ある幼馴染の再会
「ローラが家に戻ってきてる?」
その話を聞いたのは幼馴染の親戚である少年からだった。元軍属、現在は菓子店の従業員をしているフローリスは時折古巣に菓子の出来損ないを提供していた。自主練で作ったもので店に出すわけにはいかない。しかし、全部常に食べられるわけでもない。
外付け胃袋などと師匠はいっていたが、要は食べてくれる相手だ。
近頃は口も肥えて、味の差だの焼き加減だのに一言言うこともあった。
「そう。母さんがそわそわしていてさぁ」
「どうして?」
「なんでもすっごい落ち込んでいるらしいから。家からも出てこないっていうから、お見舞いいったほうがいいかしら、それとも、放っておいたがいいのかしら。
とりあえず、美味しいものでも送りたいの。菓子店に並んできて、って。
母さん、フローリスさんが弟子やってるの知ってるから、ちらっ、お菓子おくってやりなさいよ、だよ」
彼はわざわざちらっと見る動作込みでやってのける。
「僕がよくクッキーもらうっていうときーってハンカチ噛むくらいだから、今度、もって帰っていい?」
「試作品じゃなくって、ちゃんとしたものを食べてほしいから正規品もってくるよ」
「やった! 僕はナッツがカリカリってやつがついてるのが好きです」
「……わかった」
調子の良い少年に約束してフローリスは帰宅した。
フローリスの幼馴染であるローラは伯爵家の次女で、領地が近く、祖父同士が仲が良かったため物心付く前からの付き合いだった。ただ、親同士が親しいということもなかったように思う。父親同士が反りが合わなかったため、母親同士の交流に連れて行かれたついでに遊んだということでもあるように思える。
大人しいといわれていたフローリスをローラは引っ張り出し、騎士ごっこに付き合わせた。その代わりに、フローリスは騎士たるもの学がなくてはと言いくるめて、歴史や伝説などの話に付き合わたこともある。
彼女は5年前に嫁いでいった。最後にあったのは6年前で、フローリスが軍に入る直前だった。
本当に、行くんですの? 怪我するかもしれませんわよ! 似合わないことなんてやめたほうがよかったんじゃなくて?
そう言ってフローリスを止めようとした。
しかし、どうしてもという願いがあるフローリスは引くわけには行かなかった。
考えを改めることもないと呆れたローラはフローリスにお守りを押し付けた。大金をかけたので絶対効果はあるし、無事であるはずなんだから大事にしなさいとつっけんどんにいったのが最後だ。
そのお守りは数年前に壊れてしまったが、フローリスは今も大事にしまっている。
「……離縁、ねぇ」
フローリスは呟く。私からいってやりましたわ! とでもいいそうなローラが塞ぎ込んでいる。フローリスは想像もつかなかった。
元気がないというなら、一度くらいは顔を出してもいいかもしれない。手土産としては勤務先の菓子が最適だろう。
フローリスはローラの父親には嫌われていたが、入手困難なものと引き換えに短時間会わせることくらいはするだろう。
本当に一瞬かもしれないが。
「母さん、ちょっと聞きたいんだけど」
家にいた母にフローリスは話を聞くことにした。母親同士は今も交流していると聞いていたからだ。
ある一件があって父親同士は絶縁している。なお、祖父同士はもう墓の下だ。
フローリスはローラが家に戻されたらしいが知っているかと尋ねる。ああ、と眉を寄せて母が語るには、ローラは子ができず、愛人に子が生まれるから、ということだったらしい。
たまに聞く話ではあった。貴族家は血での継承を至上としている以上、一人以上は最低でもいなければいけない。他の親戚に乗っ取られるくらいなら多少劣っていてもという傲慢さは鼻につくが、フローリスはどうこういうものでもない。
そういう話に入れない三男という立場が腹立たしくもあったが、生まれた瞬間から決まっていたことを言っても仕方のない。
「二ヶ月くらい前みたいね。
噂はほとんど流れてないわ。相手方が再婚するらしいから、静かにしているようにと言い含められてるそうよ。たちの悪い」
「……様子を見に行ってもいいかな」
「いいんじゃないかしら。
駆け落ちしてもいいのよ」
「しないよ。
皆が羨む息子がいなくなったら困るでしょ」
「そうなのよねぇ。
今までは、いないように扱われていたのにね」
ふふっと笑う母にどす黒いなにかを感じてフローリスはそれ以上言うことをやめた。女の主戦場、お茶会、サロン、ボランティア活動でフローリス、というより、師匠の菓子は大活躍しているらしい。
そのお菓子を入手できる立場にいるのがフローリスだ。
師匠は、弟子は贔屓しますので! と公言しているが、その家族もきちんと贔屓している。
そのため、入手困難品も事前予約、ごく少数ならば手配してくれる。それも正規に販売するものを売るのではなく、ちょっと残業してとか、多めに仕込んで特別にというものだ。数が減るというのは、恨みを買うだろうからという配慮だ。
そこまでするのは師匠的にそれは大事な御子息を預かっておりますので、ということらしい。
これがあるから役に立たねばならなくっている、ということに師匠が気がつくことはない。フローリスも家でちゃんとやってる? と査定されるのだ。弟子を辞めさせられるようになっては困るからだ。
フローリスは母と妹の同盟が結成され、上の兄の奥さんも追加されたと先日聞いた。
菓子職人なんてという長兄が今劣勢らしい。次兄はそもそも気に留めていない。ふぅん? うまいじゃん、で終わりだ。
父は時勢を読んで、辞めるんじゃないぞと強く言ってくる。
それなのに何もかも捨てて駆け落ちなどできるはずもない。
できないのだが、当の師匠が、やっちまえーっ! というタイプである。
フローリスはローラの件は一切話さないことに決めた。そもそも私的ものである。
そのつもりだった。
一回目。
ローラは体調が悪いと面会を断った。
二回目。
会いたくないと伝えられた。大丈夫だからと。
その時に、長く仕えている顔なじみの侍女が、それまで聞いた噂よりも詳しい話を、独り言なんですけどねと呟いた。
「……結婚前から愛人がいた」
「みたいですねぇ。
あら、やだ。わたしとしたことが。おいしいケーキ食べたいですね」
「……伯爵夫人と二人でいらしてください。予約しておきます」
「結婚前から愛人がいて、その方と結婚が認められず、お嬢様と結婚したそうです。
旦那様はご存知で、奥様は後で聞いたそうです。本当かは知りません。外聞の良くない話なので、結婚後の愛人となっているようですけどね。
子ができぬからとかなんとか言い訳しても、一年やそこらで言い出すような軟弱男、お嬢様には似合いません。
全く、なにが、可愛げのない女なのですか。お嬢様ほど健気な方はいらっしゃいません」
「……いや、健気は違うんじゃないかな」
雄々しいとかのほうがローラには似合う。フローリスは、小さい頃自分の付き合いで剣技を教えてしまったことはちょっと後悔している。自分よりもっとうまいのだから。
「健気です!」
侍女にきっと睨まれてフローリスは思わず、はいと返事をした。気迫が違う。
「奥様には予約をもぎ取ったとお伝えしておきます。
とてもお喜びになります。でも、2人分では上のお嬢様もお伺いしたいというかもしれません。私はいけないと悲しい」
「……3人分がいいかな」
「ええ、四人で」
増えた。
フローリスは諦めて、師匠にお願いすることにした。家族用と必ず空席にしている席がある。そこを都合してもらう。その席は最初のころに弟子の親族が心配して様子を見に来ることが多かったので設置された。
身内が恥ずかしいと皆が訴えたが、却下され時々ニヤニヤした家族に見られることがある。
その席は狭いが文句は言うまい。代わりに師匠からの接待がある。特別待遇もいいところだ。
日程はあとで連絡するとフローリスは約束して、ローラの家を去った。
部屋の場所はあちらでと侍女が事前に教えてきたが、その場所を見ても厚いカーテンは閉まったままだった。
「親戚がどうしても来たいというので」
フローリスはそういうかたちでお願いすることは今までなかった。他の弟子は時々あるらしかった。田舎のおばちゃんがさぁという話も時々聞いたので。
師匠はいいよと軽く請け負った。予約表確認して空いてる日にね、と日付さえお任せだった。
誰でどういう利益がという話は全くしない。フローリスや他の弟子を信用しているということだろう。問題を起こすような相手を連れてきはしないと。
「それと厨房をお借りしたいんです」
「いいけど、試作?」
「いいえ、人に送りたくて」
「うちの持って行くんじゃだめ?」
「全部作りたいんです」
びっくしたように師匠が目を見開いたのがわかった。やはり、生意気なことだったかもしれない。フローリスが撤回しようとする前にくるりと背を向けて、シアさーんと呼んでいた。
なぜ、同僚の女性を呼ぶのか。
え、なんで。という言葉さえ許されず、フローリスは尋問された。
今の技術から可能なものを洗い出され、相手の好みと作りたいものの折り合いをつける。その隙間に相手の趣味や好む味などを聞かれる。
怒涛の勢いに失敗したと思っても遅い。フローリスは幼馴染としか言っていないのに、相手は女性だと断定している。
それも、かなり特別な相手として。
違うという否定さえ意味深に笑われてしまった。
助けてと周囲を見回しても恐れをなした弟子の群れはどこかで別作業をしている。
「おっけー。
今度の休み、試作ね。私も色々作りたいから、そのお手伝いのあと好きにつくっていいよ」
建前まで用意されてフローリスは退路がない。
いまさらもういいです、とは言えない。同僚であるシアもうんうんと頷いていた。入れる箱はきちんと用意しますねとやる気がある。ありすぎた。
「ああ、でも、人にあげるなら、最低ラインを超えてないと出せない」
師匠は師匠で厳しいことも追加で言われ、フローリスは困難に挑む事になってしまった。
フローリスが作るケーキはミモザケーキという。黄色の花を咲かせた花に似たように刻んだスポンジをまわりに纏わせる。
同じような花はこの地でもあるが、模したようなケーキはなかった。
「大丈夫、できるできる」
師匠の軽い言葉がフローリスにはどっしりと響いた。そうやって、他の弟子も色々やらされていたことを知っている。
おだててやらされて地獄を見る。そういうものだ。
今回は自分が原因であるのでフローリスは今まで覚えたものを駆使して作り上げる他ない。
どうにか出来上がったものを師匠に見せれば、良い笑顔を向けられた。
「おいしいうちに食べてもらえるようにさっさと行ってきなさい」
「片付けがあります」
「鮮度が大事なケーキだよ。
こっちの片付けはやっておくから、美味しく食べなよ。私は食中毒が怖い」
そういえば、何度も言っていたことである。ケーキというのはナマモノだから、悪くなるのも早い、だから持ち帰りはさせないと。
それを特別に外に持ち出させるのだからよほどの信用である。
「わかりました。ありがとうございます」
「いいの。あ、ちゃんと着替えしてきなよ。それから、賄賂も」
「大丈夫ですって」
心配そうな師匠は、どちらかというと口うるさい妹のようだった。大丈夫かね?という疑い深い表情もそっくりである。
師匠は兄でもいるんじゃないだろうか。ちょっと頼りない感じの。そんなことを思いつつフローリスは店を出た。
三回目の訪問は歓迎された。
ローラの父親は今日も不在だった。用事でいないのよ、本当に毎回、間が悪くてごめんなさいねという伯爵夫人は、すまなそうだった。
フローリスは彼女が夫に従うだけの女性のように見えていたが、どうも違うのではないかと思えてきた。事前に訪問日は連絡したが、それにあわせていない、というのは三回目ともなると意図的に思える。
「師匠が新作の試食をどうぞ、と。
まだ外に出さないので黙っていてくださいねという話でしたのでよろしくお願いします」
「あらあらまあまあ。
レナ、案内してあげて」
「奥様、私の分も」
「侍女殿にはこちらを」
用意していたクッキーを渡せばフローリスは機嫌よく案内された。そして、ローラの部屋の前で待つように言われる。やはり、訪問は歓迎されておらず帰るようにと告げている声が聞こえた。
それならば、ケーキだけを置いて帰ろうとフローリスは思った。
いつか、連絡をとっても良いと思える時に話をしてもらえればそれでいいと。
それでも久しぶりに聞く声は懐かしく立ち去りがたい。フローリスは侍女が出てくるまで、勝手に帰るわけにも行かないとその場に残ってしまった。
「だそうですよ、フローリス様」
予想外に声をかけられフローリスは腹をくくった。
6年ぶりに見るローラは、落ち着いた女性になっていた。フローリスの予想を大いに外して。
おとなになっても、歳を重ねてもあの明るい笑顔があると思っていた。陰りのあるどこか諦めきった微笑みが重ねた月日を語る。
幸せではなかった日々を察して余りある。
ぎこちなく会話を始めてみても、やはり、記憶の中のローラとは噛み合わない。
もう、お姫様ではなく、騎士になりたいと言っていた彼女ではない。それならば、今ならば、守ることができるのではないだろうか。
「その、僕と」
言いかけてフローリスはやめた。
師匠の顔がよぎったのだ。たぶん、師匠はローラを理解してくれるだろう。
女騎士、心意気やヨシ! と一緒に望みを叶えることを考えてくれる。そうでなくても、多少は寄り添ってくれるだろう。
フローリスなんかよりも彼女のためになる。
それに、結婚したから守れるわけでもない。フローリスは、まだ、何者でもない。きちんと迎えられる準備すらしていない。
焦っていても、なにもできない。
あの時のように。
「仕事」
まずは、自分で立つことを知ることのほうがきっとローラのためになるとフローリスは信じた。
誰かに左右されるわけでもなく、自分で選ぶ。それを得るほうが、フローリスとともにあるよりもきっと役に立つ。
そう思えたのはやはり、偉大なる師匠のおかげである。
「しごと?」
戸惑ったようなローラに話をすれば、キラキラと目が輝いた。
フローリスの知っているそこにローラの欠片があった。それがどれほどホッとしたのか彼女は知ることはないだろう。
大丈夫とちゃんと立つまで、フローリスは見守ろうと決めた。
そして、その2ヶ月後くらいに煮えきらない態度だと逆プロポーズをされるのである。
そして、求婚にまつわるいくつかのことに続く。
元々、幼馴染だし、お転婆な娘を任せるなら彼しかいない! とローラの家の女性陣の意見は一致しており、時期を見て婚約をという話がうっすらあったのに、父親の独断で別の家に嫁がされた。ので、のちに父のほうが放り出される。入婿なのに、独断すぎるから……。
女だからと舐めないでもらいたいですわぁという伯爵夫人。お転婆と気の強さは遺伝であろうと言われていた……。




