旅立ちのあとで
草魔法の連載のほうにこれを放り込む気にはなれませんでした……。
「おとーさーん、いってきますーっ!」
外から大きな声が聞こえた。開けたままの窓にかかったカーテンが風に揺れる。
声の主の姿は窓から見ればすぐにわかるだろうし、それを望まれていると彼は知っている。しかし、する気はなかった。
「いかなくていいのか」
呆れたような声に彼は顔をあげた。
部屋の入口に立つ黒いローブの女性が見える。その後ろには緑の髪の子供たちも。皆が心配そうに見えて彼は苦笑いして、目元をぬぐった。
「旅に出るなんて反対ですからね」
「まあ、父親の威厳というのもいるか。だが、一人娘の旅立ちくらい祝福しろ」
そういって彼女は彼の手を掴んで窓際まで連れていく。
再び滲みかけてきた視界には彼の娘の姿がぼやけてうつる。もう遠くまでいっているようだった。思ったよりさっさと出かけていった。
彼女は呆れたようにため息をついて、小さく何かを呟く。
それを合図にしたように娘が立ち止まり、振り返る。遠くからでも首をかしげたのがわかった。
「ほら、手を振ってやれ。全く手のかかる親子だな」
ぎこちなく振った手に、それじゃわからんだろ、とダメ出しを食らい彼はやけになって大きく手を振った。
娘のほうはぶんぶんと手を振り返して、それから。
「いってきます、だってよ。
ほら、いってらっしゃいだろ」
「届きませんよ」
「魔女を舐めてるのか? 届かせるから言え」
彼はためらってから、小さく告げた。
「いってらっしゃい」
泣き出しそうな声になっていないかだけ心配だった。
娘は元気よく旅立っていった。彼女は一人ではない。気に入らないが、頼りになるかもしれない同行者がいる。かもしれない、である点はやっぱり心配だが。
「変わらず泣き虫だ」
笑う魔女が慰めるように頭を撫でた。
「私は何も知らないから、世の中を見てきます」
ある日突然、娘がそう言いだした。いや、予感はしていた。彼女は長い子供の時間を終える準備をしていた。そうして、準備が終わったから守られている箱庭から、出ていくことを決めたのだ。
彼の娘は幼いころに母を亡くし、後妻から存在を無視するように育った。
ということになっている。
その内情はもっと絡み合った出来事の結果だった。
彼の家は子爵家であるが、領地は広い。元々は役にも立たない湿地が多い土地だった。だからこそ、王家は気前よくくれてやったのだ。嫌がらせであったのかもしれない。あるいは、そう見せかけた、別の何か。
彼にはそこまではおし量れない。ただ、初代の妻は魔女だった。水魔法を得意とし、湿地を使える土地に変えていった。長い時間をかけてゆっくりとこの土地は富を得るようになった。国の食糧庫の一つと数えられるほどに。
だが、それが良くなかった。分家が欲を出したのだ。
水の魔法なんて、火の魔法より劣るじゃないと言いだした。当主の継承理由が強い者であると誤認したのだ。
力で上に立てば、この地の富を手に入れられると。
そう思い込んでしまった。
彼が気がついたときには、すべてが遅かった。
政略結婚でも穏やかな関係を築いていたと思っていた妻は、以前の恋人にそそのかされ駆け落ちしていた。すぐに探させたが雲隠れしたかのように行方が分からなくなっていた。
それから一月もたたず、元恋人のほうが見つかった。それはすでに正気を失っていた。火を怖がるようになり、衰弱して亡くなった。
誰かに詫びながら。
それから一年もたたないうちに彼の妻は戻ってきたが、その体はボロボロであった。
娘には病気といったが、彼にはそれが毒の影響だとわかってしまった。時間をかけて死に至るのに、その毒がないと苦痛に苦しむ。
解毒できる薬は今はない。
ただでは死なせないという悪意がそこにあった。
日に日に弱っていく妻の姿に思うところがあったのか娘はそういって毎日水薬というものを用意するようになった。
「おかあさまがよくなりますよーにって、がんばってつくったの」
調べてもただの水であったので、気休めと飲ませるようになってから妻が穏やかに過ごせる時間が増えていった。
そしてついには解毒に成功した。医師が奇跡というほどのことだった。
「ごびょうき、よくなった?」
娘は顔色の良くなった母と一緒に過ごせるようになって機嫌が良かった。
しかし、彼は、不安だけが増えていく。
「どうやってくすりをつくったの?」
二人だけの時に尋ねた。
「ええとね、おにわの草さんにおねがいしたの。
おかあさま、げんきないから、いっぱいげんきにしたいのって! そしたらばーーーんってそだってね」
娘はまだ幼く、適性も図ってはいない。おそらく、水属性であろうとは思われていたが違ったようだ。おそらく、草魔法の適性がある。それも、規格外の。
気が進まない中、庭を調べさせた結果、そこにあったのは誰も知らない草だった。雑草ではないだろうとさらに国の機関に提出すれば、新種であろうと認めるようなものだった。
万能薬の素になるのではないかとさえ言われ、どのように栽培されたのかと調査団がやってくるような事態になってしまった。
彼はかつて魔女が植えた植物の変種ではないかとした。実際、この地でしか見かけない植物はある。ほかの地ではよく育たない性質をもっているらしい。そのうちの一つではないかと言えば、サンプルとして根っこごともっていった。
しかし、やはり育たなかったらしい。そして、その草はもう生えてこなかった。
おそらく、娘がもう必要としなかったからだ。
この時点で、彼は娘を後継者にすることは諦めた。一人娘ではあるが、適性がない。遠縁の水属性のものを養子にとり、本人たちが乗り気なら婚約者にする方がいいだろう。
妻と離縁して新しく妻を娶っても許されるだろうが、彼にはその気がなかった。
毒を盛るほどの悪意を向けられたのは、妻本人ではなく彼自身であると思えたからだ。駆け落ちの誘いすら彼自身を傷つけることを目的としていたとさえ考えられる。
調べは続けているが、疑わしく思える者が多すぎて特定ができていない。それは苛立ちがあったが、秘密裡にしているために仕方がないことだろう。
誘いに乗ったことについては許す気はないが、油断して彼女の身辺を守ることを怠った失態がある。
なにより、娘が懐いている。何事もなかったことにはできないが、なかったことのようにふるまうことはできた。
不在であった時のことは周囲には病気療養だったと伝えてある。固く口留めしているし、口の軽いものは処分するしかない。
その話は、娘の出生を疑わしくしてしまうから。
それぞれの内心はともかく、表面上は穏やかに日々は過ぎ去っていった。
これからも、そうであろうと思っていた矢先に、妻が亡くなった。
緩やかに回復していっていると安心していた矢先のことだった。
毒を飲んだ。
それもかつて自分を蝕んだ毒を。
手に入らないはずのものを手にし、命を絶った。
そこから数日の記憶が、彼にはない。
「とうさまは、なきむしね」
そういって娘が頭を撫でられた。それを覚えている。本人も泣いているのに必死に父を慰めなければいけないと思っているようだった。
ちゃんとしないといけない大人なのに。彼は情けなくて、さらに泣きたくなった。
「ごめんね。頼りなくて、なにもできなくて」
「とうさまは、いっぱいおしごとあるもの。
みんなのしあわせ、まもってます、なの。おかあさまもいってたの。おてつだいしたいねって」
そういったのに。ぽつりとこぼしたのを合図にしたようにわっと泣き出した。
二人で泣いたのはこの日が最後だった。誰も声もかけてくることもなかったのは周囲の配慮だったのだろう。
「ふたりでがんばろね」
「ごめんね。きっと、一緒にはいられない」
「どうして?」
「君は、お母さんに似すぎて、見ると辛いんだ」
「……わかった」
本当は、違う。
しかし、遠ざけたほうが安全であるだろう。妻を狙った誰かは、次に娘を狙うだろう。明らかな彼の弱みとしてそこにあったら。
本当はずっとそばに置いておきたいが、子供を連れてどこまでもはいけない。この領地を支える者として、危険な地帯にもいかねばならないのだ。
他に代用の利かない立場だった。
誇りがあったそれは今では足かせに過ぎない。投げ捨ててしまえば、この地は湿地に戻ってしまう。
「……本当に、ごめんね」
役立たずでも、娘の一人くらいは守れるはずだ。
それが、本人を遠ざけ、寂しくさせるとわかっていても。
彼は庭の一部に細工をした。遠く離れた場所に続く道があった。初代の妻だった魔女のための家に続く道だ。今は、その弟子に引き継がれている。彼も幼いころにはよく行ったし、初恋の相手でもあったのだ。すげなく振られたが。
きっと、彼女は、見捨てない。目を丸くさせて、仕方ないなと苦笑いしてくれる。
人の好い魔女ならば。
彼の思惑通りに、娘は魔女の住処を見つけ、庇護下に置かれた。
そこから、時期が来たと思ったのか分家の娘、彼にとっては従姉が乗り込んできた。外には漏らしていたない情報を手に広めてほしくなければ、婚姻しなさいと脅してきたのだ。
彼は笑いだしそうだった。
犯人が、証拠を手に乗り込んでくるおかしさ。
そして、彼が従うと思い込んでいるところ。昔から、愛していた? バカらしいと。
首を落としてしまいたかった。油断している今ならと思う衝動をこらえるのには苦労した。すべての裏側を調べてからでなければ、意味はない。
大人しくしたがうようにみせかけて、ゆっくり、確実に二度と再起できないようにしなければならない。
誰も、今後、愚かなことを考えないように。
それから10年ほどたってようやく、片が付いた。
分家と関与した家はすべて湿地に戻した。その領地にいたものは、別の地に移住している。少しずつゆっくりと進めていたのだ。
じっくりと絞め殺すように。
この件にかかわった王族から何も知らないような顔で苦言を呈されたが、証拠を送り付けてからは静かなものだ。
その上でたとえ、王族に連なるものでも、許しはしない。二度と、我が領地に手を出すな。
そう、王に宣告したのだからきっとしばらくは平気だろう。
多少、娘の威光というものを利用したが、相手が勝手に勘違いしているだけだ。
一部では植物の女王とかいわれていると知れば本人が泣きそうだ。恥ずかしい、死ぬとか言いだすに違いない。
「……いい加減泣きやめ。鬱陶しい。ほら、飴」
めんどくさくなった魔女がそう言いだした。
昔、彼が好きだと言った飴が普通に出てくる。
「そういうので喜ぶ年でもないですが」
「そーか。じゃ、たばこでも吸うか?」
「……それもちょっと……」
愛用のキセルをそのまま寄こすのはどうだろうか。
全く、無頓着である。異性どころか、同じ人類に入れてもらえてない気がしている。
娘のほうが、あたしの娘だし、という扱いだ。おそらく、父親である彼より魔女に懐いている。
「俺は、あなたが好きでした」
「お、おう。それはありがたいが」
「孫みたいとか言われて振られましたよね。ショックでした。大人になって思い知らせてやるなんて思ったりもしたんですよ。
でも、婚約者がいたので諦めたんです。
そのつもりだったんですが、見透かされていたのかもしれません」
誰にも言わない罪の告白。妻に駆け落ちされた日からずっと後ろめたかった。気がつかれていたから、いなくなってしまったのではないかと。
魔女は何とも言えない顔で彼を見返して、ため息をついた。
「おまえの奥さんも心に恋人が残ってたんだから、お相子でよくないか? つーか、政略結婚なんてそんなもんだろ。忘れられない誰かを抱えて、日常を生きていくなんてな」
「……あなたも誰かいるんですか」
「いるよ。いっぱいな。魔女の恋愛遍歴嘗めるなよ」
「そのわりに、娘の一人もいないようですけど」
「可愛がるが、育てるのは嫌。
ほんと、苦労した。二度としない」
「そのうち孫連れてくるかもしれませんよ」
「おお、それなら、お前も苦労しろ。育児さぼったツケを払え」
「そんな先まで一緒に居ていいんですか?」
「あ、家に帰るなら、帰れ」
あっさりと追い出されそうである。
「いますよ。案外寂しがり屋ですしね」
「うん?」
きょとんとした顔で見返されて、彼は苦笑した。無自覚らしい。面倒だと言いながらも来客はもてなし、え、もうちょっといてもいいのよ? という態度をとりがちだということに。
好きだった人。
もう一度、会って、好きだと思った人はこの先も長く生きていく。
だから、無理にとは思わない。
寂しくないように、そこにいる置物程度で十分だ。いつか、そこにあったと思い出してくれたら、幸いである。
「しかし、まあ、二人暮らし、な。
……いや、その他、ドライアドがいっぱいだな。騒がしくて大変なことだ」
そういいながらも魔女は機嫌が良さそうである。
こうして日常は続いてくのであった。
草魔法の裏には陰謀がありましたが、本人は全力で遠ざけられていたので知りませんでした。
知らんでよろしい、という認識のもと今後もわからんままでしょう。魔女もなんかやってるなと認知しているけど、人の世のことはあれこれ言わないという立場で放置。
まあ、あれです。普通に死ねると思うなよ? という話でございますね。見せしめも大事。




