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1-2

以前投稿した短編にあたりますので、短編をお読みの方は飛ばしても大丈夫です。

 聖女が召喚されてから一週間経ったその日、聖女と呼ばれる少女がお披露目された。


 早く終わらないだろうか――クラウスはただそればかりを考え、聖女を紹介する王族の話を聞き流していた。

 話をする人物のさらに奥、大聖堂の最奥にある精霊王と聖女の像の前で、少女は緊張した面持ちで立っている。

 その聖女の隣には普段からクラウスを一方的にライバル視している魔法使いのアスランが立ち、時折クラウスに視線をよこしていた。今回お披露目された聖女は王家の魔法使いらが異世界から呼び寄せたと関係者の間では知られており、王家の魔法使いの中で最も家柄の良い彼は少女の後見人も兼ねていた。


 クラウスは教会に属する魔法使いだが、聖女という存在に特に思うことはない。

 教会の頂点の存在であるものの、クラウスが生まれるずっと前から空位であったし、その不在に困ったことなど何一つない。

 寧ろ、物心つく前から言われていたある言葉が思い起こされ、ただでさえ沈んでいる気持ちがさらに沈む。


 そんな気持ちでぼんやりとしていると、いつの間にかお披露目は終わり、集った人々と聖女の個人的な顔合わせの時間へと移った。


「マリといいます、よろしくお願いします!」

「教会の魔法使いクラウスと申します。聖女の訪れを心より歓迎します」

 師の手前、黙ってふけるわけにもいかず、アスランに連れられ回ってきた聖女に簡単な自己紹介をする。

「……クラウスさん、顔色が良くないですけど、大丈夫ですか?」

「ええ……はい」

 クラウスとしては、頬の赤い聖女のほうが大丈夫なのかと思いもしたが、長く会話をする気もなく適当な返事だけを返した。

 クラウスの気もそぞろな返事に一層聖女は気づかわし気にクラウスを見上げていたが、隣りで見ていたアスランが少し苛立った様子で聖女を急かし、手を引いて連れて行った。普段周りで騒ぐので面倒くさい男だとクラウスは認識していたが、この時ばかりはアスランへ感謝した。


 クラウスと契約している精霊ナルーシャが姿を消してから、もう一週間が経つ。


 精霊は不可視で、触れることが出来ない存在である。唯一魔力を操る魔法使いだけが、その存在を見たり言葉を交わすことが出来る。

 稀に、心を寄り添わせた精霊と魔法使いは命の限り共に在るという契約を交わすことがある。この契約によってその精霊は魔力を持たない人からも見えるようになり、魔法使いは精霊との繋がりによって力が強まる。

 「契約者」はクラウスを含めて4人しかいない。

 この契約を、クラウスは交わした状態で生まれてきた。その精霊が、青く輝ける蝶の姿をしたナルーシャだ。

 文字通りずっと寄り添ってきたナルーシャがクラウスの目の前から消えたのは、これまでの22年間で初めてのことだった。


 姿を消した日から今日まで、クラウスは仕事もそっちのけで方々を駆け回りナルーシャを探し回った。

 よく散歩した実家の庭や森、寄宿校時代によく過ごした中庭や図書室、今の職場でもある大聖堂やその周り。生まれた時からずっと一緒だったナルーシャのよくいた場所は、即ちクラウスのよくいた場所であり、幼年期から今までを回想しながら都市内でよく行った場所を総当たりした。

 しかしそれも、昨日行った孤児院を最後になくなってしまった。


「契約は切れていない、必ずどこかにいるから落ち着いて」

 師である枢機卿オルヴァンはそう言って心休まらないクラウスを励ました。

 それだけでなく、お披露目式の次の日に時間があくからと、精霊の捜索を手助けしてくれると約束までしてくれた。

 これによって、クラウスはひとまず聖女のお披露目式に参加できる程度には気を取り直すことができた。


 精霊と契約者の間に繋がる契約の糸は本人には見ることが出来ず、糸を手繰るにも糸が見えるほどの力ある他の魔法使いの手を借りなければならない。そのレベルに達した魔法使いはほとんどが枢機卿、もしくは国に仕える多忙な者たちだった。

 契約している精霊が行方不明ということも十分に事件と呼べる出来事ではあったが、この日はとても間が悪かった。

 ナルーシャがいなくなった次の日、アスランが聖女を召喚したという、国を揺るがす出来事が起きてしまった。

 そんな騒動の中、精霊捜索に手を貸す暇のある人間はいなかった。


 最後に聖女が教会の指導者として立ったのは100年前になる。

 聖女は精霊王の契約者にして伴侶と言われているが、その詳細は300年前に起きた大聖堂の火災で資料が失われた為に、教祖として女性が存在することしかわかっていない。以来、教会は精霊と契約する可能性のある女性の魔法使いを聖女として、精霊と契約した数人の魔法使いを枢機卿として置き精霊の御業を人々に伝えてきた。

 聖女は勿論、精霊王についてもどういう存在なのか全く伝っていない。精霊に尋ねても明確な答えは返ってこない。精霊の反応と資料も残っていないことから、現在では架空の存在で実在しないというのが定説だった。

 精霊王が何なのかは、クラウスも一度ナルーシャに尋ねたことがある。

「なんか、すごい王様」

「なるほど、ナルーシャがそういうならすごいのでしょうね」

 クラウスの思考はそこで停止して、精霊王についてはそれっきりとなった。




 式の次の日、いつもなら業務を始める時間にクラウスとオルヴァンは大聖堂の門の前で待ち合わせた。


 あまりよく眠れなかったクラウスは、朝食を済ませると早々門の前でオルヴァンが来るのを待ち、門番にちらちら様子を伺われながら待ち合わせまでの時間を過ごした。

 日の光が寝不足の身には眩しく、柵に持たれかかると俯いて地面をじっと見つめた。こんなときはいつもナルーシャがいて、退屈に思うことはなかった。ふとした瞬間に、ナルーシャがいない事でちくちくとクラウスの胸が苦しくなるのは、この一週間の常であった。


「おはようクラウス。君いつから待ってたんだい?」

 時間通りに来てくれた師のオルヴァンは、苦笑しながらクラウスに声をかけた。

「おはようございます。……忙しいのに、申し訳ありません」

「僕が付き合うと言ったんだ、気にしないで。たまには師匠らしいことをさせてくれ」

 言い出したのがオルヴァンとはいえ、多忙な師を連れ出すのは、普段物事に頓着しないクラウスであっても気が咎めることだった。

 朗らかに笑うオルヴァンの足元には、白い鳥ーーオルヴァンと契約している精霊フィスティテスが佇んでいる。クラウスがそちらに視線を向けると、人のように片羽根をぱさりとあげた。

『オルヴァンもずっと気にしてたからね』

「……ありがとうございます」

 クラウスが改めて頭を下げると、オルヴァンは視線をフィスティテスに向ける。

「フィス、クラウスが気に病むようなことは言わないであげて」

 オルヴァンは屈んで、フィスティテスの顔を覗き込むとそんなことしてないとばかりに首を横に振る。

「君たちのように声が聞こえればいいんだけどね」

 オルヴァンが小さくため息をつく。


 普通の精霊の姿を捉えられるのは魔法使いだけだが、それにも魔法使いの力によって程度が変わってくる。

 オルヴァンは姿を見て、感情を感じ取るに留まっている。契約して繋がりのあるフィスティテスでも、完全に話している言葉を聞き取れないし、触れるにも手に魔力を通さなければならない。他の二人いる枢機卿も契約している精霊とは言葉を交わせるが、他の精霊の言葉を聴き取ることはできない。

 全ての精霊の声を聞き、そして触れることが出るのは今いる魔法使いではクラウスだけだった。

『オルヴァンのほうがクラウスに圧かけてるよね? クラウス言ってやりな』

「あ、いや……。ごめんね」

「大丈夫ですよ。先生にそういうつもりがないのは分かっていますから」

 オルヴァンは根っからのお人好しだ。特殊過ぎて他の枢機卿が後見を嫌がったクラウスを、なんの躊躇いもなく引き受けクラウスに必要なことを惜しみなく教えた。

 そんなオルヴァンだからこそ、言葉を交わせなかったフィスティテスとも契約するに至ったのだろうとクラウスは思っている。

 あまりに人として足りない物の多いクラウスにとって、オルヴァンは魔法使いとしてでなくもっと根本的な、人としての師だった。

「うん。それじゃあまあ、行こうか」

 少しいたたまれなさそうに先に歩き始めたオルヴァンのあとに、クラウスとフィスティテスも続いた。



 二人と一羽が契約の糸を手繰った先は、市街地から少し離れた王領の森だった。鹿狩りの時期でもなければ人の入らない森だが、王家の領地として兵士の詰め所があり、森の入り口に兵士が立っていた。

 糸の向かう先が森の中だと確認すると、オルヴァンは早速許可を取ろうと兵士と話しに詰め所へ歩き始めた。

 その後を追いながら、クラウスは自分の人でなし具合を再確認した。クラウス一人であれば、許可も取らずに中へ探しに入っていたのが容易に想像出来た。


「この時期だと熊と遭遇するかもしれませんので、護衛をつけましょうか?」

 事情を話せば、森への立ち入りも止められず、逆に兵士は身の安全を心配までしてくれた。

「私達は魔法使いですから、大丈夫です」

 そこまでさせるのは悪いと思い、クラウスは手短な言葉でそれを辞した。

「あ、そうでした……魔法使いでしたら、熊なんてどうにでもしてしまうんでしょうね。ですが、管理されてはいても森ですから、あまり遅くならないように気をつけてください」


 見送る兵士が見えなくなる程度森に入ったところで、オルヴァンはちらりと詰所の方へ振り返った。

「彼、魔法使いを誤解したかもしれないね」

『まあ、私がいれば? 熊とか余裕』

「……契約者、と言ったほうがよかったですね」

 魔法使いの行使する魔法は、魔法陣を用意する必要になる。突然熊に遭遇しても、今の二人は熊を撃退するような魔法陣の書かれたものを持っていない。

 クラウスが大丈夫だと言ったのはフィスティテスの存在が大きい。契約した精霊は、契約者の魔力を使って陣なしで魔法を操る。フィスティティスは特に魔法を操るのが上手い精霊だった。

「魔法使いの魔法なんてそうそう見ることないから、そこまで気にしなくていいよ。それにそんな奥まで行かなくても良さそうだ」

 オルヴァンの言葉に、クラウスははっとして周りの気配を探ると、ある方向を見た。

 管理用に整えられた大きな道から、横にそれた小さな分かれ道の向こうに求めてやまなかった気配を感じて、気がつけば駆け出していた。

「ナルーシャ!」

 今まで出したことのないような大きな声で叫び、呼び掛ける。

 気配は動かない。動けないのかもしれないと、クラウスの焦燥感は増すばかりだ。

「ナルーシャ、無事ですか!? ナルーシャ!」

「クラウス!」

 耳に届く焦がれていた声は、変わりのないものだった。遠く後ろの方でオルヴァンが驚いた声をあげたが、それどころではなかった。

 小道の先、微かな水音かきこえる。ここかと踏み込んだ場所は少し開けており、動物たちの水飲み場のような泉がこじんまりとあった。


 泉のすぐそばに、声の主は蹲っていた。

 白い布を体に巻きつけるだけの簡素な装いに、長い髪は艷やかに青く冴え輝く。

 クラウスを見る嬉しそうな笑顔は、日の光のように輝いていた。


「クラウスだあ……!」

「……ナルーシャ?」

 クラウスを呼ぶ声は聞き慣れたそれで、鮮やかで青い髪はナルーシャの美しい翅を思い起こさせる色だ。


 しかしクラウスの知るナルーシャは蝶である。人間の少女ではない。


「ちょ……まっ、て……クラ…ス……息が……」

『オルヴァン運動不足すぎない?』

「はッ、はぁ……ぼくもっ……も、いい年……」

 ふらふらとその広場に辿り着いたオルヴァンは、その場で何度か深呼吸して息を落ち着かせようとする。

 クラウスと少女、フィスティテスが見守る中しばらくそうしていたが、やがて顔をあげてクラウスと、その奥にいる少女の姿を認めた。

 ポカン、と口を開けて戸惑うオルヴァンを見て、フィスティテスが思わず吹き出した。

「ええと……? ナルー……シャ?」

「ナルーシャだよ」

 少女が返事をして手を振ると、オルヴァンはまた糸を確認するように視線をクラウスと少女の間へ彷徨わせた。さらにフィスティテスは笑う。

『おもしろ……んでナルーシャ、なんでこんなとこにそんなでいるの』

 笑いながらフィスティテスが少女に問いかけるのを聞いたことで、クラウスは彼女がナルーシャなのか疑うのをやめた。

 精霊が生まれ持った形を変えたという前例はない。フィスティテスも、クラウスが知る限りずっと今の姿をしている。

 そんな精霊のフィスティテスはなんの疑いもなく、少女をナルーシャと認識している。ならば、彼女はナルーシャに間違いはない。

「精霊王に呼ばれて、それでこうなった」

『あーそういう』

 ナルーシャとフィスティテスののんびりとした会話で出てきた精霊王という言葉に、落ち着きを取り戻しつつあったオルヴァンは一人息を呑む。存在を疑問視されていた精霊王が実在していて、精霊への命令権を持っている――少女の一言はそれらを暗に示していた。

 そんなオルヴァンを尻目に、フィスティテスは木の枝に留まってナルーシャとクラウスを見ている。クラウスはナルーシャのすぐ傍で跪き、まっすぐとナルーシャの顔をみつ見た。

 遠目にはわからなかったが、青い前髪の合間からのぞく金茶色の瞳はまるで金のようにきらきらとしていて美しかった。

「クラウスに会いたかった! 会いたかった、けど……歩けなかった。歩くって難しい」

 ナルーシャはじんわりと涙ぐみながら、自分の足を見る。一見健康的な少女のそれは土まみれになっており、歩こうと藻掻いたが、功を奏しなかったようだった。

『ナルーシャ、いつも肩にとまってたし』

 フィスティテスの言葉に、それもそうだったとクラウスは思い起こす。

「クラウス。あれ、ほらなんて言うんだっけ……子供たちにしてるやつ。抱っこ? あれして」

 ナルーシャが両腕をクラウスの方へ伸ばすと、そのままぱたぱたと動かして抱っこを催促し始めた。

 歩けないのなら、抱き上げて移動するほうが早い。孤児院の子供にしているように、クラウスは少女の身体を抱き上げた。

「こんな感じだったんだ」

 ナルーシャが感嘆の声を上げたとき、ちょうど考えが一段落したオルヴァンの意識がクラウスらへ向かった。

「相変わらず力持ちだね、クラウス」

 オルヴァンは苦笑しながら、クラウスが少女を左腕で抱き上げる様子を見ていた。長身のクラウスの片腕で抱きあげられた少女は、腕の中にすっぽりと収まった。突然高くなっただろう視界には慣れた様子で、しかし体を動かすのはやはり慣れないのかクラウスにもたれかかっている。

 クラウスはもう一度、泉の方を見渡しめぼしいものがないかと確認したが、相変わらず何の変哲もない泉があるだけだった。オルヴァンも同じようにその場を見渡した。ナルーシャが先ほど言った精霊王の痕跡を探ろうと、クラウス以上に気を払っていた。

 しかし、この場にはフィスティテスとナルーシャ以外の精霊の気配はない。ナルーシャが一週間以上前に行方不明になったことを考えれば、とっくにこの場を去っているのだろうとオルヴァンは思い至る。

「行きましょうか」

「……そうだね」

 ここにもう用はないと、クラウスは踵を返し歩き出す。その後ろをオルヴァンが続く。近くの枝にとまっていたフィスティテスも、3人の上を旋回しながらついてくる。

「何はともあれ、ナルーシャが見つかってよかったね」

 安堵の笑みを浮かべるオルヴァンに、クラウスも常の無表情をわずかに綻ばせる。

「はい」

「うん、クラウスと離れたままだったら死んじゃってた」

 うんうんと頷く少女がナルーシャというのに、クラウスはまだ違和感を完全には拭えていなかったが、それでもぽっかりと空いていた感覚が埋まったのは感じていて、確かにナルーシャなのだとどこか納得していた。

 なぜ姿が変わっているのか、クラウス以外にも声が聞こえるようになっているのか。疑問は山ほどあったが、ナルーシャがいればそれでよかった。

「何かクラウスに足りない気がしていたんだけど、ナルーシャが肩にいなかったからだね」

 オルヴァンの言葉にナルーシャが目をぱちぱちとして、クラウスの方を見た。二人で見つめ合ったあと、再びオルヴァンを見て嬉しそうに微笑んだ。オルヴァンも微笑み返す。

「……うん、君はやっぱりナルーシャなんだね」

「オルヴァン信じてなかったの? 糸見て来たんだよね?」

「いやぁ、蝶の君しか知らないからしょうがないよ」

『見た目変わりすぎだから』

 フィスティテスも同調するので、ナルーシャはむうとわざとらしく頬をふくらませてクラウスの方に向き直る。

「クラウス、オルヴァンとフィスがひどい」

「そうですね」

 クラウスが空いている右手で、そっと頭を撫でればナルーシャは嬉しそうにクラウスにさらにもたれ掛かる。

 ナルーシャには無条件でイエスマンになる自覚のあるクラウスから、わずかに残っていた違和感は消えていた。

 とはいえ、すべてが元通りともいかない。

「やっぱり……クラウス、君は一旦実家に戻りなさい」

 クラウスは足を止め、オルヴァンの方を振り返った。難題にぶつかったときの表情のオルヴァンを見て、クラウスは心の中でため息をつく。また、師を煩わせてしまった。

「そのナルーシャを教会に連れ帰ったらどうなるか、正直僕には全く予想がつかない」

 オルヴァンのその言葉に、クラウスは頷くほかない。

 普段大聖堂で過ごすクラウスが青い蝶の精霊を連れているのは、大聖堂にいる人間は勿論、参拝者さえも知るところだ。枢機卿でない分身軽に外を回ることも多く、この都市で最も目にされている精霊は蝶のナルーシャだ。

 そのナルーシャが少女の姿で現れれば、混乱は免れない。

 聖女で大騒ぎだというのに、その上更に騒動を起こそうと言う気は、静寂を好むクラウスにも、平和を愛するオルヴァンにもない。

「僕は枢機卿でも下っ端だからね……残りの二人と相談してなんとか上手い落としどころを見つけたいところだけど」

「……私のせいですね」

 オルヴァンを含めた枢機卿3人の仲は悪くはない。寧ろオルヴァンが中心となって上手くまわっている。

 しかし、そこにクラウスが関わると話が変わる。

 悪い人たちではないが、クラウスへの警戒がいつまでも消えないでいる。契約者であるクラウスが枢機卿ではなく教会付きの魔法使いに留まっているのも、他二人への配慮だった。

 行方不明だったナルーシャの現状をどう受け取るのか、彼らの人となりを知らないクラウスには推し量れない。


 とはいえ、クラウスには実家に帰るというのはそれ以上に悪手であった。


 クラウスの祖父は国政や貴族間の覇権のみならず、クラウスを足がかりに教会にも勢力を伸ばそうとしている。実家は祖父とは別居であったが、クラウスや弟の行動は筒抜けだった。もし今実家に帰れば何かしらの取引材料に使われてしまうだろう。


「……先生には申し訳ないのですが、実家は都合がよくありません。大聖堂の寮に戻ろうと思います。ナルーシャ、目くらましの魔法は使えますか?」

 ナルーシャの姿を魔法で覆い隠し自室までたどり着けば、数日の間は誤魔化しが効く。言葉にしなくともクラウスの意図を理解したナルーシャは頷いた。

「やってみる」

 瞑目して魔法の行使に集中しているナルーシャへ、クラウスの魔力が流れ込む。フィスティテスがそれを見守るオルヴァンの肩に止まり、二人して様子をうかがう。

『駄目そうなら私やるよ?』

 フィスティテスが声をかけた瞬間、フィスティテスとオルヴァンの視覚からナルーシャが徐々に消えていく。少しすれば、完全に見えなくなる。

「どう?」

「……ナルーシャ。しばらく見ない間に魔法が上達したね」

 オルヴァンが驚きの声を上げる。ナルーシャには悪いと思いつつも、クラウスもいささか驚いた。

 ナルーシャは、お世辞にも魔法が上手くなかった。見た目の変化が関係しているのだろうかと思考を巡らせつつも、契約の繋がりでうっすらと見えるナルーシャはクラウスを見つめている。

「上手く出来た?」

「ええ、とても上手ですよ」

 嬉しそうにしているナルーシャを見て、クラウスも温かい気持ちになる。

「詰め所の兵士にもなんて言おうか悩んでたんだ、ちょうどよかった」

 オルヴァンの懸念はクラウスにもあったので、相づちを打つ。さきほどからずっとオルヴァンを悩ませていることに、クラウスはいたたまれなくなる。

「枢機卿への話のときは、私も一緒に行きます。まだまだ頼りないと思いますが、先生にばかり負担をかけられません」

 クラウスの言葉に、オルヴァンは目を瞬かせる。やがて、普段見せる穏やかな笑みを浮かべた。

「そうだね。ナルーシャがいるクラウスなら大丈夫だ。いや、この一週間の君の慌てようを見ていて、僕も落ち着かなくなっていたみたいで」

「……わたしのせい? ごめん?」

 名前が呼ばれたナルーシャの戸惑いと謝罪の声が響くが、オルヴァンは穏やかな表情のまま首を横に振る。

『そういうのオルヴァンの仕事だ』

「フィスの言うとおりだ。精霊と人を取りなすのが教会の、枢機卿の仕事だよ。彼らもわかってくれるさ」



 帰りの道中特に何かが起きるでもなく、クラウスたちは大聖堂に戻って来ることができた。

 オルヴァンとは入り口でそのまま別れ、クラウスは敷地の中、少し離れて建てられている寮の自室を目指した。


「こんな時間に寮に戻るとは、仕事はどうした?」

 寮の入り口に着いたとき、どこからともなく昨日もきいた声がクラウスを呼び止めた。

 声の方、寮の庭の方を見ると思った通りの人物がちょうどベンチから立ち上がるところだった。

「呑気なものだな、クラウス。お前の枢機卿への昇進はしばらくお預けではないか?」

「アスラン」

 似たような家柄で同じ年のせいか、寄宿校時代から今に至るまで一方的に張り合ってきた魔法使い。それがアスランだった。

 聖女のことで大聖堂にいるならまだしも、ここは平民が多くを占める教会関係者向けの下宿寮だ。王家付きの魔法使いであるアスランが用事のある場所でもないと思いながら、クラウスはその疑問を口にしなかった。

 クラウスがだんまりを決め込んでいると、アスランはじっとその肩――今は少女のナルーシャを抱きかかえていて、かつては蝶のナルーシャがとまっていた場所を見つめている。

 目くらましを見透かされたのかと身構えたが、やおらアスランはいつも通りの不機嫌そうな顔でクラウスの顔へ視線を向けた。

「昨日もだが、いつも連れている精霊はどうした? まあ、今日は近くにいるようだが」

 いつもなら問われた事は素直に答えていた――でないと、好奇心を煽り余計にまとわりつかれるからだ――が、今の状況では流石にそうもいかない。

「ええ、色々ありましたから」

「……訳ありということか」

 はぐらかすようなクラウスの曖昧な返答に、アスランは不満げに息をついた。普段正直に話していたからか、答えられないことと察したようだった。

「まあいい。枢機卿方に用があるのでな、失礼する」

「はい。ご足労をおかけしました」

 言うがはやいか、アスランはさっさと大聖堂の方へと早歩きに去っていく。普段とは少し様子が違ったせいか、クラウスは姿が見えなくなるまで見送ってしまった。

 黙って様子をうかがっていたナルーシャが、首を傾げる。

「……アスランはあっこでなにしてたの?」

「……私にもよくわかりません」

 大聖堂から少し歩く距離にあり、街のもっとも外側に位置する寮に、アスランがなんの用があって庭にいたのか、ナルーシャとクラウスには皆目検討がつかなかった。


 寮のこじんまりとした自室に着くと、クラウスは安堵のため息をもらした。実家の自室に比べれば手狭なものの、クラウスが最も安心して過ごせる彼の城であった。

 抱えたままベッド脇に腰掛け、ナルーシャを膝の上に座らせ抱え直す。

 部屋の扉を閉じてすぐ魔法を解いたようで、ナルーシャの姿はくっきりと見えた。

 改まってナルーシャの装いを見ると、白い布一枚をうまい具合に体に巻いていたが、長く歩くうちに少しずれていた。そっと整えながら、これからのことを考える。

 このまま部屋にいるにしても、ナルーシャの服を調達しなければならない。枢機卿らと会談するときも連れて行かなければならないだろうし、そうなるとある程度しっかりした服も必要だ。それを独身者のクラウスが用意するとなると、なにかしらの邪推は避けられない。

 ついついため息が漏れる。

「少し、面倒くさくなってきました」

「クラウス、私のせいで大変?」

 不安げな表情でナルーシャがクラウスの顔を伺う。安心させるように、頭をゆっくり撫でる。青く長い髪がきらきらと流れる。

「本当のところを言うと、ナルーシャさえいれば私は特に思うことはないのですが」

 幼い頃のクラウスであれば、すべてを投げ捨てナルーシャと二人で国を飛び出していたかもしれない。だが、今のクラウスには大事にしてもらった恩師と大事な弟、多くはないが仲のいい友人がいる。

「先生に押し付けたままとも行きませんし、弟や殿下のことも置いていけません」

「でも、私が精霊王になっちゃったから」

「…………ん?」

 思ってもいなかった単語が出てきたことで、一瞬ナルーシャが何を言っているのかわからなくなった。


「ナルーシャ、あなた精霊王なんですか?」

 ナルーシャは無邪気にうんうんと頷く。

「精霊王の契約者が死んじゃったから、次はわたしなんだって。精霊王の契約者が聖女だから、クラウスが聖女だね! あ、聖女は女性名詞だったね。じゃあ聖人ていうのかな?」

 精霊は契約者が亡くなれば、同時にこの世を去る。

 精霊王の契約者が亡くなったことで精霊王もいなくなり、そして次の精霊王がナルーシャだという。

「……」


 聞いていない。


 一気に落とされた爆弾に、クラウスは痛む頭を押さえながら、なんとか状況を把握しようとした。

(ナルーシャは聖女召喚の前日に精霊王に呼び出されたから、異世界から来た聖女を知らない。しかし、精霊王が実在しているのなら、精霊王の契約者が本来の意味での聖女……で、それが私だと? もう今日の午前中に教会から聖女の即位は公示されているから、これを覆すのは教会としては王家や貴族に隙を作ることになる……そもそも、そうなったとしたら私が聖女の地位に立つ必要が出て……他の枢機卿やアスランがまた……)


 クラウスは世俗に疎ければ関心もない。際立っているのは魔法使いの才能だけで、特別頭がいい人間でもない。

 こんなしっちゃかめっちゃかな状態の解決策を、彼は思いつくはずもなく。


 クラウスは膝の上のナルーシャを強く抱きしめた。

「ナルーシャ、二人でどこか遠くに逃げましょう」

「あれ? オルヴァンと弟はいいの?」

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