第五話「Another story warrior」
「気持ちがいいですね。やっぱり港町は」
馬車が行き交う広い通りの歩道。
長い坂道の先に巨大な水張りが望めるその場所を、ソアーは風に煽られる尖帽の鍔を抑えながら呟いた。
かつて『ソラ』であった頃に習った話だ。
陸と水面の温度差で、昼は陸へと向かう風が生まれるという話だ。
だが、気象学の話題はここでは無関係なことだ。
この体毛を撫ぜる優しさが、愛おしいというだけだ。
尖帽に向けられたものとは反対、胸の前にまで掲げられた左手には手書きの地図が握られている。
「ええと、この先、今度の十字路で左と」
その紙片に描かれた道順には、目印となる建造物や文字はほぼ皆無であり、道路を示す黒線が主だ。
それでも、ここまでこれが導く道を辿ってきたソアーには、これを自分の為に労力をさいて製図してくれた人物の厚意を感じられた。
それが老年の教会主か、あるいは『あの方』かは判別できないが。
「―――――――――!」
地図に目線を落としていたソアーの立て耳に、甲高く若い声が届く。
ソアーが視線を上げ、その発生源へと向ける。
「―――――――――!」
「―――――――――!」
「―――――――――!」
それは道路を挟んだ先の歩道。
子供たちが自身に、左手で二本の指を立てた手標を向けていた。
ソアーをこの世界にいざなった人物によれば、それは挑発を表しているらしい。
だが、彼らの笑顔を象る表情から察するに、喧嘩をけしかけているので無く、若年と言う好奇心から生まれるからかいだろう。
それにしても若い。
かつての世界の言葉で表現するなら、「小学生ほど」と言った具合だ。
おそらくは学校帰りだろうか。
身なりの雰囲気から探るに、その四人の子供は全て男児だが、その姿形は異なっている。
「人間」と同じ者。
下半身が馬と思しき四足獣である者。
兎の耳に似た長い立て耳を有する者。
他の三人より背が低い浅黒い肌の肌の者。
彼らと同様に通りを行き交う者もまた千差万別だ。
だが、ソアーと同じ獣の顔を持つ人間は比較的少ない。
おそらくは土地柄なのか。
男児たちが自身に興味を示すのも、それが理由なのかもしれない。
「あんまり年上の人をからかっちゃ駄目ですよ」
彼らに届くか否かの声で窘めながら、ソアーは地図を握った左手を振って応える。
「―――――――!」
「―――――――――!」
「――――!」
その光景を目の当たりにした男児たちは大笑いしながら、声を張り上げて手標を示した手を大きく振った。
自身の厚意がここではどんな意味を孕むかは、ソアーの知識の外だ。
それでも、子供たちの機嫌を損ねなかったので、良しとしよう。
子供達が人ごみの中に消え去るまで、ソアーは振り返りながら手を振り続けた。
ソアーが、『ソアー』になってからだ。
子供が異様に愛くるしいと感じるようになった。
身体の変化に応じて、母性も肥大化したのだろうか。
これについては、特に不利益を被っているわけではないので、ソアーの中で嫌悪や憎悪は生まれていない。
「ここを左ですね。そういえば、出航の時間は大丈夫なのでしょうか?」
協会から出発する際には、リウシェー教会主から竜客船の出航時間についての説明は無かった。
待つ必要が無い程便が多いのか。
チケットを持つ乗客を全員待ってからの出航なのか。
単に、教会主が言い忘れただけなのか。
「少し、急ぎましょうか」
ソアーは歩みを速めた。
杞憂かもしれないが、急ぐことに越したことはないだろう。
速度を強めたまま、交差点を、角に聳える何かの店舗の壁を擦るような動作で急き歩く。
その時だった。
「えあっ!?」
「!!」
壁によって生じていた死角から、ソアーと同じく急ぎ足の女性が現れた。
両者は咄嗟に回避を採る。
しかし。
「ああっ!!」
「!」
行動は速度に競り負け、二人は左肩をぶつけ合った。
「あっ!?」
衝撃によって身体の均衡を崩したソアーの足がもつれ、前方へと大きく倒れ始めた。
彼女は地面が自身へと迫る中で、咄嗟に両腕を胸の前で構えて転倒に備える。
やはり、もう若くはない。
こんな些細な事でも身体は持ちこたえてくれないのだ。
妙に頭が冴えわたるソアーが腹を括っていた横で、女性が動いた。
まるで、舞い落ちる木の葉のように軽い身のこなしで、足を負荷に変えられる型へ広げ、腰を下ろして、左腕を伸ばす。
「んあっ!」
「!」
ソアーの両手が女性の腕を掴み、そこへ彼女を構成する全ての質量が降り注ぐ。
「っ!」
それでも女性は、僅かに腕が下方へと沈んだだけで、一人の人間を支えることに成功した。
「あ・・・」
ソアーが無意識の内に何の意味をも持たない呟きを漏らす。
ソアーの眼前には、端に下がる自身の頭髪と敷石の歩道。
地面とは拳四つ分程の距離しかない。
「・・・」
女性が落ち着いた速度で腰を上げると、抱きかかえたソアーの身体も持ち上がる。
同じ女性にしてこれ程の膂力とは恐れ入る。
ついに、ソアーの身体が地面と垂直になると、女性は左手を降ろした。
その時になって、ソアーは初めて女性を凝視した。
「・・・」
無言のまま笑顔を作る整った顔の横には、体毛に覆われた長い耳。
耳と胸の位置まで伸ばされた長髪は共に、薄茶色だ。
先ほどの男児達の一人は、白味がかった黄色の毛を有していた。
だが、それでも彼とこの者は同じ種族の「人間」なのだろう。
艶めいた頭髪と肌、自分ほど歳を重ねてはいないと見れ取れる。
背は高い。
ソアーを僅かにだか超えている。
その長身は、『あの方』を連想させる。
あのような筋力が何処に潜んでいるかは定かではない華奢な体躯が着込む服装は、ドレスに似た上下で分かれたの黒の衣服だ。
特に下半身には控えめながらも装飾が施されている。
これまでの通行人の中で、彼女と似たような服装を着込んでいる者はいなかったと記憶している。
何かの職業に就く者が着こなすものなのだろうか。
「あ、あの、ごめんなさい・・・!私、急いでいたので、つい・・・」
言葉が通じないのを承知で、ソアーは謝辞を述べる。
かつて、意思の疎通において、その大部分を占めるのは表情や身振り手振りだと聞いたことがある。
言語が行き違ってしまったとしても、自身のこの表情で心は伝わるはずだ。
僅かに算段を込めているが、彼女の心境は純粋な謝罪を多く含んでいる。
「・・・私こそ申し訳ないです。私もまた、急いでいましたから」
女性は子供を慰めるような笑みを浮かべて、ソアーにそう投げかけた。
「えっ!?な、なんで通じるんですか!?」
眼前の女性が唇で紡いだものは、流暢な『ソラ』の世界の言葉だ。
異世界という遥か遠い地で、これ程短期間で会話を以って意思を伝えられる人物に多く出会うとは。
予想外もいいところだ。
「もしかして・・・この言葉って此処じゃ意外と誰でも話すんですか・・・?」
素直な疑問を女性にぶつける。
『ホシコ』の名を出さなかったのは、ソアーの学習と矜持だ。
「・・・いいえ、極々限られた者しか、この言葉は知らないでしょう。・・・私は、後学の為に」
「そうなんですね・・・」
その言葉から察するに、まだこの言葉を操る者がいるようだ。
それ程までに、あの男性がこの世界に与えた影響は大きいのだろうか。
『天元星子』。
彼はこの世界にとってどのような位置に佇む男であり、その正体は如何ほどなのか。
「ところで、この街で修行僧侶を見ませんでしたか?おそらく、今日か昨日に此処に到着してると思いますが」
「え!?ああ、ええと・・・」
女性の質問に、ソアーは口ごもる。
この質問の焦点は、自身が世話になった『あの方』で間違いないだろう。
おそらくは、まだあの教会に身を寄せているのか。
ソアーは自身の身の振りに戸惑った。
些細な事とは言え、女性は自身の恩人。
だが、この者が心底まで心清く正しく生きているという確証はない。
『あの方』は、おそらく身分か正体、或いはそのどちらも隠していただろう。
自分の親切心が、結果として世話になった人物を売ることになるかもしれない事を、ソアーは危惧しているのだ。
「黙るという事は・・・知っているんですね?」
「・・・ごめんなさい。さっきは助けてくれた人なのに・・・」
図星を突かれて、ソアーは頭を下げた。
それでも、明言しなかったことは、様々な思惑や保険を孕んでいた為だ。
「気にしないでください。それに・・・心配は無用です。あれは私の姉ですから」
「お姉さんですか!?」
「はい」
思わぬところで、『あの方』の正体の片鱗をすることになった。
放浪癖がついた修道女なのだろうか。
身内とはいえ、わざわざ人探しをしてるとは。
「たぶん、この街の教会にいると思います。私は、『あの方』に連れられて、あの場所に行きました」
「そうでしたか。やはり教会でしたか。ありがとうございます。これにて失礼します、よい一日を」
「待ってください」
自身の横を通り過ぎようとする女性を、ソアーは言葉で押し留めた。
女性が訝しげな表情を浮かべる。
「あと、何か?」
「・・・お姉さんに会ったら、私がお礼を言っていたと伝えてもらえますか?結局あの方に挨拶せずに出てきましたから」
それがソアーの本心だった。
たとえ不愛想でも、あの者は自身に手を差し伸べてくれたことに変わりはない。
それが『ホシコ』という、共通の知人で繋がれた縁であるだけかもしれないとしてもだ。
「・・・」
数拍だけ沈黙した後、女性が再び笑顔を作る。
「・・・わかりました。確かに伝えておきます」
「ありがとうございます」
ソアーがもう一度頭を下げた。
彼女が顔を上げる時機を見計らって、女性が四つ指でソアーの右後方を指す。
「それはそうと・・・あれは、いいのですか?」
「え?」
示された方向へ顔を向けたソアーが見たものは、車道の中央付近で小風に煽られている紙片。
思わずソアーは左手を確認するが、予想通りそこには手にしてはずの地図が消えていた。
「いけないです!それじゃあ私はこれで!お願いしますね!」
「ええ、お気をつけて。ごきげんよう」
互いに挨拶を交わし、ソアーは馬車の往来の合間を縫って、車道中央へと走り寄る。
その時だった。
「ええ!?あああああ、ああああああああ!!」
突如として鋭い疾風が走り、車道に横たわっていた地図が青空へと舞い上がった。
その暴れ風の正体は不明。
一瞬だけ、高速で飛翔する何かの黒い影を目撃した気もする。
だが、現在重要なのは再び地図を手にすることだ。
あれを紛失すれば、竜客船の船着場へたどり着ける自身など、自身の胸中において何処にも存在していない。
「待って!待ってください!」
ソアーが大空を見上げながら、左右に蛇行して先ほどいた歩道とは反対のそれの、人ごみの中へ消えていった。
「姉様の『大鋏』。私のものを呼んでも、もう間に合いませんね」
セオロの魔女の後ろ姿を眺めながら吐いた女性の言葉を、彼女自身は知る由も無かった。
「西、西とは『セマジェーコ』ですか?」
「阿保が。『セマジェーコ』は『ザンジェルホトナ』の家の属州だ。今更そこへ赴いて得る物も無い。西の山脈のドラゴンに掛け合う。『あの女』や『黒百合』と一戦交えることになれば、頭数を揃える必要がある」
「ドラゴン・・・」
ルウシェーが苦い顔を浮かべるのを、『真珠姫』はその表情の移り変わりを冷静に見届けた。
それもそのはず。
高い知能を有するドラゴンは、全ての「人間」の、延いては『デワー・デルーク王家』の仇敵だ。
それらと裏で繋がっていることを看破されたら、たとえシェラーヒョールの皇女だろうと咎を言い渡されるのは免れないだろう。
だが、自身の言葉通り、「敵」であるあの二人の女が有する武力は強大だ。
真っ向から衝突することあれば、教軍は元より、デワー・デルークとシェラーヒョール、両者の族王軍主力部隊と相手をすることになる。
自らの指揮下にあるシェラーヒョール第四軍とは、その数に雲泥の差がある。
数の差は力の差だ。
それを覆すことが可能である人物は、『真珠姫』が知る限りでは二人だけ。
共に救世を成し遂げた仲である『テンゲン=ホシコ』と、その男の口から聞いた、ホシコの師に当たる『先輩』なる人物だけだ。
「『猊下』・・・、思い直しては頂けないでしょうか・・・?」
「私もこんな馬鹿げたことなど本心ではない。奴らの、『あの女』の企みがそうさせる」
「同じシェラーヒョール皇家の、皇女の仲ではないですか。妹君であらせられる『赤石様』にしても。何も、剣を交えるだけが解け」
「黙れ!ただの狂人と化け物だろうが!」
『真珠姫』の怒号に近い喝が、教会主の言葉を押し殺した。
リウシェーはそのまま黙り込む。
『真珠姫』の怒りはそれだけでは収まらない。
「お前も知らないわけではないだろう!皇家の養子となった『あの女』が、女皇を唆して始めた、デワー・デルーク家への謀反を!その中で『あの女』から生まれたのが、私やベルレリュームだ!結局、計画は『あの女』自身のデワー・デルークへの注進によって瓦解!『あの女』は体良くシェラーヒョールでの権威を、私やベルレから派生した擬人部隊を手に入れたわけだ!女皇の、『新しい子を欲した』という苦しい弁明で私も皇女に組み込まれ、こんな生き方をすることになった!そんな女と、それに付き従う女に、どうすれば和解で解決させるという考えを持てる!?戦わなければ喰われるまでだ!・・・ただ、それだけだ」
吐き出すものを全て出し切り、彼女は若干の落ち着きを取り戻した。
おそらくこの叫びは、教会主室の外まで、此処の修道女の耳にまで届いているだろう。
これまで『真珠姫』は、リウシェーの計らいによって、彼と旧知の仲である修行僧侶として度々この場所へと赴いていた。
ほとぼりが冷めるまでは、此処へはしばらく遠ざかる必要がある。
修道女の興奮とは別に、「その気」になった『あの女』か『黒百合』が此処を潰さなければの話だが。
「・・・『猊下』は、それでよろしいのですか?戦い続ける日々に身を置くことが」
老年の友人に、いつもの茶化した意図は感じられない。
これが、この者の本心だ。
眼前の老人は、胸中の底から自身の安寧と幸福を願っている。
これまでの言葉もまた、自分を気遣う故のものだ。
だが、自分は。
「私は・・・まだ戦うことしか出来ない。それが楽だからな。『英雄』の、特に、ゲム=スのように抗い続けることも、アキュラナのように母になることも、セリルのように立ち向かうことも、ホシコのように『優しさ』を持って生きることも出来ない。傍らで寄り添ってくる者も知らん。こんな姿では、男も好かんだろう?」
『真珠姫』は、シェラーヒョールの皇家だけが身に着けることが許される、金色の立て耳当てが備え付けられ兜を脱ぎ、右腕に抱く。
そこには、常人なら持ち合わせているはずの頭部が、首から先が存在していない。
自身の出生に対する苦悩と、『あの女』に対する憎悪に苛まれて、『真珠姫』は自らの腕でそれを切り落としたのだ。
彼女の声は、切り落とした後に気管へ取り付けた声帯補助態が生み出すもの。
そして、それでも『真珠姫』が命を保っているのは、彼女が人為的に、戦うために生み出された存在であるであることに他ならない。
かつての盟友、『テンゲン=ホシコ』は、救世を成し遂げ元居た世界へ戻った後、自らに「去勢」を施して男を捨てたと聞いた。
これも同様のことだ。
違いは、ホシコと『真珠姫』のその行為は救世の後と前、ホシコは「願望」、彼女は「嫌悪」からだ。
「・・・こんな老いぼれで、シェラーヒョールの皇家の『猊下』と違い、平民出の私では釣り合いませんが、それでも、私は『猊下』にどこまでもお付きしたいと思っております。またお立ち寄りください。いつでもお待ちしております」
老人の笑顔に、嘘の影は含まれていないだろう。
その明るさが、今の『真珠姫』を支えているものの一つだ。
「・・・時間だ。・・・お前の進言通り、出来る限り衝突は避ける。たが、期待するな。『族王』の家は、何処でも漏れなく血塗られた家系だ」
先ほどから遠方に聞こえていた風切り音が、付近に渦巻く大気の悲鳴に変わった。
教会主室の窓からは、庭園へと着陸する黒色の小型魔導戦闘飛行艇、一対の鉤爪が伸びる通称「大鋏」が見て取れた。
「次も抜かりなく、『フルーツギュウニュウ』を用意しておけ。それから、ベルレが来ても私の事はとぼけろ。お前は無駄に徳を積んだからな。こちらから尻尾を出さなければ、『あの女』や『黒百合』でも簡単には手出しは出来ない」
「もちろんですよ。『赤石様』には心苦しいですが」
「付け加えると、用心しろ。前々から感じていたが、お前は隠し事が下手だ。お前とあのセオロとの会話を魔法で観察していたが、お前の言葉はもどかし過ぎた。そして結局、あの年増にドーサルの出航時間を伝えなかっただろう」
「あ・・・」
「あのセオロも、お前を通して私への礼を忘れていたがな。戦いに身を置かん連中は、いつもどこか抜けている」
「『猊下』にからかわれるとは!私もついに寿命でしょうか!」
「阿保が。お前にはまだ生きてやってもらうことが山ほどある」
『真珠姫』は兜を被り直した。
ついに別れの時だ。
「・・・すまないな、リウシェー。また会いに来る」
「いつでも、心よりお待ちしておりますよ。イーシィズ=セモ=シェラーヒョール=デーマザ様」
「阿保。お前なら『シィズ』と略して呼んでも、憤りはしない」
イーシィズはリウシェーの前を通り過ぎ、教会主室の出入り口を区切る扉の向こうへと消えた。
彼女自身は自分の名前を好んではいないが、老年の教会主が頑なに彼女をイーシィズと呼び続けるのは、『イーシィズ』が表す『真珠』の意味が、彼女に相応しいという考えに基づくものだからだ。
続く