葬送のあとで
異形は良いですよね。
私は私のことを覚えていない。
長い指先だ。
形が良いというよりも男らしいごつごつさもある大きな手。その手の持ち主は、泣き黒子が艶めいた先輩である。
「んー? どぉしたのぉ」
間延びしたような口調は眠たげで、柔らかく甘えたように聞こえる。
「まさかぁ、俺の触られたいとか?」
言葉を飾らず直球勝負が玉にきず。
「そぉいや、誰でもやらせてくれるって聞いたけどぉほんとぉ?」
「誰でもなんてありえませんよ。長い指だなぁと思って」
「いいとこまでよく届くよ」
へらりと笑ってセクハラされた。いや、これまでの発言もたいがいだ。
残念ながら、彼の見た目が好み過ぎるので色々目をつぶっている。好みでなければ撲殺していたところだ。
ん? 寒気がと呟いていたので、悪意はきちんと伝わったと思いたい。
「私は先輩と」
「シエラでいいよぉ」
「シエラ先輩と寝たことあるんですか?」
「……ないねぇ。君にそんな噂が出てきたのは、この一か月のことだ。
君が変わってしまったあとのこと。真っ当な君が困る人がいるんじゃないかなぁ」
ふふっと笑うこの先輩は油断ならない。敵でも味方でもないけど、楽しいことと気持ちいいことはしてあげるというクズだ。
ドはまりしそう。
「気が向いたら遊ぼうよ」
気楽に誘って先輩は私に別れを告げる。数歩もいかないうちに誰かに声をかけられていた。今回は声をかけてきた可愛い少女が私を振り返って勝ち誇ったように笑う。腕組みしたくらいで、なにを買った気になっているのだか。
私は肩をすくめて見せた。一瞬彼女は眉を吊り上げて怒りの表情を出したが、すぐに気を取り直したのか先輩にしなだれかかっている。
気に入っているうちは、甘やかしてあげるというのが本当にもうクズだ。ご丁寧にも彼に捨てられるとどうなるかご注進してくれる人は多い。
期待しているんだ。
甘やかされて、捨てられるのを。
いったい何をやらかしたらこんな目にあうのだろうか。
私は私を覚えていない。
一か月前に目を覚まして、何も覚えていなかった。いや、それも正しくはない。生活に困るほどに忘れてはいなかった。
まだらのように覚えていることと忘れていることが入り乱れている。
忘れていることの代わりのように知らないことを知っていた。
この世界ではないところの記憶。なんの役に立つんだかわからない知識と情報、それからイケメンに弱いところ。
いや、顔の良い男が好きだというのは今生も同じかもしれない。
まあ、どうも覚えていないけど私はビッチだったらしい。色んな男に粉をかけてそれだけじゃなく、体の関係もあって、らしい。この辺りは当人にしかわからない問題である。
そして、やっぱり私はこれも覚えてない。まあ、他の記憶もないのだけど。
どうも事故で記憶喪失になった、らしい。というのは、色々調べた結果で医師が診断を投げた回答に思える。
まあ、よくわからないが私は気がつくと裏山で首筋をさすっていた。不鮮明な視界が一向に鮮明にならなかったのは眼鏡が必要だったからと気がつくまで一時間もぼんやりしていた。それもひとから指摘されて。
今なら、一時間もぼんやりもせず即座に逃げ出していただろう。裏山には異形が住む。噂や伝説でもなく事実として。
死体を捨てれば処理してくれるというのは噂ということ、になっている。
さて、異形が住むという裏山で私に指摘してくれた人というのは、やっぱり人ではなかった。人の擬態をするでもなく、会って早々、自称蛇の化身といいだしている。
普通ならは? という話だろうが、私はそれどころではなかった。
私の前に現れた異形それも見たこともないような美形だった。もう、ありがたやと拝むしかない。実際、拝んでしまった。その結果、彼になんだお前という呆れ声をかけられることになる。
そして、その行動の意味としてのイケメン過ぎるということを切々と訴えてみた結果、ドン引きされた。
……なんだか思い出して、少しばかり落ち込む。好印象のための猫を五十匹ほど用意せねばならんような美形というのは本当に度し難い。なお、いつもよりキラキラしかったのは裏山で気を抜いていたからだそう。
……ま、まあ、それはよいとして。その顔の良い異形は、元々遠くの国に住んでいたが、住みづらくなって移住してきたという。それも百年も前。他にもいろいろ住んでいるが、紹介はしないそうだ。
能面のように表情の読めない表情で、やつらは食うけど死体は好きじゃないって、と言っていた。あれは冗談だったのだと流したが、マジではないかと思う。
……さて、なにはともあれ、私の身の上がわからないままに放り出されていたので困っていたのをエクリュがビジネスで助けてくれたのは幸いだった。
ただ、借金生活スタートとかひどいね。それも対価は金ではない。
対価の話がまず、肉は好きじゃないねぇと最初から金銭関連からはじまらなかった。え、魂とるの?と思ったのはなにかに毒されたせいかもしれない。一応、肉以外は好むらしく手助けするならばと一度に失えば普通死ぬほどの体液を普通に要求してくる。分割で払う予定である。なぜ体液が必要かと言えば、仮初の体を維持するためにそこから人間の情報を吸い上げてと反映しているらしい。
生殖は可能だが試してみるかい? とセクハラ発言をされたが無視した。
まったく、この世界の顔の良い男はセクハラしなければいけない法則でもあるのだろうか。
ただ、苦情を言いながらも顔を近づけられてうひゃーと内心悲鳴をあげながらドキドキしてしまうような私では太刀打ちできる問題ではない。
やつらは暴力的に顔がいい。残念ながら、私は、顔の良い男が好きで、大体のことは顔が良ければいいかと流してしまう悪い傾向が……。幸いなことは前世というか昔の私は、アイドルに入れあげるほうだった。もし仮にイケメンな彼氏がいたら何もかもやってあげて貢いでダメ男を作っていただろう。偉大なる資源のイケメンをダメ男にしてしまうようなことは多大な損失なのだから推しでよかったのだろう。
元々ダメな男は仕方ない。顔が良いだけ良しとしよう。その顔を損なわないようにぜひともしていただきたい。いや、傷も味であるけど、無傷のつるつる肌もよいもので。
……。
それもどうでもよい話だ。
とりあえずその時の私は身分証は持っていて、近くの学園の生徒で名前がリーファというのはわかった。寮生活が主体のようで、リーファもそうだと思うというのがエクリュの推測だった。
山中で気絶していたのを拾ったという設定で、学生寮まで運んでくれたのはとても良い案だった。寮生か違うかが即時判定され、周りの反応が見られる。
悪かったのはやはり異形であるからなのか、人外的な美貌が心底目立ったからだ。元々町の有名人らしい。顔はいいけど変人的な。鑑賞用として、ファンクラブもあるくらい。
その彼は基本的に人と関わらない。落ちてた人も拾わなかったと言われてもおかしくないくらい。
であるからして、もう、私が運ばれた件は瞬く間に知れ渡った。尾ひれもついて根も葉もないことも一緒に添えて。
そこからはじまる日々はなかなかの苦難の連続だったと言える。生活レベルも文明も常識も違う。まあ、薄々気がついてたのだけど。前世というか前の私の世界には異形なんていない。
魔法がおとぎ話でなく、地続きで存在し、錬金術が最先端の科学という世界は今までの世界よりも時代遅れというより何百年も遅れているような世界のように思えた。
実際は、違う流れをたどって発展を遂げている。
……でもまあ、硫黄と水銀が大事なものといわれるのはやっぱり面食らう。どちらも毒のようにしか思えないのだけど、こちらでは違うようだ。
ということは、忘れたことの隙間に入れられるようにあった記憶や知識が役に立つかは保証されないということだった。同じ化学変化をするとも思えないし、魔法の関与がどこまで違うかというのも未知数だ。
私は魔法の資質はてんでないくせに、魔力を多量にため込む体質だったようだ。時々吸い取られないと倒れて寝込んでしまうほどの。エクリュは目を細めておいしいエサだなと言いだし始めているので、食料として大事にされつつある。非常食大事、ということだよね!?と問い詰めたくなるが、真実は知りたくない。
やっぱり、無償の愛が……いえ、やっぱり、あの瞬かない赤い目は怖い。うん、ペットでよいです。という悟りを最近得つつある。さすがにエサは思っていても言わないでほしいものである。
さて、日常に慣れずに日々苦戦している間に、なぞの噂が流れだした。私が地位の高い子息ばかりに媚びて遊んでいたというやつである。覚えていないので否定もしようもなく、覚えてないのでと言えば大変反感を買った。というのもこの学校の中で上から順に五人くらいと親密だったそうだ。
なんだその乙女ゲームみたいなの。と突っ込まなかった私はまだ理性があった。私がヒロインちゃんっぽいかというと微妙である。自分より圧倒的に顔の良い男がそこにいて私、可愛いという鋼の心臓は持ち合わせていない。そんなにかわいくないのにと陰口を聞いてしまったときもなんだか、ですよねーと同意してしまった。そして、こっそり混ざってぎょっとされたのもいい思い出である。
悪いが、前世の私はおばちゃんだったのだ。むしろお婆さんに片足つっこんでいたのだ。17、8の小娘と鼻で笑える。
それなのに、ものすごく、イケメンに弱い。最大の弱点である。圧倒的年下でも、圧倒的年上でも顔が良いのが悪い。人生経験もほっぽりだして、どきどき、ぽーっである。自分の事ながらバカなんじゃないかとおもうがもはや性分である。
人生経験で顔に出なくなった分、成長した。
「……さて、帰るか」
独り言も増えようものである。私と話してくれる人は先輩かエクリュくらいである。先輩はたまたまの知り合いで、親しいわけでもない。
そう、私が何もかも忘れる前の知り合いではない。
忘れる前の知り合いは誰一人、近寄ってこないのだ。媚を売っていたという相手も、ちやほやしていたという人たちも誰も。怯えたような視線で、こちらを伺うような態度を隠しきれていない。
そうなると疑ってしまう。
私が、裏山に捨てられたのは、彼らの仕業なのではないだろうか。異形に食われてしまえと打ち捨てたものが、戻ってきたらそれは恐ろしいだろう。
同じ姿をしていても異形が擬態しているかもしれないのだから。エクリュが言うには、全部食えば同じになれるがそれは大変苦しいことになるそうだ。最低何年かは眠るか正気を失う。そういう事情を知らないのだから勝手に怯えているのかもしれない。
まあ、ほとんどは憶測。なぜなら、私が彼らに近づくのは難しい。以前は許されていたから近寄れていたらしい。護衛やらなんやらがそれとなく遠ざけてくる。ならば放っておけばよいものを監視はされていた。
それさえも誤魔化してエクリュは入り込んでくるのだから、異形というのは違う生き物である。
「どうしようか、迷うな」
なにもなかったことにして、生きていくか。
それとも、私が私になる前のことを調べていくか。
一番安楽な道は異形のエサとして庇護下においてもらうこと。相手がその気になって全部食べてしまえばおしまいの道はあまり選びたくもない。でも、顔がいい。あの顔と同一になるというのはちょっとこう、そそられるが。
「……少し話をしていいかな」
そうは問屋が卸さなかったようである。
エロい先輩の話のつもりが、異形に乗っ取られた。
あるいは無双しようとしたら、来た世界が錬金術の鍋で混ぜたらアイテム出てくる系だったので無双できない話。
 




