「価値」の再定義
執務室を飛び出した俺は、王宮の廊下を早足で歩いていた。後ろから財務局長カルムが必死に追いかけてくる。
「閣下!どこへ…!?」
「民の声を聞きに行く。」
王宮の外、中央広場には黒煙が立ち込め、怒号と叫び声が響いていた。
「パン一斤が一億ジルガ!?ふざけるな!」
「昨日の金貨じゃ、もう何も買えないぞ!」
「国王は何をしている!?」
国民たちは絶望と怒りの中で、紙幣を燃やし、路上で商品を物々交換している光景が広がっていた。
「…これが、ハイパーインフレの現実か。」
胸が苦しくなる。
数字の上では知っていた。しかし、こうして目の当たりにすると、貨幣の信用が崩れた社会がどれほど恐ろしいものか、肌で感じた。
「…だが、貨幣はただの紙だ。問題は"信用"だ。」
俺はふと、前世の記憶――大学で経済学を学んだ頃の講義がよみがえる。
『貨幣の価値は、人々がそれを価値あるものと信じる限りにおいてのみ存在する』
…だったら、この国の人々に「信じさせる」しかない。
「カルム、いますぐ国王陛下に謁見を願う!あと、国庫に残っている金銀の在庫リストを出せ!」
「か、閣下!それは……!」
「いいからやれ!あと、各都市の有力商人たちを集めろ。国の信用を回復するには、まず彼らの信頼を得る必要がある!」
カルムが慌てて駆け出していく。その背中を見ながら、俺は拳を握りしめた。
数時間後、王宮会議室。
「つまり、貴公は新たな通貨を発行し、金銀を裏付けとした信用回復を行うと申すか?」
国王、レオニダス四世の声が低く響く。
玉座の間には王族、貴族、そして俺の前に座る各地の有力商人たちが集まっていた。
「その通りです、陛下。」
俺は堂々と答える。
「通貨の価値は、国家が保証し、裏付けをもって支えることで成り立つもの。今のジルガ紙幣は、国庫の金銀に対して無限に刷り続けた結果、信用を失いました。」
「……では、貴様の策は?」
「新たな金本位制を導入します。」
会場がざわめいた。
「"ジルガ新貨"を発行し、これを金銀と等価交換可能な"兌換券"とします。通貨の発行量は金銀準備量に連動させ、これ以上は刷らない。まずは商人たちにこれを配布し、信用を取り戻します。」
「だが、金銀の量など限られておろう。」
「確かに。しかし、これを基に『信頼』を積み上げます。新貨の価値を保証する法令を発布し、違反者には厳罰を。さらに、国として市場での取引を優遇し、新貨での納税義務を課すことで、国民に新貨を受け入れさせます。」
「強制か。」
「そうです。強制で構いません。最初は恐怖であれ、罰則であれ、『使わざるを得ない』状況を作る。その中で取引が成立し始めれば、やがて『これで払える』『これで買える』という実感が国民の間に広がり、徐々に"信用"が回復します。」
静寂が会議室を包む。
商人たちは顔を見合わせ、国王は腕を組み、ゆっくりと俺を見つめる。
「貴様、面白いことを言うな……。」
国王の口元がゆっくりと歪む。
「よかろう、金融大臣レオン・グランヴェル。貴様の案、採用してみせよ。ただし――失敗すれば、貴様の首で責任を取れ。」
「――承知。」
俺は深々と頭を下げた。
これは、命を賭けた賭けだ。
だが、やるしかない。
(よし、次は商人たちをどう納得させるか――交渉の時間だ。)
こうして、異世界の金融改革、レオンの挑戦が本格的に動き出したのだった。