猫 高級車 貯金箱
いつもの時間、いつも場所。
彼の音が聞こえる。
私は思わず鼻歌を口ずさむ。
黒塗りの高級車が私の前で止まる。
車から降りた彼は私に近寄り、少し微笑み私の頭を撫でる。
それだけで私の心は満たされる。
いつものように彼は助手席の扉を開きスマートにエスコート。
表情に出さないように我慢していたが、嬉しさが勝ってしまい車に飛び乗ってしまう。
そんな私を見て、彼はやはりまた微笑む。
助手席には黒猫の貯金箱と金木犀の花束。
私は金木犀の匂いが好きだ。
彼の匂い、それでいてどこか懐かしい匂い。
彼は1年に1度、金木犀の花束を持ってくる日がある。
つもり、今日はそういう日なのだろう。
彼は研究者で多忙だが、この日だけは必ず休む。
助手席から見える景色が動き出す。
そして彼はいつものように他愛のない話を始める。
彼女は金木犀が好きで、君も気に入ってもらえたみたいで嬉しいとか。
黒猫の貯金箱は娘への誕生日で喜んでもらえるか少し不安だとか。
研究していたアレルギーを治す薬がついに完成しただとか。
話の内容はあまり理解できないけど、彼の嬉しそうに喋る顔が好きだ。
頬ずりしたくなる。
そんなことを考えていると助手席の景色がちょうど1年前に戻った。
降りる時も彼はエスコートを欠かさない。
彼は前を歩きだす。
その後ろ姿に惹かれるかのようについて行く。
2人で白い十字架が無数に並ぶ道を歩く。
会話はないが不思議と心地が良い。
彼とは外でしか会えない関係だけれど、それでも良いと改めて思う。
彼はある白い十字架の前で足を止める。
その十字架の前に花束を置き、祈るように目を瞑る。
瞑った目からは涙が溢れている。
私は彼に体を寄せる。
彼は私を抱き寄せ、私の胸の中で泣いた。
散々泣いて少し落ち着いたのか彼が顔をあげる。
涙で顔がくしゃくしゃだ。
でも、なんだかそれが愛おしい。
彼の涙を舐めて、少ししょっぱいわなんて…。
彼が微笑む。
少しして彼は真剣な顔で私を見つめる。
そして口を開く。
「俺と一緒に住まないか?」
私は彼の手の中から飛び出し逃げていた。
分からない。
嬉しいなずなのに。
でも、どうしても彼の涙の原因が私になって欲しくなかった。
無我夢中で走った。
どこまで走っただろう。
ここはどこなのだろう。
日はすっかり暮れている。
それでも、私は走る足を止めない。
彼の音が聞こえる。
助手席から見た景色を思い出してた。