無価値の紙切れ
「本日を以て、ジルガ新貨と金銀の交換を停止する。」
国王レオニダス四世の宣言は、雷鳴のように王国中に響き渡った。
だが、それは雷鳴ではなく、地中深くでうごめいていた巨大な地殻がついに割れ、崩壊が始まった合図だった。
交換停止の布告が出た翌日、中央銀行の窓口はすべて閉鎖され、交換を求めて並んでいた群衆は絶叫し、ドアを蹴り、窓を割った。
だが、衛兵隊の前に立ちはだかれ、王国軍の弓兵が矢を番えると、民衆は歯ぎしりしながら散っていった。
「国が、私たちを見捨てた!」
「じゃあこの紙切れは何だ!?金と交換できないなら、何の価値があるんだ!」
街角で破られるジルガ新貨。
道端に散らばり、雨に濡れ、泥水に溶けていく紙幣の山。
風に舞うそれは、もはや落ち葉以下の価値しかなかった。
だが、その直後から、国の「現実的な解決策」が始まった。
「紙幣の増刷」――それが唯一の「手段」だった。
「国庫に金銀はない。しかし、紙は刷れる。国王陛下は『民のために』と言うが……」
中央銀行の奥、印刷工場では、昼夜を問わず巨大な印刷機が唸りを上げていた。
新貨の束が吐き出されるたび、作業員たちは無表情に紙幣を数え、帯封を巻いては積み上げた。
インクの匂いが充満し、作業員の手は常に黒く汚れていた。
「…これで本当に、国が救われるのか?」
誰もがそう思いながらも、印刷を止めることは許されなかった。
一年後――
インフレ率は、天文学的な数字に到達した。
一年前に1ジルガで買えたパンは、いまや100億ジルガにまで跳ね上がり、街の物価表は毎日、何十枚もの改訂札が貼り重ねられていた。
「白紙より安い紙幣」の悪夢は、現実となった。
市場では、白紙の紙が1枚100ジルガで売られているのに対し、同じサイズの新貨100ジルガ紙幣は、もはや誰も受け取ろうとしない。
それどころか、パン屋では「商品を包む紙」として白紙の方が重宝され、紙幣は燃やして暖を取るための「燃料」としてかろうじて使われる始末だった。
街の広場では、子供たちが紙幣をちぎっては空に放り投げ、「紙吹雪遊び」をしている光景すら見られた。
それはかつて、国家の信用を背負った紙幣だったものだ。
狂気の市場
王国最大の穀物市場では、もはや「価格」という概念自体が崩壊していた。
「今日の小麦1袋、2兆ジルガだ!…いや、3兆!早い者勝ちだ!」
「昨日の金額を言うな、意味がない!」
「払う?ジルガ新貨で?ふざけるな!銀か塩で払え!」
誰もが叫び、誰もが震え、商人たちは狂ったように紙幣の束を抱えて走り回っていた。
だが、その「束」は、もはや「束」である意味をなしていなかった。
床に落ちた紙幣の山を、誰も拾わずに踏みつけていく。
刷れば刷るほど、価値が下がる。
「需要があるから、刷ればいい。」
そう信じていた王国政府は、ついに理解する。
――刷ること自体が、価値を殺す行為だったのだと。
「ジルガ新貨発行総額、1京ジルガを突破。」
誰かがそう口にしたとき、その「京」という桁すら、誰も意味を理解できなくなっていた。
通貨の「数字」は天文学的なものへと膨れ上がり、だが、それが示す価値は、ゼロに近づく一方だった。
中央銀行の印刷室では、疲れ果てた作業員が刷り上がった新貨の束に頭を預け、涙を流していた。
「何のために刷ってるんだ…これ…」
彼の手の中で、刷りたての新貨が音を立てて崩れ落ち、ただの紙くずとなって床に散った。
その光景は、まるで国家そのものの崩壊を象徴していた。