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01・・・晴天からの下り坂




 高い山脈と深い森に護られたヴェールディア王国

 夏でもうっすらと雪を頂く山々とその山裾に広がる森が天然の要塞の役割を果たすその国は、長らく争い事に巻き込まれることもなく平和で静かな時の流れる国だった。

 その国がにわかに活気づき、ゆるゆると流れていた時がわずかに早く進みだしたのは、5年前にそれまで一本だった隣国との交易川を新たに増やしたからだ。

 特に賑わいだした王都には、朝日を浴びればクリーム色に輝く王城をはじめとした、古い様式ながらも美しい建物が建ち並ぶ。近隣諸国にまでもその美しさの広まる都は、隣国との交易が盛んになったことにより近年さらに、その華やかさと煌びやかさを増していた。





 そんな王都ディルナから遠く離れた街シードラに向かう街道をエルゼは進んでいた。

 天気は晴天。気持ちがいいくらいの高い秋空が広がっている。


 ――ようやく帰ってきた……――


 シードラに住み始めて5年ほどしかたっていないが、街道の木々の隙間からシードラの街の外壁が垣間見えただけで、エルゼはすでにそんな気分だった。懐かしさをおぼえる自分に呆れるが、それも仕方のないことだろうと思い直す。

 今までは、王都に住む兄弟たちに仕事の依頼だからと強引にシードラから引っ張りだされても、ひと月ふた月で解放されて帰ってきていた。それが、今回は春の花が咲き揃う前に呼び出しを受けて街を出て、なんやかんやと王都に引き止められ、帰ってきてみれば木の葉が立派に色づいている。

 しかし、そのように出張期間が延びた主な理由は仕事のためだったのだから仕方がない。何故か検問が強化されていて、ついでに仕入を任されていた本が、期日を過ぎても届かなかったのだ。

 収穫祭を間近にひかえたこの時期の街道はどこも活気があり、人通りも多かった。だがシードラは街道からはずれた所にあるので、ここまで来ると、すれ違う人もほぼいない。王都から一緒に旅をしてきた商隊とは少し前に別れたため、今は愛馬ルスフォンとの一人と一頭の旅だ。

約半年を一晩中灯りの絶えない王都で過ごしたため、久しぶりの静けさに耳を澄ませる。

少し冷えたものの、優しい風がルスフォンの(たてがみ)と馬上のエルゼの頬を撫でながら吹いていく。

 エルゼは王都には無い、この田舎特有の穏やかな澄んだ空気が好きだった。シードラに住んで長いわけではないが、どこか昔から知っているような懐かしい気持ちが増す。


(半年ぶりか。とりあえず家に帰りたいよね。でも、それより先にヘルマンさんに帰ってきたことを報告に行かなきゃ駄目か。ああ、お土産はどうしよう)


 ヘルマンとはエルゼが手伝っている本屋の店主(オーナー)だ。気に入った人間以外と関わりを持つことはあまり好きではない人物で、取り扱う本の冊数に反比例するように、なかなか人を雇わない。慢性的な人手不足なのだ。なのに王都でも珍しい本を無駄に仕入れようとする。そこで王都にツテのあるエルゼなら、数日かかる仕入れ交渉中の宿泊費を削れるからと、2年ほど前から一人で出張に出されることが多くなった。


(あたしの所為じゃないとはいえ、今回は特に長くかかったからなぁ。何かしらチクチク嫌味を言われそうよね…)


 残念ながら期間が延びたことは事実だ。お小言くらいは覚悟の上で、さっさとお土産の一つでも持ってご機嫌伺いをしに行くに限るだろう。

 紅く色付いた葉をぼんやりと横目に見ながら、街に着いてからの予定を少しずつ思い浮かべる。


 だから、すぐそばの茂みから小柄な影が飛び出してきた時も、とっさに反応できなかった。


「えっ…ちょっ…っ」


 突然の人影に驚いて棹立ちになりかけるルスフォンの手綱を操り、向きを変えることで落ち着かせる。

 ゆっくりとした歩みだったとはいえ、ただでさえ危ない馬の前に飛び出してきた人間に、文句の一つでも言ってやろうと振り向けば、薄茶色の髪をした子供が、驚いたように尻餅をついた姿勢のまま固まっていた。


「大丈夫?」


 まさか怪我でもさせたのかと、ルスフォンから降りたエルゼは子供のもとへ駆け寄って、少し屈んで手を伸ばす。


「ええ、すみませんでした。大丈夫です」


 目の前に差し出された手に我に返ったような、それでもしっかりとした謝罪の声に怪我は無さそうだと判断し、エルゼの口から安堵の息が漏れる。年齢は12、3歳くらいだろうか。服装を変えれば女の子でも通りそうな、まだ少しあどけない顔立ちの少年だった。

 少年が飛び出てきた方向から馬の足音が聞こえてきたのは、差し伸べた手を少年が掴んだ時だった。びくりと足音のする方向をみて肩を揺らした少年を怪訝に思ったとたん、掴んだ手を転んだ体勢のままの少年に強い力で引っ張られる。


「うわっ!」


 バランスを崩し、少年の胸に勢いよく倒れかかるエルゼの頭上を、風を切る音とともに何かがかすめる。いやな予感とともに、その何かを確認しようと振り向いてみれば、紅葉より暗い深紅の羽根の印象的な矢が、すぐそばの木に深々と突き刺さっていた。その羽根に何か引っかかるものを感じるが、その何かを閃く前にその矢を射られたというショックの方が先に出る。


「え、なに…なんで!?」


 わずかな混乱とともに思わず叫べば、いつの間にか立ち上がっていた少年に強い力で引っ張られて立たされる。


「ちょっと急いでるんだ。おねえさん、何も聞かずに相乗りさせて!」


 そう言うが早いかエルゼの返事も聞かずに、手はつないだままルスフォンの傍まで急ぐ。その間にも次の矢が飛んできて一矢目の隣に刺さった。

 主が命の危機に瀕しているのに、のんきに構えるルスフォンにエルゼを先に乗せた少年も、その前に飛び乗ってくると同時に、一気にルスフォンを駆けださせる。とっさに振り向いたエルゼが、3頭の栗毛の馬に乗った男たちの姿を、少年が飛び出てきた茂みの向こうの木々の隙間に見たのは、それとほぼ同時だった。


 その時からエルゼ達の逃亡劇は始まった。


 はじめのうちは現実逃避をするように少年の手綱さばきに感心している余裕があった。だが、駿馬と呼んでも過言ではないルスフォンも、無理な工程ではないとはいえ、二週間近くエルゼと土産物の含まれた少なくはない荷物を運んできたのだ。あと数刻もたたずに街につくだろうからと、休憩も随分前にとったきり。その為か、勢いで走り出したルスフォンの足も間もなく鈍ってきた。

 大丈夫だろうかとルスフォンを心配しはじめた時、また背後で木の幹に矢の突き立つ音がした。そこで自分たちは追われていたらしいことを思いだす。いや、実際に追われているのは目の前で手綱を握る少年だろう。よく少年の服装を見れば、作りは街にいる子供の服と似たようなものだが、使われている生地としっかりした縫い目から、なかなか良いものだとわかる。金持ちの商家の息子か、はたまた貴族の令息かは知らないが、いい所のお坊ちゃまなのは確かだろう。そんな子供が狙われる理由といえば、誘拐かお家騒動かといったところだ。

 それにしても、明らかに先ほどまで関係のなかったエルゼにすら当てようという気配が、放たれた矢から漂ってきている。一応、自分自身も誰かに狙われるような覚えは無いことを、自分の記憶をたどって確認する。


(……人間だれしも、後ろめたい過去の一つや二つはあるものよね)


 恨みを買っていそうな覚えがなかった訳ではないが、命を狙われるほど悪いことをしたことは無いはずだ。だとすると、やはり明らかに狙われているのはこの少年で、自分は巻き込まれたことになる。だが、ここでルスフォンを降りて自分は関係ないと訴えようとしたところで、殺気立っている追っ手に勢いで殺されかねない。


(…こんな子供が命を狙われるほど悪いことをして逃げてるとは思えないし……これは、ちょっとだけ…付き合ってあげるしかない、のよね…)


 自分の今後を思っての深いため息を、嫌な予感とともに吐きつつも覚悟を決め、エルゼは自分の目の前で必死に手綱を操る少年に声をかけた。


「このまま行けばそれほど時間をかけずにシードラに着けるわ。あなたの目的は分らないけれど、あたしの家で一時匿ってあげるから手綱を返して」

「え、で、でもっ……」


 エルゼの申し出を聞き、当り前の戸惑いを起こす少年に、つとめてはっきりと、でも優しげに聞こえるように言葉を発する。


「大丈夫、あなたを後ろの奴らに渡すことはしない。何より、あたしに向けても矢が飛んできてるのよ?まだ死にたくないもの。ここで止まるという選択肢はあたしにだってないわ」


 その言葉に納得したのか、今度は少しの間が開いた後、微かに頷いてくれた。そんな少年から慎重に手綱を受け取ると、一つ大きく深呼吸をする。


「じゃあ、思いっきり飛ばすわよ。舌を噛まないように気を付けて」


 手綱の持ち手がエルゼに変わったことを感じたのか、ルスフォンは心得たようにその速度を上げた。


 木々の隙間から覗く街の建物がどんどん大きくなる。

 この林を駆け抜ければ、シードラの街は目の前だった。





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