カリーニングラードの戦い
俺の前世のロシアにはカリーニングラードと言う飛び地が存在して居た、そして今現在此のカリーニングラードの土地を巡りでロシア・ハン国と欧州連合国軍である「第12次十字軍」との戦争が始まったのだ
そう何故ロシア・ハン国の軍勢と十字軍がこのロシア本国の場所より遠い此の場所で戦争をしているのには其れなりの理由が存在して居て
そう早い話はロシア・ハン国の軍勢の一部の部隊は此のカリーニング・グラードまで侵攻をする事に成功をしたのだ、だが守りを固めて居て防戦をして居て十字軍の軍勢に防戦の構えを取って居るのだ
だからこそ此の地域では非常に激烈な戦いが行われているのだ・・何しろロシア・ハン国軍からして見れば四方八方全てが敵国の領地に囲まれて居て其の上本国の軍隊の派兵の兆しと言う物も存在しない
だからこそ此のカリーニングラードの土地に居るロシア・ハン国の軍隊は玉砕覚悟で十字軍との戦争に望んで居るのだ
まあ元を言えば此のカリーニンググラードの土地は「東プロイセン」と言う名前だったが第二次世界大戦にナチス・ドイツが負けたお蔭でソ連に領地を分捕られる羽目に成ったのだ
そして此の世界でも此の東プロイセンの所有をしていたのがプロイセン王国であるのだ・・そして此の世界のプロイセンは最初から神聖ローマ帝国のハプスブルク家に従順な態度を取って居たのだ
そしてハプスブルク家の皇帝の娘を嫁に迎える等の行為をしていたのだ・・だからこそ早い話確かヴィルヘルム家はハプスブルク家の外戚と言う立場を取って居るのだ
其れで其のヴィルヘルム家の領地をロシア・ハン国は占領をしているからこそ此の東プロイセンの大地で激烈な戦いが起きる事は目に見えていると言う訳だ
だからこそとうとう今年の6月21日に東プロイセン奪還作戦又の名はカリーニング・グラード攻防戦が開始をする事に成ったのだ
そして今が調度カリーニング・グラード攻防戦が開始をしたのが1547年2月21日である・・もうロシア・ハン国の首都と定めていたモスクワも1545年4月21日に陥落をしていたので首都の陥落2年間の間持ち堪えたと言う事に成る
そして今此の話を聞いて居る「1548年12月11日」なので・・まあだからこそ今頃は先程述べたカリーニング・グラード攻防戦は如何考えてもプロイセン王国側の勝利で幕を閉じたのである
そして多分だが此の戦いは未だに続く可能性が有る・・そう何しろシベリア・ハン国の派兵部隊又は派兵師団がウラル山脈を越えて援軍に来たのだ
だからこそまだまだ欧州での此の戦争は長く続きそうだ・・そう欧州連合軍からして見れば敵はロシア・ハン国以外にも「イスラム圏の盟主だったカリフ・ハン国の継承国であるオスマン朝」の「南欧諸国への軍事侵攻」が発生をしている以上は欧州連合国軍は2正面作戦をしなくては如何しても行けない
そしてオスマン朝は欧州での戦争で今現在「マルタ島・キプロス島・シチリア島、イベリア半島の旧グレナダ王国領」を支配下に置いて居るのだ
だからこそ欧州連合国軍からして見れば「ロシア・ハン国の早期殲滅と言う事をしなければその間イスラム勢力の欧州侵攻を許してしまう結果に成って居るので
だからこそ欧州連合国軍は内心ではテンヤワンヤをしているのだ、だからこそ最悪欧州の全域はロシア・ハン国とオスマン朝で分割統治をして・・そして冷戦構造に成る可能性も考えられるのだ




