001-まるで眠るように
もう一度、彼女の方を振り返った。
遺体はすでに腐敗が始まっていて、空気には鼻を突くような臭気が漂っていた。顔の皮膚には不規則な死斑が浮かび上がっている。
それでも彼女は、まるで安らかな眠りに落ちているかのように、静かに目を閉じていた。
緊張の影も、恐怖の色も、一切感じられない。
眉間に皺はなく、口元も自然に緩み、顔の筋肉さえ穏やかに弛緩していた。
まるでこの世の執着すら断ち切ったかのような、静謐な表情だった。
彼女は――おそらく、死の瞬間まで一切の苦痛を経験していなかったのだろう。
もし今、彼女が私の作業台に横たわっていなければ、
私はきっと、こう問いかけていたはずだ。
いったいどんな方法を使えば、そんなにも静かに――まるで眠るように、死ねるのかと。
私はマスクの内側で静かにため息を吐き、手元の仕事に意識を戻した。
眉毛を一本描いたところで、朝に遺体を搬送してきた若い警官が、慌ただしく部屋に飛び込んできた。
「ちょっと待ってください」
私の動きを制しながら、彼は言った。
「先ほど事件資料を確認していたら、不審な点が見つかりまして……。監察医の要請で、遺体を一度警察署に持ち帰って再検査することになりました」
彼は私の手元にある化粧道具を一瞥し、
「もう手をつけてしまいましたか?」と尋ねた。
私は小さく頷いた。一本の眉毛――それも、仕事の一部には違いない。
「それなら、一緒に監察医のところまで来ていただけますか? 状況を説明してもらえれば助かります」
彼は少し照れたように頭を掻きながら、
「あ、そういえば……お名前、まだお聞きしてませんでしたね」と続けた。
私は遺体を見つめたまま、微笑んで答えた。
「坂本美絵と申します」
「えっ……?」
若い警官は驚いたように目を見開き、
「彼女も、坂本美絵って名前ですよ。それに……なんだか、ちょっと似てますね」
私は黙って笑みを浮かべたまま、何も答えなかった。