分散の理想
夜の執務室、青白い光を放つEJ端末を見つめながら、
俺は震える手でペンを握り、紙に殴り書きを始めた。
「中央管理を排し、信用は国民一人一人の手に。
取引の検証は分散化し、いかなる権力も個人の信用を支配できない構造にする。
信用データは複数の独立したノードに分散保存。
アクセス権は全員が持つ。
誰も信用を独占できない。
誰も信用を奪えない。」
震える文字が紙面を埋めていく。
「これは――分散型信用システム(DCS: Distributed Credit System)だ。」
「もはや王政の掌に全てを預ける時代ではない。」
俺は息を整え、背筋を伸ばした。
「この国を、未来を、誰か一人の支配下に置いてはならない。」
「たとえ、それが王であろうとも。」
王の影
だが、その決意を胸に秘めたまま、
俺が王宮の大広間に入ったとき――
空気が凍りついた。
玉座に座る王は、無表情で俺を見下ろしていた。
その隣には、かつては沈黙していた貴族たちが居並び、
その目に宿るのは、冷たい光と、微かな嘲笑だった。
「大臣殿。」
王の声が響く。
「貴殿が最近示す"分散型"の構想は、王国の統治権を脅かすものではないか?」
「…陛下、それは――」
「言葉を選べ。」
王の声が低く、鋭かった。
「信用は王の信頼によって成り立つ。
それを国民一人一人の手に委ねるなど、無秩序と混乱を生むだけだ。
この国の秩序を崩す気か?」
貴族たちは一斉に俺を睨み、静かに頷いていた。
「粛清の機運が漂っている。」
背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
技術の光と影
執務室に戻った俺は、窓の外の港を見下ろしながら、苦しみに満ちた息を吐いた。
「信用を可視化し、誰にも奪われない価値にする。
それが理想だった。
だが――理想は、力を持った者にとって、支配のための最強の鎖にもなる。」
EJシステムが王に利用され、カリスタのようなディストピアを生む未来が、
すぐそこにあると分かっていた。
「もしこのまま、王の意志に従えば…。」
「もし俺が、技術を守るために理想を曲げれば…。」
頭を抱える。
目を閉じると、報告書の行が浮かんだ。
「信用の名の下に、誰が誰を縛るのか。」
その言葉が、胸を刺した。
「…守るべきは、王の権威ではない。
国の未来だ。
人々が、自由に取引し、価値を生み出し、
誰にも奪われずに生きられる、その未来だ。」
火種と決意
その夜、俺はカルムとサラを密かに呼び寄せた。
「…分散型信用システム(DCS)、これを秘密裏に開発する。」
「だが、それは王政への反逆を意味する。」
カルムの顔が蒼白になる。
サラは、何かを諦めたように、ただ頷いた。
「分かってる。
でも、これはやらなきゃいけないんだ。」
「俺たちは――何のために信用を作った?」
夜の闇の中で、青白いEJ端末が微かに光を放っていた。
その光は、かつては「信用の希望」だったはずのもの。
だが今、俺には、それが「王の檻」に見えていた。
「変えるしかない。」
「技術を、力を、価値を、人々の手に取り戻すんだ。」
俺は拳を握りしめ、覚悟を決めた。
この戦いは、命を賭けた戦いになるだろう。
だが、もう――引き返すことはできなかった。