第9話 触らぬ龍に祟りなし
眼前に現れたのは、神秘的な海底遺跡らしき建造物と、突如乱入してきた超巨大なドラゴン。
鑑定スキルでは、『滅淵龍リヴァイアサン』と表示されている。
例によって、詳しいステータスなどは無効化されて確認できない。
俺は一度無理やり冷静になって、考えてみた。
「ぷく、ぷく」
あー、そうか。
これは夢だな。
アンモナイトとの死闘の後に何とか『ニルの深淵』エリアから抜け出せたものの、ちょっと喜びに耽り過ぎたらしい。
こんなドラゴンを幻視するなんて、俺もだいぶ疲れが溜まっているようだ。
どこか手近に身を潜められそうな岩の隙間でも見つけたら、ちょっと体を休めるのもアリかもしれないな。
うん、完全に気が狂う前にそうしておこう!
《――現在、催眠系および狂乱系のデバフ効果は確認できません》
無機質な訂正が入る。
…………は、ははは、やだなぁ、アドバイザーさん。
あなたはアレが現実の存在だと仰る??
「――グルルァァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
俺の質問に答えたのは、眼前の巨龍本人だった。
ただの咆哮にも関わらず凄まじい衝撃波が海全体を揺らし、踏ん張った甲斐もなく俺は後ろに吹き飛ばされてしまう
「ぷくぷく~~~!?」
だああああ、クソッ!
やっぱリアルじゃねぇかこの野郎!
でも、ちょっとくらい現実逃避させてくれてもいいだろ!?
海を泳いでたらいきなり目の前にドラゴンが現れた人の気持ちも考えてくれよ!!
《リヴァイアサンは『滅びの呪海』を支配する"主"の一体です。大至急、この場からの離脱を推奨します》
……ああ、分かってるよ。
にしたって、シーラカンス、アンモナイトに引き続き、三体目はドラゴンかよ。
最初の二体は地球にも生息してた深海生物や古代生物だったってのに、いきなりファンタジーの代名詞的モンスターが現れやがって!
しかもアイツ、『リヴァイアサン』だなんて大層な名前も冠していやがる。
その名前は俺でも聞いたことがあるぞ。
漫画やアニメ、ラノベやゲームなど、幅広いエンタメコンテンツにちょくちょく登場するモンスターだ。
だいたい海に出現するドラゴンとして描かれることが多い。
無論、多少レベルアップした程度で敵う存在でないことくらい俺だって理解している。
アレはまともにやりあっちゃダメな類いの上位存在だ。
クソッ、急ピッチで対抗できるスキルをこの場で購入するか……!?
――……タチサレ。
「ぷくっ……!?」
さっさとトンズラこかせて貰おうと逃走準備をしていた所、どこからともなく重低音の声が響いてきた。
一瞬アドバイザーかと思ったが、声質が違う。
アドバイザーの無機質な人工音声とは打って変わって、腹底を震撼させる魔王のような恐ろしい声音だった。
今の声ってまさか……。
俺は眼前のリヴァイアサンに恐る恐る視線を合わせる。
百メートルくらいは離れていそうだが、互いにばっちりと目が合っている確信があった。
――……スグニ、ココカラ……タチサレ……!
「ぷくぅ!?」
や、やっぱりか!?
まさか今のってリヴァイアサンご本人が喋ってらっしゃる!?
お、おーい!
聞こえるかー!
これ俺の声って届いてるのかー!?
「ぷくぷくーー!」
俺はヒレをパタパタと動かし、必死にリヴァイアサンにアピールする。
何気に、この世界に来て初めての会話だ。
まあアドバイザーとは話していたが、これはAIみたいなモンだからな。
生物との会話は一度もなかった。
まさか異世界の初会話の相手がドラゴンになろうとは、誰が予想できただろうか。
――……コトバモカワセヌトハ……クダラヌ、ザコカ……。
ん?
リヴァイアサンさんが口を開けた。
――……ヤハリ、ココデ……コロス。
その口に凄まじい量の魔力が集積し、怪しい光を放ち始める。
絶対アレ、ブレス攻撃だ!!
ちょおおおい!
俺の声は届いてないのか!?
もしもし!
もしもーーーし!!
《リヴァイアサンはエクストラスキル〈思念伝達〉を使用し、言葉を送信してきております。しかし、マスターが〈思念伝達〉スキルを有していないので、マスターの言葉をリヴァイアサンに送信することはできません》
なにぃぃぃ!?
だから話が通じなかったのか!?
ふと見ると、リヴァイアサンのブレスがどんどん充填されている。
今から逃げても恐らく間に合わない。
ヤバイヤバイ!
だったら俺にも〈思念伝達〉のスキルをゲットさせてくれ!
《〈思念伝達〉のスキルを検索します》
瞬時にウィンドウ画面が現れる。
――――――――――――――――――――
エクストラスキル:思念伝達 1000ポイント
――――――――――――――――――――
はあぁっ!!?
せ、せせ、千ポイント!?
〈思念伝達〉はエクストラスキルだから、消費するスキルポイント量も多いというのか!?
一瞬二の足を踏んでしまう値段だが……リヴァイアサンと対話ができるというなら安いもの。
そのスキル……買った!!
《――スキルポイントの清算が完了しました。〈思念伝達〉がステータスに追加されます》
アドバイザーの言葉を聞いたと同時、俺は〈思念伝達〉を発動させて再び全力でリヴァイアサンに向けて叫ぶ。
おーーーい!!
俺の言葉聞こえますかぁーーー!!
「…………、」
リヴァイアサンが微かに反応した……ような気がした。
だが、いまだブレスの充填は止まっていない。
俺は白旗をブン回すようにその場でぐるぐると泳ぎ回り、ヒレをぶんぶんと振り回した。
「ぷくぷくーーー!!」
俺に戦う意思はないんですーー!!
この場所に来たのもたまたま偶然なんですーー!!
だからどうか命だけはーーー!!!
「…………」
今度は、ピタリとリヴァイアサンの体が停止した。
数秒ほど経って、ギロリと紅い眼光が刺さる。
――……ワレノ、コトバガ……キコエルノカ……。
「ぷく!」
はい!!
聞こえます!!
もうめっちゃくちゃ聞こえておりますーー!!
体を上下に揺らし、全力で首肯する。
俺の言葉が届いたのか、リヴァイアサンのブレスの充填も止まった。
――……ナラバ、ココカラ……タチサレ……!
「ぷくっ!」
はい!
立ち去ります!
今すぐこの場から消えますので、どうか命だけはお助けを!!
――……ザコニ、キョウミハナイ……。ワレノ、アンミンヲ……ジャマスルナ……!!
安眠?
もしかしてリヴァイアサンはこの海底遺跡の中で眠ってたの?
興味本位で海底遺跡を見学しようとしていたが、そのせいで虎の尾を踏んづけてしまったのか……!
こうしちゃおれん。
さっさと退散だ。
せっかくフグに転生したっていうのに、異世界の空も拝めぬまま粉微塵になって死ぬのは御免である。
――…………。
俺は心の中で精一杯の敬礼をして、くるりと丸い体を反転させた。
リヴァイアサンさんの口に溜まっていた魔力は徐々に霧散している。
発動をキャンセルしてくれたようだ。
マジでありがたい。
心の中で最大の感謝を告げつつ一目散に逃走しようとヒレに力を込めた瞬間、脳内に重く声が響く。
――……マテ。
ピタリ、と体が固まった。
えっ。
い、今のってリヴァイアサン、だよな?
せっかくこの場から離れようとしていたのに、急に呼び止められた。
な、なぜだ?
まさか突然気が変わってやっぱり殺すとかそんな理不尽な展開にならねぇだろうな!?
ビクビクしながら背後を振り返ると、リヴァイアサンさんは変わらぬ威圧感を放ちながら。
――……キサマ……『魔』ノモノカ……?
え、まのもの?
なんだ、『まのもの』って。
そんなお吸い物みたいな。
あっ、もしかして『魔の者』って意味か?
……で、『魔の者』ってなんなん??
《恐らくですが、『魔の者』とは"魔界に属する者"あるいは"魔族"を指している表現かと思われます》
魔界に……魔族!?
やっぱこの世界って魔界があって、悪魔とかの魔族もいんの!?
《はい。魔界の支配領域はこの惑星の約三割に相当します。補足として、"海の魔境"である『滅びの呪海』を越えた先には魔界の地が広がっており、そこには数多の魔族が存在しているものと考えられています》
そうなのか……!
あ、もしかして人間界と魔界の橋渡しとなる境の領域だから、『魔境』って呼ばれてるのか?
《その通りです。近年、魔界では新たな魔王が復活したとの情報があり、人間界における魔族の進攻や摩擦が増加傾向にあります》
魔王!
そうか、魔界があるならその土地を統べる魔王がいるのは自然だよな。
にしても魔王か……できれば一生関り合いになりたくない存在である。
「ぷくっ!」
っと、いけないいけない。
思考が逸れる所だった。
何はともあれ、『魔の者』については何となく理解した。
それを踏まえて、俺は〈思念伝達〉を発動させる。
あ、あのー、よく分からないんですけど、多分俺は『魔の者』じゃないと思います~!
「…………」
リヴァイアサンさんは何の反応もなく黙りこくった。
そのまま数秒間、地獄のような無言の空気に耐えていると、リヴァイアサンがかすかに頭を振った。
――……イッシュン、マオウサマニ……チカイオーラヲカンジタガ……キノセイカ。
リヴァイアサンは独り言を呟くように告げた。
俺は依然として固い表情のまま微動だにしない。
――……キエルガイイ。ワイショウナル、マモノヨ……!!
はいぃぃぃ!
本日は大変お騒がせしましたぁあああああ!!
俺は全力で謝罪を叫びながら俊敏に身を翻し、今度こそリヴァイアサンの前から姿を消すのだった。