バイト、迷子になる
「怪我はしていないかい? 痛い場所があったら、言ってくれたまえ」
「だ、大丈夫です」
わたしがぶんぶんと首を振っていると、グラーツさんとわたしの間に、筋骨隆々な大きな男の人が割り込むように入ってきた。
太い右腕がグラーツさんを守るように広げられている。
「危険だ。下がれ」
「ははっ、ただの女の子だろう?」
「見た目に惑わされるな。裏の世界には、姿を変えることのできる者がいると聞く。見た目が少女だからといって、油断は禁物だ」
精悍な顔をした男の人がそんなことを言う。
熊とか猛牛だとか、そんな感じの見た目。
グラーツさんはわざとらしく驚いたふりをした。
「おお、そうなのか!?」
わたしをじぃー、と見ている。
いや、わたし変装はできても姿を変える、なんてできないよ。
「ち、ちちちがっ、違います」
「師匠、こいつは怪しい。やりますか?」
大きな男の人と同じ服装の人たちが、わたしを取り囲んだ。
グラーツさんたちの後ろを歩いていたみたい。
剣は抜かれていないけど、目が本気かも……!
「ふふっ。ヴォルグ、冗談はやめてあげなさい。怖がっているだろう?」
「……下がれ」
ヴォルグと呼ばれた大きな男の人が言う。
わたしを取り囲んでいた人たちは、音もなく下がって、2人の後ろに戻っていった。
た、戦いにならなくて、よかったぁ。
「それで? きみは誰かな?」
「あの、バイトです。休憩中に廊下に出たら、迷子になってしまって」
「ああ、なるほど。わたしの家は広いからね。どれ、ついてきなさい」
グラーツさんがそう言った。
自分で帰ります、なんて言えるほどのコミュ力も度胸も、わたしにはない。
そもそも本当に迷子だったし。
だからついていったんだけどさ……護衛だっていうヴォルグさんたちの視線が、後ろから突き刺さってる。
どうしよう。
わたしが権利書を取りに来たってバレてないかな?
この人たちって、敵なんだよね?
「さ、ついたよ」
階段を上がった先は、吹き抜けの2階だった。
下には大勢の人が見える。
ドレスやタキシード姿の人ばかりなんだけど、誰もが仮面をつけていた。
「……えっ」
「今日は仮面パーティーだからね。ほら」
グラーツさんがトレーに仮面をいくつも載せている、メイドさんを呼び止めた。
そんなグラーツさんは、いつの間にか懐から取り出した黄金の仮面をつけている。鷹の羽根飾りがかっこいい。
ヴォルグさんたちは武骨な仮面を選んでいた。
「お、おお!?」
わたしはスズメの顔みたいな仮面を手に取る。
うーん、鳥の仮面。かっこいい。
「ほんとうに……それでいいのかい?」
「あっはい! とてもかわいいですから」
「そ、そうなのか。ふむ……では、ここで別れるとしよう。給仕の仕事、がんばってね」
グラーツさんが若者の感性はわからないとかなんとか言いながら、通路を進んでいく。
ヴォルグさんたちはその後ろについていってる。
仮面を持っていたメイドさんはすでにいない。
そうして──わたしは廊下に取り残された。
なんで?
【リゼ】
わたしがローレンティア王国からアクシラ王国へとやって来たのには、理由がある。
それはいくつかあるのだけれど。
「先進的な魔法を習得すること、ローレンティア王国とアクシラ王国との友好のため」
小さな声でつぶやいた。
周囲には誰もいないから、聞かれてはいないだろう。
聞かれたとしても問題はない。
「それが……仮面パーティーなんてね」
招待状が届いたのは、あの飛行船での事件が終わり、取り調べも終わったあと、アクシラ王国がお詫びのためにと用意してくれたホテルの最上階にある、ロイヤルスイートルームのベッドで横になったときだった。
このパーティーは定期的に開かれていて、首都リーン周辺の貴族があつまると書かれていた。
いわゆる社交界というやつだろう。
入学試験で疲れていたけれど、招待を断ってしまえば、次にまた呼ばれるとも限らない。
たった1回の拒参加否からハブられる……ありえない話でもない。むしろよくある話だ。
そうなると両国の友好、という目的にも今後影響があるかも知れない。
だから。
「はあ」
軽く、それでいてわざとらしくため息をついた。
ちらりちらりと周囲の仮面たちがこちらを見ている。
「すみません、昨日の疲労がまだ抜けていないようです。少し夜風にあたっております」
仮面たちは、
「そうですね。入学試験は過酷ですから」
「わたしも経験ありますわ。どうぞ、お行きになって」
「あなたを呼ぶにしても、時間をあければよいのに。伯爵ときたら……」
そんなことを言っている。
こっちは誰が誰なのかわからないというのに、他の客──仮面たちは全員がわたしがわたしだと知っているらしい。
「ほんとうに……仮面なんて必要なのかしら」
わたしは銀色の仮面をすこし動かした。
「姫さま。お飲み物を」
「いえ、結構」
トレーに飲み物が入ったグラスを載せてきた、仮面をつけているメイドに軽く手を振って、バルコニーに出た。
ひんやりとした夜の風が気持ちいい。
「落ちつくわね」
「ふおっ」
バルコニーには先客がいた。
ガラス扉から見えない位置で、しゃがみこんでなにかを食べている。
そしてわたしが来て、驚いて喉につまらせたらしい。
「……大丈夫ですか?」
胸をバンバン叩いて、変な鳥の仮面の方はなんとか助かった。
「あっはい。なんとか……」
このパーティーに集まっている女性客は、誰もがパーティードレスを着こなしている。
しかしこの方は普通の服だった。
それも、ローレンティア王国の庶民が着ているような服装だ。
「なにかの余興かしら? おもしろくはありませんけど」
「あ、あの」
「はい?」
「ここで食べてるの、ナイショにしてもらえませんか」
変な鳥の仮面の方は震えているような声で言った。
「ああ、なるほど。別にかまいませんが……ふふっ、わたくしにも少しいただけるかしら」
気持ちのいい夜風にあたりながら、バルコニーの隅に2人で並んで食事をした。
どうやらこの方は、趣味の悪い余興などでローレンティアの服装をしているのではなく、本当にローレンティア人らしい。
今夜は厨房を手伝いに来ているとか。
サボっているのはどうなのかしら?
「しかし、アクシラ王国でローレンティア人に会えるとは思いませんでした」
「あはは……わたしも本当は学生なんですけどね。いや、学生になれるかはわからないんですけど」
後半ゴニョゴニョと聞き取れなかったけれど、この辺りにはアクシラ魔剣士学園しかない。
本当に学生であるのなら、この方も魔剣士なの?
じぃーっと見つめると、彼女は下を向いて、
「あ、あの……料理を取ってきますね」
と。
変な鳥の仮面の位置を調整しつつ、立ち上がる。
その瞬間だった。
「きゃあ!」
皿の割れる音と女性の叫びがパーティー会場から響いてきた。
叫びは悲鳴に変わり、男女の区別もなく響いている。
「なにごと」
「行ってみます?」
「ええ、もちろんです!」
会場に戻ると、人の壁ができていた。
誰もがパーティー会場の中央を見ているらしい。
わたしは彼らをかき分けて進んでいく。すぐ後ろには、彼女もついてきている。
「これは……いったい」
大勢の視線が集まる先には、剣の白刃を光っていた。
天井から届く、魔石灯の光に照らされた美しい剣が床に刺さっているのが見える。
屋敷に入る際に、武器の類いは預けているからこそ、これは客の剣ではない。
「おお、挑戦状だ!」
剣に近づいた仮面の男性客がそう言った。
わたしも近づいて、剣を見る。
「今夜0時に、この城にある一番の宝を奪う。貴殿らに止められるか?」
刀身にはそんな文字が彫られていた。
「──絶剣の月影」
最後に、変な鳥の仮面の方が、わたしの隣で言う。
仮面舞踏会に集まった人々は、歓声をあげた。
これを余興の一部だと思ったのか。
それともほんとうに挑戦状だと理解したうえで、魔剣士の血が騒いだのかも知れない。
貴族はほぼ全員が魔剣士であり、アクシラ王国の貴族であれば、アクシラ魔剣士学園か別の学園の卒業生ばかりだ。
「魔剣士がこれほど集まっている場所で、このような挑戦状を叩きつけるなんて!」
自分も血が騒ぐのを感じる。
手のひらに汗がにじみ、渇いた喉をごくりと鳴らす。
アクシラ王国の貴族たちは、わたしを見て、瞳を野獣のようにギラつかせた。
「おもしろい」
と、真紅の仮面に長い金髪を後ろでくくっている男性客が言う。
「これは間違いなく、ゼルーラ伯爵への挑戦状だ。そしてわれわれ、アクシラ王国の貴族が大勢いるにも関わらず、賊は堂々とこんなものを突き刺していったわけだが」
真紅の仮面の男性客は、あからさまにわたしを見ている。
「どうだろう、皆さま方。今宵は特別な、お客人がおられる。──われらの力を見せてさしあげようではないか」
「それはおもしろい提案だわ!」
赤いドレスの女性客が高い声を響かせた。
「踊りよりもおもしろそうですな」
かっぷくのいい男性客も腕を組みながら言う。
仮面舞踏会に参加した者たちが次々に参加を表明していくなか。
この会場において沈黙を守っているのは2階の踊り場から会場を見ている、ゼルーラ伯爵とその周りの者、あとは──変な鳥の仮面の方だけだった。




