小さくて可愛いものになりたい
一人で住むには少し拾い二階建ての一軒家の一室で少女は考えていた。
何故こうなってしまったのか、と。
理由は、思いつくといえば思いつくのだが、それを認めるのは少しばかり恥じらいがある。
そして理由がそうだとしても、どうやってこの体になってしまったのか、というのがわからない。
不意に益体のない考えが少女の脳裏を過ぎる。
もしかして、神というのが居て。
隠された自分の願望を叶えたのではないか。
そんな馬鹿らしい考えを、少女は頭を揺らして振り払う。
もしそうだとしても余りにも脈絡がなさ過ぎる。
可愛くなりたい、呼ばれたいと何十年も想い隠してきたのがのが原因だなんて、ありえない。
そう思う少女、名前は駿河源太郎。
年齢二十九歳、身長二百十七センチ、体重百二十四キロのガタイの良いおっさんだったのだ。
「どうすっかなぁ。どう仕事先に説明すんだよコレは」
ぽつりと言いながら、ぶかぶかのTシャツと、立ち上がればすとんと落ちるゆるゆるのトランクスを摘み上げる。
体が二回りといわず四回り五回りも小さくなってしまったのだ。
眼に入る手足は非常に細く、心もとない。
髪だけはショートカットのままだったが。
だが……。
「困るよな。困るんだけどなぁ……」
無闇に、だぼつくシャツをばさばさとひらめかせて遊ぶ源太郎。
そしてその顔、元の厳つい四角面とは違い、まろやかふっくらの白パンのような丸みを帯びたそれを緩ませる。
実は憧れていたのだ。
ぶかぶかの服をだらしなく着こなすというシチュエーションに。
彼は生来身体が大きく、他人が服のサイズが余るものを着るのを見て、サイズを探すのも一苦労な自分と比べて憧れていたのだ。
「はっ、いかんいかん。いい年して何やってるんだ俺は。こんな事より今日の仕事をどうするかだよ」
源太郎は近所の居酒屋で働いているのだが、そこのオーナーは今は亡き源太郎の母の友人であるおば様が店主なので、ある程度の融通は利くのだが。
「さすがにこれはなぁ。無理だよな……そもそもコレを見て源太郎と繋がるか?無いよな」
りんごを握りつぶせたゴリラのようだった掌は、今は小さな子猫ちゃんといったほうが似合う可愛い手だ。
前述したとおり、体格も小学生の少女くらいだ。
これでは顔が源太郎のままという気味の悪い状態でも、本人だとは信じてもらえないだろう。
そんな事をつらつら考える、のが普通の人間だろうが。
源太郎は残念ながら当たって砕けるタイプの人間だった。
「考えててもしかたねぇよな。華子おばさんに相談だ!」
結論を出すと行動は速かった。
だぼつくシャツをきゅっと絞って結び、だぶだぶで丈あまり、胴回りも余りまくりのズボンを身に着けベルトを何周も回して固定しようとして……一巻目の部分に穴がなくて、ベルトに穴をあける道具もなかったため泣く泣く手で押さえた。
そうして昼の街中へ華子おばさんが営む家兼居酒屋へと飛び出していったのだった。
「んで、源ちゃん随分可愛くなったわよね」
「認めてくれるんか、華子おばさん!」
「華子さんとお呼び」
「華子さん!俺、このまま淀蜜で勤めていいのか!?」
淀蜜とは華子の営む居酒屋の名前である。
「体力は?ちっちゃくなって落ちてない?」
「自宅からここまで駆けてきたけどちょっと汗かいたくらいかな?」
「んじゃあ、さっそく仕込みお願い。ちんまいのにたたき起こされてあたしまだちょっと眠いわ」
華子50代、寄る年波という歳である。
「よっしゃ!任せてくれよ!そんじゃさっそく……」
「あー、その前にこれ、このお金で服揃えてきな。折角ちんまくなって可愛いんだから可愛い服ね。これ業務命令」
「え、えぇー?良いのかい華子さん」
「いいのよ。なんか知らないけどあんたが源ちゃんってフィーリングで解るのよね。由香子の息子はあたしの息子も……あ、今は娘か。ま、どっちにしろ身内よ」
「そっかぁ、ありがてぇありがてぇ。そんじゃちょっくら服買って来たら仕込みしとくよ!」
「はーい。いっといでぇ」
華子に送り出されてルンルンで淀蜜から駆け出す源太郎。
駆け出すときにズボンを抑えるのを忘れて派手に転びかけたがなんとかこらえたが……ちょっと公共には見せられない姿になってしまって華子に叱られたのだった。
「うおぉぉ、緊張する……!」
源太郎は近場のデパートの衣料品店まで来ていた。
本当なら格安衣料品の量販店とかでもよかったのだが、そういう店はちょっと田舎気味の源太郎の地元では車なしにはいけない場所にばかりあるのだ。
だから車が運転できない(もし警察に引っ掛けられたら身分証明などで多大な障害が発生すると思っている)ため仕方ない。
という事にして正味のところせっかく可愛い女の子になったんだから量販店の無難なデザインの服ではなく、女性服コーナーで可愛い服を見繕おうという魂胆なのだ。
「ええと、女性向け衣料品のフロアは何階だ……?」
今までの人生、小学生時代はともかく高校生時代にもなれば見下ろすばかりだった案内板を見上げるという行為を新鮮な気持ちで行う源太郎。
滞りなく、ただし見上げるの大変だぜ、という気持ちと見上げてる俺は客観的には可愛いのでは?という自画自賛の気持ちで若干表情を緩めながら女性向け衣料品店の入っているフロアを確認し、移動する。
「来てしまった。来てしまったぞ……」
源太郎が男だったころに女性向け衣料品店に通りがかっても、「あー、可愛いですね」で終わっていたのだが。
いざ自分が女児になってその中から自分に似合う服を選ぶとなると、途端に、なんか、物恥ずかしくなった。
「……そうだよな。心の奥底で可愛くなりたいと思ってたのと、可愛いって自覚して活かそうっていうのは大きな差があるよな」
ぽつりとそんなことを呟く。
可愛くなりたかった、という欲求は本物でも、たとえそれが似合うと解っていても、いきなり原色系のピンクとかハートマークを多めに使った柄物のTHE・女児という格好をするのは元29歳男性にはいろいろと越えるハードルというものがあるというだけなのだが。
その為だろうか。
源太郎が選んだ衣服は無難な白地にイルカのワンポイントが入ったTシャツと似たようなものを数種類、レディースのデニムパンツ数本、下着類は色が濃いのは透けるという聞きかじりの知識で薄いブルーという大人しめのものを選んで終わった。
まあ、そんな控えめなファッションも今の源太郎の美少女っぷりに花を添える物だったのだが。
そして試着である。
「……あ、なんか男物より肌触り良い気がするぞ……?やっぱ男と女って根本的に体のつくりみたいなのが違うからこういうところから違うのかな」
源太郎は、意外と冷静に試着を進めていた。
女物が恥ずかしいは恥ずかしいのだが、昨日まで男だった人間が着用するのは変態っぽいからと強烈な拒否反応を示すでもなく。
今は少女の身体なのだからこういった物品を身につけていいのだ、という意識が強く出ているように見受けられる。
だからだろうか、試着室でもじっくりとというほど時間は掛けないが、しっかりと自分に似合っているかを確認して選んでいく。
そして納得したのか、選んだ品々をレジにもっていっていくつかタグを外してもらいその場で着替えて帰路に就くのだった。
その帰り道。
「君。学校はどうしたの」
「え。あの、それは……」
源太郎は警官に捕まっていた。
そしていろいろ問い詰められ、焦った彼は(元来彼はあまりアドリブが効く性質ではない)美少女顔台無しの半笑い顔で手に持っていた(女児用のズボンのポケットには入らなかったのだ)自分の財布から運転免許証を取り出して提示してしまった。
「免許証?……え!?」
そこに記されていた運転免許証の情報は、源太郎が女であるということと、顔写真が今の美少女顔(若干不機嫌そうだった)に替わっている以外はすべて源太郎時代のものと同じだったのだ。
「げ、げんたろう……さん?」
「はい。源太郎です」
「そっか……29歳……すいません。これ本物ですか?」
「本物ですよ!」
「そっか……そっかぁ……こんな女性も世の中に入るんだなぁ」
狐につままれたような顔で源太郎を開放し去っていく警察官。
そんな女児みたいな29歳はいなかったのだ。
昨日までは。
そんな現象に見舞われても、警察に本人確認が通ったという事実への安ど感から、その異常性を気にする余裕は源太郎にはないのであった。
服を買い出しした源太郎は淀蜜の店舗で厨房に入り、夜に向けての仕込みを開始したのだが。
そこで基本的で、割とどうにもならない障害に直面した。
とはいえ、その障害はある意味馴染んだもので、方向性を真逆にしたものだった。
淀蜜の厨房の施設は華子の体格に合わせられているので源太郎の体格に合っていない!
男性時代はそれこそ身体を縮こまらせて対応していた台所が、広い、高い、遠い。
「これは中々大変だな……」
そして調理するために具材をつかむ手と、包丁をつかむ手の感覚が慣れない。
何もかもが大きすぎる。
その中で幸いなのは体力的には男性だった時と同等のものがあることだった。
それでも、体格に合わない設備は以前と同じ条件だとしても、道具まで合わないのは余計な疲労を生み出した。
結果……。
「へとへとって感じね源ちゃん。開店まで休んでな」
「あ、華子さん。すいません。体格が変わったのがこんなにきついとは思わなくて」
「まあ手のサイズがねえ。近いうちに特注で子供サイズの作るかい?」
「いや、そこまではしなくて大丈夫。今日だけでだいぶ慣れたし。主な疲れは精神の方だから。指の長さとかが違うから精神使ったよ」
「なるほどねえ。ま、飴ちゃん舐めてお休みよ」
という具合に、女の子としての就業初日は営業開始前から疲れてしまっていて、動作もどこかおやじ臭かったのだが。
「うす……いや、こういうんじゃだめだ……じゃない、駄目だよ。えーっと、はい、華子さん。ちょっとお休みさせてもらいます」
「おや、どうしたんだい。急に言葉遣い直して」
「いや、あ、そうじゃなくて、えっと。せっかく可愛い外見になったなら言葉遣いも相応にしたほうがいいんじゃないかなあって」
「そんな気にせんでもいいと思うがねぇ」
「いや、したほうがいいんじゃないかっていう、外側からの理由じゃなくて……俺、じゃない、私が可愛くなりたいんだ」
「そうかい。それなら止めないがね」
「じゃあちょっと休憩してきます。華子さん」
「あいよ……仕草まで気を使っちゃって。そうとう嬉しいんだねえ、可愛くなったのが」
まずは厨房に篭った熱でかいた汗を少しでも流そうと洗面所に向かう源太郎の、油断すると蟹股になりそうな歩き方を静々としたものにしようと四苦八苦している姿を背中から見て華子は思う。
この子はどれだけ大きな体、厳つい顔つきに想うところがあったのだろうか、と。
普通、朝起きたら体格が激変し性別まで変わっていることに即座に適応しようとする人間はいないだろう。
それは元々持っていた属性とかけ離れた人物像になるほどに顕著になるだろう。
だが源太郎は「社会的な立場」とか「車の運転のような実技的な資格の適用」などの、公的なもの以外の属性には拘ることなく新しい姿に適応しようとしている。
そう考えると源太郎は元の姿に大きな不満があったようにも思えるが。
「ま、そんなことはどうでもいいか。私はできるだけ長くあの子を支えるだけさ」
そういって、源太郎を見送った華子は自らも厨房にはいるのだった。
内心で、あの子がどうであれ、淀蜜を継ぎたいっていうならあの子に任せるのは決めていたことだしね、とつぶやきながら。
夕方、淀蜜の営業時間になってからぶかぶかのエプロンを改めて身にまとった源太郎が厨房に立つ。
そして、時折配膳のフォローとして表に出る。
その時に酔客から源太郎に対して声が飛ぶ。
「可愛いねえ!こんな時間まで店に出てて大丈夫なんか!?」
「おいおい華子さん、こんな小学生を夜の店にだしちゃいけねえよ」
「おだまり、これは源太郎だよ」
「「な、なんだってー!?」」
「ははは、冗談が上手いな華子さん。源太郎ってのはもっとこう、なあ!」
「なあ!」
「それが可愛くなっちゃったんですよ。私が源太郎です」
そういう源太郎に、困惑の声が上がるが。
「ほんとに源太郎なんか?」
「俄かには信じられ……られ……あれ?源太郎がごつかったのは思い出せるけど、この子源太郎だな」
「そうだな。よくわからんがそう解る」
「「「不思議だなぁ」」」
「まぁ納得していただけたところでもつ煮込みとがんもです」
「お、ありがと」
「いやー、源太郎がこんな可愛くなるとはなぁ」
「淀蜜に通う理由が増えちまうな、がはは」
「えへへ、照れますね」
といった具合に、自然と淀蜜の常連客にも源太郎の変化は受け入れられ、可愛い可愛いともてはやされ。
源太郎もそれがまんざらでもない様子で受け入れるのだった。
そして深夜を回り、客も捌けて閉店の時間。
「華子さん。お疲れさまでした」
「はいお疲れ源ちゃん。明日からもやっていけそう?」
「はい、何とかなると思います」
「そ……じゃあ明日からもよろしくね」
「はい!」
「あ、それと」
「はい?」
「家は近いけど帰り道は気を付けること。今の源ちゃんは女の子なんだからね」
「……はい!」
深夜の街を歩く、ともすれば補導されかねない薄着の少女(季節は夏であった)。
だが、その足取りは軽い。
今日からは可愛い自分。
あとは、明日目が覚めてもこのままならば……。
これが夢でないならば……。
そうして夢を膨らませて源太郎は帰宅する。
「ただいま」
誰もいない家で一人帰宅のあいさつをして、腹具合は賄いで十分満たされているのを確認して。
風呂場へと行き洗濯機に来ている服を投げ入れて、手早くシャワーだけで身を清める源太郎。
その間、所々で独り言が漏れる。
「これからはちゃんと湯船を張って身体を磨いた方がいいのかな」
「そうなるとスキンケア用品とかヘアケア用品も力を入れないと」
「ああ、お金かかるなぁ。大変だなぁ」
大変だなぁ、と言いつつ彼は嬉しそうだ。
そう、すべては可愛い明日の自分の為。
すべては望むところなのだ。
そうして風呂から上がった後、いつもなら晩酌をするのだが……。
「今日から酒はやめるか。せっかく可愛くなったのに太ったりしたら嫌だしな」
ただでさえ不規則な生活になりがちな業種である。
そこに不摂生が加われば今は良くても半年後、一年後には……と考えると源太郎には恐ろしい。
今の彼には、可愛い自分こそがすべてであった。
「ふぁ……それじゃ明日に向けて寝ますか……どうか、このちいさくて可愛い生き物になったことが夢ではありませんように……」
そうして眠りについた源太郎は夢を見た。
目を覚ましたら、また太い指、厚い胸板、強靭な二の腕が戻ってきた夢だ。
ただ、そんな状況に『現実感』を伴わなくなっていたのでそれがすぐに夢だと気づいた。
そしていつも通り淀蜜に出勤しようとして道中で地面をけっているのに体が前に進まなくなってぼんやりとしているうちに目が覚めて。
昨日と同じ可愛い体で目覚めて、真っ先に鏡を確認して深い安どの息を漏らした。
もう、一昨日までの自分には戻れない、戻りたくない。
小さくてかわいい自分でいたい。
厳つくて、分厚くて、頑強な自分より、可愛い自分がいい。
もしかしてそんなことを考えていると、性別すらなくしてマスコットキャラのような姿になってしまうかもしれないが、それも望むところだった。
駿河源太郎。
小さくてかわいいものになりたかった男は、こうして可愛い人生を歩みだしたのだった。
そして、周囲の人に愛されるままに愛嬌を振りまき。
長く居酒屋淀蜜のちっちゃい女将さんとして名物になるのは。
華子さんが居なくなる、もっと先の話。
TSして体格が変わりぶかぶかになった服に包まれてるTS娘は可愛いと思うんですがその要素を出しながら活かしきれなかったことだけが残念です(早口)