女神の花嫁
29歳の初夏、30歳を目前に仲良しグループ最後の独身仲間が花嫁になった。
「次は茉奈花の番だからね」
純白のドレスで誰よりも幸せな笑顔を振りまく友人は、可愛らしいブーケを私に手渡してくる。
「ありがとう」
感動に涙ぐみながらも、内心では悔しくて仕方ない。
20代初めの頃は私にも恋人がいて、一番始めに結婚するのは茉奈花だね、なんて羨ましがられていたのに。その彼と別れてから新しい恋人が出来ない私の周りで友人達が次々結婚。
気がつけば20代も最後で、独身なのも私だけになってしまった。
世の中晩婚化なんだから焦ること無いと自分に言い聞かせるも、虚しいだけ。
二次会で出合いを求める気力も湧かずやけ酒を煽り、負け組のレッテルを背負った帰り道は飲み過ぎた気持ち悪さと寂しさで泣けてきた。
「私の王子様はどこですかぁぁぁ!」
ガード下で電車の通過にあわせて叫ぶと少し気が晴れて、帰って笑える映画でも見ようと再び歩き出した瞬間足元が発光した。
「何っ?」
そのまま光に飲み込まれ、その光が落ち着いて目を開けることのできた私の視界に入ってきたのは、足を組んで椅子に座り肘掛けに立てた腕で頭を支えながら私を見つめる男性の姿だった。
茶色に近い金髪にブルーグレーの瞳、つり目が少し恐い印象だけど顔立ちは綺麗で海外のアイドルにいそうなイケメン、年は私よりも少し年下に見える。
どこかの倉庫みたいな殺風景な空間に椅子を置いてイケメンが座っているという異様な光景を、深く考えずに受け入れられる私は相当酔っぱらっているらしい。
「顔はそれなりだが、悪くはないな」
上から下まで品定めするように私の事を眺めてそんなことを言った後、青年はゆっくりと立ち上がって私の側に来ると突然私の前に膝をついた。
「ようこそ我が国へ、私の花嫁」
なんですと?
何かのドッキリかと辺りを見渡すけれどカメラらしき物はない、見えないように隠されているのか……もしくは現実では酔いつぶれていて、夢でも見ている可能性がある。
ここはこのノリに合わせるべきか、どうするべきか、思考がうまく巡らない私が何も反応しないことに痺れを切らしたのか青年は立ち上がると睨むように私を見下ろした。
「何だ、言葉が通じない訳ではないよな……そなたは私と結婚するか?」
結婚か、人の幸せばかり祝ってないで私もしたいな。
しかもこんなイケメンにプロポーズされてるんだ、何かの企画だろうが夢だろうが、幸せ感じたい!
そこまで思ったら答えは決まっているようなもの、左手に握った花嫁のブーケを胸に青年を見上げた私はニッコリと答えた。
「結婚します、王子様」
酔いに任せて痛い言葉もなんのその、どこかで見ているドッキリ仕掛人、これで満足だろう!
しかし、その後私に訪れた結末はテレビ局や悪のり友人の「ドッキリ大成功!」でも、夢オチの目覚めでもなく、目の前で満足げに微笑んだ青年からの熱い口付けだった。
「おい、いつまで寝ている。起きろ」
「お父さんお願い、あと五分……」
「俺はお前のお父さんじゃないっっ」
オヤジもビックリの雷を落としながら布団をひっぺかされ、驚いて飛び起きた私は、鈍器で殴られたような頭痛に再び布団の上にたおれこむ。
そのまま痛みが収まるのを待っていると背後から盛大な溜め息が聞こえてきた。
「これが本当に女神に選ばれた花嫁なのか、ただの酔っぱらい女じゃないか」
吐き捨てられた言葉に返す言葉もなく、頭痛が引いてゆっくりと衣住まいを只しながら起き上がった私は怪訝に顔を歪めるイケメンと目が合う。
しかし、その顔には全く覚えがない。
もしかして酔っぱらった勢いで、誰かをお持ち帰りしてしまったのかと焦るがどうやらここは自宅でも無いし、お持ち帰りされたのは私の方か……?
「あのう、どちら様でしょう」
本当に記憶が無くて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。失礼を承知で訪ねると青年は予想通り不快を顔に現した。
「駄目だ、この女」
心臓をひと突きにされたような衝撃、今完全に女としての私を否定された。
あまりのショックに固まる私を残し、彼は部屋を出ていってしまった。
「ちょっと顔が良いからって何よ! 私は絶対三平くんと結婚するわ!」
容姿が平凡で収入は平均、性格は平穏な三平くん。私は絶対そんな人と結婚する、決めた、今決めた!
悔し紛れに叫んでやったら少し気が晴れた私は、帰宅しようとベッドを降りる。
ちょっと高級なラブホテルの一室だと思い込んで扉を開けた私は、その先にまっていた世界に目が眩んで倒れそうになった。
「おはようございます、花嫁様」
私が部屋から出てくるのにあわせて挨拶と共に頭を下げるのは小豆色のメイド服を着た六人の女性達。
部屋は広く、天井には大きなシャンデリア。
ソファやテーブル、ダイニングテーブルやチェスト等アンティークらしい高級感漂う家具が整然と並んでいる。
「一体、ここはどこ?」
私の疑問に答えてくれる人は居ない。
それどころか私は突然メイド集団に囲まれ、そのまま部屋の対側の扉へと連れ込まれた。
バスルームらしいその場所で気合いを入れて新調したのにシワになってしまった服を剥ぎ取られ、泡が溢れるバスタブにほおりこまれるとそのまま全身を洗われる。
恥ずかしいとか言う暇もない慌ただしい洗浄が終るとガウンを着せられ、今度は全身のマッサージとフェイスエステ、両手両足のネイルまでしてもらう。
高級エステ張りのサービスに至福の時間を過ごし、全て終った頃には心も体もすっきり癒されていた。
「きっと神様が可愛そうな私にプレゼントをくれたんだ」
勝手にそう理解して大人っぽいダークブルーのロングドレスと高そうな宝石のネックレスにテンションが上がっていると、突然部屋の扉が乱暴に開かれてあのイケメンがズカズカと入ってきた。
私のヘアセットやメイクをしてくれていたメイドさん達が彼の姿に頭を下げて部屋のすみに下がっていく。
一体何だろうと振り向くと、恐い顔で私の前まできたイケメンは私の姿に一瞬驚いた顔をした後、勢いを緩めて足を止めた。
「着替えたのか」
意外に落ち着いた声色だった。
部屋に入ってきた時の勢いで何か怒鳴られるのかと思ったのに。
「はい、こんな素晴らしいお気遣いに感謝します」
態度を見れば彼が主だと言うことは明らかなので丁寧にお礼を口にするれば、イケメンは目を丸くして私を見下ろす。
「見違えたな、いや、今朝が酷すぎただけか」
ブツブツと口にするイケメンに寝起きの腫れぼったくて酒臭い自分の姿を思い出して恥ずかしくなる。
「醜態を晒して申し訳ありませんでした」
「何だ、ちゃんとしてるじゃないか、一時は自分の運命を呪ったが……とにかく良かった!」
なんの話かさっぱりわからないけど、とにかく笑って頷いておけ。
突然機嫌の良くなったイケメンは笑顔で私に手を差し出すと、誘われるままにその手を取った私をダイニングテーブルの方へ導き、いつの間にか食事の準備のされたそこへ促した。
「食事をしながらゆっくり話そう」
本当に、ゆっくりで構わないから全てを説明してくれと笑顔を張り付けて聞き役に徹することを誓った私の正面で、笑いが止まらないといった様子のイケメンは口を開いた。
「まずは名を名乗ろうか、俺はレディクエスト・オム・カザルーク、ここカザルーク第2王子だ」
「レディ……え?」
「エストでいい」
長い名前と発音の難しさに撃沈した私に気を悪くするでもなく、彼は私に愛称で呼ぶことを許してくれた。
それにしても、今王子だって言ったよね。カザルークなんて国あったっけ?
色々引っ掛かることはあるけれど、まずは私も名乗らなきゃ失礼だよね。
「私は茉奈花、橘茉奈花です」
「マナカ……」
私の名前を呟くように繰り返して、エスト王子は続ける。
「マナカは俺の花嫁としてこの国に呼ばれた、お互いの意思成約は昨日完了しているから後は時期を見て式をあげよう」
「は、花嫁ですか?」
「それも忘れたか、自分で了承を口にしたじゃないか」
覚えてないと答えるのは良好な雰囲気に悪い気がするので、酔いで飛んだ記憶を必死に引っ張り出す。
覚えているのは高架橋の下で光に包まれて気がついたらエスト王子がいて、結婚するかと聞かれたから私は――。
「結婚すると答えたかも……」
「俺が求婚し、お前が承諾した。それで女神の導きは完了らしい」
「女神の導きってなんですか?」
「女神が選ばれし者のために生涯の伴侶を導いてくれるのだ、俺は第2王子で王位継承権もある、婚姻を使って良くない事を企む者が多くてな、花嫁探しには苦労していたんだ。地位や権力に惑わされない、俺自信を本気で必要としてくれる花嫁を探していた、そんな俺に女神が導いたのはお前だ」
どうやらファンタジー体験のようです。
こんなことってあるんだね、宝くじ当たるより凄いよ。
それにしても王子様も大変なんだな、と思う。
この美貌の上に権力まで持っていたら寄り付く女性は多いんだろうけど、結婚となると難しいんだね、確かに私なら権力どうこう無関係ですから、その点では王子様の望む相手なのかもしれない。
だけど不思議なのは私がなぜその女神様の導きに、女神様の目に引っ掛かったのか……。
再び記憶をめぐらせて、あっと気が付く。
「私の王子様…………?」
そうだ、叫んだじゃないか。王子様を求めて。
まさかあれが女神様とやらに届いたんだとしたら……。
「女神様もやっつけ仕事だな」
呟きは誰にも届かない。
「で、私は貴方と結婚しなくてはならないのですか」
「そうだ、良いんだろう!?」
お見合いしたと思えば悪くは無い、どうせこれから熱い恋をして……とかは夢見ていなかったし。
「私は構いませんが、そちらこそよろしいのですか?」
何がだ、と首を傾げるエスト王子は可愛いらしい。
「私は多分貴方よりも年上です」
「そんなこと無いだろう、俺は27だからな」
あっ、思ってたより年近い。けどやっぱり年下じゃん。
「私はもうすぐ30歳になります」
しれっ、として暴露し果実のジュースを飲む私の目の前でエスト王子はまさかと言う顔で固まった。
どんだけショック受けてるの、失礼だなぁ。
「どうみても22、3歳じゃないか?」
「それは素晴らしいお褒めの言葉で、光栄です」
私は美容にはかなり時間とお金を使ってきた。独り身女の唯一の楽しみだったから。
無駄に注ぎ込んだエステや日々のアンチエイジングも効果あるんだなぁ、まあ東洋人は若くみられるらしいけど。
さあ、どうするの? とにっこり笑顔で視線を向けた私に、エスト王子はすぐに問題ないと笑った。
「女神が選んだ女性だ、何も異論は無い。たった3歳差じゃないか、それにマナカは美しいぞ」
本当に女神様々かもしれない、男運無しと諦めかけてたのにこの大逆転、私も女神様を崇拝しよう。
こんなイケメン、しかも本物の王子様にこんなに絶賛されただけでもう満足だもの。
「ありがとうございます。では私はエスト様を愛せるように、貴方のことをより良く知る努力をします」
私の言葉にエスト王子はこれまでにないほど綺麗な笑顔を私に向けた。
「あっ、でもいきなり消息不明とか困るんですけど……一度向こうに帰れませんか?」
家族に連絡と職場への説明、借りている部屋も解約しなきゃいけない。
「女神の花嫁は喚ばれた時より三日だけ元の世界との行き来が可能だ、しかしその後は扉は閉じられる」
「三日かぁ」
やらなきゃいけない事を考えるともの凄い忙しい日程。
家族はまぁ良いとして、職場には迷惑かけちゃうな。
「わかりました、早速身辺整理してきます」
食事も終わったし、時間が勿体ないからと席を立った私にエスト王子が手を差し伸べる。
なんだろうと思いながらその手に手を重ねるとそのままエスト王子の腕に絡まされてエスコートされる形になる。
文化の違いにたじろぎつつ、エスト王子に案内されたのは石造りの神殿の中だった。
不思議な模様の彫られた床のある部屋、一基の椅子が置かれただけのその部屋は記憶にある。
「部屋の中央に立って帰りたいと願え、三日後の昨夜の時間になれば自動的にこの場所に呼び戻される」
「わかりました」
エスト王子の腕を離れて部屋に入ると足跡に合わせて床が発光する。
なにこれ、面白い。と遊びたくなるのを抑えて部屋の中心をめざしているとエスト王子に呼ばれて振り返る。
「マナカ、戻る時を楽しみにしている」
小さく頷いて手を降っていると床が強い光を放つ。
――帰ろう。
目を閉じて、再び開いた時にはそこにエスト王子の姿はなく、私は自分のアパートの部屋にいた。
日常の光景に夢だったのかと疑いそうになる、でも現実なのだと私の身につけるドレスや宝石が言っている。
「まずは会社行こう」
高価な装飾品を丁寧に外し、着替えて外に出ると急な退職をどう説明しようかと考えながら歩き出した。
2日で会社と自宅を片付け、沢山の荷物とともに実家へ戻ったのはみっかめの昼過ぎだった。
急に戻った私に家族は驚き、さらに異世界の王子と結婚すると話す私は本気で病院に連れ込まれそうになる。
「深夜に私は消えるから、消えたら私の言葉を信じて祝福してね」
皆で夕食を食べて、手荷物を纏めながら話す私に家族は皆呆れてる。まぁ、こんな話を信じろと言う方が無理だから仕方ないけど。
「そろそろ時間だ」
時計を見ながら立ち上がると足元が発光しだす。それを見て驚いて立ち上がったのは母だ。
「茉奈花!?」
「じゃーね、玉の輿娘を忘れないでね~」
ヒラヒラと手を振ってお別れを言う私に慌てて手を伸ばす母の顔が驚きに固まる。
なんだろうとその視線を追ってぎょっとした。
「エスト王子!」
彼は私に向かって小さく頷くと、私の腰に手を回してから深々と私の家族に向かって頭を下げた。
誰もが光る王子にくぎ付け。
「彼が結婚相手」
私の言葉にミーハーな妹が黄色い悲鳴をあげ、母もうっとりとエスト王子を見上げる。
ガタリと音を立てて椅子から立ち上がった父は何ともいえない表情で私たちを見つめる。
「みんな元気でね」
最後に別れを告げると光がいっそう強くなり、私はまたあの石の部屋にいた。
なんだか胸にぽっかりと穴が空いた感じ。
どんな感情をもったら良いかわからない私は頭の上から落ちてきた声に視線を上げた。
「寂しいか?」
「そりゃ、少しは……」
ぎこちない笑顔にエスト王子は少し眉を下げ、そしてそっと私に口付けを落とした。
「大きなものを棄てさせた事を許して欲しい、からなずマナカを幸せにすると誓う」
真摯な視線に思わず胸がときめいた。
同時にいろんな感情が溢れだした私をエスト王子は優しく抱き締めてくれて、その温もりを一身に感じた。
その後、私はエスト王子の婚約者として公表され、慣れない世界での生活に戸惑いながらも王子への気持ちを大切に育てていった。
女神様の気まぐれで手に入れた幸せは、仲良しの誰にも自慢することはできなかったけれど、誰にも負けない幸せ者になった自信がある。
たまには欲しいものを思いっきり口にして叫んでみるのも良いかもしれない。
アラサートリップは淡々と事が済む、かも。