけど寝ちゃったんだ。フィスも一緒に休んでる」

「……そうですか」


 深く深呼吸をしたところ、美味しそうな香りが鼻腔をくすぐった。

 先ほどまでは暗くて見えていなかったが、ソファの前のテーブルの上に、上等な食事がトレーに載って置かれていた。チーズとベーコンを挟んだ白パン、トマトのシチューが盛られた大きな器もある。

 普段粗食なクラウスに空腹感を思い出させるには、十分なものだ。


 驚きオルヴァンの方へ視線を移すと、オルヴァンは得意げに笑った。

「それ夕飯。今日のことは聞いてるよ。昼も食べてなさそうだって。シチューは今から温めるから、先にパン食べてて。ワインしかないけどいい?」


 明かりをつけ終え明るくなった部屋の中、クラウスの傍まで来るとワインの瓶とコップをトレーの傍に置く。そして一枚魔法陣の書かれた紙を取り出し、シチューの器の底に敷いた。


「ワインで大丈夫です、ありがとうございます。先生、注ぐのはさすがに自分でやります」

「疲れた弟子をねぎらってるだけなんだけどなぁ」

 何から何までやらせるわけにもいかず、ワインを注ごうとしたオルヴァンを引き留める。苦笑いしながらもあっさり引いたオルヴァンは、テーブルを挟んで向かい側のソファに座った。

 受け取ったワインをコップに注ぐ。


 今朝から精霊王への信仰心が揺らいでいるクラウスだが、教会高位の枢機卿を前に食前の祈りを唱えないわけにもいかない。

 ナルーシャのことを必死に頭から追いやりながら、少し早口に唱えた。

「そんなにお腹空いてたんだね……」

 との勘違いを受けたが、実際空腹だったこともありクラウスは黙って頷いた。


 その日に焼かれた、柔らかい白パンに齧りつく。一口食べると昼間には忘れてさえいた空腹感が煽られ、無心で咀嚼する。久しぶりの塩気のきいた肉の味は、こんなに美味しかったのかと感動さえした。

 しばらくして温かくなったシチューは葉野菜、根菜の他にキノコまで入った具沢山なものだった。食べ応えがあり、汗で冷えた体が芯から温まる。

 ワインに至っては、アルコールが苦手なクラウスでも飲みやすいと思う質がよく軽いものだった。


 豪華な夕食を一口一口大事に食べ終え、人心地ついているとほどなくオルヴァンが口を開く。


「ナルーシャなんだけどね、疲れて寝ちゃってるんだ」

「……疲れて? 迎えが遅くなったからではなく」

 訝しむクラウスに、オルヴァンは「疲れて」と頷いて繰り返す。

「なんだか、魔法の練習してたみたいなんだよ。魔力持っていかれたりしてたと思うけど、大丈夫だった?」

 日中を思い返そうにも、疲れた頭ではいくら考えたところで人に揉まれたことしか思い出せない。

「……正直、忙しすぎて全く分からなかったのが本音です」

「そうだよね……そもそも君ぐらい魔力あれば、そうそう影響もないか。大丈夫ならいいんだ」

 正直に白状すると、オルヴァンは鷹揚に頷く。

「と言う訳で、今日は一人で帰って寝る。それでいいね?」

「……わかりました」

 不本意ではあったが、クラウスは頷かざるを得なかった。

 ナルーシャの行方がわからないまま眠っていた一週間を思い出せば、居場所がわかっているだけまだましだと自身に言い聞かせる。

 なにより寝床の問題もあった。今のクラウスに、椅子で寝て起きる自信は無かった。


「そういえば、昨日寝るときはどうしたの? 確かあの寮、単身者用で狭いよね」

「椅子です」

 答えたクラウスを見るオルヴァンの目は、痛ましいものを見るそれで、労うようにクラウスの肩を優しく叩く。

「うん。今日はベッドで寝てくれ」

「……そうします」

「ああそうだ、帰る前に覗いていく?」

「はい」

 クラウスの即答に、オルヴァンは声をたてて笑った。


 二人はソファから立つ。オルヴァンは手持ちの魔法で灯すランタンをクラウスに渡し、扉を音を立てないよう開いた。

 クラウスも受け取ったランプに魔法で弱い灯を入れ、部屋をあまり明るくしないように照らしながら中を覗き込む。

 少しだけ明るくなった部屋の中に、床で丸くなったフィスティテスと、ソファの上で寝転がっているナルーシャの姿が浮かび上がった。毛布が掛けられ、身体も横になっているあたりオルヴァンが整えてくれたのだろうことが察せる。

「おやすみ」

 近寄りたくもあったが、ランプの光で二人を起こしてしまうことを避けたクラウスは、部屋に立ち入らずゆっくりと扉を閉じた。


「僕でも触れるみたいなんだよ、ナルーシャ」

 オルヴァンが声を潜め、大変なことのようにクラウスに言った。

 何を言い出すのかと考え、精霊問わず触れられるのはクラウスしかいなかったことを思い出す。


「変な姿勢で寝てるから、起こそうとしたらね。びっくりしたよ……ナルーシャすっごく軽いし、変に力込めたせいで腰ちょっと痛くなって、こけそうになったし」

「……すみません、伝え忘れていました」

「仕方ないよ、僕だって触れるなんて思わなかった」

 オルヴァンの散々だった出来事を聞いてしまうと、言っておけばよかったという後悔しかない。


「でもそうだよなあ、精霊なんだよなぁ。軽いけど、だからって全く重さがないって訳でもない。あの重さが何の重さなのか、他の精霊の重さとかも気になるね」

「そうですね……」

 クラウスも他の精霊に触れることはあっても、わざわざ抱えたことはない。ナルーシャも元は蝶で肩に留まっていたので、重さなんて考えたこともなかった。

 とはいえ抱えて確認させてくれそうな精霊はフィスティテスくらいだと、クラウスはぼんやりと考えた。


 灯りを消し、二人で執務室を後にする。

 クラウスが聞くと、オルヴァンは済ませる仕事はとっくに終わっていて、クラウスを待ちがてら雑務を済ませていただけだった。

 自身へ優しすぎるオルヴァンに、クラウスはいつもいたたまれない。


 二人は薄暗い廊下をぽつぽつと雑談――オルヴァンが話を振り、クラウスはそれに応じるだけだが――しながら、出口へと向かう。


「そうそう、王宮から仕切り用のロープと支柱を貸してもらえたんだ。明日からはもうすこしマシだと思うよ」

「それは……みんな喜びます」

 教会にも仕切りに使うロープはあるが、教会にある分では長さが全く足りていなかった。


 人の整理に奔走したのは司祭や助祭、クラウスだけではない。何人かの他の魔法使いたちも同じく駆り出され、聖庁からは事務員たちも加わり、皆おおわらわだった。


 ロープの仕切りが増えるだけでも、少なくとも走り回る箇所は減るはずだ。


「まあ、一週間もすれば落ち着くさ。正式な即位式もまだだし、こちらの世界に不慣れでいらっしゃる。表に出る予定は当分ないよ」

「そうですね」

 人々が押し寄せたのは、聖女がひと目見られるのではないかという期待からだ。それが叶わないと判れば、この騒ぎも直に収まるだろう。


 二人は聖庁の表口から広場に出た。

 オルヴァンは協会関係者向けの貸家にすんでおり、クラウスの住む寮とは方向が逆なので、真っ直ぐ帰るなら二人はここで別れることになる。


「先生、一ついいでしょうか」

「なんだい?」

「列整理に仕えるような魔法に心当たりはありませんか?」

 昼間から抱えたある疑問を、クラウスはオルヴァンにぶつけた。

 クラウスの質問にオルヴァンは難しい顔をして、懐から既に書かれた魔法陣を何枚か取り出し、一枚一枚見ていく。全て見終わると、再び顔をクラウスの方に向ける。

「……宿題にしておくよ」


 師の憮然とした表情に、魔法の実生活への応用力の低さを考えさせられた。

「じゃ、また明日。ちゃんと休むんだよ?」

「はい、おやすみなさい」

 クラウスに手を振り、オルヴァンは門の方へ歩き去っていった。


 オルヴァンの姿が見えなくなると、クラウスは広場の方へ視線を向けた。

 大聖堂前の広い広場に対し、今置かれている仕切りのロープは圧倒的に足りていない。

 これまで行事で混雑する日に大聖堂への入口と出口を分ける程度にしか使っていなかったもので、それも当然だった。


 昼間大変だった場所はどこだっただろうかと考えながら、クラウスは踵を返した。

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