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02・・・使者への詰問


 コポコポと沸騰したお湯をポットに注ぎ入れれば、紅茶の芳醇な香りが室内に漂い始める。


「どうぞ」


 カチャリと陶器の音を響かせて、おとなしく席に着いている少年の前のテーブルにカップを置いてやる。エルゼ自身も自分の分の紅茶を入れ、むかいの椅子に座った。


「あたしの名前はエルゼ・イステル。この街の本屋の手伝いをしてるの。今はここで一人暮らし。……あなたの名前は?」


 あの後、追っ手を振り切ったエルゼ達は街はずれにあるエルゼの住み家になんとか無傷でたどり着いていた。

 街の者に事情を説明している暇がないと感じたエルゼは街の外周を回って家に入っていた。少々遠回りになったが、そのおかげで街の者にも見られていないはず。だから、この家にエルゼが帰ってきているとは思わないだろうし、街の者が見ていないと言えば追っ手も諦めて他を探しに行くだろう。街はずれに建っていて、買い物などの面で普段は不便だと思っていたこの家で、初めてよかったと感じた。

 少年に疲労の色が濃いことと、何より巻き込まれたのだから、事情を聞いておかないことには平穏な生活が戻らないと感じたエルゼは、そのままどこかへ立ち去ろうとした少年を半ば無理やり家に招き入れ、今に至る。


「あの、名前と事情を聞かせてもらえるかしら?」


 しばらく待ってみたものの、たまに挙動不審に視線を彷徨わせるのみで、入れた紅茶に手もつけずうつむく少年に話を切り出す。すると少年は思いがけず真剣な表情をエルゼに向けた。


「シードラはマティアス公の館がある街だよな?領主の、マティアス公の館へ連れて行ってくれ。どうしても、すぐに公爵に渡さなきゃならない物があるんだ」

「渡さなきゃならないもの?ええと、それはあたしが話してほしいって言った内容と関係がある、のよね?」


 誤魔化されまいと首をかしげながら聞くと、少年は目を泳がせつつためらいがちに頷いた。


「じゃあ、話してもらえる?」

「…できたら、何も聞かないで協力してもらいたいんだけど。それが無理ならそのまま俺のことは忘れて、なかったことにした方があなたのためだ」


 その返答にエルゼの眉間に思わずしわが寄る。今さらだと思う不愉快な気持ちがそのまま声に表れないように紅茶を一口含んだ。


「へえ。…あたしのため…ね」


 聞き返す声が低くなるのは、いつも心を落ち着かせてくれるお気に入りの紅茶葉の香りにも抑えられなかった。


「確かにここの領主様は民との距離が近くていらっしゃるわ。あたしも頼まれていた本を届けに行ったことがあるから、お願いすれば直接お会いできるかもしれない。けどね、あなたがどこのだれかも分らないのに、いきなり連れて行って紹介できないわよ。協力してほしいなら、まず名前を名乗ることね。あたしはさっき出会ったばかりの全くの他人で、しかも命を狙われてるようなある意味危ない人間に、力を貸すほどお人好しじゃないもの」


 そもそも助けてもらっておいて、自己紹介もせずに自分の望みだけを口にするなんて非常識だと思わないのかと、あえて冷たい言葉を選ぶ。年齢が見た目通りかは知らないが、少年くらいの年頃なら、そういう言葉で誘いをかけて促した方が効き目があることは経験上知っていた。案の定、少し慌てたようにこちらの様子をうかがってくる少年に、エルゼは緩みかける頬を引き締め、心の中とは裏腹の、普段はしない冷やかな表情に徹する。


「それに自分に向けて矢を放たれるなんて貴重な経験、忘れられるわけがないでしょう。後からあたしを巻き込んだことを後悔するくらいなら、はじめからルスフォンに乗るんじゃないわよ」


 皮肉を交えて非難を加える。その後はひたすら無言の空間だけが残った。


「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」


 やがてその表情と無言の圧力に根負けしたのは少年の方だった。


「…名前を答えればいいのか?」

「とりあえずは、そうね」


 大きく息を吐きながら話す少年にも表情を変えないまま、エルゼはそっけなく短く答える。多少答える気になってくれたならば、ここからは些細なことでも、どれだけの情報を拾えるかの勝負だ。


「名前は…ウィリアム」

「それで?」

「本当に聞く気か?」

「もちろんよ」


 その確認の後の即答に、本気で観念したらしい少年―ウィリアムは今度こそ呟くように語り出す。


「……公爵に会いたい理由は…父から手紙を預かっているから…。その…庶民のあなたには分らないような、でも、国にとってはとっても重要な内容の手紙で…。はじめは兄と一緒に旅をしてきたんだけど…あいつ等が急に妨害してきて、途中ではぐれた…」


 ぽつぽつと語りだしたウィリアムの言葉にエルゼの目が眇められてゆく。こういった手紙や書状を持った輩はこの街によく来るからだ。

 このシードラの街を含めたこの辺り一帯の広大な領地を治めるマティアス・シュテルン公爵は前王妃の従弟にあたる。前国王の代からその政治手腕でもって国を支え、現国王にも重宝されている。

 そのため、公爵に取り入り味方につけようと、国の大事などと言ってくだらない嘆願書や意見書をよこしてくる貴族も多い。お家騒動の仲裁をしてくれと街に転がり込んでくる奴も多く、街に住まう民が被害を被ることもあった。もっともそんな民のことも考えない貴族には、それこそ公爵から王に直に嘆願書が行き、それなりの罰が下っている。国のための本物の書簡などなかなか来ないと公爵が零していたと、やはり公爵に長年仕える執事が嘆いていた、というのは結構知られている話だ。

 だからこれも、そういう類の者ではないかとエルゼは疑った。


「国にかかわることって…。あなたの服の仕立てを見て思っていたんだけど、お父様は貴族か何かなの?」


 貴族という単語にわずかにウィリアムが反応したのを目ざとく見止めるとすかさず質問を重ねる。


「じゃあ、あなたの姓は何というの?旅をしてきたって、どこから来たの?御領地は?」


 身を乗り出しての矢継ぎ早のエルゼの質問に、ウィリアムがうろたえたようにのけ反る。


「……ごめん。これ以上聞かないでくれると…「なら、その手紙を見せて。…あぁ、もちろん奪い取ったり中を検めたりしないわ」


 また振り出しの言葉に戻りそうなウィリアムを遮ってエルゼは右手を差し出す。その行動にウィリアムが身構えたのを見て差し出した手は引っ込めた。

 思わずエルゼの顔に苦笑いが浮かぶ。どちらにしろ情報はもらったのだから、後はその手紙の真偽を確かめるために封蝋が見たいだけだ。

 発行される書物には発行された領地の紋章印が捺してある。封蝋に捺されたスタンプを見れば、大体の領地の見当がつくはずだ。くだらない事を言いだしそうな領地の紋印だったら、どのようにここから追い出そう。そんな風に腹の中では画策しながら、本当に手紙があるのか確かめたいだけだとうそぶく。すると、しぶしぶながらも手紙を出してくれた。多少の雨に濡れても平気なようにか、油を染み込ませた紙をはじめとした数枚の紙に丁寧に包まれた本格的な封筒が出てきた。

 しかし、その封筒に捺された封蝋のスタンプに目を見張ることになったのはエルゼにも予想外だった。


「…この獅子の紋章…まさか、レオンハルトの!?」


 レオンハルトとは代々国を守るため、国境周辺を領地として与えられてきた由緒ある辺境伯の紋章だ。長年国境付近の守備とともに、隣国と何かあった際にはその最前線に立つ一族は、代々国への忠誠心も篤く、当代の伯爵も誠実な人物だと評価されていた。その伯爵が手紙を、王の信頼篤いマティアス公に、それも息子を使いとして送ってきた。これは単なる嘆願書や何やらではない。本当に対応しなければならない、それこそ国にとって重大なことが書かれているに違いない。

 一目で紋章から手紙の出所を見破り、大声を出したエルゼにたじろぎながら、ウィリアムは手紙を荒々しく奪い返すと、元のように包んでゆく。


「そ、そうだよっ。俺の名前はウィリアム・レオンハルト。手紙のことは本当だっただろ。とっととマティアス公の屋敷へ案内しろよな」


 急に偉そうな口調になったウィリアムに、けれど今度はエルゼの方がうろたえた。

 実は今現在領主であるマティアス・シュテルン公爵は、王都に行っており不在だ。エルゼは王都に入る公爵と、ちょうど入れ違うように出てきた。実際に姿を見てもいる。王都からの一番の近道はエルゼの通ってきた道である以上、公爵がエルゼより先にシードラへ戻っているなんてことはありえない。


「協力は、してあげるわ。ただ、残念だけど…」


 『領主の公爵は王都のディルナへ行っていて今は留守』と続けようとした言葉は、吹き飛ぶかという勢いで開けられたドアが壁に当たった大きな音に遮られた。


「エルゼ!?あぁ、やっぱり帰ってきてたわね!」


 普通の人間ならこんな話をしている途中にそんな登場の仕方をされれば、驚いて飛び上がってもおかしくはないのだろう。椅子を倒して立ち上がり、身構えたウィリアムのような反応も普通の域に入るはず。しかしエルゼは最初の瞬間こそドキリと体を揺らし構えたものの、次に聞こえた自分の名前を呼ぶ声に、無意識に詰めていた息を吐いた。ほとんど冷めた紅茶を飲みほして振り返る。


「もう少し静かな登場の仕方ができないの?それともまた人の家の扉を壊す気なのかしら?」


 扉を壊す勢いで人の家や部屋に飛び込んできては、碌な話をもたらしてくれない知り合いが、残念ながらというか、この場合は幸いにもエルゼには幾人かいた。

 今回飛び込んできたのはシードラでも評判の食堂を営む家の娘のニコラだ。一つ年下の彼女は、エルゼがこの街で最初に仲良くなった同年代の女の子だった。年頃の娘としてどうなのかと心配になるほどお喋りで、彼女自身の両親からは散々注意されていた。しかし、好奇心旺盛で明るい性格のニコラの周りには人が絶えず、ある日突然シードラにやってきて、人付き合いが億劫になっていた余所者のエルゼを、いとも簡単に街の一員にしてしまった。

 そんなこんなで気の置けない仲のニコラに感謝こそしているものの、こういった場合の彼女の話はあまり聞きたいものではない。


「何を呑気なことを言っているの!国の機密を書いた手紙を盗み出した輩が、この街へ入ってきているんじゃないかって大騒ぎよ!しかも、そいつは青毛の駿馬に乗った女と逃亡したって。あんな騎士様たちを撒ける青毛の馬に乗った女って特徴を聞いて、あなたのことじゃないかと思って来てみれば、帰ってきてるし…」

「お、大騒ぎ!?」

「そうよ。剣を持った騎士様が3人。百合の紋様を着けてたから、身分は確かな方々なんだろうけど。公爵様はディルナへ行っていていないから、代理の方が対処してくれているけど、公爵様ご本人じゃないからあまり強く出られな…」

「留守!?ここまで来てマティアス公がいないってことか!?」

「ええ。二週間ぐらい前かしら。王宮から登城するようにと連絡が来たそうで、急ぎ王都に向かわれたわ。……ところであなたは誰?まさか本当に、エルゼ…?」


 それまで警戒したままニコラを見つめていたウィリアムが声を上げたことで、その存在にはじめて気づいたようなニコラは察したように尋ねた。

 しかしそれに慌てなければならなかったのはエルゼの方だった。


「え、ち、違う!いや、多分探されてるのはあたし達だから、正確には違わないけど。これには深い事情があって…」

「分ってるわ。どうせエルゼのことだから、強引に押し切られて、巻き込まれたんでしょ。あなたって変なところで押しに弱いんだもの。いろいろ心配になってくるのよ。それで、見た所まだ子供のようだけれど、この子が密書を?あぁ、エルゼは知らなかったのね。今わたしがあの騎士様たちを連れて来てあげるわ。大丈夫!」


 何が大丈夫なものか。全く合っていないのに勝手に自己完結して、来た時と同じように部屋を飛び出ようとしたニコラに、エルゼは慌てて声をかける。


「待ってっ!そんなんじゃないから話を聞いて!おば様に言いつけるわよ!?」


 最後の一言にニコラの足が止まった。食堂を取り仕切っているニコラの母親は、威勢がよくさばさばしている。しかし、ニコラには淑やかな娘らしくさせたいようで、人の話を聞かないニコラのお喋りを直そうと、一時は躍起になっていたそうだ。その時のことが相当トラウマになっているようで、ニコラを本当に止めたい時はその存在を出せば急停止させられる。


「な、なんでわたしの母さんが出てくるのよ!?」

「人の話を聞かないからでしょ!そもそもこの子が持っていたのは、国の機密なんかじゃないの。まあ、同じくらい重要なものかもしれないけれど」

「ど、どういうこと?」

「それは、その…」


 誤魔化そうとも考えたが、このままニコルを放置しては、さらに危ない方向に妄想を膨らませるかもしれない。


「…彼女に話してもいいわね?」


 チラリと横目でウィリアムを見ながら確認をとれば、ニコラの喋りに呆気にとられていたウィリアムから、無言の頷きが返ってきた。了承を得られたところでそれまでの経緯を掻い摘んで話す。


「…ということなんだけど。訴えに来たのに、マティアス公がいないのは痛いのよね」


 ため息をつきながらエルゼがそう締めくくった。


「あら、そういうことだったの。だったら、ここも早く出た方がいいわ。あの証言を聞いてあなたを思い浮かべたのは、わたしだけじゃないはずよ。誰かが案内してきちゃうかもしれないわ」

「うわー、その可能性があったか。でも、ここ以外で匿ってくれて、隠れるのに適している場所っていったら…」


 匿ってもらうことによって、その人には多大な迷惑をかけるかもしれない。いくら仲良くなったとはいえ、街の住人には頼み辛かった。

 多少迷惑をかけても気にしなくて、ウィリアムを匿ってくれて、騎士に詰め寄られても対処ができそうで、何より事情を話しても秘密を守ってもらえる人がいる場所。

 そんな場所は一つしかエルゼには思いつかない。


「どこかあてはあるのか?」


 心配げに尋ねてくるウィリアムに笑顔を向けながら頷く。多少その顔が引きつったことは、いたしかたないだろう。


「…ニコラ。店主(オーナー)のところへ様子を見に行ってもらうことってできる?」

「あー、そうよね。あの人に頼むのが一番だと思うわ」


 ただでさえシードラに戻るのが遅くなって、それについてのヘルマンからの小言を覚悟したばかりだったというのに、何が楽しくてネタを増やしてやらねばならないのか。だが、一番頼りやすいのは己の職場と上司であることに違いないとエルゼは考えた。

 沈んだ声で様子見を頼むエルゼの肩に同情しつつ、ニコラは手を置いて慰める仕草をした。

 大きく溜め息をつくエルゼとウィリアムを一緒に残していくことを、少し心配しながらニコラは部屋を後にしたのだった。





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