103 少年と少女たちと。勉強会
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少年と少女たちと。勉強会
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トイレで念入りに手を洗い、制服の袖をずぶ濡れにした俺は第2カウンセラー室に戻った。
部屋にいるのは八束先輩と高倉さん。高倉さんは先輩に遠慮してかソファから離れパイプ椅子に座っている。2人は知り合いのようだがどんな関係だろう?
俺も彼女に倣い椅子に座って2人と向き合った。最初に口を開いたのは先輩だ。
「2人はクラスメイトだから紹介し合う必要はないな。ではチィ。まず私と後輩の関係を説明しよう」「もう聞いたよ。山戸君はカウンセリング部の後輩なんだよね」
間髪答える高倉さん。先輩相手にも物怖じしない。普段からはきはきした人だ。
それで何故か憮然とする先輩。
「……つまらん」
「なんで俺を睨むんですか」
おそらく先輩は、高倉さんに俺のことを面白おかしく説明してからかう気だったのだろう。ここは高倉さんのファインプレー。
まあ、それで懲りないのが先輩たる所以なんだが。
矛先が向くのは高倉さん。
「まあいい。なら後輩。私とチィの関係だが、チィはな、私が小学生の時の同……」
「小学校が同じで仲が良かったんだよ。ね。八束先輩」
「……そうだな」
今度の高倉さんは先輩が話しきる前に言葉を被せて来た。やはり憮然とする先輩。
(あれ? もしかして高倉さん、先手を取って先輩の軽口を抑え込んだ?)
見るとにこにこと先輩に笑顔を向ける高倉さん。ただならぬ2人の雰囲気。
睨みあってる? 嘘だ。しんじらんねぇ。
学園の誇る7不思議筆頭、妖怪サトリ。そんな八束先輩相手になんて恐れ多い。それでいて高倉さんすげぇ。
俺はこの時、高倉さんに憧れ以上に尊敬の念を抱いた。
しかも2人の睨みあい(?)は、先輩の方が先に折れたようなのだ。溜息を漏らす先輩。
「チィ。『カナちゃん』でいいよ。学校では5年ぶりとはいえ親友に変わりないのだから」
「えっ。でも」
ん? 高倉さんがこっちをチラッと見てる。気まずそうに。何だ?
先輩はそれだけで高倉さんのことを察したようだ。
「後輩の手前気になる、か。構わないよ。こいつは空気と思えばいい」
なんだ。それは。
でもって先輩は俺を空気扱いせずに話を振る。相変わらず適当な人だ。
「さて後輩。今日の活動のことだが」
あ。
「俺のことはいいですよ。高倉さんの用事を優先して下さい」
「山戸君?」
高倉さんが先輩に相談に来たのは本人から聞いている。
本当は先輩に勉強は見てもらいたいというのが本音だけど、ここは高倉さんの好感度を上げる為に紳士的なアピールを……
「そうか。じゃあ出て行け。邪魔だ」
「……え?」
ばっさり切り捨てられた。
そのつもりではあったが直に言われると結構キツイ。
そんな俺も先輩はお見通し。
「ほら。また顔に出てるぞ。俺はまだ先輩と一緒にいたいですって」
「なっ!? 違っ」
「冗談だよ」
先輩の目は雄弁に語っている。「一緒にいたいのは私じゃなくてチィだろ?」と。
くそっ。俺の想いなんて、この妖怪サトリ相手には筒抜けなのか?
「ぐっ……」
「いてもいいぞ。チィの秘密なんて大したことじゃない」
「カナちゃん!?」
今日何度目かわからないが慌てる高倉さん。先輩に何か言われたら誰でも大抵そうなるのだが。
しかし。
「秘密?」
「いや、そのっ」
……気になる。まあ、俺も人には言えない秘密があるのだが。
まさか高倉さんも俺と同じ超能力者だったりして。
「チィ。実は後輩もチィと同じ用件でここに来ている」
「「えっ?」」
「だから一緒に面倒を見ようと思ってな」
先輩の発言に俺と高倉さんの声が重なった。顔も見合わせてしまった。
同じ? 一緒に面倒?
それこそ俺が先輩の面倒になってるのは超能力の訓練くらいなのだが。
まさか本当に高倉さんは……
「じゃあ、はじめるぞ」
先輩は言ったのだ。高倉さんが隠していた秘密を。
俺はこの日。なんとも悔しいが、先輩のおかげでクラスメイトとして以外何の接点のなかった高倉さんと、しばらく放課後を一緒になる機会を得るのだった。
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話は続いて次の日。
俺の通う学園は午後のショートホームルーム(SHR)が終わったあとにグループ毎に割り振られた掃除があって、そのあとで生徒たちはそのまま解散。放課後となる。
SHR後。律儀で礼儀正しい高倉さんは、教室を出る前にわざわざ俺の席まで来て挨拶に来てくれた。
「それじゃあ山戸君。またあとで」
「ああ。また」
普通に話しかけてもらえるぅ。
いつも通りクールに振舞えてるだろうか? 中身は感激で悶えている俺だが。
まあ。そんな俺を訝しむ奴は当然いるわけで。
「おい覚。今のは……何だ?」
話しかけてきたのは隣の席に座る松田。最初の席替え以来(このクラスは1学期に1回席替えをするらしい)の友人である。
それはともかく。周囲の男子がざわついている。原因はやっぱり高倉さんだな。
俺は仕方なく松田に応じた。
「……なんだよ」
「だってあの千紗ちゃんがわざわざお前の席まで来て『またあとで(はーと)』って。……またぁ?」
「(はーと)はなかっただろ?」
「だってよぉ。お前と千紗ちゃんは今まで何の接点もなかっのに、なんでいきなり……」
そりゃあ。あると尚よかったけどさ。(はーと)は。
ここは正直に言っておこう。
悲しいが今の俺と高倉さんの関係はやっぱりクラスメイトで変わらない。
「あれだよ。カウンセリング部」
「……え?」
「高倉さん。今八束先輩に相談事してるんだよ」
先輩の名を出すと松田は「ああ……」と妙に納得した。周囲の男子どもも静まりかえり大人しくなる。
思ったよ。さすがは妖怪。名前だけでも魔除け効果は抜群か。
悪戯で俺は、学園をバックに暗躍する先輩のイメージを松田に送って見る。
……青褪めやがった。
「大丈夫か?」
「あ、ああ。……そうだよなぁ。ザンメンなお前なんて、千紗ちゃんにとってただのおまけだよな」
……松田。しれっとお前を(いつも)いたぶる俺も悪かったがそれ言うなよ。
俺も自分のことをカッコイイとは言わないが、残念とはなんだ?
もう話はやめだ。といっても俺はこいつと同じ掃除グループか。
「いいから掃除行くぞ。今日の俺達はどこだ?」
「1年のトイレ」
「……あそこか」
昨日「服の袖についた猫の毛は簡単に洗い流せない」と俺が学んだ場所だった。
ところで。
このあと俺は真面目にトイレ掃除に向かうのだが。
俺は高倉さんとのやりとりからずっと、遠くから俺を見ていたクラスメイトに気付いていなかった。
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放課後。
今は中間試験前なので部活動はどこも禁止されているが、俺は変わらず今日も第2カウンセラー室に向かう。
本日の活動は昨日に続いて試験勉強。実は高倉さんの秘密はこれだった。
クラスメイトである俺は全く気付かなかったのだが、高倉さんが相当に勉強ができないらしい。入学前からずっと先輩が彼女の勉強を見ていたという。
先輩は俺にも高倉さんの勉強を手伝えとのこと。中学時代の3年間を通じて成績が中の下だった俺を先輩が頼るなんて信じられないので、きっと新手の訓練(いぢめor遊び)なのだろうと思う。
望むところだ。
秘密を暴露されて恥ずかしがっていた高倉さんとか、他にも俺の知らない高倉さんが間近で見れるのなら、俺はこの試練を乗り切って見せる。
それで。
1つのテーブルに教科書とノートを並べ、横に並ぶようにして座る俺と高倉さん。先輩は監督よろしく俺達の前に立っている。
テーブルは長机じゃなくて小さな四角いやつ。横に並んで使うと狭くてお互いの肩が触れ合ってしまう。
「先輩……」
「どうした?」
「昨日も思ったけど、これって向き合って座った方がスペースとれませんか?」
一応抗議してみる。好きな子とこの距離間は正直小っ恥ずかしい。思わず俺の恥ずかしい思考を高倉さんに漏らしてしまいそうでドキドキものである。
「私が教え辛い」
「……そうですか」
教えを請う側としては反論の余地はなかった。これがまた先輩の教え方が巧いのだ。
これだと先輩がその洞察力で各教科の先生から割り出したという、試験の傾向と予想問題も大いに期待できる。持つべきものは先輩と思った瞬間。
高倉さんもそれがわかってか大人しくしている。それにしても。
昨日も思ったのだが、高倉さんは今の状況(クラスメイトの男子と肩身を寄せ合いお勉強)をどう思ってるのだろう? 俺は先輩みたいに鋭くないのでよくわからない。
何よりこうも近くては様子を探ろうにも迂闊に高倉さん横顔が見れない。見てるのを気付かれたら非常に気まずい。
遠くから眺めている時はもっと近くでと思ったものだが。贅沢な悩みかもしれない。
いかん。集中だ。集中!
高倉さんと触れ合う肩の神経が過敏になっているのがわかる。俺はずっと緊張していた。
彼女が身動きする度に揺れるふんわりとした長い髪が俺の体に触れ、妙に刺激するのだ。これが俺にとって多いに危険だった。
俺のサトラレる力は相手に接触するとより伝わりやすくなる。触れ合う面積が大きいと余計に。
こうなるとどれだけ制御しても俺の思考はなんとなくサトラレるわけで、「高倉さんのか、髪が……」と俺が思えば……
「あ。ごめんね」
急に高倉さんは思い出したかのように腕に嵌めたシュシュを手に取り、自分の髪を纏め上げた。
「邪魔になってたよね? これで大丈夫?」
「あ、ああ……」
今の高倉さんの行動は俺の思考が気になって誘導されたようなものだ。しかし。
こ、こんな、至近距離でっ!
それなんだ。俺の――大好物は!!
高倉さんの髪をシュシュで纏めるその仕草に、心の中で感涙に咽ぶ俺。
余談だが俺の知る限り《ポニーテール党》は派閥がある。
大半の者は《ふりほどいて派》(理由:スポーティーな娘が髪を解くとぐっと女らしくなる等)だと思うが、俺は《その場でまとめて派》なのである。
何故なら、女の子が髪で隠れた首筋を自分の手で無防備に晒すなんて(*以下自粛)
「……」
「? 山戸君?」
不審な俺に対し首を傾げる高倉さん。どうやらここまで動揺してもまだサトレラれていないらしい。先輩の特訓効果だな。
でも。……もういい。死のう。
悶死だ。
抑えきれそうにない。俺は今すぐにでも思考を漏らし、高倉さんに俺の嗜好がバレて、嫌われるだろう。
だから死のう。悔いはない。
むしろ俺の気持ち、全部サトラレてしまえ。玉砕だ。
俺が自殺(恋愛的に)で力を解放しようとしたその時。
「いい加減はじめるぞ」
先輩の鋭い一声が俺を救った。
きっと俺が制御を諦めたのを察したのだろう。先輩の鋭い洞察力は俺がサトラせるよりも早く俺の思考を読むことができるのだから。
ああ。先輩の蔑む視線が痛い。「修行不足だ」「馬鹿め。サトラレルぞ」といったところか。
あとで聞いたところ、実際は「チィで悶死することは私が許さん」だったが。
どこまで俺の考えを読んだというのか。ほんと彼女の洞察力は妖怪並である。
「今日は数学をやるぞ。チィが1番な苦手なやつだな」
「カナちゃんっ!」
先輩はおそらく注意を惹こうとして話を高倉さんに振った。また先輩に暴露されて高倉さんは恥ずかしがる。
ああ。昨日から何度も見てるけどかわいいなぁ……
そんな腑抜けな俺を先輩が放置するわけがなくて。
「後輩。とりあえずお前は部屋の隅で素数でも数えてろ。……わかってるな?」
「……ハイ」
漏れ出そうとする煩悩を密閉処分する為、部屋の隅で正座である。
先輩がマンマークで高倉さんに数学を教えている間、俺は黙々と心の中で数を数えていた。
2、3、5、7、……
59、61、71、……
113、119、127
「……後輩。119は素数ではない」
……あれ?
「えっ? そうなの、カナちゃん」
「7の倍数だ」
修行が足りんと先輩。
俺の力を知る先輩はともかく、集中しすぎても思考を漏らす俺は高倉さんからもブツブツ呟いているように思われたようだ。
「漏らすな。やり直しだ」
「……ハイ」
素数はまた2からやり直しだ。
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