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1-1 聖女の憂鬱

 日が昇る頃、いつものように目が覚めたはずだった。


 4年間住み慣れた部屋の中、すっかり定位置になったサイドテーブルのほうを見たが、慣れ親しんだ青い色は見当たらない。

 いつもであればすぐに耳に届く「おはよう」と呼びかける声がない。

 22年生きてきて、初めての出来事だった。


「ナルーシャ?」


 声に出して呼びかけたが返事はない。

 常に傍にあったその気配が、今は全く感じ取れない。胸に穴が開いたような喪失感で息が詰まった。

 探さなければと気が早る。

 おぼつかない四肢をどうにか動かしベッドから起き上がると、外に出るための用意を始めた。


 かじかむわけでもないのに力の入らない指先の動きはぎこちなく、もたつきながらも服を着替えることに勤しむ。

 衣擦れの音だけが部屋に響き、沈黙が耳に刺さる。外から聴こえるかすかな喧騒さえ、普段なら気づいていないものだった。

 静かなことに落ち着かない――そう思った瞬間、ナルーシャがおしゃべりだったことに初めて気づいた。


 ナルーシャがいないことで混乱している頭は、冷静とは程遠い。

 しかしふと、もう一つのことに気づいてしまい、耐えられず終にはああと息が漏れる。

 その事実から目をそらすように、強く瞑目した。

 震える手を合わせて、強く握りこむ。


 クラウス・ディースベルクは途方に暮れた。

 孤独を。そしてそれが人を心細くさせるものだということを、クラウスは今まで知らなかった。


 聖女が異世界から呼び出される一日前の出来事だった。




「確かに、精霊の声が聴こえるようですな」

 大きな灰色の狼の見た目をした「精霊」を従えた初老の男は硬い表情のまま、真理に拝跪した。


 ただ立って、訊かれたことに答える。


 七瀬(ななせ) 真理(まり)は言われた通りにした。初めて訪れた国――もとい、知らない世界での正しい振舞いなんて何もわからない。

 言われた通りに精霊の言葉を繰り返した。たったそれだけのことで、真理の目の前の男は跪いている。

 緊張で息を詰めながら、次の言葉を待つ。


「異界より訪れし者、教会は貴方を聖女として迎え入れます」


 感嘆の声がまわりからそぞろに響く。真理と男の周囲には、真理を呼び出した魔法使いたちや、教会の偉い人たちが取り囲んでいた。

 そんな人たちからもさらに離れて、様子を見ている青年のほうをちらりと伺った。睨んでいるようにも見える真剣な表情で真理たちを見ているのは、真理を召喚した魔法使いの一人、エミール・アスランだ。

 金色の髪を顔にかからないようきっちりと後ろになでつけ、青い瞳が映える。真理と変わらない年頃に見える青年の中身は、小言の多い小姑だった。出会ってから数日だというのに、繰り返される小言にはもう食傷気味になっている。

 その隣には、真理の知らない好々爺が立っている。仕立てのいい服を着ており、エミールとは対象的におだやかに微笑んでいた。

 言葉に出来ないひっかかりを感じながらも、長く見ているわけにもいかず視線を目の前の男に戻す。

「……あの、膝大丈夫ですか?」

 なにか言ったほうがいいかもと思い、つい声をかける。いつまでも跪かれているのは、一般市民である真理には居心地が悪かった。

 初老の男性が顔を上げた。最初よりも少しだけ表情を緩め、ゆっくりと立ち上がる。

「お気遣い、ありがたくお受けします」

『もういいか?』

 先ほどの読み上げるような口調ではない、自然な精霊の言葉に目を丸くしていると、男は遠巻きにはわからないよう小さく頷いた。

「私はヘルムート・ヴァルトシュタイン。枢機卿の位を戴いています。こちらが私の契約の精霊ニブルム」

『アスランの言葉は聞きなさい、そう悪いことは起きない』

「……?」

「お疲れになられたでしょう、一度休憩としましょう」

 狼のほうを見ようとした途端、ヘルムートはそう言って真理が周りの視線から隠れるように立ち、他の人たちに下がるよう身振りをし、退出を促した。


 精霊の声が聴こえるのは、本当にごく限られた魔法使いと聖女だけだとエミールに聞かされている。

 となれば、精霊ニブルムがいま語りかけているのは目の前の真理しかない。ヘルムートは何も聞こえていない風に振る舞っている。

 これは人に気取られてはいけない話なのだと、真理はすぐに察する。


 ニブルムの方を見ないよう、ヘルムートの背だけを見つめて歩いていると狼の精霊は、別れ際に一言だけ残した。

『笑顔の者が、常に善良と思わないよう』

 その言葉に、先程見た微笑みが浮かんだ。

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