第39話 海底の茶会
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静謐な空間。
天井には豪華なシャンデリアが、室内には意匠を凝らしたゴシック調のインテリアの数々に大理石のテーブルが一つ。
床には高級な赤い絨毯が敷かれている。
ゆったりと流れる時を味わうように、『彼女』は瞳を閉じてティーカップに口をつけた。
「――――、」
芳醇な紅茶を口に含む。
そしてカチャリ、とティーカップを置いた。
ゆったりと、目蓋を開ける。
「……全く、馬鹿な子。あなたもそう思わない?」
傍らに控える者に問いかけた。
メイド服を纏う黒髪の女給仕は、無表情で首肯する。
「はい。せっかく力を授け、『眷属』の末席に加えたというのに、翌日に死亡するとは。やはり野良の海魔が我々『魔族』に昇格することは望み薄であると、再認識いたしました」
「そうね。困っているのを見かけから、きまぐれで適当に分け与えてあげた力だったけど、結局すぐに死ぬなんて。弱い者は大変ね。わたくしには分からない境遇だわ」
実に退屈そうに、告げる。
「ねえ、あなたが仕えるわたくしは何者?」
その問いに、メイドは淀みない口調で滑らかに唇を動かした。
「"海の魔境"、『滅びの呪海』の防衛管理を魔王様より一任されていらっしゃる魔王軍幹部がお一人であり、私が忠誠を誓う絶対の主――――ゾラ様にございます」
背後の窓に、小魚の魚群がまるで意思を宿した巨大魚のように泳いでいく。
その魚たちを狙って不気味な進化を遂げたサメやシャチが集まり、魚を食い荒らしていた。
青く静かな美しい世界で眺める、グロテスクな食物連鎖。
海底に建築されたこの洋館の一室で、ゾラは微笑む。
「ふふふ、そうね。さすがはロザリー。わたくしに長く仕えているだけはあるわ」
「恐悦至極にございます」
「それにしても」
ゾラは部屋の片隅に置かれた姿見に視線を移す。
高純度の魔力と非常に長命な肉体を宿す彼女は、数百年の時を生きる魔族であるというのに、その見目姿は十代半ばの幼さを匂わせている。
薄い紫色の髪に、紫紺の瞳。
サイドデールで括られた絹のような流れる髪に、小さく豪華な王冠が傾いて乗っている。
アンバランスな戴冠だが、ゾラはこの歪な冠が気に入っていた。
「"海"は静かでいい所だけれど、こうも何も起こらないと刺激に欠けるわね」
「ゾラ様が魔王様のご期待に応えている証左かと」
「魔王様は平穏を望まれているわ。その気になれば人間も亜人も全てを蹂躙してこの世界を支配できるだけのお力をその身に宿されているというのに」
「魔王様は寛大なお方でございます」
「そうね。魔王様はとても慈悲深いお方よ。だけど、この仮初めの平和状態だって、何か深淵なお考えがあってのこと。わたくしたちでは到底想像もつかないような知謀を巡らせていらっしゃるはずよ」
ゾラは微笑みながらティーカップに口をつけた。
その表情は、まさに"心酔"という感情を絵に描いたようだった。
ゾラが仕える『魔王』という存在はそれだけ偉大で、逞しく、その身全てを捧げたいと思える絶対的な強者だ。
ロザリーは瞑目した目蓋をかすかに開けた。
「しかし、半魚人魔帝を人間の村に侵攻させてよろしかったのでしょうか」
「というと?」
「魔王様から、言い付けを破ったと判断されるのではと……」
ピクン、とゾラが反応する。
視線をゆっくりと右から左に切って、やがて正面を向く。
額縁に納められた風景画を眺めながら、背後に控える従者に語った。
「魔王様が全ての『魔境』を防衛する幹部に通達した、"現状維持の命令"のことかしら」
この世界には、陸・海・空の三ヶ所に『魔境』という特殊空間が存在する。
『魔境』とは文字通り"魔の境"を表し、魔王が住まう『魔界』と人間や亜人が住まう『人間界』を別つ領域だ。
約五年前、長きに渡る眠りを経てついに、魔王が目覚めた。
先代の魔王が魔界を支配していたのがおよそ二百年前。
魔王が不在だった空白の二百年を埋めるかのごとく、魔王が復活した当時は魔界全土が沸き立ったものだ。
ゾラも当時の筆舌に尽くしがたい高揚と興奮を今でも昨日のことのように思い出す。
必然、魔王が復活すれば次に期待するものといえば、『世界征服』。
先代の魔王も、先々代の魔王もあと一歩のところで成し遂げられなかったその夢を叶える時。
魔族たちの間で此度こそ世界を魔王の掌中に、そして魔族全盛の時代が到来すると浮き足だったものだが、復活して早々魔王が下した命令は――現状維持だった。
魔境を司る戦況も、魔王不在の間に魔界に蓄えた戦力も、それら全ての勢力を崩さず、人間との間で発生する戦争は意図的に拮抗させる。
魔境を人間側に攻略されることなく、同時に魔族も魔境より外に攻め入らない。
これが魔王復活直後に魔族各員に下された命令であり、今もなおその命令は覆されていない。
それら一連の流れを、ゾラは当然全て頭に入っている。
それを踏まえて、ゆっくりと息を吐いた。
「わたくしは半魚人魔帝に村を攻め込むよう命令した訳じゃないわ。あの海魔が勝手にやったことよ。『魔境』に限らず、魔物が人間を襲い死傷者が出るのは普通のことじゃない。魔王様が下した命令も、あくまで最低限の知性を宿す『魔族』に与えられたもの。魔物による人間への被害はやむ無しとして正式にお認めくださったことを忘れた?」
「無論、承知しております。ですが、ゾラ様が力を与えた半魚人魔帝が人間の村を襲ったという情報が他の魔族の耳に入れば……その者次第ではゾラ様にあらぬ刃が突きつけられるやもしれません」
その懸念は、あながち的外れでもない。
「……たしかに、魔族と一口に言っても一枚岩ではないわ。それぞれに主義主張が異なり、派閥もある。此度の魔王様のご命令にだって、内心納得できていない魔族は一定数いることでしょう。もちろん、隙あればわたくしを葬ろうとしている輩がいることも承知しているわ」
「はい。ゾラ様であればそのような魔族に遅れを取るようなことはないと確信しております。ですが、魔王様の耳にあらぬ形で情報が渡った場合……」
「魔王様が本気でお怒りになったなら、わたくしは塵芥も同然に消されるでしょうね」
ゾラは淡々と事実を述べ、続ける。
「わたくしは、魔王様の手にかけられるのなら、それでも構わないと思っているわ」
もちろんその前にわたくしを陥れた魔族は皆殺しにするけれど、と最後に付け加えて微笑む。
「……失礼しました。私の要らぬ杞憂でした」
「構わないわ。わたくしを思ってのことでしょう」
頭を下げるメイドに、ゾラは何事もなかったように答える。
直後、美麗な眦を鋭く変容させる。
「それに、断罪されるべき魔族は他にいるでしょう」
冷淡に告げたその声色には隠しきれぬ怒気が含まれていた。
「"陸の魔境"を管轄してた幹部の一人が人間に殺されたそうね」
「はい。【剣の勇者】が放つ『神剣』の直撃を受け、即死は免れたものの持久戦に持ち込まれた挙げ句、あえなく殺害されたようです。たしか勇者の名は……イアンという者だったかと」
「『人類最終戦力』と称される『神寵聖騎士』に敗れるならまだしも、ここ数年で現れたようなポッと出の『勇者』ごときに殺されるなんて……魔王様の顔に泥を塗る愚行よ。その間抜けな馬鹿のせいで、近く魔王会議が開かれることでしょう」
定期的に催される、『魔境』を管轄する幹部魔族が集結して近況報告を行う場である『魔王会議』。
これは、緊急事態が発生した際にも行われる。
魔王様が復活されてから、『魔境』を防衛する魔族が殺されたのは初めてのことだ。
きっと会議は紛糾する。
糾弾と責任を突きつける"海"と"空"の幹部と、必死に自己弁護と正当化、トカゲの尻尾切りに勤しむ"陸"の幹部の舌戦によって。
もっとも、ゾラは魔族の看板に泥を塗った"陸"の幹部に静かな怒りこそ覚えるものの、紛糾する議論に参加する気はないが。
「"陸の魔境"は最も幹部魔族が多いエリアだけれど、頭数だけ多ければ良いというものではないわね。数が多くなればなるほど、不純物が混ざる確率も増える。魔王軍の幹部と言ってもピンキリなのよ。知性も品位も、能力もね」
「その点、"海の魔境"は最も幹部人数が少ないというのに、いまだほとんど人間の侵攻を許しておりません。これもひとえに、ゾラ様の辣腕の賜物かと」
「ふふっ、わたくしは別に何もしていないわよ。そもそも、わたくしたちがいるこの海域まで到達できる人間がいないのだもの。一戦交えたくても、叶わないわ」
自らの力を誇るような余裕を見せつつ、やはりどこか隠しきれない退屈さを匂わせる雰囲気。
ゾラは何の気なしに巨大な窓を眺めた。
窓の外では、食物連鎖に決着がついたようだ。
魚群の大半は食い殺され、捕食者同士でも喰い合い、最終的に一匹のシャチが生き残った。
シャチは自らの強さを誇示するように重い雄叫びを海中に響かせる。
ゾラは肘杖をつきながら、無感情な瞳で窓を眺める。
「ロザリー」
「はい」
「そこの小魚を片付けなさい」
「かしこまりました」
主人から命令を受けたロザリーは、片方の手のひらを胸の前で開いた。
バチチッ、とメイド服に紫電が走る。
それが、合図だった。
「落雷魔法――サンダーショット」
淡白かつ静かな発声とは裏腹に、海の中に稲妻が轟いた。
海全体が激しい稲光に染まり、天空から撃ち落とされた雷はシャチの胴体を貫き、空間を青白い稲光で感電させる。
「――グガガァァアア……アアァァ……ッ!!」
生存競争を勝ち抜いた喜びと自らの武勇を猛るように雄叫びを上げていたシャチだが、その叫びは断末魔へと変わり、即死した。
シャチが死んだ理由はただ一つ。
ゾラという圧倒的な魔族の前で、騒々しい真似をしたからだった。
『滅びの呪海』に生息する海魔がいかに凶悪で危険であると喧伝されていようと、ゾラには全て白々しく聞こえてしまう。
きっとあのシャチもレベルは百を超えていたのだろう。
一般的な基準に照らし合わせれば十分な脅威だ。
が、ゾラから見れば全ての海魔は取るに足らないくだらない存在だった。
生かす価値もなければ、殺す理由もない。
眼中になく、歯牙にもかけない、命が宿った路傍の石。
ゾラはロザリーに命じて殺したシャチなど目もくれず、ただ粛々と事実を述べる。
「魔界は弱肉強食。強い者が絶対の世界。魔族はそのルールの中で血みどろの殺戮を繰り広げ、わたくしは魔王様直属の配下に加えていただいた」
そして、と区切る。
「そのわたくしが支配するこの『滅びの呪海』においても、同じこと。弱いモノに価値はないのよ。ただ、強く。強くさえあればいいの。強くのみあるべきなのよ。特に、魔王様にお仕えするわたくしたちのような高位の魔族は」
ゾラは微笑み、そしてあることを思い出す。
何故か気になる、『強さ』の片鱗を感じとった不可思議な生物。
「そう言えば、少し面白そうなものを見つけたわ」
「面白そうなもの、ですか?」
ええ、と答えて、ゾラはおもむろに右手をかざす。
すると、カップが置かれたテーブルの真上に写真のような画像が浮かび上がった。
そこには、血塗れで見るからに瀕死の魚が映っていた。
「これは……」
「昨日、半魚人魔帝が死んだポイントで発見した生物よ。見たことがない形状だけど、恐らく海魔でしょう」
その魚は、丸い体をしていた。
皮膚はぶよぶよで、斑模様で背中を彩り、腹部は白い。
ただ、体中が傷だらけであるため、模様の判別もつきにくいほど血に汚れていて、ヒレなども不格好に切り刻まれている。
「もしや……この海魔が半魚人魔帝を倒したのでしょうか?」
「一部始終を目撃していたわけじゃないから何とも。あくまでも半魚人魔帝が死んだ時に気になって調べただけだから」
ゾラは力を分け与えた生物が死んだ時、その分け与えた力が自動的に自身に戻ってくる仕組みになっている。
ゆえに、ゾラからすればいつどのタイミングで自分の配下が死亡したか正確に観測することができ、さらに配下の位置情報や五感情報も認識できる。
それゆえ、半魚人魔帝が死ぬ最期の瞬間に見たものをゾラも認識することができるのだ。
そして、半魚人魔帝が最後に見た光景が、この一枚の海魔の姿。
上空を背景にボロボロの姿で飛来し、周囲に水属性のスキルを同時展開して半魚人魔帝にトドメを刺した、謎の海魔。
「半魚人魔帝を殺したことはどうでもいいけれど……少し気にならないかしら?」
「そう、なのですか。申し訳ございません。私にはいまいちピンと来ず……」
「わたくしも明確に気になる理由があるわけじゃないわ。だけど……直感かしらね」
ゾラは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「もしかしたらこの海魔――――魔王様への良い手土産になるかもしれないわ」
ゾラは空間に投影された海魔の写真を眺める。
ロザリーは今後のゾラの行動を察し、瞑目して軽く頭を下げた。
巨大なシャチの死体を筆頭に大小様々な数千の海魔の死体がヴェールのように包む海底の洋館で、一人の『小さな帝王』は君臨している。
麗しい少女の容姿を持つゾラの微笑。
その凶悪な微笑みは、正しく『魔族』のそれだった。
しばらく週2ペースで上げていきます!
次回投稿は8/11㈪です!




