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白髪の少女

「セイ、もっと食べないと」

「お母さん。大丈夫です……ぼくは、もう……お腹いっぱいだから」

「でもっ……ううん。これ置いていくから、食べられそうになったら、すこしでも食べて? ああ! もしも食べたいものがあれば、言ってね?」

「今は……あまり……」

「そう……」


 悲しげな表情の母が、料理をテーブルに置いて部屋を出ていった。


「ふわぁ」


 視線だけで見送ったセイは、扉が閉まると同時に大きなあくびをする。

 ベッドの下から干し肉とパンを取り出すと、一気にかじりついた。

 そして今日は騒がしかったな、と思った。

 今ごろは、ガーラン将軍が死んだころだろうか。それともイレーナの腕が無くなったころだろうか。

 妹が魔剣士として終われば、きっとヘクターは泣き叫んで自分の行いを後悔するだろう。

 本来であれば、あの憎たらしいヘクターの腕を切り落としてやりたかったが、さすがに辺境に左遷されたやつを追いかけるのは、気がのらない。


「いや、そもそも」


 今の自分は動けないという設定(・・)なのだから、行けないか。

 セイはベッドの上でくすくすと、息を殺して笑った。

 下でセイを護衛するとかで残っている、話し声のうるさい奴らに、笑い声が聞かれるのはまずい。手のひらで口を押さえる。余計におもしろくなって、肩が上下する。


「俺は寝たきりなのだから、元気があってはまずいな。……ん?」


 さっきまで騒がしかった声が聞こえなくなっているのに気づいた。

 助太刀に来ている癖に、酒と飯をたらふく飲み食いして、戦いにも行かない腰抜けたち。

 それでも、あいつらの武勇伝(嘘っぱちだろう)が聞こえてくるのは暇をもて余しているセイには楽しみのひとつではあったのだ。

 だが、すこし前から何も聞こえない。


「やっぱり戦いに行ったのか?」


 セイはふと窓の外を見た。

 月明かりがあっても暗い、ただただ黒の一色にしか見えない景色。そこに何かが見えた気がする。

 外? いや、ガラスに反射している? 部屋の扉あたりか?


 振り返ろうとしたときだった。


 ──パリン


 と、音が響く。

 ガラスが割れたような音だ。

 それが室内を照らしていた魔石灯が砕けた音だというのはすぐにわかった。

 室内が真っ暗になっている。

 外から見えていた、わずかな月明かりすら見えない。雲でもかかったか?


「お母さ……いや」


 さっきの音なら聞こえているはずだ。

 声を出して呼ぶような元気は、今のセイにはないほうがいい。


 そんなとき、声が聞こえた。


「──セイさん」


 と。

 それは自分を呼ぶ声だ。


「ん?」


 セイは真っ暗で見えないけれども、声がした方向、扉の辺りを見る。

 目を凝らすと、暗闇になれてきたのか。

 誰かの姿がうっすらと見えてきた。


「セイさん」

「なっ」


 セイは愕然(がくぜん)とした。

 そこにいたのはシアだった。

 うつむいているから顔までは見えないが、あの珍しい白髪に、自分を『セイさん』と呼ぶ者なんてシアしかいない!


「シア、元気になったんだね。馬車にはねられて、意識が戻らないと聞いていたけれど……心配していたんだよ」


 シアはゆっくりと歩いて、ベッドの近くまで進んでくる。

 ちょうど雲が流れていったのか、月明かりで室内が照らされて──。


「っあ……」


 セイは息を詰まらせた。

 ごほごほと咳き込んで、ベッド脇に立つ者を見る。

 混じりけのない雪のような真っ白な髪だ。すこし長くなっているのは、最後に会ってから時間が経つからか。

 しかしその顔が……。


 シアが手をあげて顔に触れている。いや、その顔をぐるりと巻いた包帯を、だ。

 肌の一部も見えないほどに巻かれた包帯は、薄汚れているようにも見えた。


「セイさん……わたし、馬車にはねられたの。どうして……?」

「は、はぁ? どうしてって」


 セイは心臓が早鐘を打っているのを感じた。

 じわりと背中は汗で濡れている。


「き、君が……不注意で、馬車に気づかなくて」


 シアはわずかに首を振った。


「ううん。それだけじゃないでしょう?」

「いいや、それだけだよ。……誰か! お母さん、シアが来ているんだ! お菓子を出して差し上げて!」


 まるで世界から音が消え去ったようだ。

 何度も何度もしつこいくらいにやってくる、あの母からの返事がない。

 それどころか、虫すらも息をひそめているように何の音も聞こえない。

 セイは、ただただ自分の心臓の音だけが世界にある唯一の音のように感じた。


「な、なんでっ……おい! 護衛ども、来い! 誰か、誰でもいい!」

「セイさん」


 シアの声に、セイは飛び上がりそうだった。

 まるでこの世界にふたりだけになってしまったのだろうか。そう思えた。

 ベッドの上で精一杯逃げようとして壁に背中を押し当てる。これ以上は下がれない。


「セイさんは、わたしが嫌いになったの?」

「いや!」


 セイはかぶりを振った。


「いやいや! 違う! 君を愛している!!」

「でも」


 シアは悲しげなしぐさをする。


「セイさんは、わたしとは別の人と結婚するのでしょう?」

「それは……」


 セイは視線を落とした。


「相手は侯爵の娘なんだ。向こうが、その、ぼくを好きになったから……強引に結婚を迫っていて……」

「嘘」


 シアは言い切った。


「わたし、知ってるもの。わたしは予備なのでしょう? 邪魔になったから、殺し屋を雇ったのでしょう?」

「なんで知っている?」


 予備だと言ったのはヘクターかガーランに聞いたのかも知れないが、殺し屋の件は……知っている訳がない。

 セイは震えが止まらなかった。


「わたし、なんでも知っているわ。セイさんが殺し屋を雇ったことも、その殺し屋にお姉ちゃん……イレーナの腕を切らせようとしているのも。食事を買ってこさせて、ベッドの下にいれているのもね」


 視線を動かし、辺りを見る。

 セイは逃げようと考えた。でも逃げられるのか?

 吐いた息が白く見えた。

 夏だというのに、まるで冬の夜のように寒い。


「そうか、お前、死んだんだろ? そうだ、そうに違いない! いくら呼んでもババアが来ないのもバカどもが来ないのも、これが夢だからだ。幽鬼になって夢に出てきやがったんだな!!」

「セイさん、わたし謝って欲しい」


 ああ、これは夢だ。

 夢ならいつかは()める。

 そう気づいたら、セイは怖くなくなっていた。


「けっ! 謝るだぁ? ふざけんなよ、ブス。お前こそ謝れ! お前がいるから、殺し屋なんかに大金を払わないといけないんだ!」


 セイはシアを睨みつける。


「俺はな、将軍なんぞの娘より侯爵の娘がいいのさ。あいつと結婚すれば、俺は未来の侯爵さまだ。お前は邪魔な存在なんだよ!

 ああ、そうだ知ってるか? お前の姉貴はもうすぐ魔剣士として終わるぞ? ガーランのじじいだって死んでるかもな! どうせヘクターの野郎も、孤独にくたばるぜ。ハハハッ将軍家はもうおしまいさ。お前も黙ってあの世に戻ってろ!!」


 セイが笑っていると、白髪の少女が震えていた。

 怒っているとしても、知ったことか。

 所詮は夢だ。

 夢なんていつかは覚める。

 むしろ、これをみんなに語って聞かせてやろうと思った。

 武勇伝としては、幽鬼に襲われたなんて、笑われてしまうだろう。ならば笑い話として酒の(さかな)にすればいいのだ。


「ハハハッハハ──んぐぅ」


 笑いを止めるように、手のひらで口を押さえられた。

 そのまま押し倒される。

 手のひらから伝わる熱は、まるで生きている人間のように温かい。

 夢なのに、触れられるのか。

 鼻で呼吸はできても、口を押さえつけられるのは気分がいいものではなかった。

 腕をどけようと触ると、どうしてだか手のひらがくっついて離れない。


「んん!?」


 間近に迫っている顔を見た。

 雪のような混じりけのない真っ白な髪に、氷の張った湖のような瞳が見える。

 いや、ちょっと待て。

 セイは考えた(・・・)。シアの目の色はこんな色だったか?

 しかし考える気力が無くなっていく。

 白髪の少女に触れられているところから魔力が、まるで吸われていくように無くなって──。


「な、なんだ、何をしやがった?」

「…………」


 白髪の少女はベッドから降りた。

 そしてそのまま扉に向かっていく。

 開かれた扉の向こうには、父と母、それにガーラン将軍とイレーナの姿があった。

 他にも、絶対にいるはずのないリーゼリア姫や、その姫に剣術を教えているとかいう女の姿もある。


「まだ夢か。さっさと覚めやがれ」


 セイは吐き捨てるように呟いた。



○○○



 わたしは部屋から出ると玄関に向かった。

 廊下にいたリゼやお姉ちゃん、ガーラン将軍やイレーナさん、それにアシュトン伯爵やその婦人は何も言わなかった。

 きっと部屋の外どころか、お屋敷の外にも聞こえていたんだろう。

 あちこちにいる魔剣士さんたちは唇を閉ざしている。

 玄関から出ると、綺麗な満月が夜空に浮かんで見えた。


「はあ」


 わたしは顔に巻いていた包帯を外して、ため息をつく。

 ケイカさんに比べると圧倒的に少ない魔力を吸った手を何度か握っては開いて。

 変な技をおぼえちゃったなぁ……なんて思う。


 ふと顔をあげると白髪の少女が立っていた。

 すこしわたしと似ているけど、目の色は緑色をしている。かわいい女の子だ。

 彼女は目尻に涙を浮かべていた。


「外まで声が聞こえていました。わたし、もうあの人のことは忘れます」

「えっ、もしかして」

「……あの、わたしを助けてくれた方からの伝言です。我が弟子よ、いい戦いだった。また会おう、と。それから銀髪の女の子がまたね、と」


 それだけ言うと、白髪の少女はお屋敷から離れるように歩いていく。

 満月に照らされている彼女は、きっと自宅に戻るのだろう。

 わたしはその後ろ姿を見送ってから、もう一度だけ夜空に浮かぶ満月をながめたのだった。

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