第19話 捕獲されるフグ
「――――――ごぼっ!」
少女の口から、気泡が立ち上る。
それは、俺の口から漏れた空気ではない。
彼女が自発的に吐き出した、小さな空気の塊だった。
「ぷくっ!!」
来た!
息を吹き返したぞ!!
この調子で、人工呼吸を続けるんだ!!
「ぷくぅ! ぷくぅうう! ぷっくくぅぅううう!!」
〈旋風力〉の種族スキルで体を膨らませ、流れるように少女の口に空気を送り込む。
そうして何度も何度もマウストゥーマウスで空気を流し込んでいると、少女の反応も次第に大きくなってくる。
「――――ごぼ。…………ごぼぼっ!」
そしてついに、少女がかすかに目を開けた。
細く開かれた目蓋。
きっとまだその視界は鮮明な像を結んでいないだろう。
意識もきっと朧気だが、少しでも覚醒したならこっちのモンだ!
〈探索〉を発動。
俺の真上に、複数の青色のアイコンが重なっている。
一つは目の前にいる少女のモノだろうが、他のアイコンは別の人間だ。
ふと海面を見上げてみると、頭上にのっぺりとした大きな影が浮かんでいた。
エンジンらしき機械的な肌が露出している、船底だと理解する。
つまり、まだこの少女の仲間は逃げることなく、この場に留まり続けているということ。
きっと少女が海に落下したことを知っているのだろう。
少女が浮上してくるのを待っているのだ。
もしかしたら、救助隊のようなダイバーが潜ってくるかもしれないが、そんな助けを悠長に待っている暇はない。
この好機を逃さず、俺は少女の口に目一杯の空気を送り込み、〈思念伝達〉を発動した。
――――意識が戻ったんだな!? もう大丈夫だぞ! 海魔は俺が全部倒したから、今からキミを海面に浮上させる。ほんの数秒だけ、自力で息を止めておいてくれ!!
少女は虚ろさが残る瞳で、俺の目をまっすぐ見つめる。
今の俺はフグの体のため、デメキンのようなギョロリとした二つの眼球を持つ不気味な海魔に見えているかもしれないが、少女は恐れる気配もなく頷いた。
――――あり……がと、う……。
そう言っている気がしたので、俺も熱く頷く。
――――気にすんな! それじゃあ、行くぞ!
俺は少女の口に大量の空気を押し込んだ。
ごぼぼぼぼぼぼ!! と、数多の気泡が俺たちを包み込む。
贅沢な空気の使い方だ。
少女は空気を口に含んで唇を固く閉じた。
すかさず俺は少女の体の真下に潜り、〈旋風力〉で再度体内に空気の塊を生み出す。
体の中に空気が溜まっていき、みるみる内に巨大化した俺は、誕生する莫大な浮力に従って少女を上に押し上げる。
俺もヒレを動かし、少女を刺激しすぎず、それでいて遅すぎない巧みな泳力で急浮上した。
元々そこまで深く潜っていたわけではない。
そのため、少女の体はぐんぐんと海中を上っていき――――やがて。
「――…………ぷっはぁぁああああああ!!」
少女の顔が、海面から飛び出た。
長い間、海の中に閉じ込められていた少女は激しく咳き込みながら空気を貪る。
「はぁぁああああ! ……げほっ! ごほっ、ごほっ!! はあっ、はあぁっ、はぁぁああああああ――っ!!」
肺の中を空気で満たし、吐き出し、すぐにまた空気を吸い込む。
飲み込んでいた海水も吐き出し、呼吸を整える少女に船が近付いてきた。
「エレナ!! 無事だったか!!」
「ラス……キ、ア……」
船の上から焦りと安堵を混ぜ合わせたような叫びが飛ぶ。
仲間だろうか。
"エレナ"というのは、この少女の名前かな?
「ま、待ってろ! いま助けにいくからな!!」
「……ううん。……大、丈夫……。自分で、ボートまで……行ける、から」
激しく息を吸い込んで少し呼吸が落ち着いたエレナは、自力で弱々しく泳ぎながらボートの方へ向かう。
傍には、黄色い小さなボートが浮かんでいた。
バナナボートみたいだ。
まあバナナボートよりはもうちょっとしっかりした素材で造られてるっぽいが。
そして、エレナは黄色い小型ボートの元まで辿り着き、消耗したであろう体力を絞り出して、何とかボートの中に倒れ込んだ。
ぐっしょりと濡れた衣服はそれだけで鎧のような足枷となっていただろうに、強い子だ。
もうちょっとサポートしようかと思ったが、無用だったか。
もうここまで来れば大丈夫だろう。
あとは仲間がどうにかしてくれるはずだ。
「ぷくぷく」
俺はゆっくりと体内の空気を吐き出して、体をミニマムサイズに戻す。
ちゃぷん、と海面に体の上半分を浮かび上がらせながら、ギョロつく両目で少女と仲間の姿を眺める。
一時はどうなることかと思ったが、何とか命が助かってひと安心だ。
もう不用意に海の中に落下するんじゃないぞ。
今回は偶然俺が近くにいたから良かったものの、もし俺がいなければエレナは溺死していた可能性が高い。
いや、その前に半魚人魔の群れに襲われてしまうだろうか。
どちらにせよ、前にアドバイザーが言っていたことを思い出す。
この海域は、"海の魔境"――『滅びの呪海』。
キミみたいな女の子が気軽に立ち入って良い場所じゃないんだよ。
じゃあな。
老兵ならぬ老フグは去ることにしよう。
俺が温かい瞳で踵を返そうとした、その時。
「ッ!? テンメェ、エレナから離れやがれッ!!」
「ぷく?」
え?
ビュオ! と風を切る音。
ジャバン! と俺の横に着水した棒切れに気付いた瞬間、ぐわん! と体が上空に飛ばされた。
フ、フグが、空を飛んでいる!?
な、なんだぁ!?
仰天と同時に腹に感じる違和感。
視界が網目状に分断され、その網は俺のすぐ横に着水した棒切れに繋がっている。
これは、漁師が釣れた大型の魚を回収する時に使う網じゃねぇか!?
しかも並みのデカさじゃない。
網のサイズも異世界級だ。
お、俺、捕まっちまったのか!?
「ぷぐっ!?」
瞬間、体が不自然に固まる。
ぐああっ、い、息が!!
息ができない!
猛烈に呼吸がしにくい!!
な、なにが起こってるんだぁ!!?
《マスターは海洋生物であるフグの体であるため、陸上での呼吸は困難です。長時間陸に打ち上げられた場合、窒息死するでしょう》
ちょおおおい!
マジかよ!?
どうすんだどうすんの、これ!?
海で溺れていた少女を助けたら、今度は俺が陸で溺れそうになってんだけど!?
ぎゅおおおおん! と弧を描くように遠心力で振り回されながら、空中を旋回するフグ。
そして俺は、ダァン! と船の上に打ち上げられた。
ぐはぁ!
「ぷく、ぷくく……!!」
息ができないため、もがくようにビチビチと跳ねる。
が、苦しむ俺の真上から降りかかったのは、怨嗟の籠った怒声だった。
「このクソ海魔がッ! 弱ったエレナを狙いやがったな!!」
眼帯を装着した、赤髪の女が怒りの眼光を浴びせる。
薄着の体からは少し焼けた筋肉質な肌が覗いていた。
男でも惚れ惚れするほどの綺麗なシックスパックだ。
バカデカい網で俺を捕獲したのは、この女か。
女は俺に剣を突き立てる。
鋭い剣の切っ先がギラリと光った。
「ぷくくぅ!?」
ちょちょ、ちょおおおおおい!?
待って待って!!
まさかコイツ、俺を殺す気か!?
早まるな!
フグを殺したって得はないぞ!!
体内に猛毒があるから俺を殺してもこの場で食べることはできないし、そんな無骨な剣でフグを繊細に捌くことなんてできないだろう!
無益な殺生はやめるんだ!!
「――この場で死にやがれぇぇええええええッ!!」
ぎゃあああああああああ!!
誰か助けてぇぇえええええええええ!!
剣が真下に落とされ、猛スピードで俺の元に迫り来るのを瞳で捉える。
くっ、やむを得ん。
最悪の場合は、最低限の抵抗をして助からなければ――――
「ま、待ってラスキア! その子が私を助けてくれたの!!」
ザグァン!! と、剣が刺さった。
「ぷくぐぅぅぅううううう!?」
――――俺の顔面の、数センチ隣に。
赤髪の女は、俺を跨がるように足を広げて剣を船に突き刺しながら、僅かに眉をひそめる。
「……なんだと?」
ラスキアと呼ばれた赤髪眼帯の筋肉質な少女は、魔王のような威圧感を放ちながら、鬼の形相で俺を見下ろした。




