魔王の秘密
100年の眠りから目覚めた魔王は世界に魔物を解き放ち世界を恐怖に陥れました。
それまで互いの勢力争いに夢中だった世界の王達は魔王討伐に同盟を組み、立ち上がります。
魔王誕生から5年、人間と魔王の闘いは平行線のまま、魔物対策のされた土地で私たちはそれなりに暮らしています。
命懸けで魔王と闘っている人には悪いと思うんですが、魔王の存在は人間には必要なんじゃ無いかと思うんです。
だって魔王の存在があるから人間は人間同士の争いをやめて手を取り合い協力しています。
魔物による被害は勿論深刻だけど、隣国と戦争をやっていた頃よりもずっとずっと平和ですもの。
そんな事を口にしたら国を追放され魔王に差し出されてしまいました。
父である国王に。
人間のやることの方がずっとずっと残酷です。
大きな鳥籠のような鉄の檻の中から、ここに飛ばされるまでの経緯を話すと、漆黒の魔王は私に向かって指を弾く仕草をしました。
すると私を囲む檻が塵と消え私は解放されたのです。
「娘、名前はなんと言う」
魔王の声は心地の良い低音で思わず聞き惚れそうになりますが、私はこれでも一国の姫として教育を受けてきた身、粗相はしないと得意の笑顔を振り撒いて頭を下げました。
「ミラフィルール・エナ・コントバールと申します」
ゆったりと礼をして頭を上げると、先程まで正面の玉座に座っていたはずの魔王が消えていました、あれ、と思うと突然隣に現れて驚きます。
すぐ側に立った魔王は赤い瞳で私を見下ろしていて、その端整な顔に笑みを浮かべたと思ったら顎を捕まれ親指で唇を優しく撫でられました。
ゾクリと背中に逆毛立ちます、だけどそれは決して嫌悪からの物ではありません。
「お前は俺の側にいろ」
それはどういう意味でしょう、理解できずに首を傾げると突然体がふわりと浮き、落下を思わせる浮遊感の後、私の体は柔らかい布団に受け止められました。
魔王が私をこの場所に転移させたのだと理解するのに少し時間がかかりました。そしてここが魔王の寝室であると気がつくのは、魔王が現れてからでした。
魔王は上衣を脱ぐとベッドに上って来ます。
どうしていいか解らず、その場に固まる私に手を伸ばした魔王は私の体を押し倒し、首もとに顔を埋めてくると――。
あっと言う間にスヤスヤと寝息をたて始めました。
首もとに魔王の息がかかっていて何だかドキドキします、魔王は両腕で私の体を自分の体に引き寄せ、固定しているので殆ど身動きも取れません。
だけどちゃんと苦しく無いように加減はしてくれているので、このまま我慢することにしました。
初めて男性とベッドを一緒にするときは多少の我慢が必要なのですよ、と行儀教育の婆やの言葉を思い出します。
退屈なので目の前にある柔らかな魔王の黒髪を眺めて居たら、私も眠くなってしまいました。
ゆっくりと浮上する意識。
誰かの手が私の頭を撫でています。
気持ちよくてうっとりしていると、唇に柔らかい感触、驚いて目をさますと魔王の赤い瞳と目が合いました。
じっと見つめられて緊張してしまいます、魔王はしばらく私を眺めた後、私から離れてベッドを出ると上衣を着てそのまま部屋を出ていってしまいました。
残された私はベッドの上に座り込んだまま、どうして良いかわからずそのまま時間を過ごしていると誰かが部屋に入ってくる音が聞こえました。
一様に黒で揃えた使用人服姿の女性達、一見した姿は人間となんら変わりありませんが、羽がついていたり、尻尾がついていたり獣耳がついていたりと、なんだかとても可愛らしい方々です。
「魔王様の名により、ミラフィルール様のお世話をさせていただきます、私が侍女長マリエンと申します」
お辞儀したマリエンの背中では小さなコウモリ羽根がぱたぱたと動いています。
「お世話になります」
こちらも頭を下げて挨拶すれば、侍女の皆さんはニコニコと笑顔でした。
ドレスを脱ぐのを手伝ってもらい、湯あみを済ませると新しいドレスが準備されていました。
さらさらとした素材でできたAラインのスカートは後ろが長く引きずる形に、胸のすぐしたで背中に縫い付けられた幅広のリボンを結ぶ可愛らしいデザインです。
フワフワと広がったデザインのドレスばかりを着せられてきた私にとってなんだか新鮮で、動きやすさには感動すら覚えます。
気分も晴れ晴れした所で食事が準備された部屋に移動しました。大きな長テーブルには二人分の食事があります。
どうやら誰かと一緒にするようです。
先に席に付いて待っていると、窓の方から魔王が現れました。窓から入って来たわけではありません、窓の近くに転移してきたのです。
魔王には扉とか、出入口とか不必要な感じです。
何処かにお出かけしてたんでしょうか、マントのような、コートのような変わったデザインの外套をお召しです。食事するのに邪魔なようでさっさと脱ぎ捨ててますが。
魔王が席に付いて、食事の給仕係が動き出します。人間が食べるのと変わり無い食事が目の前に並べられていくのを眺めていると魔王に声をかけられました。
「そなたの国へ出向いてきた」
どんな返事を返したらよいのか困ってしまいます。魔王は何をしてきたんでしょうか、魔王の仕事は破壊なのだとお父様が言っていたのを思い出して嫌な考えがよぎりました。
そんな不安に気が付いたのか魔王は言葉を続けました。
「誰も傷つけてはない、そなたを受け取ったことを伝えてきたのだ」
「そうでしたか」
ほっとしました、ひどい扱いを受けたとは言え誰かが傷つけられりのはやっぱり辛いです。
それに、魔王が誰かを傷つけたりするのを見たくありません。
なぜ、そんな風に思うのかはわかりません、ただ、彼の瞳がとても優しくて、とても寂しいからかもしれません。
魔王はいつも私の側に居ます。
食事や睡眠は必ず一緒ですし、散歩にも付いてこられます。そして、編み物をする私の隣で、刺繍を楽しむ私の隣でいつも眠っているのです。
「お仕事はよろしいのですか?」
王と言うものは何かと忙しいものだと、父をみて思っていましたが魔王は仕事らしきことをしているのをまず見ません。
私の疑問に、私の膝を枕に目を閉じていた魔王は少しだけ目を開けて私を見上げました。
「仕事はしている」
眠そうな声で言う魔王に首を傾げてしまいます。一体、いつ仕事をしていると言うのでしょうか。でも私が首を突っ込む事では無いのでそれ以上は聞きません、再び編み物を再会した私を確認して、魔王もまた目を閉じました。
そんな緩やかな日々が数週間続いたある日、魔王の居城が慌ただしさに包まれました。
私の居る部屋はお城の最上階なのですが、階下の方でものすごい爆発音が聞こえるのです。
その度にお城が揺れ、音が近付いて来た所で突然魔王がムクリと体を起こしました。
「そろそろか……」
静かに呟いた魔王はメイドの持ってきた外套を着ると私に手を差しのべます。
「少しだけ付き合ってもらえるか?」
何かはわかりませんが、断る理由もないのでその手を取ると魔王は私の腰を抱いて転移を行いました。
そこは私が初めて魔王に会った玉座の間でした。
「すぐ終わるから、俺から離れず側に」
「わかりました」
魔王に腰を抱かれたまま頷いていると、バタバタとした足音と共に数人の人間が部屋に飛び込んできました。
「来たか、勇者共」
一瞬、誰が話したのかと思う低く響く声は魔王の物でした。勇者と喚ばれた若者達はそれぞれに武器を構えて魔王に向かい、その中の一人が声をあげました。
「姫を返してもらうぞ、魔王!!」
その台詞に驚きます。
姫、とは私の事でしょうか。そうなら彼らは私を魔王の元から取り戻しに来たと言うことになります。
だけとなぜ?
私は魔王を崇拝する不純な存在として国から排除されたのに。
私の疑問はそのままに、魔王と勇者のやりとりは続きます。
「人間ごときが我の力に敵うか」
「覚悟!!」
こちらに向かって飛び出してきた勇者達に向かって魔王が何か唱えます。
瞬間、勇者達は光に包まれて姿を消してしまいました。
残ったのは静寂。
「終わった」
魔王はいつもの声でポツリと呟くと、また転移して今度は寝室に移動しました。
そして私を抱いたままベッドに倒れこむとそのままスヤスヤと寝息をたてはじめました。
本当に、よく眠る人ですこと。
少し呆れてしまいますが、こうして寝られると私も身動きが取れないので一緒にお昼寝をすることにしましょう。
いろいろ訪ねるのはその後です。
目を覚ますと、魔王は私の髪で遊んでいました。魔王は私の蜂蜜色の髪がお気に入りのようです。
「おはようございます」
「ああ、今は夜だがな」
それは嫌味でしょうか、こんな時間に目覚めてしまう不規則な生活になる原因は魔王だと思うのですが。
「眠らないのでしたらお話をされませんか?」
珍しく再び寝る気配のない魔王にそんな提案をしてみると、彼は不思議そうに首をかしげた後体を起こしました。
リビンクへ移動するとメイドは呼ばずに私が紅茶を入れました。夜中ではありませんが、遅い時間ではあるので今から給仕係を呼びつけるのは気が引けたのです。
魔王がそれを一口飲むのに合わせて私も口にし、カップを置いてから気になっていたことを口にしました。
「昼間の方々はどうなったのでしょう」
「それぞれの始まりの地へ飛ばした、奴らの勇気が本物なら再び来るだろうが、そしたらまた飛ばすのみ」
「戦われないのですね」
「俺を倒せる勇者は存在しない」
それはどういう意味でしょうか、魔王の存在には必ずそれを倒す力をもつ勇者が現れるもの。
古の魔王達はみんな勇者に倒されて来たのですから。
理解できずにいる私に魔王は再び口を開きます。
「俺を創ったのは人間が女神と呼ぶ神だ」
「え?」
魔王は女神様を脅かす存在では無かったでしょうか、魔王がいると女神様の力が弱まって世界が崩れだすはず、そんな負の存在を女神様が創るはずありません。
「俺は死と破壊の魔王ではない、人間に恐怖の存在としてあるだけの魔王だ」
「よく、わかりませんが」
首を傾げる私に魔王は紅茶を飲み干すとおかわりを要求してきた。私が魔王のカップに紅茶を注いでいると魔王は再び話し出す。
「俺の仕事は人間の唯一の敵になることだ、俺と言う恐怖に人間の攻撃性を向けさせて人間同士の争いを無くさせるのが女神の目的」
「それって……」
まるで私が感じていたことそのままでは無いですか。驚く私に魔王はふわりと笑いました。
それは初めてみる魔王の笑顔で、私の心臓が大きく波打ったのを感じます。
「まさか、俺の存在の意味に気がついてくれる者がいるとは思わなかった」
どんなに孤独だったんでしょう。
闇の心を持たない彼が魔王として、人間を恐怖に狂わす行為をする苦しみを誰が知るのか。
「お辛いですね」
涙が溢れる私の隣に魔王が移動してきて、そっと胸に抱き寄せられました。
「もう、救われた」
なんて、優しい人なんでしょう。魔王と言う名の女神様の化身。
私は彼の側に居たいと強く思います。
それから魔王はいろんな事を教えてくれました。
地上の魔物は魔王の魔力で生まれていること、魔物の生産や魔王城の維持に常に魔力を放出しているからいつも眠いこと、城で働く魔族は本物の魔族だけど、闇は植えられていないので人間に危害を与える性質はもってい心の優しい種族であることなど。
「なんだか人間の方が醜い存在ですね」
正直な感想を言ったら魔王は笑顔で私を抱き締めました。
「所で、どうして私が魔王に囚われ、みたいに思われていたのでしょう?」
「それは俺が一芝居打ってきたからだ、人間が差し出した姫は女神の器で、俺の側にあるかぎり魔王の支配は永遠だと……な」
「随分と大層な嘘を……」
驚きを通りこして呆れてしまいます。そんな話をでっち上げた魔王にも、それを信じたお父様始め人間の皆様にも。
「俺にとっては女神に間違いない」
ふいに落ちてきた口付けを避ける理由はありませんでした。
魔王の温もりを感じながら私は心の中で願います、彼の苦しみが少しでも和らぎますようにと。