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うそつきシリーズ

オオカミ少年

作者: きか

 気の強そうな瞳で怒ったように僕を見つめ、佐和子は僕に『うそつき』と言い――。

 ――そうして僕は、『うそつき』になった。



 初めてついた嘘はなんだったのか、僕はもう覚えていない。

 たしか、最初は嘘なんてつくつもりじゃなかったんだ。

 ただなんとなく、こうだったらいいな、と思ったことが、そのままぽろりと口からこぼれてしまって、僕は正直、失敗した、ってそう思った。あっ、間違えた、どうしよう、って。

 だけど誰かに嘘だと責められるとばかり思っていた僕の言葉は、誰に指摘されることもないまま空気のようにそのまますんなり周囲に溶け込んでしまい、結局最後まで、誰も何も言わなかった。

 たぶんきっと、それでだと思う。

 味を占めたっていえば嫌な言い方になるけど、あんまり誰も何も言わなかったから、僕はときどき少しだけ緊張が解けたようになって、こうだったらいいな、と思ったことを、まるで本当のことのように、ぽろりとしゃべってしまうようになった。


 ――今日の晩ごはん、好物のオムライスにしてくれるって母さんが言ってたから、俺、今日早く帰んなきゃ。

 ――今度誕生日だからさ、家族で出かけるんだ。好きなおもちゃ、1つだけだけどなんでも買ってくれるっていってて、今すごい悩んでる。

 ――夏休みには、東京へ行くんだ。母さんは高いとこが嫌いだから嫌がってるけど、みんなでスカイタワーに上ろうって言ってて、俺超楽しみ。


 本当じゃないんだけど少しだけ本当みたいで、そうだったらいいなと思っただけのことが、僕の中から次から次にこぼれていった。

 もちろん、僕はそういった言葉を口にしながら、こんなの全部嘘っぱちで、本当のことなんかじゃない、ってちゃんと頭の中では理解してた。

 だけど、なんどもなんどもそんな風に僕の中からこぼれていく言葉たちに、あまりにも、誰も何も言わないから、だんだんわからなくなっていったんだ。

 僕の周りに、こぼれた嘘が降り積もる。

 積み重なった嘘たちが僕の周りを取り囲み、嘘の中に埋もれた僕には、僕が語った言葉のどれが本当でどれが嘘だったのか、区別がつかなくなってくる。

 僕が話した言葉と、それ以外の真実と、一体本物はどっちだろう。

 もしかすると、僕はずっと、本当のことしか話してないんじゃないか。

 全部本当で、僕の言葉が嘘だったなんて、僕の勘違いだったのかもしれない。

 そうだったらいいな。

 そうだったらいいのに。

 だからたぶん。

 きっとそうだ。

 僕はそれを信じたかった。本当なんて戻ってこなくてよかった。ずっとそのままでいてほしかった。全部本当。嘘なんてどこにもない。


 

 僕が嘘をつくようになって、一番困ったのは、きっと僕と仲の良かった子たちだろう。

 どこまでも真剣に嘘をつく僕を、あいつらはいったい、どんな風に思っていたのかな?



 いつ僕の嘘を指摘されるか不安で仕方なくて、なのに嘘をつき続けていないと積み上げてきたものが今にも崩れてしまうような気がして、僕は必死で嘘をつき続けた。

 願望はいつしか義務に代わり、僕は嘘に囚われる。

 佐和子と出会ったのは、八方塞がりでどうにもならなくなっていた、ちょうどそんなときだ。

 佐和子がどんな人間かについて語るとなると、わがままで乱暴なやつ、ということになるだろう。

 佐和子が初めてここにやってきたとき、容姿だけはきれいな奴だったから、すぐにみんなに囲まれて、人気者になった。でも、それは長くは続かない。協調性がないところ、人の言うことを聞かないところ、ムッとするとすぐに手が出る性格。それがわかると、みんな嫌な顔をして、佐和子の周りから離れていった。

 誰かとケンカして、先生から怒られて、それからしばらくは大人しくしているのだけれど、ほとぼりが冷めるとまったく同じ事を繰り返す。佐和子の「わかった」という言葉は、まるで僕のつく嘘と同じようで、だから僕は、みんなが佐和子を見放しても、僕だけは、彼女を見捨てることができなかった。



 嘘をつき始めてから徐々に話し相手がいなくなっていった僕と、だれにも相手にされなくなった佐和子と。話し相手となるのはお互いだけだったから、僕らはよく話をした。

 佐和子が昔の僕を知らないということもあってか、佐和子の前では僕も罪悪感に悩まされず、気軽に話をすることができた。

 佐和子も、僕と話すときはわりとリラックスして話せていたように思う。

 でもやっぱりたまに、苛立ったりしたときに、つい手が出てしまうことはあった。

 だけど暴力をふるった後は、どこか気まずげな様子でいる佐和子を見ていると、仕方ないな、と諦めがついた。

 拗ねた様子で、言い訳のように「どうして殴っていけないのか、わからない」と佐和子が呟いたことがある。

 みんなそうしてるから、とか、殴られると痛いから、とか、色々言葉は頭に浮かんだけど、僕は何も言わず、ただ佐和子に同情した。

 殴らなければいいのに、とそう思ってるのは、きっと佐和子も同じだったはずだから。

 さらに言えば、僕は案外、感情的な佐和子が嫌いじゃなかった。言葉にされず態度で理解を求められるより、暴力という単純な方法で表立って表現されたほうがわかりやすくて好ましい。

 最初のころ、佐和子のことを同じ嘘つきだと共感していたけれど、今思えば、きっとそれは間違いだった。

 彼女はたぶん、嘘をつくのが誰よりも苦手なはずだ。

 まあ、それと同じくらい、自分の気持ちを言葉にするのも、誰よりも下手くそなのに間違いはなかったけど。



「うそつき。」

 佐和子がある日僕にそう言った。なんてないことはない日だった。いつものように朝が始まって、何事もなく昼が過ぎ、夜が来る。平凡に始まって、平凡に終わる。そんなことを疑わなかった日だった。けど、僕は知っていたはずだ。いつだって、終わりは突然に、そんな平凡な一日にやってくる。

 佐和子は、僕が嘘つきであることを、どうして知ったのだろう。先生から教えてもらったのか、誰かから僕についての話を聞いたのか。佐和子に僕のほかに友達なんかいないはずだったから、正直、嘘つきだとばれるなんて、考えてみたこともなかった。

 佐和子が『うそつき』と僕に向かって言った時、なにを考えたのか覚えていない。やっぱり、とか、仕方ない、とかそんなことだったろうか。わりと、ショックだった覚えはあるのに、佐和子の固く握りしめられたこぶしが震えていて、その姿しか目に入らなかった。きっとすごく怒っていて、それを必死で我慢しているんだとそう感じた。

「あなたは、私に、嘘をついてた。」

 声が震えていて、幾重にも重なって聞こえる。

 そうだよ、とそう言えばよかったのか。自分が嘘つきであることを認めて、今まで嘘をついていてごめん、と謝ればよかったのだろうか。

「――嘘じゃない」

 だけど、気が付くと、嘘じゃない、とそう叫んでいた。

 けどその後で、ああ、また嘘をついたね、と心のどこかから声が聞こえる。

 嘘じゃないよ。嘘だ。嘘じゃないか。嘘つき。信じられない。どうして。嘘じゃない?嘘じゃない!

「私、聞いたの。あなたに、家族なんていないじゃない。」

 僕は思う。

 ――現実なんて、大嫌いだ。


 

 仲の良い、家族だったと思う。父さんと、母さんと、まだ小さかった妹。優しい家族だったけど、時々は叱られたりもして、楽しいこともあれば、嫌なこともあった。でもそれでも僕は満足してて、そんな日々がなくなるなんて、考えてみたこともなかった。

 事故だった。買い物から帰る途中のことだった。みんなシートベルトをはめていて、小さい妹はチャイルドシートに乗せられていた。妹はチャイルドシートを嫌がって、すごく不機嫌で、もうすぐ着くから大人しくしてて、と母さんがそんな妹をあやしていた。なのに突然、すごい音がして、そこから何も聞こえなくなった。何も。本当に。何の音も聞こえなくて、ただ身体が痛くて、熱くて、ようやく目を開くことができるようになったとき、見知らぬ大人がただせわしなく動いていた。

 次に覚えているのは白い天井で、痛さとか、苦しさとか、きっとあったと思うんだけど、記憶にあるのはやけに静かだったことだけで、それ以外、何も覚えていない。怖くて、悲しくて、苦しいのにどこまでも静かで。白い天井と。どこまでも続く、静けさと。あのころの記憶で僕に残っているのは、もう、ぜんぶ、それだけだ。

 その後、いろいろな手続きと、たくさんの治療を受けて、最終的に、僕だけが退院した。僕を引き取ってくれたのは、近所に住んでいた祖父母だ。一緒に暮らし始めて、学校にまた通うようになって、みんな僕に優しかったけど、まるで腫れ物に触れるかのように、僕と接した。一緒になってバカやって遊んだ友達も、厳しかった祖父も、どこか僕と距離を置いていて、そんなとき、僕はもう独りぼっちなんだ、と実感した。

 みんなといたころに戻りたい、と何度思っただろう。でも、そんなことは起こりえない。知っていた。分かっていた。でも、期待せずにはいられなかった。

 これがもし夢だったら。目が覚めたら、いつものように父さんと母さんがいて、早く起きなさいと母さんに叱られる。妹がなかなかごはんを食べないことに父さんが困っていて、僕はカバンを背負って学校に行く。友達とふざけて休み時間を過ごし、授業時間は違うことを考えていたせいで尋ねられたことがわからなくて先生に説教され、放課後に寄り道をしたせいで帰りが遅くなり、また母さんがこんなに遅くなるまで何をしてたのと僕を叱る。そんないつもの日々に戻れたら。

 ――戻りたい。

 そんなことばかり考えていたから、僕はうそつきになったのかな。

 息をするように。

 嘘をつかないと、生きていけないような人間に、なってしまったのかな。



「殴りたいなら、殴ればいい。」

 目を伏せて、目の前にいる佐和子に、僕は言う。

 殴りたければ殴ればいい。詰りたいだけ詰って、軽蔑して、罵倒して、見捨ててくれればいい。

 殴られたところで、痛いのは身体だけで、心まで許されるとは思わなかったけど、それで佐和子の気が済むのなら、殴ってくれればいいと思った。

 いや、許されたかったのかもしれない。殴って、殴ることで佐和子がもし、僕の罪を許してくれるなら。そしたらきっと今までと同じ、友人同士でいられる。

 そこまで考えて、僕はようやく、自分が佐和子との日々を気に入っていたことを知る。

 佐和子と僕は、似た人間だった。

 僕が嘘をつかずにはいられないように、佐和子は怒りを抑えることができない。ダメだと思っているのに、つい手を出してしまう。なぜ止められないのと聞かれても、答えられない。だって、それ以外に、どう生きていいかわからない。でも――、

「殴らない。」

 佐和子は言った。

「殴らない。もう絶対。」

 どうして、ともう一度目を上げた僕はようやく、佐和子が怒っていたわけじゃないことを知る。怒りに震えているのだとばかり思っていた彼女の瞳は潤んでいて、唇をかんで、泣くのを必死になって堪えていた。

 僕は言葉を失う。

 なぜ彼女が泣くのだろう。失うのは僕のほうなのに。

 怒るのなら理解できた。僕は嘘をついた。彼女をだました。信頼をダメにした。信じられていたのに裏切った。そんなつもりがあったかなんて関係ない。――僕は嘘をついたんだ。

 正直、うそつきと言われて安心している僕もいた。僕の話す家族の話を、嘘だと認めてくれたのは、僕以外、佐和子だけだったから。

 殴らない、と言った佐和子と、うそつきとばれてしまった僕と。僕らはこれからどう接していけばいいのだろう。

 なぜ泣きそうになっているのかわからない佐和子に、立ち尽くしたままの僕は言う。

「僕と、佐和子は、友達だよね。」

 うそつきの言葉は、どれだけ信じてもらえるのだろう。

 口にしながら、そんなことを思っていた。

 

息をするように、嘘をつく人ってどんな気持ちなのかな、と考えてかいてみた。

予定と違う話になった。

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