境界線上の魔王
続きが連載になりました。ほぼ1話の内容は一緒です。
その男が現れたのは日暮れ過ぎだった。客と思えなかったのは背負った楽器らしきもののせいだ。
同業者が職を求めて、酒場や食堂に現れるのは珍しくない。かく言う私もこの酒場に置いてもらっている。だが、安定的とは言えず、良い吟遊詩人が現れれば追い出される。それはもう容赦なく。場合によっては店の売り上げを左右するのだから仕方がないが。
この男は簒奪者だろうかと渋い顔で観察している間に彼は店主の元へたどり着き何事か問いかけた。
私は興味ありませんという顔で、リュートの調音を行う。
しかし、興味はひかれていた。というのも、この男、なんだか、ちょっと、変なのだ。
まず、見た目で年がわからない。しわのない顔は若いようにも見えるが、雰囲気は若さ溢れる感はしない。短い銀髪はつやつやして旅のくたびれを知らない。しかし、確かに旅装ではあった。くたびれた靴が一番過酷な旅を語る。
つまり、中身が旅人というにはつやつや過ぎるということだ。
そんなことを考えている間に話はついたのか男はこちらへ視線を向けた。目があった瞬間、作り笑顔が浮かんだのは職業病というしかない。相手はにこりともしなかったが代わりにこちらに近づいてきた。
「カイラスですね?」
「はい。なにか?」
常より素っ気ない返答になったのは、この男の声のせいだ。
声が良いのは当たり前として、訛りのないクリア発音は滅多にない。同業者なら気がつく差異。これには敗北する。職を追われるのも当然なほどに。また、旅に出るのはツライなと考えているうちに彼はとんでもないことを口にした。
「詩を聞かせてください。誓いの価値、を」
音がしそうなほどのにっこり笑顔で何を言いだすのか。一般女性ならまとめて意識不明に送り込みそうなくらいの笑顔に堪えたのは、これまた職業病と言い出した内容による。
「な、なんで、ソレの名前を……」
絶賛作成中といいながら放り出す寸前の英雄譚だった。流通以前に未完成で、出来たところまでと請われて身内相手に語ったのが一度きり。
彼は苦笑したようだった。
「貴方の足取りを探すのは骨が折れました。僕が一番最初にたどり着いたということですかね」
不安がよぎる。いや、不安しか出てこない。
あのバカなら言いそうなことを今更、気がついた。
「イルア殿が貴方以外には詩を作らせないと言ったので、吟遊詩人から探されていますよ?」
私が行きがかり上つきあったその話は、英雄を語るにはもってこいで、つい、言ってしまったのだ。
私が、語り継がれる詩を作ると。
確かに非常に嬉しそうな顔してた。あの人は。
「誰か止めなかったんですか?」
「止められました。協会も認められないというので、優先権、ということになりました。つまり、元祖になれますね」
「……それで、結局、探され、詩はできたのかと言われると言うことですか」
「その通り」
私は天を仰ぐ。床に倒れ込むにもタイミングが悪いし、椅子に座っているから痛いのはイヤだ。しかし、ここで不本意です感を演出したい。
リアクションが芝居じみてくるのは職業病だ。吟遊詩人。それは目立つことが重要。そんな一面もある。
最初は恥ずかしかったが慣れるとそうでもない。ただ、時々寝台の上で膝を抱えてしまいたくなるが。
「出来てませんよ。見込みありません」
諦めなさいなという気持ちを込めて、男に言う。
しかし、新曲を前に諦める吟遊詩人などいない。知られていない詩はどこでも珍しがられ、それなりの客を呼べるものだからだ。
この事態を招いたあのバカに呪いを贈りたい。呪いの一品がどこかで売ってたような気がする。あとで探してこよう。
「では、出来たところまで」
「イヤです」
「それでは、その気になるまで待ちましょうか」
私は顔が引きつる。
「大丈夫、僕は気が長いですから」
ささやかな日常の崩壊の音がした。
私が吟遊詩人となったのは祖父の影響が強い。
大陸中を回ったと自称する祖父はラドウェル王国を大層気に入ったらしくその地に定住した。父も楽器が好きだったらしく作るほうに幼い頃から弟子入りし、小さいながらも工房を持っている。
そんなわけで、子供の頃から身の回りに楽器や詩が溢れていた。しかし、上に二人、下に三人の兄弟がいる中で詩人という職業に興味を持ったのは私と下の妹だけだった。
楽器や詩も両方そこそここなせた私と詩が圧倒的に上手かった妹。周りがどう思っていたかは知らないが、二人で組んで仕事をするのは悪くなかった。姉妹というよりは仕事仲間であったので、やはりよそよそしいようにも見えていたのだろう。
最終的には妹は楽器の出来る夫を見つけ、私は旅に出た。
祖父が小粋に、ちょっと旅にできたらどうだね、と言いだしたから、そうだ、旅に出ようと思った、ということにしてある。
それから早3年。今年も一度故郷には帰ったが、嫁にいかんのかと言われた。幸いにして長兄が独身なので矛先を向けているので気まずいで済んでいる。先日帰った時など次兄が可愛い嫁を自慢してきた。大人げなく死ねばいいのにと思ったのはやはり僻みだろう。
一人で生きていければそれに越したことはありませんよ、なんてのはやはり少し強がりだ。
少なくとも頼りになる相棒がいてくれた方が良い。一人旅というものは何かと問題はあったりもする。旅路では男装していたり、旅芸人に混ぜて貰ったり、商隊に同行したりもしたが、それはそれで気を遣う。
要するに、旅に向かない気質なのだろうと諦めにも似た気持ちから定着する場所を求めたのは当然とも言える。
交通の主要である街ユールスの酒場に居着けたのは幸いだった。旅人が多いが、旅程の途中でもあり、それほど羽目を外す者は多くない。治安は悪いところは悪いが、それはどの街に行っても同じ事だ。
まあ、ここも今日を限りに追い出されるかも知れないが。
今は夕食から飲む客へ移行する時間帯だ。まかないをカウンターで食べながら一段高くつくられたステージを見る。
今日はその場所は別の人物が占めている。やや薄暗くそれでも硬質な銀髪がきらめく。調律をする音が聞こえるが、馴染みのない音だ。
「見栄えするなぁ」
思わず呟くほどに。
旅装のままではいないとは思っていたが、コレで来られては詩どころか見栄えからも敗北だ。
くすんだ生成りのローブは余計な装飾はない。肩からかけられる飾り布は青い縁取りをされ、どこの言葉ともつかない文字が刺繍されている。邪魔にならないようにと飾り布もまとめて腰帯で止めてあるがこれは黒。
大変古典的な詩人の衣装だ。白のブラウスにベスト、スカートの村娘スタイルで謡うような私とは違う。
これぞ物語の吟遊詩人。
「カイラスも悪くないと思うよ。可愛いし」
「ありがとう」
カウンターの中でせわしなく働いている店主はばっちりウィンクしてそう言う。リップサービスと思って営業用スマイルを振りまく。愛想は振りまいておくに限る。雇用主に嫌われては困ったことになるのだから。
可愛いと言われることはあっても美人とは言われず、良いスタイルと言われても色気があるとは言われない。それが私だ。細いと言われるのは事実であって、食糧事情と肉体労働の結果とは言えない。
一番心に刺さったのは思ったより筋肉有るね、だった。
「始めるみたいだよ」
店主は作業の手を止めて、ステージへ視線を向けていた。
私も食事を中断して、視線を向ける。
最初に鳴らされる和音に店内は徐々に静まる。半分くらいが常連客であるが故に見慣れない吟遊詩人がそこにいることに気がつく。
店主は吟遊詩人が新しく来れば、雇う雇わない関係なく一曲歌わせる。
曲目はいつも決まっている。
境界線上の魔王。
既に古典といわれる定番中の定番だ。
吟遊詩人はかく語る。
境界線上の魔王を。
この国にある道に果てはあるのかと問われれば、あると答えねばなりますまい。
ひとつは雪山に閉ざされ、ひとつは森の中に消え、ひとつは大河に阻まれ、道の数ほどに果てはあり、さまざまな理由で途絶え、人の世はここまでと語られましょう。
皆様が御所望の悪名名高き境界線の魔王の話も道の果てより始まります。
それは西方の最果ての荒野に立ちし少年の物語。
彼はその道の先に棒ひとつ持って立っていました。
それより先は木陰もないただ一面の荒野で、風が吹き抜ければ砂塵が舞うような水さえも乏しい地。
最初に彼を見つけたものは、冒険家でした。
世界の最果てを目指し、たどる道程で彼に出会いました。
なにをしているかと問う冒険家に彼は答えました。
「人の世の境で番を」
そこが人の世の最果てと彼は言い、それを越えられず冒険家は立ち去りました。
それは皆様もご存知の“道を知るもの”ラドの三番目の冒険譚に語られ、創作のものとして現れました。
それは道の番人の物語。
再び、彼を見つけたのは、冒険譚のうちに真実があると信じた王の命により差し向けられた騎士たち。
木のように動かない番人はまだ若く少年と言っても過言ではないようでした。
騎士たちは、番人を連れて行こうとしましたが、彼は首を振り答えました。
「ここより先は、人去りし地。その先を行くものを止めるのが役目ゆえにここより動くことは叶いません」
王への確かな証として、番人は騎士にその髪と手に持っていた棒を渡しました。
こうして、彼は創作として表れ、現実として認識されたのです。
そして、彼を見にいくものたちが現れたのです。
道を越えてゆこうとするものも。
それは境界線上の魔王と呼ばれる男の物語。
そこまでたどる道は消えそうになく、彼よりあとには道がありませんでした。
彼は変わらず、捧を携え立ち、問います。
「ここより先は、人去りし地。その先を行くものを止めるのが役目ゆえ、証明していただきたい」
そう言い捧で自分と相手の間に線を引きます。
「僕を超えられるくらいに強いことを」
それでも超えることを選択したものもいます。しかし、打ちかかる剣も銃も魔法も一呑みしてしまいます。
無表情に手を合わせ、打って変わった笑顔で、彼らがここまでたどった道を指し示します。
振り返った瞬間、足元にぽっかりとあいた穴に落ちるのは騙されたような気分で。
たどり着くのは我が家。
こうして、強いものがいると知れ渡り、命知らずなものどもが彼に挑み追い返されてきたのです。
道の行く先を知りたがるものたちも訪れ帰っていったのです。
しかし、まれに帰らぬものたちがいましたが、それは魔王に食われたのだと噂されています。
真実は帰ってきたもののみ知るものでありましょう。
彼らは、道の果てに立つ番人であり、その先に進もうとするものを阻むものをいつのころか、こう呼ぶようになりました。
境界線上の魔王。
それは最果ての王と呼ばれた男の物語。
西方の最果てに興った国のことはご存知でしょうか。かつて、境界の魔王と呼ばれた男を主を仰ぐその国の名は、セフィラ。
今は最果ての王と呼ばれる男は、玉座に着くことに条件を出しました。
「王へと望むのならば、国の総意として、境界を越えさせるものを阻み続けることを条件としましょう。そして、許されるならば、世界を見てみたい」
境界を守るものがいるならば、今までその地にいたものは離れることも許されるでしょう。
セフィラはその意思を継ぎ今も境界の守りを絶やさず、旅に出た王の帰りを待ち続けています。
「……驚いた」
店主の言葉に私は我に返った。
「セフィラ版とは珍しい」
「確かに」
そう知っているあなたも結構マニアックです。私はそう口には出さないが思う。
境界線上の魔王は古典とされている。それゆえに数限りないバージョンがあることでも有名だ。
一番最初のラドに負けたとか王様についていったとか、もうそこには誰もいないとか。
面白がって作っただろうと言いたくなるようなものもあるが、まあ、それは我々のお楽しみだ。
彼が謡ったセフィラ版は古くさい格好に似合いの選曲とも言える。原曲ではないか、とされているバージョンの一つだからだ。
しかし、古びた感じがしないのはその腕の良さを示している。綺麗な声をしていると思ったが、ひどく正確な音と抑揚、楽器の音も相まって一流だ。
こんな場所で聞けるようなものではない。
シンと静まった店内をいぶかしげに彼は見回す。首をかしげながらも立ち上がり一礼する。ぱらぱらとした拍手が大音量になるまでにはそんなに時間は必要なかった。
ああ、困ったな。数ヶ月ここに逗留してきたけれど出て行くことになりそうだ。
同じ街にいるならあっちの方が良いという人が多いだろうし、そうなると実入りの都合が悪くなる。
「お疲れさん」
店主の声に我に返れば、彼がなんでもないような顔で座っていた。今は、アンコールに応える場面だろうに全くその気はなさそうだ。
「いえ、あれで問題ないでしょうか」
「上出来、どうだいたまには謡ってみる気にはなったかい?」
「いいえ? 人の仕事を取る気はありませんし、あまり謡うのは好きではありません」
意外な答えが返ってきた。
「私は正しく謡えても、感動させることはできません」
不思議そうな顔をしていたのがわかったのだろう。彼はあっさりとそう言う。
店主はさらに言いつのる気はないらしく、そうかいと引き下がった。
「別にカイラスが気に入らないってわけじゃないが、これほどの吟遊詩人を遊ばせておくのももったいないだろう?」
「……いえ、別に気にしません」
彼より劣っているのは言われるまでもない。ちょっと涙目なのは気のせいと言うことにしておいて。部屋に帰って膝を抱えてえぐえぐ泣いたりしない。
ちょこっと明日目が腫れぼったくても気にしない優しさを求めたい。




