00・・・序幕
「これからお前にはわたしの領地の街で生活してもらおうと思う」
公爵であり王の信頼もあつい祖父から、そう言い渡されたのは5年前のこと。
思ってもみない提案だったといえば嘘になる。薄々そうすることが手っ取り早くていいんじゃないかと感じていたから。
国の発展のためには仕方がないとはいえ、騒がしくなってきた国とわたしを取り巻く周囲の様々な思惑。
どうしようもない雁字搦めの自由のない状態に、いい加減うんざりしていたわたしは、その申し出を聞くと、一も二もなく頷いた。
一度出たら、もう戻るつもりはなかった。…はずだった。
*** *** ***
5年後―とある森の中―
茂みをかき分け道なき道を行く。追っ手から逃れるため街道を行くわけにはいかないが、ある程度は妥協して街道に近いところを進んだ方が良かったかもしれない。何せ国の端から端にも近い距離。ちょうど中間にあたる王都まで馬で進めたことは、本当に幸運だったとしか言いようがない。出てくるのがもう少し遅かったら、確実に捕まっていただろう。
「…いってぇ」
少し開けた場所に出たとたん、後ろから聞こえた声に我に返る。立ち止まって振り返ってみれば弟の頬に一筋の傷ができていた。どうやら自分の押さえて避けた枝がしなってかすったためたらしい。
「あ、悪い」
「んー、ちょっとかすめただけだから、大丈夫。それ以前に手とか傷だらけだし」
その言葉に手を見やれば、確かに無数の線がはしっている。ただし自分の手も同じようなものだ。
「この辺りで一息入れるか?」
ちょうど良いと、前を見ながら提案すれば、後ろから頷く気配があった。
大木の隆起した根元に腰かける。真昼の位置より少しだけ傾いた太陽がほんのわずかな葉の隙間から覗いていた。
どれだけ急いでも、この分ではまた野宿だろう。自分はともかく、弟には流石に疲労が溜まっているはずだ。体調を崩して、これ以上歩みが遅くなることは困る。その時こそ置いて行かなくてはならない。今日明日でどうこうなることではなかろうが、父から預かった手紙を公爵に無事に渡し国を助けるには、それだけ急ぐ必要があった。
その時ちょうど、隣から腹のなる音がした。
「ちょっとお腹減ったなー」
誤魔化すように呟いた隣へ視線を落とすと、見上げてきた挑戦的な視線とかちあった。
「その手紙を届けたら、公費を使っていい物食べに行ってやる」
「その時は俺も付き合うよ。というか、こんだけ苦労してるんだ。恩賞ぐらい出るだろ」
「ホント?」
一気に光が灯ったように輝きはじめた弟の目に、苦笑しながらも頷いてやる。
もっとも、この手紙を早く届けなければ、その恩賞を出してくれるはずの国自体が危うい。手遅れになっては意味が無いのだ。とにかく手紙を届けるという今の目的と、その為にしなければならないことだけを思い浮かべる。
そうと決まればとりあえず急がなくては。
「さて、行くか」
声をかけ、伸びをしながら立ち上がる。すると弟も隣で同じように伸びをしていたのが目に入って、思わず笑ってしまった。
さあ、急ごう。かの公爵が屋敷を構える街はすぐそこだ。