102 少年と少女と。あと先輩
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少年と少女と。あと先輩
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15階建ての校舎。その5階から7階までのフロアが生徒の教室になる。
5階は1年生の教室だ。そのフロアの隅には資料室だった小さな部屋があった。
手製のルームプレートには『第2カウンセラー室』とある。
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放課後。猫との交渉を終えた俺は、今日も第2カウンセラー室に足を運んだ。
ストレスの多い今の時代。学園生活の中で生じた精神的な悩みの相談に応じるための窓口としてカウンセリング室を設けている学校は少なくはない。うちの学園にもある。
ただし。この第2カウンセラー室は少々特殊な活動を行う『部室』だった。ここは生徒による『お悩み相談室』なのだ。
どうやってこの『カウンセリング部』の設立を学園に認めさせたのか定かではないが、初代部長である八束先輩は恐ろしい存在なのだ、とだけは言っておく。
カウンセリング室ではなくカウンセラー室。つまり八束先輩の部屋という側面もあったりする。
加えて俺は大変ざんね……名誉なことに、八束先輩に攫われて入学早々ここの2人目の部員である。
俺は『第2カウンセラー室』の扉の前で1度立ち止まる。
「お悩み相談室。そう言ってもなぁ」
思い出すのは昨日のこと。
俺は先輩から今後のカウンセリング部の活動について話を聞いていた。
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「いいか後輩。もうすぐ中間試験だ。試験前のこの時期になると私達は一層暇になる。なので我々もここでしばらく試験勉強をする。活動は開店休業だ」
「この私自ら手ほどきしても構わんぞ。手取り足取りな」
「これで君も中の下から脱出だ。はっはっはっ」
なにが面白いのか、先輩は不敵に笑っていた。
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回想おわり。……中の下は余計だ。
「開店休業って、ここ2ヵ月まともな活動してなかったじゃないか」
俺は放課後の大半をこの部屋で八束先輩と超能力の制御訓練をしている。そういう意味じゃ俺は先輩に相談に乗ってもらってるわけで、まったく活動してないわけじゃないんだけど。
訓練とはいってもその大半が先輩の仕掛けるドッキリと逆セクハラで俺を動揺させ、思考が漏れたかどうかを試すといったものなのだ。レポートという名目でその時その時の俺の心の内を聴取して記録するなんてイジメじゃないかと思う。
もちろん先輩の指導の下、実用的な超能力の訓練もしている。それがまた俺にとって成果があるのだから始末に負えない。
「でも。先輩が勉強を見てくれるというのはありがたい」
片や学年主席の(表向き)優等生。片や高校にあがって初めての定期試験で、中学時代は中の下の成績だった凡人(超能力者)なのだ。
「問題の傾向とかちゃんと教えてくれるといいけど。……行くか」
失礼します。そう言って俺は中の了承も確認もせずに扉を開けた。
部屋の中にあるのは、隅に積まれた段ボール箱に備え付けで元からあったスチール製の本棚。テーブルと事務用のデスク、2人掛けのソファが1つずつ。
ホワイトボードもある。ソファとデスクはもっぱら先輩専用だ。
時間は4時と少し。いつもの時間だ。先輩専用のソファに座り、俺を迎えてくれたのは勿論――
「あ。もう遅かったねカナちゃん」
「――!!?」
「って、……あれ? もしかして」
俺は、彼女を見て驚愕した自分がわかった。硬直する自分がわかった。きっと赤面さえしている。
思わず飛び上がりそうになった。彼女も俺の登場が意外だったのかきょとんとしている。
「山戸……君?」
俺さえ座ったことない先輩のソファに座っていたのは、俺のクラスメイトである高倉千紗さん。
何故、彼女がここに?
俺は閉めた扉まで後退し、学生カバンを担いでいない方の手で破裂しそうに高鳴る心臓を抑える。
(……わ、罠だ。これは絶対、先輩の仕掛けた罠だ!)
そうとしか思えない。だとしたら最高最悪のドッキリだ。
漏れるな、漏らすな。俺はひたすらに念じる。
(高倉さんに俺の気持ちを、俺の力を、絶対にサトラレるな!!)
何を隠そう。彼女こそが俺の想い人である。
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高倉千紗。俺と同じ学園の1年生。1年4組。幸運にもクラスメイトだ。
ふんわりした長い髪。やわらかで親しみやすい笑顔と、時折見せる同い年とは思えない大人びた表情。
性格はちょっと控えめだけど、受け答えははっきりしていて礼儀正しい。加えて可憐な容姿となれば男子の人気はウナギ登り。入学して1月足らずで学園のアイドルの1人に仲間入りした。1年生の中じゃナンバーワンじゃないかと俺は思う。
彼女のトレードマークはブレスレットにしたシュシュ。沢山持っているらしく日替わりでころころと変えている。体育や掃除の時に高倉さんはそのシュシュで長い髪を纏め上げてポニーテールにするんだけど、その時の仕草がなんといっても……
俺の大好物だ。(どーん)
だけど何より高倉さんはあの子に似ている。テレビ(向こう)の世界のあの子。
いつの間にかいなくなってしまった、俺が誰よりも気持ちを伝えたくて、伝えることができなかったあの子に。
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「山戸君?」
呼びかけられてはっとするサトル。
カナミの訓練の甲斐あってサトルは、多少の動揺では思考を漏らさない。彼は緊張するほどサトラレにくくなる。
サトルは動悸を抑え、表面上はいつものクールな『山戸覚』を演じはじめた。
「バレるな」「サトラレるな」と何度も念じながら。
「……あ、ああ。高倉さんか。驚いたよ。どうしてこんなところに?」
「うん。ちょっとカナ……八束先輩に相談があって。山戸君こそどうしたの?」
「いや、まあ……」
サトルはちょっと逡巡する。でも結局正直に話をした。
「俺、カウンセリング部なんだ。ここの部員」
「えっ? ……ええーーっ!?」
酷く驚く千紗。
「それって。じゃあカナちゃんが言ってた後輩さんは山戸君……」
「カナちゃん?」
「な、なんでもない」
誤魔化す千紗に首を傾げるサトル。
千紗は少し前にカナミと話をした時のこと思い出す。
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「実はなチィ。とうとう私にも学園に後輩なるものができたのだ。勿論お前じゃない」
「後輩? それって例の部活の?」
「そうだ。これが実にザンメン(残念なイケメン)でとてもからかい甲斐のある、面白いおもちゃなのだ」
「ザンメン……それにおもちゃって」
「チィにはやらんぞ」
いらないから後輩さんは大事にしないと駄目だよ。とカナミに言い聞かせる千紗。
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回想おわり。カナミに後輩がいるという話を思い出した千紗は、思わずぼそっと呟いた。
「ザンメンなおもちゃ」
「……は?」
「あっ」
流石に失礼だと思ったのだろう。一人言を聞かれて「なんでもない。なんでもないよ」と千紗は再び誤魔化す。
それで千紗の慌てる仕草があまりにも可愛らしくてサトルは轟沈。彼は簡単に誤魔化された。
自分のことで精一杯のサトル。
(……落ちつけ。思考を漏らさないように気をつけるんだ。畜生、先輩はどこだ?)
一方で千紗はサトルを見ていた。
内心はともかく、表面のサトルは千紗が教室で見かけるいつもの『山戸覚』だ。
サトルの髪と顔立ちは『そこそこ』。でも背が高くすらりとした体型とクラスメイトと一線を引いたクールな雰囲気が魅力だと、実はサトル、同級生の女子に密かな人気がある。
もちろんそのクールといわれるサトルの態度は、うっかりして思考がサトラレないよう周囲を警戒しているせいなのだが。問題はそんな『山戸覚』に千紗がまったく興味がないことだった。
(山戸君って、カナちゃんが言ってた後輩さんとはかけ離れてるけどなぁ)
そこまで考えてふと、千紗は今日ゴミ捨て場で見たサトルを思い出す。
「ウフフ」「にゃはは」と黒猫の前足をとって楽しそうにおしゃべりするサトル。*千紗のイメージ
(ああ。山戸君も普段と本当は違うのかも)
千紗は思い出し笑いでくすくすと笑った。
(わたしも人の演技を見る目落ちたなぁ)
戻ってサトル。彼は今、こっそりと幸せを噛み締めている。千紗が自分の目の前で笑っているから。
(こんな近くで……いったい、今日は何のご褒美だ?)
(贅沢を言うのなら高倉さんにはこう、淑やかにじゃなくて『あの子』みたいに満面の笑みで笑って欲しいけど)
サトルはついそんなことを思ってしまうのだが。
千紗はどこからとなく呟きのようなものを聞き取った。
「……? ご褒美?」
「――!!?」
(いいいいいいぃ!!?)
少しだけ、サトルの思考が外に漏れた。サトルは慌てて取り繕う。
「い、いやそれよりも。高倉さんって八束先輩に用があるんだよね」
「え? う、うん」
「相談事ってもしかしてカウンセリングなの?」
(学園のアイドルだもんなぁ。やっぱり俺には想像もつかないような悩み事が……)
(……いや。だからと言ってあの先輩に相談、って大丈夫か?)
カナミのやるカウンセリング部としての活動に不安と興味を覚えるサトル。
「実は先輩が相談を受けるとこ1度も見たことないんだ。どんなことするんだろ?」
ところが。
「えっ? えと、そのう」
「高倉さん?」
歯切れの悪い返事。それから黙り込む千紗。
言いにくいことなのか? そう思ったサトルだが、それでもう1つの可能性に気付いた。
(まさか……)
「高倉さん。もしかして脅されてない? 先輩に」
「……えっ?」
千紗は意外なことを言われたのか目をぱちくり。
「だってあの八束先輩、学園の7不思議に君臨する《大妖怪サトリ》なんだよ」
「山戸君?」
「あの人を前に隠し事なんて出来るわけないじゃないか!」
サトルの叫びは千紗を想うこと半分、もう半分は私情が入っていた。
脅迫されてる。そうにちがいない。サトルは千紗に同情したのだ。
むしろカナミのことで千紗と共感できるかも、とサトルはつい嬉しくなってしまった。
「わかる。高倉さんのこと、よくわかるから。やっぱり怖いし怖いよね、あの人」
「え? えーと」
「困ったことがあったら何でも言って。同じ先輩に脅迫される者の同士、力を合わせれば先輩だって」
思わず感情的になるサトル。大胆にも千紗に迫りサトルが彼女の手を取ろうとしたその時。
「何をしている? 後輩」
「――!!?」
ギギギ。ぎこちなくサトルの首が回る。
いつからいたのだろう。扉の前に佇んでいるのは、カウンセリング部の部長にしてサトルの先輩である八束香那美その人。
サトルに迫られていた千紗は、カナミが現れたことにほっとする。
「カナちゃん」
「後輩。その手でチィに触るなよ。私が許さん」
(チィ、って誰!? もしかして高倉さん!?)
センパイナニソレウラヤマシイ……。
千紗がいる手前、サトルは辛うじて思考が漏れるのを抑え込む。カナミには筒抜けだったが。
険呑な目つきのカナミ。サトルは以前から『美人が凄むと怖い』というのを彼女から教わっている。
カナミに「触るな」と言われたサトルは瞬時に冷静さを取り戻した。
だけどサトルは有無を言わせないカナミの態度に彼は反論せずにはいられなかった。
「先輩、なんで」
「猫。しかも黒猫か」
「なっ!? なんでそれを」
(あの猫約束破ったのか? まさか、先輩のふとももを妄想していたことまでバレてる!?)
ありえない。いくら洞察力が優れているとはいえカナミは超能力者ではない。この時のカナミはあの黒猫に会っていないしサトルが妄想したことにも気付いていない。
それでも彼女は今のサトルを見てわかることがある。カナミは言った。
「推理だよ。私は後輩がゴミを捨てに行くところを見た。そしてあのゴミ捨て場は野良猫が多い」
カナミはビシッとサトルの制服の袖を指差す。
「後輩。自分の腕を見ろ。猫の毛がたくさんついてるぞ」
「あっ!」
「野良猫と戯れるのは別にいい。だがその後手はちゃんと洗ったのか?」
「……」
そんなのは勿論、サトルが袖の猫の毛に気付いていない時点でカナミはわかっている。
「洗ってこい。今すぐだ」
「は、はい!」
慌ててサトルは部屋を飛び出した。カナミの前ではクールな『山戸覚』を繕うこともできなかった。
「まったく。そういうところがザンメンなんだよ」
「ふふっ。相変わらず鋭いね。カナちゃんは」
「ああ。遅くなって悪かったな。掃除前のホームルームが長引いたんだ」
カナミと千紗。親友である2人の雰囲気は決して先輩と後輩といった感じではない。
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一方その頃。5階の男子トイレ。
「あー。何やってんだよ、俺」
手洗い場で袖についた猫の毛を相手に格闘し続けるサトル。
水に濡らせば猫の毛は余計に張り付くことを彼は知らない。
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