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第一話「soar」

「トゥルーマンショー」の原題は「The Truman Show」なので、作中での主人公の憶測は若干間違っています。

当作品のタイトルはその間違いにあやかり、あえて貫いたものです。

『問い』と『答え』は、そんなに簡単なのものじゃないと思う。

数学的な成否や可否や是非や肯否とその問題提示じゃない、幾通りもある、全てが正解である類の代物。

まるで教育課程における「道徳」という時間の中で議論されるものに近い代物。

だから簡単じゃない。

だが、『直感』に従うのは簡単だ。

その時の僕は、真っ白な思考で。

いや、違う。

きっと別な、他愛もない雑念を抱いたいたのだろう。

だから、その、映画館のレイトショーの帰りに自転車で通り過ぎようとしたシャッター商店街の一角。

そこの羽虫が群がる玄関灯に照らされた下に設けられたドアに手を掛けた。

そもそもそこに看板など無かった。

いや、有ったかもしれないけど。

もし仮にそうだとしたら、気にも留めていなかった。

そもそもそこが何を商材として販ぐ店なのか。

そもそもそこが店舗なのか。

それすらも知らなかった。

使命や信念に近い好奇心が、『直感』が僕に命じたのだ。

そこに入れと。

だから、僕はドアの横に中古のママチャリを駐輪して、ノブを回した。

ホラー映画のような雰囲気はなかった。

ドアもノブも古くないが恐怖心を煽るような異彩を放つものでは無く、金切り声に近い軋みを上げることも無かった。

だが、ドアを自らの身体の方へ引っ張り。

「中」の空気が、僕が立つ「外」へ漏れ出したとき。

僕は確かにこの世のものじゃない、アウターやエキゾチックという言葉の意味を再確認したくなるような気配を感じ取った。

それは僕の心がいまだに覚えている。

表しようのない孤独感に苛まれて、僕は振り返りながら空を仰いだ。

年季を感じさせる、所々の天蓋が剥がれたアーケード。

その向こうに、僅かな薄雲に隠れた三日月が笑っていた。

『たった一つだけ』の微笑は祝福にも悪意にも感じられた。

その時の僕の感覚は間違っていなかったと思う。


まず目に飛び込んできたのは玄関マットだった。

一般的な家庭のような段差があるものではない、地続きのフローリングに置かれたそれ。

おそらくここで靴底の汚れを落とせという意図だろう。

それ以外の用途など思いつかないが。

外は悪天では無かったが、礼儀としてこれを使うべきだろう。

彼はそこで幾度かマットに自らの足を擦り圧した後、歩み出した。

そこは応接間のような部屋だった。

中央には向かい合った革張りのソファーが二つ。

それらに挟まれた楕円の猫足テーブル。

此処を照らす照明は、壁に備え付けられた燭台と蝋燭を模した電気式。

部屋の一角に陣取る小棚の上には、電気ポットと逆さにされた洋風のカップが鎮座している。

一番奥には階上へと上る階段。

何かの商談に用いられる場所なのだろうか。

彼は急に、此処が自分にふさわしい場所では無いと感じ、考え、恥じた。

鏡は見当たらないが、おそらくは赤面しているかも知れない。

だが、引き返すという選択肢は湧いてこなかった。

好奇心。

違う、命令だ。

心の何処かで何者かが自分を此処に引き止めている。

「ご、ごめんください・・・」

彼の喉から発せられた苦し紛れの挨拶は、木霊もせずに小さく消えた。

だがそれが、意味無く霧散したかと言われれば、そうではない。

「ごめんなさい!もう5分くらいで行くからちょっと待ってて!ソファーに座っててもいいし、棚にコーヒーのパックが入ってるから飲んでてもいいよ!」

階上から男の声。

平均的と呼ばれるものよりも、幾段か高いそれが耳に残る。

それだけでは詳しい判別はつかないが、おそらくそれほど高齢というわけではない。

むしろ自分に近しい歳にも感じる。

「す、すいません・・・!此処、どういう所か分からずに入っちゃって・・・!」

「大丈夫!どういう理由でも出てけって怒鳴らないから!だから、あとちょっと待っててよ!」

「は、はい・・・」

少なくとも怒声を浴びる心配は杞憂らしい。

だが、依然として彼は自身を此処に相応しくない異物に感じていた。

コーヒーに手を伸ばすのは遠慮しておこう。

彼は二つのソファーの内の一つ、出入口に近い側の左端に腰を下ろした。

自分の、正しくは両親が建てた家のリビングに置かれたソファーとは、座り心地が段違いだ。

まるで、包み込むように支えるように、腰から膝を受け止める。

おそらくは舶来物の高級品だろう。

コーヒーなんて淹れなくてよかった。

もしこれに零しでもしたら、弁償はしなくて済んだとしても、恐ろしく後味が悪い状況になっていただろう。

彼は履いていたジーンズのポケットから携帯電話を取り出す。

時刻はもうすぐ明日に変わろうとしている。

電波は圏外。

ここからほど近い、先ほどまで滞在していた映画館では表示が三本になっていた。

これは国内でも有数の電話会社のもの。

こんな短距離で差が出るものなのだろうか。

「ごめんね!おまたせ!」

そんなことを考えていると、数分前に聞いた声と同じものと階段を下る足音が彼の耳に届いた。

そして、その声の主が現れた。

「どうしたの?」

「い、いえ!」

その人間は男だったが、美人だった。

すらりとした長身の出で立ちに、上にはサマーセーターと、下は彼と同じくジーンズ。

黒い髪は長いが、フィクションに登場する無頼のキャラクターのような大雑把なものではなく、後頭部で綺麗に結ってある。

性別的な理由により、その手の話題に疎い彼には判別難しいが、おそらく軽くだが化粧もしているだろう。

そもそも、顔つきがまるで絵画の中の人物のように整っている。

外見と声から判断するに、人利きに鈍い彼でも、この人物が30にも届かない年齢であることが見て取れる。

神話や伝説に記されている男女の成り立ちを、彼は脳裏の片隅で疑った。

「す、すいません!いきなりお邪魔して!」

照れ隠しに彼が立ち上がり詫びる。

彼の行動に男は、笑みを浮かべながら右手の掌を扇のように上下に振った。

「いいから座ってて」と言った意味だろうか。

彼は無言で再びソファーい体重を預けた。

「コーヒー飲まなかったの?じゃあ淹れるよ」

「い、いえ。結構です!」

「飲まなくてもいいよ。しょせん市販のパック詰めのドリップだし。まあ、おもてなし」

男が彼に背を向け、小棚の引き出しから、手の平ほどのパックを取り出している。

「気になる?私の事?」

「え?」

「これね、エストロゲンのおかげ」

水音とともに、コーヒーの香りが部屋に広がる。

「科学的な魔法の薬。それで無茶苦茶しちゃった結果。副作用もキツイけどね。まあ、今は私はあなたの方が興味あるけど」

「はあ・・・」

「どうぞ」

テーブルにコーヒーが注がれたカップを置いた男が、彼の反対側のソファーに向かい合うように座る。

その仕草も正しく女性的だ。

「ありがとうございます・・・。ですけど、僕・・・。ここがどういう場所か知らずに来ちゃって・・・」

「それはさっき聞いたけどね。『答え』を言うと・・・。ううん、『答え』なんて無いのかも」

「え・・・?」

「『問い』に見合う『答え』も無いし、『答え』に見合う『問い』も無いってこと」

「・・・難しいですね」

「簡単に言うと、インスピレーション。あるいは女の勘」

少なくとも、彼は自身を男性だと認識している。

言葉の前半だけ受け取ることにしよう。

「遠慮せずに飲んでね」

そう言いながら、男は自らが淹れたコーヒーに口を付けた。

彼もそれに倣う。

目の前の人物はこれを「しょせん」と評していたが、十分な苦みと味が彼の下で広がる。

彼と男が、テーブルのソーサーにカップを置くのはほぼ同時だった。

「それでね、強引に話を進めるけど、『トゥルーマンショー』っていう映画は知ってる?」

「え・・・!?映画ですか!?」

唐突な質問に、彼は困惑を隠せなかった。

直訳すれば、「本当の男のショー」という具合だろうか。

記憶を掘り起こせばタイトルだけはどこかで聞いた経験があるかもしれないが、ストーリーは全くもって彼の知識の範囲から外れている。

「すいません・・・。ちょっと分からないです・・・」

「有名な映画だからレンタル屋さんとか行ったら借りてみるのもいいよ。まあ、今私が言いたいのはそこじゃなくて」

「はあ・・・」

「実は私、物書きの端くれなの。さっきあなたを待たせてたのも、さっきいい感じにノッててさ。それで、今ね、新作を書きたいと思ってるの」

「・・・新作ですか?」

「そう。『トゥルーマンショー』はね、現実そっくりに作られたテレビ番組のセットの世界を現実だと思って生きている主人公の話なの。それで、新作は、『トゥルーマンショー』とは真逆の、フィクションのような現実を生きる主人公を描きたいと思ってるの」

「・・・逆の」

「そう、逆。それで、お話自体は私がその気になればでっち上げられるけど。やっぱりリアリティーって大切だから、実際にそのような体験をした当事者の経験談を元に書きたいなって考えてるわけ」

「・・・」

「・・・」

「・・・もしかして、それを僕に?」

「あなたが何歳かは分からないけど、たぶん仕事はできるタイプだと思うよ絶対」

「ちょっと待ってください!」

彼がソファーから立ち上がった。

その速度で、彼の脛がテーブルに接触し、そこに置かれたカップの中の黒い液体が波打った。

「ここが何か分からないまま、いきなりそんなこと言われても!」

仮に一般的な感性を持つ人間が此処に同席していたら、彼を支持していただろう。

だが現実は、彼と男の二人だけ。

彼の意見を賛同してくれるものは誰もいない。

だが、彼自身が自らの言葉の正当性を信じ、そこに従ってこの言葉を振りかざした。

「人生には即決を迫られる時も存在するの。そもそも、その人生っていうものの舞台になっているこの世界は、次の瞬間にはどこかの火山が噴火して、その灰の雲で氷河期が始まるかもしれないほど急なものなの」

「そんな極論言われても!」

「まあ、それは謝るから。ね、まずは落ち着いて座って。最終的にどうするかは、あなたが決めることだから」

「・・・」

彼がもう一度、ソファーに体重を預けた。

だが、彼の表情には懐疑の念が浮かんでいる。

「やっぱりあなたは仕事できるタイプだと思うよ。この話を聞いた人の中には、ここまでだけで怒って帰っちゃう人もいるから」

「・・・ありがとうございます」

神妙な顔つきのまま、彼は礼を述べた。

これは褒め言葉なのだろうか。

「それで、詳しく説明するとね。まず、初期費用。これはあなたは一切負担しなくて大丈夫。実際負担できるようなものじゃないし、請け負う側に支払わせるものでもないし」

「・・・」

「次に、今の生活。ちょっと失礼だけど、あなたのお歳は?学生さん?」

「・・・19の大学生です」

「あ、意外と私と近いね。うん、大丈夫。これからの体験のために詳しくはちょっと話せないけど、あなたがこれを引き受けて、今の生活に不利益が出ることは絶対にないから安心して」

「・・・本当ですか?」

「ごめんなさいね。詳しく話せないから不安だと思うけど、今は『信じて』ってしか言えない」

「・・・」

彼がカップを持ち上げコーヒーを啜る。

現在と先ほどでは、香りや味に若干の変化があるように感じられた。

人の感覚と精神は密接に関係している証拠だろう。

「・・・何かヤバイことなんですか?」

「法に触れるようなってこと?」

「はい」

「その点は心配ないよ。これであなたが今の社会で不利益を被ることは絶対にないから。ただ・・・」

「ただ?」

「避けては通れない話だし、嘘は言いたくないからはっきりここで言うけど。この体験の中であなたは絶対に苦労っていうものをするはず。それはお金を稼ぐっていうことや、生活をするっていうこと、もしかしたらあなた自身の命に関わることも起きるかもしれない。もう一度言うけど、これであなたがこの社会で不利になることは絶対にないの」

「・・・そんな話を信じてと言われても」

彼の言葉は常識的だ。

だがそれは、彼の中だけの常識だ。

此処に踏み入れてからで、それが揺らぎ始めていることを、彼は無意識の内に感じ取っていた。

「うん、信じられないよね。だから、決めるのはもちろんあなたの決断。そして、付け加えると、仮にあなたがそれを体験したとして、それが今の生活に戻ってきてから、それがそのまま活かせるかと言われたら、必ずしもイエスじゃないの。だけど、その経験はあなたに、あなたが生きてく上で、何かをしたり決めたりする中で絶対にプラスになるって思う。だから直接的な資格や手に職って考えではまったく無意味だけど、人生経験って意味ではどんなことよりも価値があるって私は言い切れると思うの」

「・・・考える時間ってありますか?」

「これも申し訳ないけど、今が最初で最後のチャンス。今ここであなたが断われば、次にあなたがどんなに頼み込んできても、私は別の人にこの事をお願いするってもう決めてるの」

もう一度、彼がコーヒーを含む。

彼がソーサーに置いたカップの中は空になっていた。

「おかわりは?」

「いいです。それで・・・なんで今すぐ決めなきゃならないんですか?」

「時間的な猶予が無い訳じゃないんだけど、それよりも直感と勢いに従って欲しいの。ちょっと私の話をするとね。私が今のこの身体になるまで、結構な時間があったの。それは具体的な行動を始める前から、それを実際にするかどうか迷った時も含めて・・・たぶん3年くらい」

「・・・3年」

「うん。そこまで時間にうるさい訳じゃないけど、やるかどうかの決断だけに3年なんて待てないしね。実際にそこまで掛かるとは思わないけど。今言ったとおり『直感』で決めてほしいの。だって、あなたが此処に来たのも、『直感』でしょ?」

「っ!?」

「違う?」

「・・・いいえ、そうでした」

悔しさを覚えるほど、反論が思い浮かばない。

彼は確かに明確や理由や根拠も無く此処へ足を踏み入れた。

その事実は現実という展開として広がっている。

「もちろん『なぜ』って聞かないけど。やっぱり『問い』も『答え』もないでしょ?だからこの経験をする上での、意味や根拠や理由の『問い』も『答え』もいらない。ただ決めるのはあなた自身だから、決断だけは、『やってみたい?』っていう『問い』に、『イエス』か『ノー』の『答え』だけは出さなきゃいけない」

「『イエス』か『ノー』・・・」

「もちろん理由があっても全然構わないよ。それは社会的な経験を積むっていう立派なものじゃなくて、ただの現実逃避だとしても私は絶対責めないし、そもそもそんな権利なんて無いと思う」

「・・・本当にデメリットはないんですか?」

「この社会ではね。一切の不利益なないよ」

先ほどから耳にする、『この社会では』とはどんな意味だ。

ならば、『ここじゃない社会』が定義するものとは。

違う、今考えるのはそこじゃない。

『イエス』か『ノー』の問題だ。

「・・・やっぱり、おかわり貰えますか?」

「・・・今淹れるね」

彼に宛がわれた、先ほど空になったカップをソーサーごと持ち上げて、男はポットの元へ向かった。

「・・・」

彼の中で、揺れ動いていた。

ただの映画鑑賞とその帰り道が、こんなことに発展するなんて想像もしていなかった。

偶然を疑いたくなる。

だが、この機会は本物だろう。

きっと何かの、テレビ的な企画とは違う匂いを彼は感じていた。

それを決める権利が何故自らに舞い込んできたのかは分からない。

これまでと同様にそれにもまた、『問い』も『答え』も無いだろう。

だが、『イエス』か『ノー』のどちらかを、自らがはっきりと明言しなくてはいけない。

きっと長い経験になるだろう。

もう一度今の生活に戻れるまで何か月、いや何年掛かるかは想像も及ばない。

そんな予感がする。

だが、絶対に掛け替えのないものになるのは間違いないだろう。

この話を蹴れば、この先死ぬまで後悔するほどに。

今の生活、これからの経験。

二つを天秤に掛けるわけではない。

そもそも天秤なんて必要ない。

インスピレーションが、『直感』が、叫んでいる。

これと同じものを言葉にしろ、と。

「はい、おかわり。どうぞ」

「・・・お願いします」

「はい?」

男が、テーブルにカップを置く体勢を保ったまま、彼の顔を覗きこむ。

「お願いします。決めました。やります」

「っ!?ありがとう!」

「ちょ!?ちょっと!?」

彼が膝に置いていた両の拳を、男はそれを掴み大げさに上下へ振る。

その勢いに釣られ、彼は思わず立ち上がってしまった。

「ああ、ごめんね!嬉しいから私も!新しい門出が!ごめんね、もう一度座って」

「は、はい」

彼と男がもう一度向かい合うように座る。

男はジーンズの後ポケットから、メモ帳とペンを取り出した。

その動作で連想し、彼もまたジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。

そこに表示された時刻は、先ほど確認した時から1分たりとも進んでいなかった。

彼は特に驚きもしなった。

始めから、心の何処かでこういう仕組みだとは見抜いていたのだろう。

それに今は驚愕よりも、これからの期待が大きい。

例えどのようなことが起ころうとも。

「まずは出発前に、名前を教えて。下の名前だけでいいよ」

「空です。青空とかの『空』です」

彼は、空はそう答えた。

男はメモ帳の上にペン先を走らす。

おそらくは自らの名前を書き込んだと思われるが、たった一文字で済むその言葉以上にペンを踊らせている所を見るに、それ以外の事柄も書き込んでいるのは確かだ。

「『ソラ』君。良い名前ね。ご両親の愛情を感じる名前。雲一つない青天の下を一羽の隼が飛んでいるような、そんな恰好よさと清々しさ。鈴木さんのペットショップで売ってる方の隼じゃないよ?」

「鈴木さん?」

「男の子なのに知らない?それはそうと、字はS、O、R、Aで合ってるよね?」

「あ、はい。ローマ字読みで書くならそうなりますね」

「じゃあさ、この経験の中では、『ソアー』って名乗っちゃおうか?」

「ソアー?」

「そう。英語でS、O、A、Rって書けば『ソアー』。『舞い上がる』とかの意味なの。それって『ソラ』とも名前の意味が共通するところがあるし。もちろん『ソラ』君自身は自分の本当の名前が『ソラ』だって知ってるし、もちろん『ソアー』として生きてもいいよ。どう?」

「あー、はい。じゃあ戻ってくるまでは『ソアー』で」

「ノってきたね!それじゃあ、『ソラ』君。さっそく出発なんだけど」

「もうですか!?」

「なんとなく、そんな気はしてたでしょ?」

「はい、なんとなく」

『ソラ』が苦笑いを作る。

既に唐突な展開には慣れ始めている自分がそこに居た。

だが、出発したらとりあえずは一息つけるようでありたい。

だが、ここまでの突拍子の無さから鑑みるに、それも難しく思われる。

だが期待が、その源である『直感』が、それでもいいと受け入れている。

「今回、『ソラ』君が経験することに目標とかゴールとは無いの。『ソラ』君が心の底から本当に今の生活に戻ってもいい、あるいは戻りたいと思った時がゴールかな。そしたら、すぐに此処に戻ってこれるの。でも、二度とあっちには戻れない。だから、絶対に悔いは残らないようにして」

これまで眼前の男が見せなかった真剣な視線が、それが心からの助言であるとを表していた。

「はい、このチャンスを絶対に無駄にしません。こんな機会を僕にくれて、本当にありがとうございます」

「それは、こっちも作品のためだから、持ちつ持たれつの関係。ただ、まずは『ソラ』君が楽しむことが一番だから。沢山苦労するかもしれないけど、それも楽しんでほしい」

男が先ほどから見せていた笑顔に戻った。

苦労を楽しめる自信は無いが、それくらいの気持ちで臨めという意味に置き換えておこう。

「最後にもう一つだけ。紹介が遅れたけど、私は天元星子(テンゲン ホシコ)って言うの。もし、あっちでどうしようも無い時に然るべき所で私の、ホシコの名前を出せばもしかしたらどうにかなるかも」

「覚えておきます、ホシコさん」

「でも、まずは楽しむこと。それを忘れなければ大丈夫!」

ホシコが『ソラ』に、右手で作ったピースサインを向ける。

『ソラ』も同じく、右手で同じ形を作った。

お互いに満面の笑み。

その意味は違うかもしれないが、そこに込められた明るさだけは一致している。

「あ、ちなみにこれはあっちの世界だと、右手なら『お前のアソコをハサミでちょんぎってやる』っていう挑発、左手なら『お前って売れても精々銅貨二枚が限界』っていう挑発だから」

「え?」

「じゃあ楽しんできてね、『ソアー』ちゃん」

そんな言葉と、ホシコの笑顔が最後だった。

次の瞬間、ソファーに座っていた『ソラ』の世界が暗転した。

今度目が覚めるときは『ソアー』として。


続く

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