私にとっての奇跡もあなたにとっては凡才以下
ものすっごい長くなりそうなので、一時置き。
妬みや嫉みを嚙みしめても、もっと上へと願うことの苦しさが、もうないところに行こうと思ったのだ。
クリスはもうおしまいにすることを決めた。
聖女試験。それはそう呼ばれていた。試験を受けるのは総本山に所属する聖女たちだ。
別名人気投票。
本人の成績が半分、残りは課題をどれほどこなし、感謝を得られたかということにかかっている。感謝というのは具体的に数値として出る魔法具があるので、不正はできない。
公明正大で、間違いのないもの。
同じ行いでもやる人によって相手からの感謝の度合いが違う、というのは元々あった欠陥のようなものだが。新米修行中聖女はどんぐりの背比べほどの差しかなかったので、取り立てて欠陥と指摘されることはなかった。
幸い、クリスは同期の中ではほどほどで、試験結果も悪くはなかった。そろそろ修業期間も終わりを迎え、ほどほどの赴任先を見つけられると思っていたのだ。
筆頭聖女の引退表明前までは、だ。
20年ほど筆頭聖女をつとめたリンが力の衰えを理由に引退することを発表したのだ。
その結果、例年ならそれほどでもないただの定期試験も今年は全く違ってしまった。今年の終わりまでに、一位であれば筆頭聖女の称号を得られる機会だったのだ。おそらく次は最低でも十年先になる。
そのころに全盛期でいられる自信のある聖女はそうはいないだろう。毎年新たな聖女が生まれてくるのだ。いつ追い越されてもおかしくはない。
聖女を統括する総本山、ローデリア。その中のひときわ大きい建物には、長い廊下がある。通称、嘆きの廊下。
三か月ごとの聖女の成績が貼り出されるのだ。
クリスの位置は、思ったよりもずっと下。同期たちも軒並み順位を下げているなか、一人だけは上位に食い込んでいるがそれだけだ。クリスはは彼女が無理をしていたのを知っているので、これが限界だろうと考えている。とても冷たいようだけど、今年はダメだ。どうにもならない。
そう思わせることには理由がある。
「エスタ様、すごいな……」
成績も課題も文句なく一位だ。それより下の聖女も他の聖女とは段違いだ。
それもそのはずで、彼女たちはすでに聖女として他国で活躍している。いわばプロ。クリスは聖女に任命され修行中のいわば素人に毛が生えた程度だ。比べるのもおこがましい。
しかし、歴戦の聖女が、総本山に出戻ってくるというのは反則じゃないかと思う。本職と素人を並べて評価せよというのは、暴論だ。せめて評価を分けて欲しい。
と下からは思うところだ。口に出せば、正論でぶっ叩かれるだけの話。
曰く、努力せよ、と。
努力も能もないのは承知の上だ。だからただの僻みで妬みだ。
どうせ、というのは口癖になってしまったとクリスは思う。たどり着かないことをあきらめるような言葉を吐くのが、癖になるほどに。
叩きのめされたと勝手に思うのが嫌だった。
別に彼女たちは不正をしているわけではないのはクリスもわかっている。試験結果を分けないというのはここの意向だ。すべての聖女に等しく権利をいうのはきれいごとだなと思いはすれど。
「おー、クリス、きょうはどーだったん?」
聖女でもない幼馴染は気楽に聞いてくる。神官試験のときにはどんよりした顔をしていたのに。彼は無事受かり、本拠地勤務になっている。
クリスは肩をすくめた。
「てんで、全然、全く、勝負にならん」
「次はがんばれー」
「もう次はない」
「へ?」
「やめることしたんだよ。向いてなかったんだ」
クリスはちゃんと笑えたか自信がなかった。
その日から一年。クリスはある町の食堂で働いていた。聖女だったということも言わず、ただの町娘として。
皆が望むほどの奇跡はできない。そう思えばこそだ。
筆頭聖女にはエスタがなった。輝かしい任命式だったと幼馴染からの手紙にはあった。
そして、すっかり寂しくなってしまったと。
筆頭聖女が決まった途端に、実力者たちは元の国や他の国へと去っていった。表面上は微笑み合いながら。
残ったのは一年前より半数以下となった聖女たちだった。
聖女をやめてしまったのはクリスだけではない。親しかった同期も、もうなんか、無駄って気がしたんだと笑って去っていた。今は家業の手伝いをしていて、こっちの方楽しいかもと手紙に書いてあった。
就任先で夢破れやめてしまう聖女もいたが、今年はそうではなかった。
総本山はそれなりに考えがあるようだが、忘れてしまうだろうとクリスは思う。来年になればまた新しい聖女候補がやってくる。
あの頃は選ばれた誇らしさがあったとクリスは思い出す。すぐに、総本山ではありふれたものであると気がつくのだが。クリスの時は20人ほどいた候補生のうち今残っているのは5人。家に帰れない、行く場もない事情を抱えた人が3人。残り2人は、どうしても叶えたい願いがあると言う。
そこまでの理由がなかったクリスは、降りてしまった。
未練がないとは言わないが、疲れてしまったのは確かだ。常にぴりついた雰囲気があったし、順位を下げるごとに泣く子もいた。慰めさえ意味もない厳然とした結果がそこにあり続けた。
修行が短いものほど、すぐにいなくなった。
クリスはぐずぐずと残ってしまった側だ。
「なんかひまそーだな」
店の方からそうぼやく声が聞こえた。
厨房で仕込みをしていたクリスにも聞こえるくらいなのだから結構大きな声である。以前は店が開いてからは店員として注文を取ったり仕事だけだったがいつの間にか仕込みの手伝いもするようになった。
できることが増えるのは、楽しかった。その分ちょっと給料も増えたし、仕事の前にも賄いが出るようになったことも大きい。
「暇ってひどい言い方」
そういって笑う店主の声も聞こえる。
知り合いの知り合いという伝手で雇ってもらったこの店。店主とその弟で経営している。弟のほうは帳簿などつける裏方であまり店には出てこないが、二階が家なので朝食など食べに店に来るのだ。
クリスも同じ場所に住むつもりだったのだが、店主と弟の両方から反対された。愛人扱いされるからやめて欲しいと。
そこから若い女の子への危険についてあれこれ言われたのはありがたいことではあった。クリスは小さいころから聖女であったのでそういう常識には疎いところはある。
「いつも朝からきてるじーさんたちも来てねぇじゃん」
「そういえばそうだね。
アイロンじいさんも来ない」
アイロンじいさんというのは元執事で日課として新聞にアイロンをかけていたという老紳士のことだ。アイロンをかけるとインクが手につかなくなるため、雇い主に渡す前に必ずしていたらしい。もっとも最近のインクは良いからそれほど手につくことも少なくなったようだが、習慣として残っているようだ。
店に来てまでやらなくてもよいと思うが、人のためでないとやる気にならない、しかし、習慣なのでやらないと気が済まないというめんどくさい人でもある。
クリスは嫌いではない。飴や焼き菓子を秘密だよとくれるから。
「言われてみれば、静かすぎる」
「なんかイベントでもあったかな」
「よし、レイ見てこい」
「えぇ? やだよ」
「クリスの買い物でも手伝って」
「……ぇー。
買い物リスト」
クリスが知らぬ間に買い物に行くことになっていた。
店主の弟のレイはなんだか怖いのだ。ぶっきらぼうだし、なんか、でかい。幼馴染の柔らか優しい感じとは全く違った。
「悪いけど、買い物行ってきてー」
そう声をかけられるころにはクリスは下ごしらえをきりの良いところまで終え、手を洗っていた。
「わかりました」
「荷物はレイに持たせていいよ。
それからお金は余ったらお駄賃にしていいからね」
「ちょっ、俺には?」
「おまえは、従業員じゃない。甘やかす意義がない」
「あの、珈琲でも買いましょうか?」
いつも眠そうな顔で飲んでいることをクリスは知っている。好きなのではないとは思うのだが、レイが好きなものをクリスは知らなかった。店主は辛党の酒飲みなのは知っているのだが。
聖職者というものは案外酒飲みが多く、クリスはかなりの銘柄を記憶していた。お駄賃付きでお買い物を頼まれることがあったのだ。
「ほら、気遣われてる」
「んっとにっ! ほら、行くぞ」
「行ってまいります」
クリスは店主にそういってレイのあとを追った。
町の広場は朝から昼までは市場として機能していた。常設の店もあるが、新鮮なものを手に入れたくば市場に行くのが良い。
いつもはそれなりに混んでいる店も今日は閑散としていた。
「今日はどうしたんだい?」
「ああ。朝の開門で討伐隊が入ってきたんだ。宿屋はすべて借り上げ。しばらく滞在するそうだ」
困り顔の店主が欲しい話を全部言ってくれた。クリスは定期的にこの露店で買い物をしていたから顔見知りでもある。
「朝から何度も聞かれているからね。定型文を話す人形になった気分だよ」
店主はそういって肩をすくめた。クリスが不思議に思っていたことに気がついていたようだ。
「討伐隊が来てる」
レイの緊張をはらんだ声にクリスは身を竦ませた。
魔獣と呼ばれる生き物が世界に現れたのはたった200年前のことだ。最初は虫だった。それが数を増し、種類を増やし、浸食してきた。次に草食の獣が、さらには肉食の獣。ついには、空想でしかありえないと言われる幻獣さえやってきた。
どこから、ソレは現れたのか。
これには答えがある。穴が空いているのだそうだ。便宜上、ダンジョンと名付けられた場所はいくつかあり、見つけ次第封鎖されている。ある程度、閉鎖すれば勝手に消えるのだそうだ。
第一次魔獣掃討戦の結果、ダンジョンが発見され、第二次魔獣掃討戦で例外を除きダンジョンに追い返した。
未だソレがなんなのか、どこからきたのかは不明のままである。魔獣素材は使える、ということもあり、神々か悪魔の迷惑な贈り物と称されることもあるが、そのために払う犠牲は少なくない。
討伐隊がいるというのは、ダンジョンができたということに他ならない。この近くなのか、街道のどこかになのかはわからないが、無関係で済ませることはできないだろう。
「竜種が湧いていないといいけど」
レイが難しい表情でそうつぶやいた。
ダンジョンに押し返せなかった例外が、竜種だ。彼らが今の空の主であり、気まぐれな災害の素であった。大体の竜種は何も食べず、何も襲わず、ただ空を優雅に舞うだけだ。しかし、攻撃を受ければ報復は苛烈を極める。彼らは人の区別などつけられず、暴れまわるように見えるのだから。
ある程度の賢さはあるが、わかり合えるところは少ない。
お互いにそう思っていそうなところはあった。
不干渉。それが一番良い。
そうして、人は空を手放した。
竜種も大地に降りることはめったにない。小さい生き物と関与したくはないようだ。
ただ、新しくやってきたものがそれをわきまえるには、時間がかかる。まず最初に暴れまわり、その存在に気がついた他の竜種がしつけにやってくる。
その間にどのくらいの人と土地が消耗されるのか。
クリスは考えたくもない。
そして、その前線を支えるのは聖女である。普通は皆の困りごとを解決しているが、この時ばかりは支援職として動員されるのだ。近くにいる聖女から選別されるので断ることは許されない。
「討伐隊には聖女がいないみたいなんだよ。なんでも人員不足で調査の段階ではいらないだろうと判断されたそうだ。
だから、野良聖女知らんかと拡散してくれと頼まれたよ」
「うちでも聞いてみるが、聖女が足らないというのはどういうこと?」
「鵜呑みにするのもあれだが、他所で手が足らないってこともあるな」
「だとしたら大ごとだね」
クリスは知っている。多くの聖女がいなくなってしまったわけを。
ただ、脱落してしまった。それだけだ。異変でも何でもない。もうやってられないと投げ出してしまったに過ぎない。
クリスもそうだ。
ただ、実際、今困っている人がいる。それならば、微力ながら力を貸すべきかもしれない。
「あの、討伐隊の人って?」
「灯亭に隊長がいるそうだ。危ないから近寄ってはいけないよ」
優しく言う店主にクリスは曖昧に笑う。
「ん」
レイが急に店主に買い物メモを突き付けた。
「おおっと。なんだい」
「無駄話長いよ。そういうことなら早く帰る。討伐隊のやつらが食堂に来るかもしれないから」
「そうだなぁ。クリスさんは裏方に引っ込んでたほうがいいかもな。うちも娘を親戚のところに預ける話をしている」
「伝えておく」
話しながらも手早く店主が野菜を選んでいく。あっという間に袋がいっぱいになった。
「帰るぞ」
「は、はいっ」
不機嫌そうなレイの様子にクリスはビビりながら返事をした。ぎろりと睨まれて、ため息までつかれて泣きたい気持ちになってくる。
「下向いていなよ? そんな顔してたら目をつけられる」
「すみません」
「……まったく、泣きそうな顔もかわいいとかどうなんだ」
「……かわいい?」
「……」
レイは黙ってクリスの手を握った。そのままずんずんと歩いていく。クリスには急ぎ足でついていくのが精いっぱいだ。
なんだかつないだ手も熱い気がした。
しかし、討伐隊の隊長に目を付けられ、討伐隊についていくことになり、役に立たないと言われてしまうのであった。色々あって、ある程度は認められ今後も討伐隊に入れてやろうと言われるが、断り、今後も食堂の看板娘を続けるのであった。
という感じの続きがある予定。
野良聖女とは聖女やっていたけど、やめた聖女のことで、教会に属さない野良なのでと言いだした元聖女がおり、それ以降こういう言い方に。気にする人もいれば気にしない人もいる。
言いだした当人によれば野良猫のように自由なのだよ。飼い猫も悪くはないけどね。ということらしい。
聖女とは200年前くらい前から存在する職業であり、対をなす職業として剣星がいる。揃えばよいというものでもなく、当人同士の相性によって性能の上下がありすぎてあまり一緒に行動することはない。




