第1話part2
前開きの白衣の上から、暗緑色の羽織りを着た長身の女性。
名は、繭蛾渚
侠弍の師にして、彼が所属する部活の顧問である。
「先生!」
「やぁ、叢雨君。それと彼女は……」
「リサ、です。以前話した……」
「あぁ君か、叢雨君がいつも話していたのは!あ、自己紹介が遅れたね。私は繭蛾渚、叢雨君の師?のようなものだ」
「……」
フランクな渚とは反対に、顔に警戒の2文字が浮かぶリサ。
「大丈夫だよ、リサ。先生は悪い人じゃない。俺のこと気にかけてくれているし……リサ?」
「……てる」
「へ?」
リサは渚の方を指差す。
「肩の辺り、何か隠れてる」
「……凄いぜ、嬢ちゃん」
現時点、この場にいる誰とも異なる声が、渚の肩――正確には背中と首筋の間――から発せられた。
羽織の襟がモゾモゾと動き、中から一匹の虫が姿を現した。
体長約4㎝の、蚕の成虫に似た白い蛾。
声の主は、この蛾であった。
「あれ、ガラゴさんも一緒にいたんですか?」
侠弐は、特に驚いた様子もなく、蛾――ガラゴに話しかける。
「何だ叢雨。俺に気づかないようじゃ、気配察知力はまだまだだな。」
ない筈の口で喋るガラゴ。
それだけで、この小さな生物が超越的な存在であることが分かる。
「そこ行くと、嬢ちゃんは凄い。1発で俺の気配に気づくとは。やはり、拾弐堕天は伊達じゃないな」
「え?」
「矢張りか。彼女を最初に見た時はまさかと思ったが……」
「え?え?」
「あのイドラを倒した強さ、あの世界に長くいて尚他者とコミュニケーションが取れる程の強靭な自我、そして銀の長髪、間違いないだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください!リサが、拾弐堕天ですって⁉」
侠弐は驚愕した。
拾弐堕天。裂け目の向こう側の世界で 12体の魔神の総称。
今、ガラゴの台詞に上がったイドラとはその1柱、僥倖イドラ。
一夜にして、大陸全土を火の海に出来る程の強大な力を持つ堕天きっての武闘派、と侠弐は聞かされていた。
そのイドラ――即ちクラゲ頭――を、リサは倒したというのだ。
「リサ……」
侠弐は、その事実を知って彼女を恐れる――
(それ程強くなるには、きっと想像できない位の辛い日々だったに違いない。そんな日々を送らなくて良いと、感じさせなければ……!)
事はなく、彼女の頭を優しく撫でる。
「?侠弍?」
「あ、嫌だったか?」
「ううん。もっとして欲しい」
「こんな感じ?」
撫で撫で。
「……」
リサの顔は無表情でありながら、どこか嬉しそうであった。
「それにしても……」
渚は、辺りを見回す。
地表には多数のクレーターが出来、焦げ臭さと硝煙が漂っている。
「随分と派手にやりあったようだね」
「堕天同士の戦いだ。これでも大分、小規模な方さ」
「といって、そのままにしておくには範囲が広い。となると……あれを使う他ないか」
渚は左人差し指を立て、左腕を真上に伸ばす。
その様子に、リサは思わず身構える。
「大丈夫だよ、リサ。あれは、攻撃とかの類じゃないから」
「?」
「まぁ見ててご覧。結構貴重だから」
渚は小声で呪文のようなものを詠唱する。
それが終わると一息ついだ。その直後――
空中に浮き出てくるように、巨大な振り子時計が出現した。
時計の秒針は早回しのように進み、0時きっかりの場所で止まる。
ボオオオオン……ボオオオオン……ボオオオオン……ボオオオオン……
周囲に重低音が鳴り響く。
が、それだけであり、目に見える変化や事象は何も起こらない。
といっても、心配することはない。
この時計の役割は、目に見えない変化をもたらす事であるのだから。
佰動翁。
渚が使用する術の中でも、高位に位置する物の一つである。
効能は、音の鳴る範囲に対する他者の抱く感じ方を術者の思い通りに上書き出来る事。
即ち、認識改変能力。
非常に強力である一方、元ある認識を歪め世界のバランスを崩しかねない術である為、矢鱈と使用する事は憚られる。
尚、発動者及び一定以上の力を持つ者は、能力の対象外となる。
ボオオオオン……オオオオン……オオオン……オオン……
音は段々と小さくなっていく。
時計もそれに合わせ、空気に溶けるようにして消えていった。
「よし。これで、この大量の穴ぼこが不審に思われることはないだろう」
渚は、侠弐達の方へ向き直る。
「ところで叢雨君。これから、時間はあるかい?良ければ、部室へ連れてきてほしいのだが。リサ君も一緒に」
「部室?えぇ、構いませんが……リサはどうする?」
「侠弐は、そこ行きたいの?」
「そうだな。帰っても寝る以外にないし」
「なら行く。侠弐と一緒にいたい」
そう言って、彼の腕に手を回すリサ。
瞬間、鼓動が高鳴る侠弐であった。
「それじゃ、行こうか。と、その前に……」
渚は親指を立て、夜風にさらされたイドラの死体を指差す。
「あれを、片づけないと」
「あ、そうでした」
侠弐は札を取り出す。
「しかしまぁ……」
「あぁ……」
封印の直前、背中に深い1文字の刻まれたイドラを見下ろし、ガラゴと渚は呟いた。




