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嫌われ婚約者、強いお嫁さんを所望する。

作者: 三郷たもつ

異世界ラブコメ?です。

強い男子と強い女子が出会ったら…というお話です。

「ホントに使えない婚約者ね」


 騎士となるために研鑽を積んできたアウゼビ・デ・ガルシアに、婚約者のパウラ・ロレンソは吐き捨てるような台詞を投げつけた。

 二人の間に交わされたのは、伯爵令息が公爵家に婿入りする形で結ばれた婚約だった。

 ロレンソ公爵家は絶大な権力をもつ国随一の大貴族だったが、男子が生まれず、長女パウラを跡継ぎとして、その婿となる人物を探していた。

 ガルシア家は代々騎士を輩出する家柄であり、長男のアウゼビも御多分に漏れず騎士を志し、騎士団で勤務していた。その実力は騎士団内でもずば抜けており、真面目な熱血漢だが、常に最前線で戦うことを望む戦闘狂とも呼ばれていた。

 一方で家督にはあまり興味がなく、弟のルーカスに家督を継がせ、自身は騎士として生きていくと宣言していたが、周囲も、弟さえも、アウゼビに家督を継がせたいと望んでおり、対立が続いていた。

 そこに目をつけたロレンソ家がアウゼビに協力を申し入れ、爵位を盾に婚約となった。


 パウラはその豊かな胸や白銀の美しい髪から華のある美女として有名だったが、性格はかなり我儘な女性で、婚約後、アウゼビは日々、振り回される生活が始まった。

 騎士団の制服がカッコいいからと、事あるごとに、意味もなく騎士の礼服で来るように強制するのは可愛いもの。公爵家の方が資産が多いだろうに、何かにつけて高価なアクセサリーやドレスのプレゼントを強請る。感情的に怒鳴りつけ、言う事を聞かせようとする。申し出てきたのは公爵家にも関わらず、アウゼビを「長兄のくせに家督を継げない駄目な男を、公爵家が、私が貰ってやった」と高らかに宣言する始末。

 家督は継がずとも、いつかは嫁を、あるいは婿にと考えてはいたアウゼビも、我儘な婚約者にかなり参っていた。

 


 そんな我儘な婚約者に嫌でも慣れてきた頃、ロレンソ公爵から娘パウラへ課題が言い渡された。領地経営に伴う諸問題に関する提案書の作成だ。

 婚約したと言っても、パウラの成人まで婚姻を進める予定も無く、騎士団で勤務と訓練に日々励んでいたアウゼビに、パウラから緊急の呼び出しがかかり、課題のことが伝えられた。


「俺……私にどうしろと?

 その課題は公爵の名を継ぎ、領地を経営することが決まっているパウラ様への課題、なのでしょう?」


「将来、私を支える夫として、この課題にも協力して取り組むのが筋ではなくて?

 そんな事もわからないのかしら?」


「私は婿入りした後、領地経営の中でも特に、騎士の育成や自警団の整備など、軍事と治安維持を中心に担うことで公爵と話がついています。

 今回渡された課題は、農業における現状の課題と改善案の提示です。ロレンソ公爵領の気候や土地の特性を理解していれば、さほど難しくないかもしれませんが、私はまだ領地に赴いたこともありません。見てもいない領地のことは答えられません。パウラ様の方がお詳しいのでは?」


 これは領主となるパウラが、自力で答えなくてはいけない課題だ。

 ロレンソ公爵と話していても、パウラが領主になり、アウゼビは補佐、世継ぎを産むための配偶者でしかないと釘を刺され、決して前に立たないようにと厳命されている。その代わり、国内有数の騎士団を所有するロレンソ領の軍事部門を任せるという約束だったのだ。そして領主の配偶者として、やるべき仕事以外に口を出すことも禁じられた。領地の資産に関わる機密事項を他領に漏らす可能性が、万に一つも無いようにという公爵の意向だろう。

 だからこそ、やんわりとお断りしたつもりだったが、アウゼビの思惑は、パウラにまるで理解されないようだった。


「領地のことなんて、資料に目を通せば良いだけの話よ!

 それとも、こんな課題さえ、貴方はまともにできないの?」


 反論を許さない我儘お嬢様の無理難題に、アウゼビは仕方なく、慣れない書類のために筆を執った。


 ロレンソ領について得られたごく僅かな資料や、パウラに質問して得られた情報から、作成した課題の回答書をパウラに渡して数日。

 再び呼び出されたアウゼビは、冒頭のように、開口一番、パウラに罵られた。


「この課題ができないならできないと、ハッキリ言って頂戴!

 お陰でお父様から、いらない叱責を受ける羽目になったわ」


 バサリと投げつけられ、宙を舞う資料の束は、目で追うだけでも、かなりの赤字修正が入っていた。

 当然だろう。

 回答の核心へ触れる部分に必要な情報が得られなかったため、そこを抜かす形で、あとはパウラに追記修正してもらえるように記載した、ただの下書きなのだから。

 そう伝えたはずなのに、パウラは目も通さずに公爵へ渡したのだ。


「パウラ様、これは元々未完成だとお伝えしたはずです」


「そんなの聞いてないわ。

 見た目が好みだったのに、こんなに無能なんて……。

 もういいわ、しばらく顔を見せないで」


 あっちへ行けと追い出され、公爵邸からつまみ出されるように帰されてしまい、アウゼビは途方に暮れた。

 だが、思い返してみれば、パウラと距離を置いたほうが、騎士団の業務や訓練に集中できるので、願ったり叶ったりの状況だと気づいた。


 そしてそのままアウゼビは、パウラに言われた通り、呼び出されるまで騎士団の勤務に励んだ。



 そして気がつけば数ヶ月が経過していた。

 この間、特にパウラから連絡も無かったからと、パウラを放っておいたのが良くなかった。これはアウゼビ自身も悪かったと後に反省している。


 

 王宮での舞踏会への招待状が届き、婚約者であるパウラのエスコートを行う必要が出てきた。

 アウゼビは騎士団の礼服だが、小物などは婚約者と合わせる必要があり、合わせのための日程を調整したいと連絡した。しかし、合わせは行わない、エスコートも不要だと事務的な手紙が届いた。

 舞踏会のエスコートは、父兄が行うことも多いため、アウゼビは特に深く考えず、了承の返事を書いた。

 

 舞踏会当日も、アウゼビは深く考えず、お決まりの騎士団の礼服を着て、一人で王宮に入った。

 ぼんやりと壁際に立ち、パウラを待つ。

 森の豊かな土壌を思わせる濃い焦げ茶の癖毛を短く刈り上げ、健康的な褐色の肌を晒し、瑠璃色の瞳が精悍な眼差しを美しく際立たせている姿は、壁の花であっても見る者の視線を釘付けにする。パウラと婚約するまで、幾人もの女性がアウゼビに思いを募らせ、玉砕していた。アウゼビの好みが、優しく、賢く、自分の意見をしっかり持った、対等でいてくれる相手、仕事に理解のある人ということで、一言で言うと騎士のような女性らしく、か弱きご令嬢は残念ながら、皆対象外だった。

 今回の舞踏会も、パウラ公爵令嬢と婚約していなければ……していたとしてもダンスくらいは……と狙っている令嬢ばかり。

 そんな事に気が付かないアウゼビは、義務として、パウラの姿が見えるのをじっと待っていた。


 程なくして、パウラが男性に付き添われて現れた。

 父のロレンソ公爵ではなく、金髪碧眼の若い男だ。

 寝耳に水の事態に、アウゼビは目を丸くした。

 あれは恐らく隣国の次期公爵だ。

 騎士として王族の護衛に当たっていた時に見たことがあった。

 今回の王宮の舞踏会は社交シーズンの始まりを告げるもので、シーズン中、他国の貴族は本来、数週間後に開かれる建国記念祭の式典からしか招待されない。招待できるとすれば、上位の貴族の正式なパートナーと限定されていた。

 パウラがそれを知らないはずがない。

 つまり、正式なパートナーとして男を伴っているということだ。

 パウラとアウゼビの婚約関係は周知の事実なので、周囲もざわついている。

 下手をすれば王族の決めたルールを破る行為として咎められかねない。

 アウゼビは背筋が凍る思いで、急いでパウラたちのもとに近づき、声をかけた。

 

「パウラ様、そちらの方はどなたですか?」


「あら、アウゼビ様はそんな事も知らないの?

 隣国の公爵令息であるエルミニオ様を知らないと?

 よくそれで王国の騎士が務まるわね。恥を知りなさい」


 唄うように罵ってくるパウラの様子はいつものことだが、事態が事態、場所が場所だけに、アウゼビは更に焦った。


「今のパウラ様は婚姻前のご令嬢です。父兄か婚約者である私以外をパートナーにするのは非常に外聞が良くありません。

 エルミニオ様に対しても、失礼な行いです」

 

「そのことなら問題ありません。

 今回からエルミニオ様が正式なパートナーになります」


 パウラの堂々とした声音に、アウゼビだけでなく、聞き耳を立てていた全員が驚いた。

 意味する所を感じ、絶句するアウゼビは、言葉を繋げることもできず固まってしまう。


 ――このご令嬢、ここまで浅はかとは……。


 ドヤ顔でふんぞり返るパウラに、アウゼビの背後から声をかける人物がいた。


「パウラ嬢、それはつまり、このアウゼビとの婚約を破棄し、エルミニオ殿と新たに婚約したい、という認識でよろしいかな」


 そう言ってアウゼビの肩を叩いたのは、この国の王太子、ルシアノだった。


「殿下!?」


 突然現れた王族にパウラは驚愕したが、ドレスの裾を摘み、実に優雅にカーテシーをした後、たじろぐこと無く自身の意見を主張した。


「これはこれは、殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。

 ええ、その通りです。

 私は、アウゼビ様との婚約破棄、及びエルミニオ様との婚約を受理していただきたく思います」


「それが意味することは、分かっているのかな?」


「当然です。王の名のもとに誓われた婚約を破棄する際は、必ず決闘にてその可否を問うと」


 たとえ双方の同意があっても、君主の前で取り交わされた誓約を違えることは、王国で許可されていない。形式的であれ、本当の奪い合いであれ、その正統性は神聖なる決闘で取り決められるという法律があった。

 そして婚約の変更が決闘の理由として最も多く、決闘は王国の娯楽的側面もあった。


 アウゼビは、この我儘な公爵令嬢に疲れていたというのもあって、先方からの婚約破棄の申し出は非常に有り難いと思ってしまった。

 ただ同時に、婚約破棄のためには自分が敗北する必要がある。国一番と評されるアウゼビの剣術を越えることができる人物を、パウラが準備できるのか疑問だった。

 そして決闘は御前試合であり、国王が参席されるこのような舞踏会で決闘を宣言しようものなら、その場での決闘となる。

 それを知っているのか?とルシアノは問うた。


「アウゼビ側は、アウゼビ本人が決闘者となるだろう。

 しかしパウラ嬢、君の方は今すぐ代理の決闘者を召喚できるのかい?」


「もちろんです。我が妹を代理といたします」


 そして、パウラの背後に控えていた背の高い女性騎士が、スッと前に出てきた。

 パウラとは違い、赤い髪に緑の瞳、少し気弱そうにも見える女性だった。

 

「イネス・ロレンソ、です。

 よろしく、お願いいたします」

  

 アウゼビは驚いた。


 主には2つの点について。


 1つ。パウラには公爵領に引きこもる愚鈍な妹がいると聞いていたが、騎士だとは知らなかったし、この場が初対面になったこと。


 1つ。パウラから聞いていた「愚鈍で、醜く、姉として恥ずかしい」と言われていた姿は、想像していたよりも、儚く、優しげで、でありながら、なびく赤毛、長いまつげと長い前髪の奥に隠れた翡翠の瞳には強い意志が宿り、思わず引き込まれてしまったこと。



 騎士のくせに気弱そうなのに、目が離せない、不思議な女性だと思った。


 そして、この女性が対戦相手なのかと、アウゼビは動揺を隠せなかった。


「パウラ様、待ってくれ。

 いくらなんでも女性となんて……。

 勝負にならないだろう」


 この御前試合、八百長はできない。

 それはあまりにも衆人環視となるから。そして騎士として恥ずべき行為だからだ。

 だからこそ、同じ騎士職としては、突けば折れてしまいそうなイネスと闘うことは、なんとしても避けたかった。

 だが、パウラは事も無げに言う。


「うちのイネスは愚鈍で使えない妹ですが、剣技においては並ぶ者がございません。

 家督を継げない腹いせに、ごっこ遊びで騎士なぞやっているアウゼビ様とは違うのですよ」


 パウラは、騎士として働くアウゼビを見たことがなかった。そして、その精悍な顔つきと、家督は弟が継ぐという事実から、アウゼビを自分の都合の良いように解釈していたのだ。

 アウゼビは、自分に対する絶妙にズレた評価よりも、素人のパウラが評価したイネスの実力が気になった。


 ――並ぶ者がいないほど、強いのか。


 それは、儚げな女性に心惹かれるよりも遥かに、戦闘狂のアウゼビの心をくすぐった。


 

 準備のために、アウゼビとイネスは一度会場から下がることになった。

 決闘用の衣装に着替えるため、更衣室に入る直前、アウゼビはイネス尋ねた。


「そういえば、アンタには名乗っていなかった。

 アウゼビ・デ・ガルシアだ。

 王宮騎士団に所属している。

 女性騎士とお見受けするが、ロレンソ公爵領の騎士団所属か?

 本当に私と闘って大丈夫か?」


 位の上ではイネスの方が上だが、騎士として年長になるものは、貴族位に関わらず敬語を外すのが通例だ。アウゼビはそう思って話しかける。

 すると、どことなくオドオドしていたイネスは、それでもはっきりと答えた。

 

「お察しの通り、ロレンソ領騎士団に所属しております。

 姉の幸せのためにも、私、負けるつもりはございません」


「パウラ嬢の幸せ?」


「アウゼビ様は、姉が困った時に、救いの手を差し伸べるどころか突き放したと聞いています。その後、詫びもせずに数ヶ月放置したとも。姉は泣き濡らしていました。

 そんな姉を支えたのがエルミニオ様です。

 姉がアウゼビ様に対して不誠実な行いをしたことは事実ですが、姉の悲しみも理解して頂きたいです。

 私は悲しむ姉ではなく、喜ぶ姉の姿がみたい」


 長い前髪の奥の翡翠の瞳には、変わらず強い意志が宿っていた。

 あの我儘な姉にどうしてそこまで入れ込めるのか不思議だが、それが姉妹というものなのだろう。

 パウラがイネスに伝えた事実がどこまで本当か怪しいものだが、アウゼビにも反省すべき点は確かにあったのかもしれない。


「わかった。

 決闘の結果がどうであれ、パウラ様には詫びなくてはいけないようだ」


「理解して頂けて嬉しいです。

 だからといって、手を抜くつもりはありません」


「それはこちらとて同じことだ」


 であれば、やはり闘うしかない。

 更衣室に入る彼女を見送りながら、アウゼビは腹を括った。


 

 更衣室で着替えていると、ルシアノが入ってきた。


「殿下、こんなところへ何の用ですか?」


 ムッとするアウゼビを尻目に、ルシアノはドカッと椅子に座った。

 

「大事な乳兄弟の晴れ舞台だよ。

 応援に来たに決まってるじゃないか」


 応援というよりは、からかいに来たという言葉の方が圧倒的に似合う笑顔に、アウゼビは更にげんなりした気分になった。


「女性と戦うなんて、騎士道に反する」


 2人しかいないからと、アウゼビは敬語をやめた。それがまた嬉しいのか、ルシアノはさらにニッコリと笑う。


「いやでも、あのロレンソ領の姫騎士様だろう?

 アウゼビだって、負けるかもしれないよ?」


「姫騎士?」


「通称ね。ロレンソ公爵の次女だから、騎士団からしてみれば、本来守るべき姫だもの。

 イネス嬢は引っ込み思案でパウラ嬢の方が優秀だと言われている。

 けど、こと剣技に関してだけ言えば、あの高飛車なパウラ嬢が認めなければならないほど、猛者の集まるロレンソ領騎士団で最強の名をほしいままにしているんだそうだ」


「そんな話、聞いたことがない」


「ロレンソ領は元々排他的で秘密主義だからね。ロレンソ領騎士団に所属している知り合いの話とロレンソ公爵から直々に聞いた話だよ」


「ロレンソ公爵からは、他にどんな話を聞いたんだ?」


「機密事項が多すぎるけど……そう、『娘二人とも、育て方を間違えた』だってさ」


「それはどういう?」


「推測だが、イネス嬢が剣技以外からきしの引っ込み思案なのは、姉のパウラに長年そのように洗脳されているからではないかと。本当は、イネス嬢、頭もよく回るらしいし、領地経営の大部分を既に担っているらしい。騎士の務めとも両立しているから凄いよね。

 そしてパウラ嬢は、本来優秀なイネス嬢が羨ましくて、イネス嬢は愚鈍だと本人に吹き込み続ける一方で、パウラ嬢自身は努力を怠っている。

 情報を繋げるとこんな妄想ができあがるかな」


 妄想だの推測だのと言うが、ルシアノは憶測だけで人を貶める発言はしない男だった。それなりに確信があるのだろう。

 だとすれば先程、イネスが妙にパウラの肩を持った事にも頷ける。


「イネス嬢はパウラ様が天使か何かだと勘違いしてるんじゃないだろうか」


「勘違いというか洗脳だな。

 その可能性は高いと思うよ。

 昔から言葉で攻め続けられて、醜く、愚鈍で何もできない愚妹、何をやらせても優秀で美しく自愛に満ちた姉という構造を作っているんじゃなかろうか」


「それが本当なら最悪だな」


「まあね」


「本当だとすればするほど、この決闘、勝つわけにはいかない」


 アウゼビが勝てば、パウラとの婚約が継続してしまう。


「おや、八百長でも?」


「いや、するつもりは無い」


「じゃあどうするよ?」


「勝利した上で、もう一度、決闘すれば良いだけの話だ」


 


 そして両者の準備が整い、ダンスホールには決闘のための空間が作られていた。

 二人は用意された決闘用の衣装に身を包み、お互い向き合う形で立った。

 アウゼビもさることながら、イネスの佇まいも先程より凛として、決闘用の美麗な衣装と相まって物語に出てくる騎士のようで、会場の女性陣は色めき立つ。


 ザワつく会場をよそに、ルシアノから事の経緯を聞いていた国王が、高らかに宣言する。


「これより、アウゼビ・デ・ガルシアとパウラ・ロレンソの婚約破棄を賭けた決闘を行う。

 決闘者(デュエリスト)はアウゼビ・デ・ガルシアとイネス・ロレンソ。

 決闘方法はファーストブラッド。

 先に血を流す、あるいは戦闘不能になった時点で敗北となる。

 各々、愛刀の準備はよいかな?」


「「はい」」


 アウゼビは白い鞘に収められた黒い片手剣をスラリと抜いた。

 肉のない骸骨のような剣だと、仲間内からの評判は最悪だが、振りやすく、斬れ味は抜群だった。


 対してイネスは、薄い細剣を抜いている。

 見るからに軽そうだが、その分打撃力は弱そうだ。

 しかし、この決闘においては、かすり傷でも勝利となるため、むしろ有利だろう。


 アウゼビは距離感を測りながら、油断なくイネスを見つめた。

 細剣を抜いてから、イネスの顔つきが変わった。

 戦場を駆け抜けた経験のある者にしか、出せない雰囲気を纏っている。

 そんなイネスをひと目見て、アウゼビは肌が粟立つのを感じた。

 眼の前の、自分よりもいくらか年若い儚げな少女が、纏って良い剣気では無い。


 ――油断などできない相手だ。


 武者震いと、自然に笑みが溢れた。


 その笑顔が、嘲笑われているように見えたのだろう。

 イネスはムッとして剣を握り直している。


「ふざけないで下さい」


 少し膨れたような顔を見せ、一瞬剣気を緩めた様子に、不思議な胸の鼓動を感じた。


「いや、すまない。

 アンタのことを見くびっていた。

 その構え、その剣気。

 一体どれだけの死線を潜ってきた?

 ロレンソ領にある国境付近での蛮族との戦役が、最近連勝を重ねていると聞いていたが、アンタの功績がどうやら大きいと見た」


 思わぬ褒め言葉に、イネスは顔を赤らめた。

 その表情だけみれば、年相応の可憐な少女だ。


「その、あの、ありがとうございます。

 で、でも、そんなことで手を抜いたりなんてしませんよ!」


「当たり前だ。これは文字通り真剣勝負。

 手を抜くことなどありえない」


 そしてアウゼビも剣を構え直し、殺気を放った。

 和やかな空気は瞬く間に冷え切り、イネスも口を結び、再び震えるほどの剣気を放つ。

 この一時だけは、周囲の目も声も何もかもが遠いところにあり、アウゼビとイネスだけの空間になる。


 そして、国王が叫んだ。


「はじめ!」



 二人は全く同時に動き出し、お互いの切っ先を同時に弾いた。

 アウゼビはその巧みな技能と腕力で、イネスはその神業のような技能のみで、お互いの剣をぶつけ合う。

 金属同士のぶつかり合う音が、会場に響く。

 肉さえ切れれば良いこの勝負。

 しかし、互いが互いの剣に阻まれ、髪の毛一本すらも落とせない。

 激しい攻防の後、二人はもう一度距離を取った。

 剣は互いに構えたままで、次の攻撃をいつ仕掛けようかと、睨み合う。

 ジリジリと読み合いが続き、しばしの膠着状態となった。

 どちらから動くのか、周囲が固唾をのんで見守る中、静寂を破る金切り声が上がった。


「イネス!何をしてるの!

 早く終わらせなさい!」


 無粋な声の正体は、もちろんパウラだった。

 結果だけを求める彼女に、闘いを見守る観衆は皆、眉をひそめたが、パウラは彼らの視線に気が付かなかった。


「姉のために早く勝利を!いいわね?イネス!」


 その怒気を孕んだ言葉に、イネスがビクリと震えた。

 動きがぎこち無い。

 パウラの怒る声は、彼女にとって、何らかの障害となっている。

 騎士としての振る舞いができなくなっているイネスに、アウゼビは怒りを覚えた。


「外野の声に耳を傾ける余裕があるとは、舐められたものだ」


 その言葉に、イネスは目を見開き、顔を強張らせた。

 そしてその無防備な、隙だらけの構えに、アウゼビは余計に腹が立った。

 歩法で一気に距離を詰め、敢えて剣で決着をつけず、アウゼビはイネスの耳元で囁いた。


「俺だけ見ていろ」


 顔を真っ赤にして後ずさるイネスに、追い打ちをかけるように、アウゼビは斬撃を放った。

 イネスはそれを驚異的な柔軟性て躱す。

 髪の毛が数本切られたが、バク転を繰り返しながら、アウゼビの攻撃をいなし、再び距離を取った。


「へ、変なこと、言わないでください!」


 イネスの喚く声に、観衆は不思議そうにアウゼビを見つめる。

 耳元で囁いた先程の言葉は、当然観衆には聞こえない。

 イネスの言葉には応えず、アウゼビは再度殺気を放つ。


「遊ぶのは、これで終わりだ。

 騎士として、周りに流されず、堂々と私と向き合え」


 その真剣なアウゼビの様子に、イネスはゴクリッと唾を飲んだ様子だった。

 一度目を閉じ、ゆっくりと目蓋を開いた時、そこにはオドオドした彼女はおらず、戦いに赴く戦士が立っていた。


「もう、負けません」


「こちらもだ」



 

 暫くの静寂が続く。


 

 そして、観衆の一人が、扇子を落とした。

 二人の視界には入らない。

 けれど、けたたましい音が、合図のように鳴り響く。

 

 光のような速さで、同時に二人は動き出し、お互いに刺し貫くように、お互いに剣を差し込んだ。


 ほんの一瞬のできごと。


 しかし、イネスの身体にはアウゼビの剣は届かず、アウゼビの頬には一筋の傷が走り、紅い雫が零れ落ちた。


 国王はこれを見て宣言する。


「勝敗は決した!勝者はイネス・ロレンソ!

 ここに、パウラ・ロレンソとアウゼビ・デ・ガルシアの婚約破棄を受理する」


 国王の宣言に湧く観衆、抱き合って喜ぶパウラとエルミニオを他所に、アウゼビは座り込んでいた。


 ――負けたのか。俺は。



 だが、久しぶりの心躍る勝負に、不思議と悔しさは感じなかった。

 ルシアノが近づいてこようとする雰囲気があり、そちらを向こうとした時、対面していたイネスがスッと手を差し伸べた。


「あの、アウゼビ様」


「イネス嬢」


「あの、先程、更衣室前で言った言葉、訂正いたします。

 私は、アウゼビ様と剣を交えて理解しました。

 貴方は、他人を蔑ろにする方ではありません。

 姉が本当に心から、貴方の行動を悲しんだとは思えないのです。

 それに、貴方は、とてもお強かった。

 こんなに強い方が、姉の言う、不真面目な方だとは思えないのです。

 私、ここまでの強者と闘うことができて、幸せでした」


 誰も彼も、家の人間も婚約者も、アウゼビの努力を理解してくれなかった。

 才能だから、強くて当然だと、あるいは、そんな強さは、貴族に不要だと、誰も褒めてはくれなかった。


 けれど、イネスは違った。

 強かったと、褒め称え、微笑んでくれた。

 誰一人、そんな事をしてくれる人はいなかった。

 そしてその笑顔に、アウゼビは心打たれた。


「イネス嬢。アンタは強かった。

 完敗だ」


「いえ、途中、その、変なことをおっしゃった時、アウゼビ様が勝つことだって、できたはずで」


「あれは横槍が入ったせいだ。

 あれで勝つのは筋違いだ」


「は、はあ」


 そうですか……と呟くイネスの前で、アウゼビは跪いた。

 

「なあ、イネス嬢。アンタ、婚約者はいるか?」


「い、いえ」


「恋人は?」


「そ、そんな人、いません!」


「なら、想い人」


「いません!訓練と執務でソレどころじゃ……」


「なら、俺が婚約者に立候補しても構わないか?」


「へ?」


「それとも、姉の元婚約者は嫌か?」


 そう言って、イネスの手を取り、アウゼビは手の甲にキスを落とした。


 その様子を見ていたルシアノがヒューッと口笛で囃し立てる。


「ぬぁ!?

 いや、その、嫌、じゃないですけど……

 こんな、素敵な方……私みたいな愚図で愚鈍な娘には勿体ないって……」


「イネス嬢は愚図でも愚鈍でもない。

 騎士として、一人の女性として、本当に素晴らしいと思う」


「そ、そんなこと……。

 そんな風に、言って頂けるなんて……初めて……。

 その、嬉しい、です」


 恥ずかしそうに、頬を赤らめ、しかし笑顔をみせるイネスの手をガッチリと掴み、アウゼビは目を輝かせた。

  

「そうか!

 なら、すぐにロレンソ公爵に連絡をしなくては。

 お父上の許可が降りたらすぐに、もう一度、会いに行く!」

 

 その宣言に、観衆がザワついた。

 すると、観衆の中からロレンソ公爵がヌッと顔を出した。


「呼んだか?アウゼビ殿。

 姉から妹へ乗り換えるとな?

 言っていることは分かっているのだろうな?」


 無表情で淡々と尋ねるロレンソ公爵は、適当な答えでは許してくれない雰囲気だった。


「ロレンソ公爵。

 この度は、私が不甲斐ないばかりに、パウラ様にご迷惑をおかけしました。

 誠に申し訳ございません。

 ですが、私はこの機会を経て、心から慈しみたい女性と巡り会えたのです」


「パウラの事は良い。

 それより、お前は、イネスを生涯、愛し続けられる自信があるのか?

 今日初めて会った相手だぞ?」


「私とパウラ様の婚約は、パウラ様にお目にかかる前に成立しました。

 これが、良くなかったのだと、痛感しています。

 もちろん、もっとイネス様を知っていく必要はあります。けれど、確信を持って、イネス様を愛すると誓えます!」


「おーい、イネス嬢より先にお父上に愛を誓ってどうす……」


 ルシアノがボソリと呟く。

 だがよく通る声なのと、王太子の発言なので、観衆の耳や、アウゼビの耳、イネスの耳にも当然入った。

 痛い所を突かれ、アウゼビはウグッと顔をしかめ、イネスは耳まで真っ赤になる。

 けれど、アウゼビの真剣な眼差しは変わらない。

 それを見たロレンソ公爵は、深く溜息をついた。


「やはり、娘は二人共、育て方を間違えたな」


「公爵、イネスは立派な騎士で、立派な女性です。そのような物言いは……」


「だが、自分に自信がないだろう?

 貴族としては致命的だな」


 パウラの悪しき教育の賜物だろうが、イネスの言葉の端々から自信の無さが垣間見えるのは事実だった。


「それは……」


「だから、アウゼビ殿が、次こそ上手く導いてくれ」


 そう言って、ロレンソ公爵は髭を撫でながらニヤリと笑った。

 

「公爵……」


「父上……」


 アウゼビとイネスはロレンソ公爵の微笑みに安堵し、それから互いに見つめ合って、思いを確かめた。

 

 そんな円満な婚約破棄と婚約成立に、観衆たちが胸を撫で下ろしていると、場違いな台詞が聞こえてきた。


「あら、アウゼビ様とイネスの婚約をお認めになるなんて、お父様もご寛大ですわね。

 であるなら、私とエルミニオ様との婚約も認めてくださいますか?」


 案の定、パウラだった。

 『育て方を間違えた』という公爵の台詞は聞こえていなかったようだ。

 ロレンソ公爵はまたしても溜息をついた。


「パウラ。エルミニオ殿と婚約する意味。

 分かっているのだろうな?」


「えぇ。家督はイネスに継がせます。

 私は隣国の次期公爵であるエルミニオ様に嫁がせていただきます」


 分かっているようだな、と公爵は頷いた。

 

「婚約破棄について、私の許可も得ず、独断で動き、王家の方々にご迷惑をおかけした点については、どう弁明する?」


「愛ゆえの焦った行動であったのは反省しております。

 ですが、アウゼビ様もイネスと出会えたのです。

 この感動的な出会いを王家の御前にお出しできたことを持って、お許し願えればと」


 あまりに不遜な物言いに、公爵は頭を抑えた。

 だが、ロレンソ公爵が口を開くより先に、国王が遠方より聞き及んで答えた。

 

「中々な物言いだが、悪い気はしない。

 よいよい。

 若者たちがそれぞれに幸せになろうとしておるのだ。

 我は構わんぞ」


 微笑む国王は、何故だがアウゼビに目配せしたように見えた。


「陛下……。勿体ないお言葉です。

 パウラ。それにエルミニオ殿も、陛下のお心遣いに感謝するように」

 

 ロレンソ公爵はそう言って、二組の婚約を認めた。

 そして、舞踏会が再開される中、ロレンソ公爵は声を潜めてアウゼビに告げた。

 

「パウラが持ってきた領地経営に関する課題の回答。

 あれはアウゼビ殿が書いたものだな。

 家督を継ぐ勉強はしていないと聞いていたが、ロレンソ領独特の問題を除けば、良くまとまっていた。パウラに書けるはずがない。

 人の手柄で自分の価値を高めようとするのパウラの良くない癖だ。

 イネスには、領地経営の才がある。頼んだぞ」


 

 これが、この国で後に有名なお伽噺となる、王国一の騎士の婚約騒動であった。




 数日後、イネスはロレンソ領から王都にあるロレンソ公爵邸に居を移した。

 本格的に家督を継ぐ修行のためである。

 アウゼビも、騎士団の任務の傍ら、イネスに寄り添い、領地経営の補佐および彼女の良き鍛錬相手として、新しい人生の準備を始めている。

 数ヶ月も経つ頃には、二人はすっかり良好な関係となり、アウゼビに毎日口説かれるイネスは、少しずつ自虐的な性格を改善しつつあった。


 二人が時にその知恵で、時にその腕力で国を支えていくのは別のお話。

 二人の結婚までに、降りかかる様々な困難もまた別のお話。


 ただ、ひとつ。

 隣国に嫁いだパウラは、嫁いだ先の公爵家が奴隷売買に手を染めており、嫁いで数ヶ月もしないうちにエルミニオ共々捕らえられ、爵位剥奪の上、貧民街へ放逐されたとのことだった。

連載の息抜きに書きました。

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