孤独な誠意
俺は机に伏せたまま、乾いた目を無理やり開け、手元の帳簿を睨みつけていた。
数字が霞んで見える。いや、見たくないのかもしれない。
ペンを持つ手が震え、何度も書き直したメモは擦り切れ、ページの端は黒ずんでいた。
「…なぜ、こうなる。」
小さな声が漏れる。
国庫の残高、税収の推移、紙幣発行枚数、各都市から届く市場報告――。
全ての数字が、俺の誠意を嘲笑うように、破滅の方向へと突き進んでいた。
金銀準備を基盤とする「健全な財政」への道筋を描いたのは俺だ。
人々を救うため、貨幣の信用を回復するため、血の滲むような努力を重ねた。
各都市の商人たちに頭を下げ、交換制度の意義を説き、夜通しで資金繰りのシミュレーションを行った。
国王陛下の前では、何度も緊張で声を詰まらせながらも、必死で改革案を提言した。
「俺は、間違っていたのか…?」
だが、現実は残酷だった。
金銀の在庫は国の需要を支えるにはあまりに少なすぎ、交換を求める民衆の熱量を見誤った。
「紙幣を刷れば市場に活気が戻る」――そう信じて、追加発行を繰り返したが、そのたびにインフレは加速し、通貨の価値は下がり続けた。
新貨を「信用の回復のための手段」として発行したつもりが、いつの間にか「ただの穴埋めのための紙切れ」になっていた。
「……俺は無知だ。」
頭を抱える。
俺は経済学部出身の元サラリーマンだ。たしかに日本で学んだ「理論」は知っている。けれど、この世界の現実は、教科書とは違った。
信用の喪失がどれほど速く、どれほど深刻か――それを俺は肌で知っていなかった。
人々の恐怖、群衆の狂気、生活を支える「物資」の不足、それらが連鎖していく様を、ただ紙の上でしか知らなかった。
「俺は――"分かっていなかった"。」
机の上には、新貨の試作品の束が積まれていた。
その薄く軽い一枚を手に取り、光に透かす。
見慣れた双頭の金獅子が、薄紙の奥で微かに浮かび上がる。
「国の信用の象徴」――そんな理想を込めたはずの意匠が、今はただの空虚な模様にしか見えなかった。
握った手が震え、紙幣がくしゃりと折れる。
目を閉じると、怒号をあげる群衆の顔が浮かんだ。
「助けてくれ、大臣様!」
「どうしてこんなことになったんだ!」
「お前が信用を守るって言ったじゃないか!」
「俺は、誠意を尽くしたつもりだったんだ…。」
声が震える。
だが、誠意だけでは国は救えない。
理想だけでは人は生きられない。
俺が知らなかった「現実」の重みが、肩に、胸に、心臓にのしかかってくる。
「俺には、力が――知識が、足りない。」
静かな夜、王宮の外にはまだ怒声が響いている。
紙幣を燃やす火の粉が、暗い空に舞い上がり、星の光と溶け合っていた。
その光景をただ見つめながら、俺は机に額を押し付け、震える声で繰り返した。
「…どうすればいいんだ。どうすれば、この国を救えるんだ…。」
夜は静かだった。
しかし、胸の奥には、嵐のような絶望が渦巻いていた。