ディアブロ
ワタシは校舎内を歩いていた。
真新しくはないけれど、古くもない。綺麗に使われているのか汚れすらあまりない廊下をひとり進んでいく。
先ほど戦った教師には姿を見られてしまったが、それでもあれだけの観客を含めて、学園内にいる人のなかで、こちらの動きに気づいたのは10人もいないはずだ。
「計画は順調。でも女教師に逃げられたのは失態ですね」
誰に言うでもなく言った。
校舎の窓にはうっすらと茜色に変わりつつある空が見える。
窓ガラスには自分の姿が映っていた。
神官衣の袖口がすこしだけ裂けている。これはあの女教師がやったものだ。
「魔剣を使ったから、今ごろは亡くなっているでしょう。しかし」
まさか逃げられるとは思わなかった。
脇腹を剣先がかすめた瞬間に逃げることを決めて、さらには実行した判断力というのは認めざるをえない。
「いえ、まあいいです。それよりも」
ワタシは視線を廊下の先に向ける。
三階の一角に人影があった。
長い白髪を後ろで括って右肩から前に垂らしている、おばあさん。
見た目だけなら優しげな老婦人といったところだ。でも腰には武骨な剣を提げている。
この計画を開始するに当たって、危険人物のリストを受け取ったが、眼前の老婦人はそのなかでも一番上に名前と顔が載っていた。
「ミカエラ・アウロさん、ですね?」
ワタシは問いかける。
「ええ、そうです」
ミカエラは声も優しげだった。
ワタシは腰の剣に手を回したけれど、柄を掴んだままで剣を引き抜くのをやめた。
すこし話してみたくなったからだ。
「あなたは」
と、ミカエラが話しかけてくる。
「神官のようですけれど、どうなさったのかしら。迷子なら出口まで案内しますよ?」
「案内は必要ありません。来たいから、来ているのです」
ミカエラはおどろいて見せた。
でも、すこしわざとらしい。
「もしかして学生になりたいのかしら? それとも教員?」
「いいえ。ワタシはあるモノをいただきに、ここまで来たのです」
ワタシは鞘から剣を抜いた。
赤い剣だ。
それでもミカエラは、優しげな微笑みを顔に刻み込んだまま、剣を抜こうともしない。
「珍しい剣ですね」
「ええ。とても……珍しいものです」
ワタシの耳の奥に声が聞こえた。
1階と2階に配置している部下の声。それは耳に埋め込んでいる魔道具から聞こえている。
さすがにアクシラ魔剣士学園の学園長でも、聞こえるはずがない。
『客が来ました。変な連中で、武器を持っている』
変な連中──というのは、どういうことだろう。
それはともかく武器を持っているのであれば敵になる可能性はある。
学生か。あるいは教師か。もしかすれば観客として来ていた貴族の可能性もありえた。
イレギュラーという点では……観客が一番不安だ。
「追い返しなさい。それでも聞かないのであれば、実力を示してかまいません。ただしあまり多くは殺さないように」
魔道具で他人と話していると知っているのか、ミカエラはその言葉におどろいた様子すら見せない。
「物騒な話をしていますね」
「ええ。邪魔者は排除するべきでしょう?」
「……わたしはそういったことは嫌いですが、学生や学園に来ているお客さまに危害を加えるというのであれば……許すわけにはいきません」
ミカエラが腰の剣を抜いた。
大国アクシラ王国で一番の学園の、学園長の剣にしては飾り気のない剣だった。
後ろから足音が聞こえる。どうやら教室に潜んでいたのだろう。
「ふんっ、神官の格好などしおって! 目的と背後関係を洗いざらい喋ってもらうぞ!」
「これほどの行為をして許してもらえるとは思わないことです」
ワタシはごく自然に振り返った。
背後にいたのは危険人物のリストにも載っていたふたり。
「女神官ひとりを相手に、キノン魔剣士学園とラーウッド王立魔剣士学園の学園長が剣を向けるのですか?」
キノンの学園長が鼻を鳴らした。
「笑止! 悪しき女め、これほどのことをしてただで済むとは思うなよ!」
ラーウッドの学園長が一歩踏み出す。
「そちらが放ったケモノを合わせればこちらの方が圧倒的に少ないでしょうに。まったく、剣を持たぬ者まで襲うなど……!」
ふたりの学園長が堂々と近づいてくる。ひとりの学園長はじりじりと近づいてくる。
学園長ともなれば、油断できる相手ではないのだろう。
ひとりを狙って切り抜けることが定石か。
いや、
「あなたたち、ワタシを恐れていますね?」
「恐れる、だと?」
「バカなことを」
「ひとりで勝てる相手なら、ひとりで戦っているはずです。前後を囲んでいるなんて、ひとりでは勝てないと言っているようなものでしょう」
「よし、今からでもおれがひとりで戦う。などと言うと思ったか?」
「これは正々堂々とした勝負ではありません。処罰です」
ミカエラは何も言わない。
アクシラ魔剣士学園の学園長なら、彼女が一番の怒っていてもいいのに。
その様子は平然としている?
いいえ。
「そういえば名乗るのを忘れていました。こちらはそちらの素性を知っているのに、失礼しました」
言ってみると、3人の学園長は動きを止めた。
どうやらワタシのことを知りたいらしい。
「ワタシは結社の七翼がひとり、ディアブロです。本日はこの学園にある聖遺物、
アーティファクトを回収するために来ました。どこにあるのか、教えてもらえます?」
3人の学園長が目を見開いた。
その瞬間、さっきまでとは違って一気にワタシを倒そうという意志が見えた気がする。
剣を振り上げ、あるいは突き刺し、さらには薙ぎ払う。
そんな攻撃がやってくる。
赤い剣がきらめいた。
【リーネ】
2階の教室で片付けを終えると、神官の人は教室から出ていった。
合流したお姉ちゃん……交響曲と絶剣さんの相手をしていた神官さんたちも同じみたい。
どうやら負けたら残る意味はないとか、そんなことを言ったらしい。
こっちの神官さんはとくに何も言わなかったけど。
「それで、どうする?」
聞いたのは交響曲だった。
「あいつらを従えているやつがいるはずだ。そいつを倒す」
答えたのは絶剣さん。
「なかなかお強いんでしょうね」
奇術師さんが肩を落とした。
あんまり戦うのは好きじゃないんだろう。
「そういえばリ……狂想曲は戦ってないんだろう?」
「えっいや」
わたしも戦ったよ。
奇術のタネが仕掛けられるあいだ、戦ってた。ような違うような。
「そうですわね。では次に出てくる神官は狂想曲におまかせします。わたくし、狂想曲の戦いを見たことないので」
「了解した。では次の相手は狂想曲に任せる」
奇術師さんと絶剣さんがそんなことを言っちゃった。
交響曲は満足そうに頷いてるけど……えぇ。
「3階に進もうか」
がっくし肩を落としたわたしを先頭に、わたしたちは階段を進んだ。
 




