狂気と演技の向こう側
「息子さんが周りの人たちを宇宙人の手先と思うようになった、ということですか」
医師は穏やかな中に事務的な冷静さを漂わせながらそう返した。
「そうなんです、それで大学にも行かず、私たちの話も聞かなくなってしまって…」
「あんなエイリアンの息がかかったところ、誰がいくもんかよ! いつ実験されるかわかったもんじゃないだろうが!」
母親の言葉を遮るように青年は叫びだした。
「今日だってそうだ! そいつがエイリアンの親玉で、街の皆を洗脳してるってことははっきりわかってるんだからな!」
「あなた、先生になんてことを……」
今にも泣き崩れそうな母親を安心させようと医師はユーモアを感じさせるように苦笑してみせる。
「気にすることはありませんよ、よくあることです。それに、私が宇宙人ということが本当だということもあるかもしれない」
医師としては場を和ませようとしたつもりだったが母親が余計申し訳無さそうな顔をしたので咳払いをし、症状の説明をした。
「それでですね、世界中どこの国でも百人に一人は発症することが知られていまして、ええ、これ統計で出てるんです、だから何もお母さんの教育が間違っているとか、そういうことは、はい、何もない、と思って治療にご協力いただければ……」
「では、息子は治るんでしょうか……」
「なかなか、絶対、ということはやはりボクらの方でも無責任に保証は出来ないわけですが、幸い息子さんはまだ症状が軽いですね、今では治療法も確立されていて、お薬もあるので、希望は持てるかと思います」
どうしても硬い言い回しになってしまったが、看護婦の「大丈夫ですからね~」というやわらかなフォローもあって母親の方は徐々に安心も見せるようになってきた。無論問題は息子のほうだった。なにせ「薬は絶対嫌だ!」と頑として譲らないのである。
「その薬に人間を洗脳する成分が含まれていて、それを飲んだら俺も他の皆みたいにコントロールされてしまうんだ。誰が騙されるもんか! 」
そう吐き捨てて診察室を出て行ってしまった。取り残された母親の目には涙も浮かんできた。
「あー、大丈夫ですよ、これもよくあることですから。ですがそうですね、まず薬を飲んでもらう段階から難しい、となると、まず息子さんの警戒心を解くことからはじめないといけませんね」
「警戒を解く……ですか」
「やはり今ボクたちが、息子さんの妄想の世界を、正面から否定する、となると、世界観のぶつかり合いであちらもガンと反発してしまいますから。まずは彼の世界観を受け入れた上で、その中から警戒を解きほぐして、治療していこうかと」
※※※
後日、再び母親に連れられてやってきた青年の前で、医師は大げさに苦悶し、頭を抱えてみせた。
「くっ……ここは? そうだ! 私は奴らに捕まって……暗い部屋に連れられていって……まずい、早く逃げないと! 」
取り乱しながら必死の形相で、自分の診察室でオーバーリアクションを取る医師の姿は狂気の沙汰だったしついでに本人も無茶苦茶恥ずかしかったが、青年だけは同じように真剣な表情で駆け寄った。
「だ、大丈夫かあんた! もしかして、あんたもエイリアンに?」
「エイリアン…そうだ! 私は奴らに協力を強要されて、拒んだら変な薬を飲まされて……そのあとは、奴らの尖兵として洗脳の甘いものの再洗脳をさせられていたんだ! 」
「やっぱりそうか!皆おかしくなっていたが、まだ正気に戻れる人がいたなんて……」
「どうやら、今この街でこの事態に気づいているのは私たちだけらしいな……」
初めての同士を見つけ出した喜びから青年は隠しきれぬ喜びと感動を表していた。と、医師は何かに気づいた表情で大声を上げる。
「まずい、排気口が奴らの監視用の目になっている!今すぐ塞いでおかないと!」
「そう! 俺もそれが言いたかった! 」
ある程度演技に付き合っていた母親と看護婦もこれにはあっけにとられたが医師と青年の余りの剣幕に一緒にテープで塞ぐのを手伝った。
「せ……先生……これさすがに自分からそこまでやることなかったんじゃ…」
「あーっ!君まだエイリアンの洗脳解けきってないなーっ!? 」
「なんだって、それは本当か先生! 」
「いえ解けてます解けてますすいませんでした」
看護婦もさすがに一瞬恨めしそうな目を浮かべたが流石はプロだけあってすぐに医師の演技に調子を合わせることが出来た。
「しかしどうする先生、このままでは防戦一方だ。いっそ奴らのもとに殴りこんだほうが…
「いや、やつらは八本足のくちばしのついたタコみたいな怪力のバケモノだ、正面から戦うのは無理がある。危険が伴うだろうな」
「えっタコって、俺が見たのは、手足ヒョロヒョロのグレイみたいな奴なんだけど」
「そ、そのグレイみたいな奴がタコ型のクリーチャーを使役しているのだ!」
「なるほどそういうことか! くそっ、奴らめさすがに手強いぜ! 」
こいつさてはもともと結構な馬鹿かあるいはこっちを実はからかってやがるな。医師はそう思ったが表には出さずに話を続ける。
「幸い、奴らはまだ私たちが正気に戻ったことには気づいてないらしい……気づいてたら今頃私たちは強制的に捕まり再洗脳されているはずだからな。むしろ問題は君だぞ」
「俺ぇ?」
「君のなかなか洗脳に屈さない頑強な態度は奴らに睨まれだしている……このままでは私のように拉致されることになるだろう」
「そんな! 俺まで奴らの支配下に置かれたらこの街はどうなってしまうんだ! 」
「そこで、君には、あえて私の手で洗脳に「かかったふり」をしてほしいんだ」
「なんだって? 俺が洗脳されたふりを?」
「その通り。君は洗脳された従順な人間になる……演技をしてエイリアンが支配するこの街で過ごしてもらう。そして奴らの警戒を解きながら、定期的にここに来て今後の話し合いをするんだ」
「なるほど! 傍から見たら俺が実は正気だとはわからないから、逆に奴らの干渉を避ける事ができると、そういうわけだな!」
「察しがよくて助かる……そうだな、周りから見て見事にこの社会に「順応」すればするほど、彼らの目からは洗脳がうまくいったようにみえるはずだ。大学にちゃんと行く、しっかり勉強をして単位をきちんと取り、就職をしてしっかりこの社会で地位を築く……そうすることが奴らに反抗するための第一歩になるだろう」
「裏をかくってわけか、面白い……そう考えたら勉強や就活も楽しみになってきたな。しかしかなり長期戦を強いられそうだな」
「奴らはそれだけすでにこの世界を支配しているんだ、何年、何十年と長い目で抵抗していく、と考えるべきなんだ……」
「俺に出来るかな……さすがに怖くなってきたぞ…」
「頑張るのよ、あなたがこの街の希望なんだからね」
母親までその気になって応援をし始める
「その意気です、お母さん。さて、君にはこの薬を渡しておこう」
「これは…? 先生が前に支配されてきた時に見せてきたものとは違うようだな? 」
もちろん実際は全く同じである。が、医師はこれ幸いと乗っかり話を続ける。
「さすが、よく分かるな。これは見た目は奴らの洗脳薬と同じだが、実際はその逆、奴らの洗脳電波を浴び続けても正気を保つことが出来る薬なんだ」
「先生、洗脳されていたのによく準備出来たな……」
「じ、実はこれの開発に成功したから捕まって洗脳されていたんだ! 」「なるほど! 」
「では、用法用量を守ってしっかり飲んでくれよ。この星のために…」
「ああ、この星のためにな…」
医師と青年は互いに敬礼を交わした。
※※※
その後、エイリアンを欺くという名目とはいえ青年の社会復帰は順調に成功し、以前のようなパニックを起こすこともなく、治療は進展していった。
「なあ、先生」
穏やかな表情で青年は医師に話しかけた。
「俺、最近は調子いいんだよ。周囲の人はみんな親切になったし、母さんも前みたいに泣くことはなくなったしさ」
「それはいいことだな、エイリアンに洗脳されているとはいえ、彼らはれっきとした人間だ、悲しませるよりはそのほうがよっぽどいい」
うーん、と青年はうつむき、やがて恥ずかしそうに語りだす。
「それがさ、その、エイリアンにこの街が支配されてる件…なんだけど、不思議なんだけど、最近は、そんなことがホントにあるのかな、って気持ちになってるんだ。先生には申し訳ないけど……」
「いや、君がそう思ったならそれも立派な考え方だよ。どうしたんだい?」
「だって、周りの人たちはみんな優しいし、バイトも勉強もうまくいって、みんなの見る目が変わってきたし…背後にそんな怖い陰謀があるとは思えないし、仮に宇宙人が本当に社会を支配していたとしても、別に悪くない世界なんじゃないか、って思えてきてさ……」
医師は頷き、穏やかに返す。
「もし君がそう思えるのならば、君は戦うべき存在ではないということなのだろう。だが、それは恥ずべきことじゃないんだ。たとえ偽物でも、君が幸福と感じたことは間違いなく本当なのだからね。それに…」
「それに?」
「それに、本当にこの世界には宇宙人なんていないかもしれないじゃないか」
医師がそういうと、青年は思わず吹き出し、二人はしばらく笑い合っていた……。
※※※
青年と母親が帰ったあと、看護婦が可愛らしい顔つきには似合わぬ鋭い目つきで医師を睨んだ。
「X-526、ずいぶんとお遊びが過ぎたのではないか? 」
医師は両手のひらを上に向け、笑ってみせる。
「なかなか面白い趣向だろう? U-049。いつもいつも待ってましたとばかり無理やりとっ捕まえて「再調整」なんて退屈だし芸がないしつまらんからな」
「その仕草もだ。貴様、この星に馴染みすぎている。まあ、なかなか愉快な芝居だったということは否定しないがな」
「だろう? いや、しかし、あの地球人のガキもまた面白い反応する奴だったからな。こっちが適当に話をでっち上げたら綺麗にひっかかる」
「そううまくいっていたとは思わないが…誰が、くちばしのついたタコのバケモノだと?あの時のお前はやってしまったという顔をしていたぞ」
くっくっと医師は笑い「グレイタイプでもないんだからいいだろう」と返した。看護婦も思わず両手のひらを上に向けた。
「誰かさんの無茶ぶりで排気口を塞がされた私の身にもなってほしいものだ……」
「お前さんこそこの星の羞恥心だのを身につけ出したのか?それに、ああいうのはオーバーに合わせた方が面白いんだよ」「いや貴様も無茶苦茶恥ずかしがっていただろうが」
「そういうのはいいっこなしだ」
またひとり笑い出した医師を尻目に看護師は「こいつも再調整が必要かもな…」と呟いた。
※※※
そんな医師と看護師の会話を 盗聴 しながら青年と母親は笑い合う。
「奴らめ、すっかり騙されているようだねえ」
「あっちの演技に乗ってやれば、あとで安心してボロボロ情報を漏らすんだからな、ボロいもんだぜ。エイリアン共ってのは技術が凄い割にどこか一枚抜けてやがるからな。これだからエイリアンハンターはやめられない」
「しかも、チンケな火星人なんかじゃない、太陽系外型のようだよ。これは捕まえたら高く売りさばけるんじゃなあい」
「違いないが、その分基地の設備もすごそうだ、もう少し泳がせておこう。また頼むぜ、「母さん」」
この小説はあえて真実は読者の皆様の解釈次第で分かれるように描いたつもりです。狂気に付き合っていたらその狂気に伝染するということがよくありますし、不思議なことだって世の中にはあるかもしれません。そのような多様な印象を与えることができたらこれ以上の喜びはありません。