序
ミリアム・アーヴィングは、もうすぐ十歳だった。
来たる誕生パーティーにはかわいいアナウサギの形をしたミートローフに、たっぷりのナッツが入った甘いトフィー、色とりどりのカップケーキが並ぶのだろう。大人たちのためにたくさんのお酒も用意されるそうだが、それはまだミリアムには関係ない。
初等学校のクラスメイトは誰もお祝いに来ないけれど、仕方のないことだった。
ミリアムの家は、悪魔の棲む屋敷だと噂されている。もっと小さい頃は、それを悲しく思ったこともあった。けれどもミリアムは、もうすぐ十歳だ。十歳の女の子は人前でわんわん泣いたり、怒って噛みついたりしてはいけない。たとえみんなの言う「悪魔」が、ミリアムの大好きなお姉ちゃんのことであっても。
獣のような唸り声を遠く聞きながら、ミリアムは妹のベッキーと一緒に、書斎の机の下に隠れ潜んでいた。イヴリンが叫びだすと、勝手に蛇口から水が出たり、風もないのに窓が閉まったりすることがある。本だって、いつ部屋の中を飛び回り始めるか分からない。
イヴリンの喉から出ているはずなのにちっともイヴリンの声でない声と、神父様たちのお祈りの声――イヴリンをいじめる声が、交互に聞こえてくる。
妹のベッキーは、少し前までは怖がって泣いていたけれど、どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだった。鼻の頭を真っ赤にした可哀想なベッキーを起こさないように注意しながら、ミリアムはこっそりと机の下から這い出す。
かちこちに凝った首をぐるりと回し、ミリアムは大人ぶって肩を竦めた。
「イヴリンのアップルパイは諦めた方がいいかも。……いちばん楽しみだったのにな」
誕生日のケーキとしてミリアムがイヴリンにリクエストしたのは、ミリアムの両手の長さよりも大きなアップルパイだった。かわいいピンク色のケーキや、珍しい果物がいっぱい乗ったタルトより、ミリアムはイヴリンの作るアップルパイが大好きだった。
イヴリンは作ると約束してくれたけれど、今度の悪魔祓いはこれから一週間続く予定で、ミリアムの誕生日は四日後だった。きっと、間に合わない。
唇を尖らせたミリアムに、壁にかかった肖像画が囁いた。
「力を貸してあげようか? 司祭よりもずっと強い、悪魔を地獄へ送り返す力を君に」
力があれば、ミリアムはいつでも大好きなイヴリンを助けてあげられて、小さなベッキーも泣かずに済み、誕生日のアップルパイも食べられる――その言葉は、九歳の少女にはあまりに魅力的だった。
ミリアム・アーヴィングは、ただの九歳だったのだ。――彼と出会う、その日まで。






