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3-2

 朝食を終えると、館にあった町の地図を持ち出して相談することにした。

 聖女の部屋で、マリのお気に入りとなっていたソファに向かい合って座り、コーヒーテーブルに地図を広げる。


 二人で街を回る場所の案を話しあうのは、時間を持て余していたクラウスとマリにとってはいい時間つぶしだった。


 地図の場所をマリが尋ね、クラウスが答える。

 マリが興味を持てばさらに質問が重なり、行きたいとなった場所をリストアップしていく。そこに先日三人で話していた時の場所も合わせて、護衛出来る場所かどうかをクラウスが考え、無理のない経路となるように絞っていく。


 おおよその話が纏まったところで、正午を伝える鐘の音が外から響いた。

 音につられたマリが窓の外に目をやれば、真昼の日差しが部屋に差し込んでいた。


「そろそろ食堂に向かいましょうか」

「そですね」

 言いながら、クラウスは地図をしまうために巻き込む。

 マリがそういえばと、口を開いた。

「クラウスさん、町中のこと詳しいんですね。露店とか食堂のお話とか……失礼かもしれないけど、ちょっと意外でした」

「……自分でも驚いています」

 クラウス自身が一番街の説明に不安を感じていたが、町の様々な場所についてそれなりに知っていたことに彼は初めて気づいた。


 実際クラウスはマリが思っている通り、周囲に気を向ける性質ではない。

 しかし今の彼と一番付き合いのある教会関係者、特に寮に住む平民出身の者たちは町の変化に敏感だ。クラウスが食堂や談話室などにいれば、物静かだが律義に話を聞く彼を聞き役に様々な話題を弾ませる。

 それは大聖堂にいてもほとんど同じで、彼がよく接する平民の信者たちも同様だった。

 また、クラウス自身が町を回ることもそれなりにある。一緒にいるナルーシャがあれこれ気に留めてクラウスに話す為、クラウス自身が気に留めていない周囲に自然と目が行くこともある。


 そんなクラウスの町の知識は平民視線で富んでいて、それはマリが見聞きしたいと思っていたものと合致していた。

「マリ様といると、意外なことに気づけます」

「普段とやることが違うからですかね?」

「そうですね」

 実際、クラウスが他人に町について話すことなどそうはない。

 大聖堂には遠方からの巡礼者も訪れるが、一見とっつきにくく打ち解けやすくもないクラウスがそういった人々と関わることもない。


 クラウスが手元の紙を見れば、庶民向けの場所の名前が多く書かれていた。

「アスランが戻ってきたら、これで確認しましょう」

「はい」

 インクが乾いたことを確認してから、書き込んだ紙を丁寧に折りたたむ。

 クラウスも護衛しながら回れる場所ということで絞ったつもりではあるが、ただの教会の従事者が要人警備の知識に富むわけでもない。

 その点、王宮において荒事にも対応することのあるアスランならば精査してくれるだろうとクラウスは踏んでいた。希望の場所全てにアスランが造詣があるかは定かではないが、短時間ではあるものの確認する時間はある。


 巻き終わった地図を紐で括ってクラウスが立ち上がると、それを見ていたマリも一緒になって立ち上がった。

 連れだって部屋を出て、食堂へと向かう。


 やや大きい地図を覗き込むように長時間前につんのめっていたマリは、歩きながら凝り固まった身体をほぐすように両腕を上に伸ばした。

「こんなに色々考えたの、久しぶりかも」

「地図と私の話だけだと、想像するのも難しいでしょうね」

「あ、そういうんじゃなくて」

 ともすれば自虐のようにも聞こえる言葉に驚いてマリは慌てて取り繕うとしたが、すぐに言葉に詰まる。

 クラウスは無表情ということを差し引いても、自虐という意識もなくただ事実を口にしただけの淡々としたものだった。


 とは言え口を挟んだこともあり、マリは何かしら話を変えようと少し考えてから口を開いた。

「こっちに来てからエミールにまかせっぱなしで、言われるがままだったから」

 ぽろりとこぼれた言葉の意味を、クラウスは深くは考えなかった。


 食堂の扉の前につき、クラウスが扉を開けてマリへ中へ入るように促す。

「ちょうど呼びに伺おうと思っていたんです」

 給仕の女性が、それぞれがお決まりの場所に座った二人の前に昼食を用意し始めた。


 用意された食事を食前の祈りを行ってから、食べ始める。

 普段そうありつくことの少ない食事ごとに焼かれるパンと、丁寧に味付けされた煮込み料理に慣れきってしまいそうで、クラウスは館での食事のたびに何とも言えない気持ちになる。

 この日も変わらず複雑な気持ちで食事をとっていたが、ふと気づいた食堂の沈黙にそんな些細な心境も吹き飛んだ。

 クラウスはそっと、マリを盗み見た。

 いつもは食事を楽しみにしていて、食事中でもクラウスへちょくちょく話しかけるマリが先ほどから急に大人しくなっている。

 それは食事が終わったあとも同じで、マリは奥歯にものがはさまったような、煮え切らない表情でいた。


「マリ様」

 目の前で明らかに元気がなくなった少女をそのままにも出来ず、クラウスは思わず声をかけた。


 食事中からずっと黙っていたクラウスに突然声をかけられて、マリは少し驚いた顔をした。

「あ、はい」

「何かあれば、遠慮せずおっしゃってください」

 マリはまじまじとクラウスを見つめたあと、考え込むように片手で顔を覆った。

 

「……さっきの話の続き、していいですか?」

 クラウスが黙って相づちを打って話を聞こうとしているのもあり、マリはそのままゆっくりと話し始めた。

「……私、むこうでも結構適当に生きてて」

「大学……試験が必要な学校があって、そこ落ちちゃったんです。国立じゃないと学費かかるからって親に言われて、言われるままに次の試験まで家で勉強して」

「なるほど」

 マリの言葉は静かで、人に聞かせるような語り口でもない。話す中に疑問がいくつも浮かんだが、クラウスは口を挟まずに粛々と話を聞くに徹した。

「友達はいろんな大学に行っちゃって、最近だと遠くの子とは連絡取ることも少なくなって。家で一人で勉強してたら、私何やってるんだろとか思ったりして。もっとちゃんと勉強しとけばなぁとか、でも大学で何したかったんだろうなとか」

「一人だと、悪いほうへ考えがちになりますからね」


 知人との付き合い、自分の在り方の悩みは教会に居ればよく聞かされるものだった。

 クラウスも慣れたもので、マリの話を聞きながら合間に応える。


 思っていたことを吐き出したのか、マリは深くため息をついて両手で顔を覆った。

「……あー。いろいろ一人でぶつぶつしゃべって、すみません」

「いえ」

「まあ、結局むこうでもこっちでも言われる通りにしてるだけの自分になんというか、色々溜まっちゃってたんですね、たぶん」

「……溜め込むのもよくありませんから」

 言われるがまま、というのはクラウスにも覚えのあるものだった。

 彼が家を出て教会に来たのもそうだし、教会だけでは駄目だと寄宿校に行くことになったのもそうだ。

 今こうしてマリと一緒にいることも、上司である枢機卿からの命令である。


 大なり小なり、言われるがままに生きることは人には必ずしもある。とはいえ、今の今まで吐き出す先がなかったマリをクラウスはとりわけ気の毒に感じた。


「クラウスさんって聞き上手。エミール相手だと話しづらいと言うか、なんか違うんですよね」

 マリの言わんとしているところがわからず、クラウスは内心首を傾げた。

 話しかけづらいと言われたことはあっても、聞き上手と言われたことはない。

 クラウスとしてはただ聞くだけの人間よりも、悩み事があるならばアスランのような人間に話した方が助言が得られるのではと思う。


「私がアスランよりも優れていると言えるのは、魔法ぐらいですよ」

 聞き上手が褒められているとは感じるものの、内心自身がそうとは思えないクラウスはそんな言葉で答えた。

「ぐらいって」

「魔力だけは生まれ持ったものですから。寄宿校でも、彼は主席争いをする秀才でした」

 マリは納得できないと言った様子で、クラウスを見つめる。

「えらくエミールを持ち上げますね」

「持ち上げなくても、実際彼は優秀ですからね」

「主席って言うと、まあ、そうなのか……あんまり想像つかない」

 アスランの優秀さを喧伝したいわけではないが、クラウスの中ではとりわけアスランは天才という認識があった。


「昔、槍の手習いをしていたのですが、後から始めた彼に腕は抜かれました」

 クラウスの言葉にマリは目を丸くした。

「……えっと、クラウスさんが習ってた槍を、アスランが後から習ってアスランが勝った?」

「そうです」

 魔法で負けていることが気にかかっていたのか、寄宿校時代のアスランはなにくれとクラウスに対抗するような行動をとった。

 とはいえクラウスは魔法以外の能力は平凡で、アスランはすぐに目標を失い、何かと突っかかられる程度の仲だった。


 なにかの話の中で、クラウスが唯一幼い頃から槍を習っていたことをアスランが知ると、彼は同じ師について習い始めた。

 短期間で槍に習熟したアスランは、わざわざクラウスを指名した練習試合で彼を打ち負かした。


「……それ、悔しくないですか?」

 当時誰もが思いながらも、落ち込んだ様子のクラウスにかけられなかった言葉をマリは思わずこぼした。


「……悔しくないと言えば、嘘になりますが」

 答えながら、クラウスは考え込んだ。

 事からとうに五年経ったというのに、クラウスは話しながら自身が思うよりも未だに気にしていたことに気づかされた。

 アスランに対しては、自分とは違うという諦念がクラウスの中にはあるが、それでも例え言われるがままに始めて片手間であっても続けてきた手習い事だ、悔しくないはずがない。

 事実、負けた日からしばらくクラウスは日課としていた練習からは遠ざかってしまった。今では休みの日に、気が向いた時だけとなった。


 それでも、クラウスはアスランに恨み言を言うつもりはないし、負けた言い訳を自分に言い聞かせることもしなかった。

「私の代わりにナルーシャが悔しがってくれたので、それでいいんです」




 正午を過ぎてから、クラウスは朝言った通り薪割りをしていた。

 結局街巡りの計画はアスランや枢機卿の確認が必要で、クラウスやマリが出来ることは終わってしまった。

 結果、寮でも時折手伝っていたように、薪割りにいそしむこととなった。


 しっかりした体躯のクラウスが、慣れた様子で薪割り斧を振るう。

 鈍い音を響かせながら、薪をちょどいい大きさへと割るクラウスの姿を、少し離れた中庭から見つめる存在がいた。


 冴えわたるような青い髪を豊かに持った少女――ナルーシャは、中庭の茂みに隠れるように座り込み、斧を振るうクラウスをじっと黄金の瞳を輝かせて見ていた。

 やがて一つ、感嘆のため息をつく。

「斧を振るってるクラウスもかっこいいなぁ」

 当初こそ蝶の姿に戻る練習に明け暮れていた為、ナルーシャはほとんど部屋に閉じこもる生活を送っていた。

 その甲斐あって、一時間近く蝶の姿でいられるようになった。このことでクラウスに褒められたのは、ナルーシャのやる気を奮い起こさせて、更に練習に打ち込ませた。


 ものの、ナルーシャはすぐに気鬱を感じ始めた。

 部屋に閉じこもっていることもあるが、何よりクラウスを見る時間が減っているからだとナルーシャは考えた。

 それだけの為ではないが、中庭に出て来てクラウスを見るのはナルーシャの目の保養だった。

 

「おい」

「いつもの槍もいいけど、堂に入った薪割りかっこいい。クラウスなら何やっててもかっこいいんだけど」

「おい、聞いてるのか」

「なんでいつもアスランは五月蝿いの?」

 ナルーシャは時折聞こえる声に若干いらいらしながら振り返り、そこにいる人物に言葉を失った。

「……」

「君、ナルーシャだろう」

 両腕を組んだアスランが、ナルーシャの背後に気配を感じさせずに立っていた。

「……」

 どう答えるのが正しいのか――クラウスと精霊以外とはまともに話したことがないナルーシャには、何も浮かばなかった。


 背後の存在を視なかったかのように、ナルーシャは前に顔を戻した。

 再び遠目にクラウスが見えた。薪割りに集中しているのもあり、あまり周りの気配に敏感というわけでもないクラウスはナルーシャ達には気づいていない。


「無視するな」

 淡々とした声音で、頭上から呼びかけられる。

 ナルーシャはしかたなく、なんとなく頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。

「そんな綺麗な蝶知らないです」

「自分で綺麗言うのか。誤魔化し方が適当過ぎるだろう」

 ごく自然に返事が返ってくるうえに、そしてナルーシャをナルーシャだと確信している様子に、再び言葉を詰まらせた。


 自身の迂闊さを苦々しく思いながら、けれどとナルーシャは思い返す。


 この時間にクラウスが薪割りをしていると、少ない人数で館を維持している職員たちはクラウスにここのことを任せて館の中の仕事をしている。

 聖女は緑だけの中庭にはあまり興味がないらしく、今まで彼女がここに姿を現したのをナルーシャは確認していない。


 ある程度見つからない、気配を感じたら蝶に戻ればいいとナルーシャは考えたからこそこうやってクラウスを見ることを兼ねて中庭に来たのだ。

 そもそも、音もなく背後に立つ人間はそうはいない。


 納得はしていないが、間が悪かったと観念したナルーシャは、上半身をひねってアスランを見上げた。

「クラウスがいつも綺麗って言ってくれる」

 誤魔化しではあるが、クラウスの言葉を疑うべくもなく思っているナルーシャはそこだけは訂正させようと指摘した。

「ああ、そうだな。はいはい」

 適当に頷くアスランを、なんだこいつという目でナルーシャは睨んだ。


 何故バレたのかという疑問も心の片隅にあったが、それよりもアスランのあしらうような態度が気に入らなかった。

 ナルーシャはアスランがそもそも好きではない――むしろ嫌いに足を踏み込んでいる。

 ナルーシャの敵意を知ってか知らずか、アスランもあまり機嫌がよくない様子でナルーシャを見下ろしていた。

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