始動の時
アストリア港、夜明け前の薄明かりの下で、DCSの中央認証ノードが静かに稼働を始めた。
魔素の波が街の上空を淡く震わせ、港の荷積み場には初めて「分散信用証明」の旗が掲げられた。
その旗の下、商人たちがEJ端末を掲げ、労働者が荷を運び、役人が符文を刻む。
「…これが、始まりだ。」
俺は港の高台で、息を呑んだ。
DCS――分散型信用システムが、ついに正式稼働した。
王の勅命のもとで始まった国家プロジェクトは、今や港から内陸の市場、村々の交易所へと少しずつ広がり始めていた。
特権階級の解体、そして再配置
だがその裏で、かつての貴族たちの屋敷には、静かに瓦解の音が響いていた。
「荘園管理権限、港湾関税徴収権、地代徴収権…これらの特権はすべて廃止され、国家の信用管理局に移管される。」
布告が読み上げられた瞬間、王都の議事堂には怒号が渦巻いた。
「ふざけるな!代々我が家が管理してきた土地を奪うのか!」
「取引の記録を公開?それは我々の恥を晒せというのか!」
だが、完全な放逐ではなかった。
「お前たちの知識は、この国の資産だ。」
王は玉座から静かに告げた。
「交易、会計、法、歴史、外交――その知恵を、国のために使え。
お前たちには、新たな役割がある。」
貴族たちは抵抗したが、最終的には折れた。
荘園主は「土地税調整局」の専門官に、
交易貴族は「国際取引監理局」のアドバイザーに、
会計貴族は「信用評価局」の審査官に。
かつての特権階級は、知的労働の担い手として再配置された。
彼らは気づいていなかった。
「今は必要とされているが、やがてDCSの一般公開が進めば、
その専門知識すら、市民の手に解放される。」
特権が溶け、均され、知識さえも公共のものとなる未来が、確実に迫っている。
それはまだ遠い未来の話に見えたが、確かにそこにあった。
国家システムとして動き始める歯車
王都の「信用評価局」では、かつて伯爵家だった者が、若い商人の申請書に目を通し、
「これは正当な取引だ。信用スコアの更新を承認する。」
と判を押していた。
その隣では、元侯爵の老紳士が、税率の変更提案をめぐり、若い庶民の監査官と議論を交わしていた。
「法の精神とは何だ?お前は分かっていない!」
「ですが、信用の価値は一部の知識人だけのものではありません!」
かつてならあり得なかった光景が、そこにあった。
貴族の知識が、民の知恵と交わり、国家の仕組みの一部として組み込まれていく。
それは、痛みを伴いながらも、確実に未来へ繋がる変化だった。
遠い未来への約束
夜、俺は港の高台で、街を見下ろしていた。
EJ端末を掲げ、笑い合う商人たちの声。
「これで取引履歴は誰でも見られるんだろ?便利じゃないか!」
「誰も嘘をつけない。それが一番だ!」
だが、その足元で、かつての貴族たちはまだ「自分たちの居場所」を模索していた。
「このままでは終わらんぞ…。」
「いや、終わるんだ。この国は、信用が流れる国になる。
血筋ではなく、価値が物を言う時代になる。」
それは、まだ遠い約束だ。
だが確かに――その時代は、始まりつつあった。