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あふれる

作者: 神谷 大樹

人生には色々な局面があり、想像もしていなかった事態に陥ることはよくあるものだ。それで、その事態というものが、仮に自分ひとりにだけ関わる秘密めいた事柄になる場合もあるわけで、そういう時にどういう行動を取るのかは、個々人の資質や考え方が大きく影響する。千差万別で、ひとくくりで考えるのは実に難しい。

何の話しているのか。まわりくどいな、と思われるだろう。

だからはっきりさせておこう。つまり、病気の話だ。それも性に関わるもの。自分だけにあるちょっと秘密めいた性にまつわる病というものは、若ければ若いほど自意識が邪魔をして、その病気に素直に向き合えないことになりがちだ。その上で、その病気が自分ひとりでやりくりできるのであれば、「まぁ、この先もきっと大丈夫だろう」と思い込みとも言えるような判断を下してしまうこともある。そういうのは、誰にだって多かれ少なかれあるのではないだろうか。他人に相談するのがためらわれるのは、ある意味しかたのないことのように思える。


中学生の頃、年に何度かは保健体育の授業があったような気がする。いや、記憶があいまいだし、実際に授業じゃなくて、何かの自習の時だったかもしれない。ともかく僕は何かの授業のときに保健体育の教科書の後ろのおまけのような部分に、性にまつわる内容が記載されたところを読んでいた。なぜそんなところを読んでいたのか、自分でもよくわからない。単に興味があったのだろう。

僕が中学生の頃は、インターネットは一般になく(なにしろポケベルが流行っていた時代だ)、性に関わる情報と言えば、雑誌が中心だったような気がする(ビデオももちろんあったけど)。奥手で、やたらと人の視線を気にするタイプの人間であった僕には、はっきり言って情報がなかった。国語辞典に掲載されている性的な用語を見ては想像を膨らませたりした。変な少年だったけど、少数派だとは思わない。統計は取れないからわからないけど。

で、つまり、そういう男子中学生は、保健体育の教科書をじっくりと熟読することになる。第二次性徴、陰毛、思春期、精通、初潮、月経、排卵、性交・・・。自分で口に出すのもはばかれる言葉の乱立だ。少年の乏しい想像力が広がっていく。

さらに読み進めていくと、少し違和感を感じる記述があった。「第二次性徴で精通するようになった男性は、夢精をすることがよくある」というところだ。つまり、精通するようになった男性は、夢を見て、その中で射精をする、そういうことらしいのだ。そう単純なものではないのかもしれないけど。

ところが、好意を抱いていた女の子との控えめな交際をする夢をよく見ていた僕には、夢精の現象が自分に訪れたことは一度もなかった。自分は大丈夫なのかな?もしかしたら、自分には、何か男として決定的に欠けたものがあるあるのかもしれない。そんな心配を時々していたような気がする。

気になるくらいなら、そんなことは誰か適当な大人に相談してみればいいじゃないか、と今ならそう思う。しかし、僕はどうもそういのが苦手で、第一どう切り出したらいいのだろう、と思う。そして、ひとりで考え込んだ。妙なことで悩むのはいつの時でも変わらない気がする。毎朝、目覚めると股間がどうなっているかを気にしていたのだが、しかいし、夢精という現象は相変わらずやって来ない。少しだけ焦りを感じた。しかしながら、それで何か日常生活で困るようなこともない。日常的に困ることがなければ、悩むことも馬鹿げていることにやがて気づく。僕はあまり考えないようになったはずだ。覚えてないけど、多分そなったはずだ。

そして、それは少年特有の少し変わった悩み事のい一つとして発生し、そして解決すべくものとして僕の中では片づけらた。その後は、いろんなことはあったものの、一般的な性状に異常をきたすこともなく、普通に学校に通い、そしてごくあり触れた就職をして、そして適当なタイミングで恋愛をした。合わせて、流れで結婚に事は進み、ちょうどいい感じで子供を二人もうけた。就氷河期とか、格差とか、世の中は少しずつ悪い方向に向かっているような感じの中で、僕としては実に運がよく、それなりのまずまずのステップで、全般的にはそれほど悪い人生ではないように感じることが多かった。

そんなわけで、中学の頃の一時期の悩み事など、記憶の土壌の淵に完全に埋めてしまい、忘れたつもりでいた。


しかし、30台の後半になり、異変が起こった。

それは、家から30分ほど車で行った立ち寄りの温泉に入っていたときの出来事だった。

日々の疲れを解きほぐすため、湯船の中でゆったりと体を休めていたとき、不意に尾てい骨の裏のあたりから、ツンとペニスに抜ける痛みを感じたのだ。

 その頃、僕の仕事は忙しさを増し、なのに会社の上層部は時間外労働を減らし、キャッチフレーズとして、「ワークライブバランス」という言葉だけが躍り出始めたような時代であった。時間外労働に申告する時間は、さりげなく減らし自分に嘘の記述をするような感覚でサービスで時間外を提供していた。今だってそういう会社は多いと思う。だいたいにおいて、経営幹部は実態を見ることにとても抵抗がある。正確には、次の経営幹部候補がそういう事態を見せないようにせっせとごまかす手段をあの手この手でやっている。組織が小さくても大きくても、結局はお金を稼ぐことで、余裕がない会社には従業員がどのくらいの時間働いているなんかってのは、1つのデータ数値にしか過ぎなし、そのどのくらい正確な数値を真剣に把握するなんて、それこそ暇がないとできないようなことはしない。むしろ、矛盾に矛盾を重ねれば正確だったりする。意味がわからないけど。

話がずれてしまった。温泉に入っていた時の話だった。

そう、その時、それまでの人生で感じたことがない妙な痛みが体を走り、一瞬、おかしいな、と思ったのだ。ただ、その時の痛みはそれほど長くはなかった。そして、それはそれで終わり、いつもの日常は、いつもの日常としてやってきた。だから、僕としてはそういうことがあったというのは、中学生の時のようにちょっとくらい悩むということもなく、忘れることができた。

しかし、しばらくしてから急激に尿意を感じることが多くなったことに、あるとき気付いた。妙なことになったと思った。

その尿意は、ふとした瞬間に発生して、まるで肩の付け根あたりから競りあがるように迫ってくる、これまた経験したことのないような尿意だった。座っていられないような焦りを覚える尿意で、しかも困ったことに会社で会議中によく起こり出した。「これは、おかしいな」と思ったのは、そういうのが3回くらい続いたからだ。しかし、どこかのタイミングでそれは波が引くように消えたりすることもあったりした。まずいことになっているのかもしれない、と思ったが、そのころ僕の仕事は本当に忙しさからおかしくなりそうなくらいで、正直なところ、病院に行く時間さえ惜しかったし、そんなことは考えなかった。とりあえず会議の前にトイレに行くことを習慣づけることにした。加えて、会議室にはペットボトルを持ち込まないようにした。

一方、新聞の広告欄の「ノコギリヤシ」が気になるようになってきた。うーん、僕のはこの症状なのだろうか?けれども僕はまだ36歳になったばかりだし、ちょっと違うような気がした。尿が出ていないわけでもないから、尿道結石とかでもないだろう。働き過ぎだし、精神的にちょっと疲れているだけなのかもしれない。努めて何でもないという結論を冷静に考えることにした。今考えると全然冷静じゃないし、その考えは明らかにおかしいと思うのだけれど、自分を慰めるようにごまかしていたような気がする。

そうやってごまかしていたのだけれど、ある時の会議で、会議前にトイレに行っておいたにも関わらず、会議開始30分で抑えられない尿意を感じたのである。「まずい」と思った。会議のアジェンダはまだ半分も終わっていない。このままでは、漏れてしまうような気がする。

さりげなくポケットをまさぐりポケットの中からペニスを押さえてたり、足を組んで股に圧をかけたらりしてみたが、尿意が一向に引いてくれそうにない。本当にこれでは挙動がおかしくなる。会議の内容はすでに頭に入らない。これは、もうトイレに行くしかない。

そこで、一瞬胸に手をやって、ケータイが震えている演技を隣の上司が気付くように、大げさにしてみた。股間は破裂しそうだというのに。

「すいません、ちょっと・・・」と小声席を立つ。あえて「携帯が・・・」とかは言わない。嘘は言いたくないから。気持ちは焦るばかりだが、周りに迷惑をかけないように静かに、しかし足早に会議室の扉からそっと出て、そして扉を閉めた瞬間に、一気にトイレに向かってはや足で向かって行った。大股の早足をすると、漏れてしまいそうで、小股で勢いよく一目散にトイレに向かい、何とかトイレのドアを開けた瞬間、ペニスの先から尿が噴き出すのが止められなくなった。幸い男子トイレには誰もいない。もうかまうことあるものか、という気持ちが先行し。便器に2m近くの距離があるにも関わらず、僕はおちんちんをズボンチャックからむしり出して、斜めの角度であったにもかかわらず、漏れてくる尿をそのまま向けて歩きながら放尿した。尿は見事な放物線を全く描かず、水玉となって一部が便器内に入り、一部は見事にはみ出た。

本当に幸いなことに、その直後にも誰もトイレに来ることもなかったので(会議の多い時間帯だったので)、大急ぎで便器から外れた尿の飛沫をトイレットペーパーでせっせとふき取り、ズボンに尿のシミが見えないことを念入りに確認して(このころ、万が一を考えスーツは水濡れが目立たない地味目のものを選ぶようにしていた)、心を落ち着けてから会議室に戻った。

僕の報告事項のところは、すでに終わっていて、僕の上司がフォローしてくれていた。戻った僕を上司が「おい、どうしたんだ?」という目でチラリと見た。「すいません。緊急の要件だったみたいで…」 と僕はごまかしのような言葉で小さく応えた。

本当は、「緊急の要件」ではなく、「緊急の用便」なのだ。


そんなわけで、僕は生まれて初めての泌尿器科に行くことを決断した。

だいたいにおいて、この世代は(と言うか、こういうアホな男はみなそうだけど)、前立腺が自分の体のどこにあるのかを知らない。僕にしてそうであり、「前に立つんわけだろ?つまり、アレだよな、アレ」と勝手に想像していた。そもそもの痛みが立ち寄り湯での出来事だったのもあり、間違いないよな、と断定していたわけだ。念のため病院に行く直前にネットで調べてみて、「え?膀胱のすぐ下なの?」と意外に思ったりした。そこは痛くないんだけど、と不思議に思ったりした。考えてみれば、痛点がないだけでちっとも不思議じゃないのわけだが。

ともかく急ぎで泌尿器科に行かねばならない。ネットで検索して、通勤途中の電車を途中下車すれば、アクセスの良い病院が1件あった。その医院のホームページには、院長の医師が、若いころに米国へと留学し(しかし、聞いたことのない大学名だった)、かなりのキャリアの積んだ上で、この地域の医療に貢献するべく医院を開設した、との文章が少し読みにくい感じで示されていた。読みにくいとこころに不安感を少し覚えたが、とりあえず行動しないことにはわからないし、受診してみることにした。

受付を終えて診察室に入ったところで、その医者はたしかに長いキャリアなのは容易に見て取れた。ぱっと見た感じでは、おじいちゃん先生。安定感はあるような気がしたのだが、僕がかいつまんでこれまでの症状を話したところ、明らかに見下すような眼で僕を見た。

「この若さやからね。何か思い当たることはないの?」

「思い当たること?何なのですか?特にこれといって何もないのですが」

「あんた、家族はいるの?」

「はぁ、妻と子供が2人いますが」

と応じたところで、あーなるほど、感染症を疑われているのか、と僕は気付いた。つまり淋病ということか。まったく、人を年齢だけで判断しているというわけだ。ひどい偏見だ。

「一応尿検査しとこうか」とおなざりの尿検査も終えても、この医者のスタンスは変わらず、

「ま、抗生物質出しておくから、しばらく様子見るといいよ」とのたまう。

何が、しばらく、だ。菌なんかおらんよ。そんなんで治るわけないでしょ。何考えているんだよ。と思ったもののどうしようもないので、その医院はそれきりにして、別の医院を探した。今度は少し若手の医者で(と言っても50は過ぎているみたいたけど)、近隣の総合病院との連携もあるということで、ちょっと信頼できそうに思えた。

そこでも同じく症状を説明したところ、医者は少し驚きの表情をしつつ、「とりあえずそこに横になってお腹出してください」と言った。エコーの準備をして、僕のお腹の少し下ありに、ぬるぬるとしたジェルを当て、「うーん、これはほぼ間違いなく前立腺肥大だと思われますね。この歳で本当に珍しいけことだけど」と気の毒な感じで僕に診断を伝えた。さっきの適当おじいさん先生と偉い違う態度に医師の質とはこんなにも違うものなのか、と僕は感心した。

血液検査もして、折って造影剤による検査、MRIなどなどいろんな検査の上で、おそらくはガンではないことも明確にしてもらった。そしてその後は、利尿作用を促進する薬、前立腺のあたりの筋肉をゆるゆるにして尿を出しやすくする薬、男性ホルモンの分泌を低下させる薬、あれこれと薬を変えて、膀胱の尿がなるべく出てくれるよう手を尽くしてくた。

そして、なんとか約7年をのらりくらりとやりくりしてきた。僕は40台になり、前立腺肥大が起こり出すのにおかしくない年齢帯に入るところまで歳を重ねてきた。しかしながら、根本的に肥大していく前立腺を小さくする薬は現状ではなく、すべては対処療法的な薬だ。当然ながら限界があり、水分をたくさん摂れば、うまくいかないことが多くなる。例えば、その治療の間に、計2回の閉尿を経験する羽目になった。どちらも飲み会での出来事だ。酒好きな僕は、つい酔いに任せてビールをグビグビ飲んでしまい、「あれっ、ちょっとおかしいな。オシッコ出にくくなってるな」と思い始めることになるのだが、実はこの時点でもう手遅れなのだ。いくら頑張って力んでみても、オシッコが全く(文字通り1滴も)出なくなってしまうのである。

「今日はなんか調子が悪いから2次会は遠慮します」とめずらしく飲み会は早々に引き上げ、帰宅したところで、トイレで頑張ってみても相変わらずオシッコ出ない。まぁ、焦っても出ないならしょうがないか、寝てしまえば明日になれば何とか治るだろう、と布団に入ってみることにするのだが、当然ながら、尿意で全く眠れない。5分おきに便器に座り何とかならないのか、ともんもんと過ごし、いやどうしようもないか、とまた布団に戻る。そして、冷や汗のようなものが出てきたところで、これはもしかすると非常にまずい事態なのかも、と思い始める。宴会の後の酔いもすっかり冷め、膀胱はかなりパンパン、もしかするとこのまま尿毒症とかで意識を失うかも、その前に救急車を呼べるようにしておかないと(当時、僕は単身赴任状態で一人アパートで過ごしていたので)、いや、意識失ったら大変だからその前に夜間でもやってる総合病院にいくしかないか。そしたら、そのまま入院する羽目になるかもしれないから、いくらか洗濯済みの下着とか服も持っていって、あ、スリッパとかいるな。

思考がすっかりおかしくなっているのは、酔いと焦りが混在しているからなのだが、とにかく準備してから家を出て通りのタクシーを捕まえる。ベッドタウンだから何とか捕まえられる。

見た目はいたって普通に見えるのに、なぜかヨロヨロで(オシッコが出ないなんて、普通の生活でわからないし)、しかもこの夜更けに病院までタクシーで行くなんて、タクシーの運転手さんはかなり不気味に思ってた様子で、何も話しかけこなかたった。にもかかわらず、病院に着くとすぐに車から出て看護士さんを「大変そうですよ」と呼んできてくれた。

親切なタクシーの運転手さんのおかげで、支えられるようにして病院に着くことはできて、どうにか生きてはいけそうだ、と思ったのだが、それは大きな間違いで、看護士さんときたら、一通りの状況を確認した後、こう言い放った。

「申し訳ないんですけど、尿検査したいので、尿を少し取ってきてもらえませんか?」と。おいおい。勘弁してくれよ、尿が出ないから、ここに来たというのに、そんなの無理よ、それができるなら病院に来ないよ、ほんとに。

とは言え、ここで怒っても、この夜更けで他にいくところなどない。しかたないから、便座に座り、呼吸をととのえなながえら(まるでラマーズ法)、数滴の尿をコップに落とす。膀胱は相変わらず膨れ上がっているのかお腹がパンパンでもはや自分の体の一部とは思えなくなってきた。

そしてとりあえずの診断をして寝台に寝て言われ、なすがままに看護士さんにズボンとパンツを脱がされ、「痛いと思いますが、すぐに楽になるので我慢してね」と言われ、カテーテルが挿入される。今、書きながら想像するだけでも痛みが迫ってくるようだ。痛い、という言葉にならない。なんというか、「オウッ!」という気持ちが相応しいような気がする。痛みに対しては、欧米人の方がずっと正直な言葉にしたのではないだろうか、という何の関係もないことを考えてこの状況を忘れようとしたが、ぐりぐりとカテーテルが尿管を通っていくのが、しかも肥大した前立腺の影響を受けて狭くなっている尿道を、何の権利があってそんなことをするのか、と思うが、どうにもならない。そしてカテーテルが膀胱まで到達すると、1L近くの尿が一斉にあふれ出し、今まで感じたことのないような解放感を覚えるに至った。 

以上のような、人に説明することがはばかれるような体験を2度もして(説明どころか書いてまでいるけど)、そのことをかかりつけとなった泌尿器科医院の先生は、「あなたはかなり悪いみたいだね。前立腺を切除する手術も考えた方がいいかもしれないな」とアドバイスし出した。

「もし(手術することを)決めたら、言ってくれればすぐに対応するから」とも言い添えた。言い換えれば、つまりはもう手術するしか選択肢はない、と暗に示されたようなものだ。そういうことなんだろうな、もう覚悟を決めるしかないんだろうな、と思うところとなった。

その頃、僕は社内で抱えていた大きなプロジェクトをほぼ完了させたところだったので、手術するタイミングは今しかないな、という気もした。迷っている場合じゃないように思えて、すぐに医師にそのように話すと、医師は次の時までに紹介状を書いておく、と言ってくれた。

「内視鏡だから、体の負担はそれほど大きくないはずだよ」とも言われたので、なるほど、少し脇腹に小さな穴を開けるくらいでなのかな、と勝手に想像したりした。調べもせずにそういう勝手な想像をする僕に明らかに問題があるのかもしれないが、かかりつけ医の紹介状で手術を受けるのだし、何より当初の医師の間違いを鋭く見破り、長きにわたりあれこれと薬を変えてどうにか維持してくれてきた医師の勧めでもあるわけだから、素直に従ってもまぁ間違いはあるまい、と安心していたところもある。

紹介状を持って、総合病院へ行った。総合病院というところは、指定された時間に行ってもやたらと長く待たされる。そして診察。総合病院の医師は何故か忙しいみたいだ。病院のホームページで地域医療について熱っぽく語っている医師が紙に適当な図を描きながら僕の状況を説明し、「ま、手術ということになるでしょうね」と断言した。いや、そのつもりで来たのだからそれでいいんだけど、他に手段はないですよ、という感じでちょとだけ不安になった。また、「とりあえず診てみますかね」と付け加えた。

診る?いや、今診察してるやん、と思ったのだが、特に質問はしなかった。待合に戻るよう言われ、待っていると、また呼ばれて、別の部屋に入れられた。部屋の表示が「処置室」と書かれていた。その部屋には、患者用の椅子があり、簡易的なベッドがあり、あとはいくつかの機器や備品類があるだけだった。壁際に誘導されて、「じゃ、上はシャツだけで、下は全部脱いで、これを着てくださいね」と看護士がやさしくいった。「下は全部脱ぐ」のだ。なんというかとても嫌な予感がするし、現実にそれが確実に迫っているのがよくわかって逃げたくなるような気持がした。しかし、どうしようもないので、言われた通りにして下は生まれた時の姿になって、上から患者がよく着る薄手の羽織を肩からかけた。

そして、椅子に座らされた。椅子の股のところに隙間があるのがよくわかる。何が起こるのかも想像がついてくる。しばらく待たされて、やっぱり手術はやめておいた方がよかったのかもしれない、と考え直し始めたころ、医師がやってきて丸椅子座り、「じゃ、始めますから」とだけ言った。

その瞬間に、椅子が90°後ろに倒れ、ついでに足元がぐんと広がって、股開きの状態になり、想像もしたくない格好で医師に面前に股蔵を見せている状態になる。これでは足元で何がなされるのかが全く見えない状態になってしまう。

まるで出産の体勢じゃないのか、と妙なところとの共通点に思い至ったとき、医師が僕のイチモツを触るのがよくわかった。「ちょっと我慢してな」というのと同時に激痛が走る。あの閉尿の時に体験したものと同じ痛みだ。

内視鏡が僕の線下端から入って、突き進んでいく。麻酔など何もない。

正確には、体の内部には入っていないのかもしれない、とも思った。よく言われるように、人間の口から出口は一つの筒みたいなものだ。筒の内側を内視鏡が縫うように沿っているだけとも考えられたりする。

医師はぐりぐりと僕のペニスの中を(正確には筒の内側を)突き進めながら、「ここらへんが前立腺があるところだね。やっぱり狭いみたいだね」と説明をする。説明というより、ただの感想みたいな言い方だ。

狭いのがわかっているのなら、そんなところに入っていかないでよ、ともがくような気持ちで僕は思うが、声にしにくい痛みだ。僕は痛みを抑え込もうと悶える。内視鏡は膀胱までお構いなしに突き進んでいく様子だ。

「ここに映っているでしょ。ここが前立腺のあることろで、それでこの先が膀胱なんやな」

わざわざモニターで見せながら、医師が何か説明しているけれど、もはや何を言ってもらっても理解することもできない。どういでもいいから、早く抜いてよ。ともかく痛いんですよ。気持ちは痛くて焦るばかりなのだが、完全に受け身の状態だから、医師の気分を害さないように、「はぁ」とか「そうですか」とかあたりさわりのない言葉を並べて、やり過ごす。内視鏡が尿道を戻ってくるときも、切ないような痛みが続いて、抜けた瞬間はまた妙な解放感にあふれてしまった。

「かなり大きくなっているみたいだし、手術まではよく尿を出しておかないといけないね。後でよく聞いておいてな」と言い残して、医師は次の患者が待っているのだろうか、足場に立ち去っていった。

妙な安堵感と、またやられてしまった、という気持ちをぐるぐるとうずまきさせながら、僕は服を着てまた待たされた。すると、また同じく看護士処置室に入るよう呼ばれた。そして僕が入るなり、看護士は、ドアの鍵をしっかりと閉めた。え?何するもりなんだろう?また嫌な予感がする。

看護士は、少しやさしく、おそるおそる、しかし、少し笑いと哀れみを含んだような声でこう言った。

「あのー、すいませんけど、今から導尿の練習をするので、申し訳ないんだけど、ズボンとパンツを脱いでタオルをかけてそこに座ってもらっていいですか?」

え?ズボンとパンツを?導尿って、つまりカテーテルのあれやるの?閉尿になったときに身もだしまくって苦しかった。先生が内視鏡でぐんぐん入れ込んできただあの作業を「練習」するんですか?そんなに簡単に言えることなんですかね?僕の中でいろんな思いがぐるぐると回ったが、脱がなきゃならないのは間違いないことらしくて、そうなると、一体僕は何をしているんだろう?という、思ったところでどうにもならないことをまた考え始める。考えてはいるけれど、手作業はちゃんとズボンを下ろして、パンツもおろした。「やけくそ」という言葉はこういうことを言うのだろうか。

その後のことは、痛みと恥ずかしさでうまく説明できない。30cmくらいあるカテーテルの洗浄方法や触る部分などの注意事項を看護士は簡潔に説明したあと、「じゃ、ベッドのところに座ってもらいましょうか」と宣告した。言われるがままにすわり、ペニスをさらけ出す。異様に緊張する。

「ここを持って、先から入れていってください。はい、入れて入れて。ぐっと押さえながら。ダメダメ抜いたら。いったん止めるときは管を押さえて動かないようにして。ほら、頑張って、ぐっと押して押して。ほら、頑張って、もうちょっと。最後まで入れないと出ないから、苦しくても入れていって」

看護士は、30台くらいの女性だ。女性と二人でこの部屋で僕は何のプレーをやっているのか。しかし、有無を言わさないスピードで追い立ててくる。自分で頑張ってやるしかない。

「すいません。横から尿が漏れているような気がするんですが」

僕はうなるような声を出しながら、それでも何とか頑張って少しずつ入れていく。前立腺が大きくなっているのだから、尿管はさらに狭まっている。きっといろんなところを傷つけながら進んでいるはずで、どす黒い血が尿に交じって漏れ出て来る。ただただ痛い。それもどこで痛んでいるのかわからないような今まで感じたことのないような痛み。恥ずかしさはだんだんなくなってくる。これって、当初は恥じらいがあったAV譲の演技がやがて大胆になっていくのと同じことなるのだろうか。いや、今はそんなことはどうでもよくて、何とか膀胱までこのカテーテルを到達させないといけないんだ。カテーテルが膀胱まで届くと、尿が見事なくらいあふれ出てきた。痛みと膀胱にたまっていた尿が抜ける解放感が99:1くらいの比率で感じられた。ほぼ痛み。当然ながら、尿道からからカテーテルを抜くときも激烈な痛みであり、早く抜きたいのに痛くて手が震えた。

一仕事終えて、血の付いたカテーテルを洗っていると、「手術は、5月の連休前なので、それまではこの導尿を毎日してくださいね」と看護士がにこやかに言った。え、2か月も先やん。それなのに、これを毎日しないといけないの?今は、あなたが励ましてくれていたから、しかたなくやったけど、はっきり言って自分一人でこの痛みに耐えられるとはとても思えない。

「すいません。一日に何回するものなのですか?とてもじゃないけど、自分でできる気がしなくて。本当にしないといけないのですか?回数は何回ですか?」

「最低でも4回ですね」

「いやー、無理じゃないかと思うのです。一日1回なら頑張れそうな気がするのですが。回数は減らせないでしょうか?」

「うーん、じゃ、一応先生に聞いてみますね」と奥に引っ込んだもののすぐ戻ってきて、絶対にしないとダメよ、とのこと。いや、医師には聞いてないんやないの?と疑いたくなったけど、どっちにしろ、答えは同じなんだろう。手術より、それまでの導尿を繰り返す作業の方がずっと重く感じられた。


この診察を受けたのは、2020年2月の下旬。いわゆるコロナ騒動の夜明け前だ。手術を予定5月の連休と合わせる日程で設定していたのに、コロナの影響で病院内の手術スケジュールが大幅に延期されることとなってしまった。都合、3か月ほど延期にである。つまり、診察を受けてから5か月もの間、僕は毎日少なくとも1日に4回以上も自己導尿をしたわけで都合600回うを超えてカテーテルを入れたり出したりしたわけだ。朝起きてまず1回導尿してまず苦しんでから、飯を取り電車に揺られ、会社においては、障がい者用のトイレに入り、用を足す導尿作業をひとりで悶えながらやって、その度にカテーテルを洗い、除菌液の中に入れて、毎日のように痛みと耐える日々が続いた。仕事の方がずっと楽で何しに会社に行っていたのか、休日もそれをやらねばならないし、落ち着かない日々だった。特に夜、風呂上がりの寝る前にそれをやらねばならないのは、何とも辛かった。今も、体がうずくように痛んだことがわすれられない。

延期された手術は、夏に入り、8月のお盆休み前だった。

その手術の時の記憶は、僕が毎日付けている日記でそのありようを記しておきたい。人生いろいろあったけど、こんなことが僕の人生でかなりの割合で辛いとは、ある意味では何とも幸福なことであるように思えるし、一方で情けない気持ちがする。しかし、どうしようもない。ただただ、しかたがないと思う。


2020年8月3日

入院に向けてキャリーバッグにひと通りの荷物を準備をして家を出た。地元の総合病院で妻に付き添ってもらう。入院の受付に行く前に近くの駅ビルの地下にある蕎麦屋でざるそばを食べた。明日からしばらくは入院なのだ、と思う。妻に何か話をしただろうか。覚えていないが、落ち着いた気分になったところで、病院の受付に行く。すぐに11階の個室に案内された。個室の病室の窓から港がよく見え、見晴らしが良かった。港にフェリーが小さく見えた。

「昔、友達とあのフェリーに乗って、四国へ旅行したよ」と、全面がガラス張りになった窓に人差し指を当てながら妻に話した。

「そうなの。私も一度乗ってみたいな。いつか旅したいね」とぼんやりと妻が言った。遠いが明らかな凪の海がずっと続いていた。

しばらくしてから、看護士に呼ばれ、病院のこととか手術のこ、入院生活のことその他もろもろの事柄がずっと続いた。いつまでも続く説明を真剣な感じで聞きながらもどうにかならないものか、と思ったりもした。医療行為というものは、ほとんどが説明をする行為のことなのじゃないか。

部屋に戻ってすることもなく、再び窓の外を見た。うんざりするくらい快晴。

回診に来た担当医がまた簡単な説明をして、必要な書類に署名をさせられた。何の署名なのかももう考えたりもしなかった。ここまできて署名しないなんてないだろう。これで事前準備は完了らしい。明日のスケジュール(食事制限とか座薬を入れて排便を出しきってしまう作業とか)を教えてもらう。いつもは何事もなく過ぎていっている生理現象について、そういえばそういうことをしていたのだったな、と改めて考えさせられることになる。

その後、父から携帯に電話がある。昨日、入院することを伝えるために実家に立ち寄っていたのだが、何か言い忘れた大事なことでもあったのか、と心配したのだが何ということもなかった。

「大変かもしれんがな、治しておけばスッキリするだろう」と、諭された。「わかっているよ、大丈夫だよ」と明日手術するというのに、何でいまさらそんなことを言うのだろう。僕は、まったくスッキリはしなかった。しかし、モヤモヤした気持ちが少し落ちた気がした。

父からの電話が終わると「手術前には、また来るから」と妻が言った。「うん、ありがとう。心配しなくても大丈夫だよ」と応じた。

看護士から渡されたプリントに、骨盤訓練という作業の詳細が記載されていた。「ちゃんとやってくださいね。今のうちから訓練始めておけば、術後の経過がよくなりますよ」と言っていた。内容は、次のようなものだ。

①ゆったりとして手をお腹に当て、深呼吸を2~3回繰り返す。

②肛門を締める。(いつも締まっているはずだけど・・・、と読みながら思った)

③肛門、尿道を締める。(だから、いつも締まっていると思うのだが)

④息を吸い、骨盤底筋を上げる。(どうやればいいのかよくわからない)

⑤最大に息を吸い、4~5秒待つ。

⑥息を吐き、ゆっくりと体をゆるめて、リラックスする。

試しにやってみたけど、気持ちは焦るばかり。とてもリラックスできない。

こんなの続けられのかな。しかたないから入院中はちゃんとやろうと思うけど。

港に停泊しているフェリーをまた見た。あのフェリーはいつから関西汽船じゃなくなったのかな。船体に「ISHIZAKI」と記載されている。ネットで検索すると、松山ー小倉フェリーとなっていた。夜10時に出航、朝5時に到着する。あのフェリーに乗って高校を卒業した春休みに、友人と四国、関西への旅行したのだ。なぜ旅行に行こうと思ったのか、よく思い出せない。よくわからないけど、あの頃に少しだけ戻りたい気持ちがする。

間もなく10時。消灯で日記も書けなくなる。明日は手術だし落ち着かないだろう。下剤を2錠飲んで、自己導尿と歯磨きして寝ることにしよう。


朝6時前に空が淡く白んでくるのに気づいて目が覚めた。昨日、あまりに眺めが良くて、カーテンを開いたままにしておいたのだった。港には昨晩のうちに出航したはずのフェリーと入れ替わって形の違うフェリーがまるで以前からそこに停泊していたかのように同じ場所にたたずんでいた。入港はたしか午前5時だ。

昨晩飲んだセンノイド12という下剤はちっとも効いていないみたいで、オナラは頻繁に出るものの便がちっとも出そうにない。しかたないので、とりあえず自己導尿だけすることにした。手術をすれば、この作業も最後になるはず。そうお思うと少し名残惜しい…、という気には全くなれなかった。早くそうなってほしいものだ。

しばらくして看護士さんが来る。体温、血圧、酸素濃度、体重(55.7kgあった。この1か月で3kg程度増えている。)を測ってから、浣腸される。器具を見ると、浣腸というのは、大腸に空気を送ることなのだと知ることになる。「しばらく3分間くらいは我慢してくださいね」と浣腸の処置後に言われたのだが、3分がイマイチわからなくて、とりあえず我慢できるところまで我慢して(多分3分経っていないと思うが)、ぐっと腹にきたところで、勢いをつけて出してみた。どれどれ、と便器を確認したのだが、なんか水っぽい。でもこの後でまた波が寄せてきて、慌てて便器に座ると、ドロドロと出ているのを感じた。何だかな、ほんとに…、と思う。浣腸という言葉はスッキリするような印象がするのだが、全然気持ちの良いものではないな、とブリブリと出続けるのを腹に感じながら思った。

レポフロキサジンという抗生剤なのか、よくわからんけど、とにかく飲むように言われたのと、看護士さんが「便が出たら呼んでくださいね」と言ってたのを思い出す。ウンチ出たよー、とお知らせするのか。まるで幼稚園児だ。まぁしかたないか、と思ってナースコールを押した。しかし、全然反応がない。しょうがないのでトイレの呼出しを押してみた。すると、初めて見かける看護士さんが「何か用?」という感じの顔で部屋に入ってきた。

「どうしたんですか?」「いやー、あの、浣腸をしまして…」とゴニャゴニャ、モゴモゴと言っていると、「あー、はいはい」と合点して、「ふーん、まだ出そうなのかな…」と逆に看護士がゴニャゴニャ言い出して、そしたら遠くで誰かが呼ぶ声がして、便器をさっと流して去っていってしまった。

そして、何の連絡もなくなってしまった。することもなく、骨盤の体操をしてみる。地味で苦しい。ともかく待つしかない。家から持参したむ「村上さんのところ」を読む。手術用のパジャマとパンツに着替える。これから手術をすると全く思えない。

点滴を打ってもらうことになる。腕は毛が多いから手の甲に針を刺してくれることになったのだが、打ってもらうときには手を握られる。不思議な感じがする。温かい手だな、と思う。妻の手も温かかったな、と変な共通点を思い出す。点滴が入ってくる度に指までじんじんと鼓動を打つような感覚がする。

することもなく暇だけど、かといってPCを開けて仕事をするのも何かむかつくし、それでもう一度「村上さんのところ」を開く。やっぱり手術するという感覚がしない。切実な感じが全くないのだ。何なのだろう?手術が失敗する可能性はないと思い込んでいるのだろうか。これから先のことが全く見えて来ない。そしてとんでもないこと(つまり、それは手術の途中で死んでしまう、ということ)が不思議な予感のようなものとして少し浮かんでくる。

これからこうやって待っていると、良くないことを考え続けて、良くないことを引き寄せてしまうのかもしれないな。だから、そういうことが起こるとしても、それはそれでありのままで受け止めるべきなのかもしれない。そんな静かな気持ちも少し浮かんでくる。もうどうしようもないなんだから。

昨日の夕食から全く何も食べていないけれど、ちっともお腹はすかない。どんどん体重が増えているけど(それが前立腺肥大と関連しているのかわからないけど)、この入院で少しやせるのだろうか。

まだしばらく待たないといけない。ベッドで文庫本の続きを読もう。


2020年8月5日

手術は無事に終了したとのこと。終わってからずっと寝たきりで(起きれないわけではないけど、起き上がると麻酔の影響で頭痛がするらしい)、手術の翌日まで寝ているよう命じられていた。寝たきりで何をすることもできず、しかたないので広い窓から見える空模様を眺めているだけだった。座ったり立ったりできることはありがたいことだと思う。腰がやけにだるかったり、肩が凝っていたりしたけどどうしようもない。

内視鏡のレーザー手術というものは、すべてを尿管を通じて行うもので、腹のどこにも穴はない。僕は胆石を取るみたいに、腹に小さな穴を開けるものと思い違いをしていたのだが、みごとにきれいな体のままだ。手術中に先生がいろいろ説明してくれていたのだが、僕は難聴があり、手術中に補聴器を外さねばならず、何を話しているのか全然聞き取れなかった。適当に合いの手をいれてやり過ごしていただけ。

手術室へは普通に歩いて行った。まるで何かのカウンセリングをでも受けに行くかのように。本当にこれから手術するんだろうか、とずっと思っていたことを最後までやっぱり思っていた。付き添っていた妻も、「じゃ、また後で」と言ったきりだから、感慨もない(まぁ、命に関わる手術じゃないからそんなものなんだろうけど)。女性がひとり、男性が3人の看護士に促されて手術台に自分で横たわり、少し雑談をしたりした。やがて先生が入ってきて、モニターみたいなものを見ながら、まわりの人にあれこれ指示をしていた。


結局、PCのモバイルで仕事をしてしまう。入院で、しかも手術ということで休んでいるというのに、メールは次から次に入ってはストックされていく。後から僕がじっくり読むだろう、とでも思っているのだろうか。溜まりまくったメールをみるだけで、再び働くことが嫌になってくる。いっそのことこのまま退職できたらなぁ、という心境に陥ってしまう。休暇中のメールっていったい何になるだろう?バカバカしくて嫌気がさす。いっそのこと、休暇中のメールは自動的に削除されるか、受け付けないようにしてくれればいいのに。いや、それでも同じか。人に任せたい仕事は、何が何でもやってもらいたいし(僕だってそうだ)、そうすると休み明けにドカンと仕事がやってくるだろう。メールのやり取りで「生産性の向上」とういう言葉によって、「業務の効率化」を進め、「業績向上を達成」されても、僕は限界のような気がする。本当にしたいことは日記を書くことくらいだ。それを何度も気持ちの中で反芻しながらメールの返信を作成しては折り返しの返信とし、夕方が迫ってきたところでやめた。そして、こうして日記を書くことにする。手術は無事に終わった。でもカテーテルは膀胱までつながったままで、つまり垂れ流しで尿が袋に溜まっていく。メールと同じみたいに見てないうちにたまっていく。それでも座ることもできるようになり、昨日までとは景色も違ってみえる。海が近いから港がゆったりと見える。とてもいい。個室にして本当に良かった。

それで、落ち着いてきたので、手術の詳細を書いておくことにしたいと思う。


麻酔の準備ができたらしく、横向きにさせられて「自分のお腹を見る体勢にして」と言われた。その後、膝を折り曲げて男性の助手がおおかぶさってくる。ここに至って、いよいよ始まる、という気持ちが頭にみなぎってきた。背中を広く消毒した感覚が伝わってくる。そして、一瞬で冷気が体中を抜けるかのように痛みが突き抜けて、じわじわと何かが波打つように迫っては広がってくる。脊椎に麻酔が達したのだろうか。

しばらく待ってから、何かを足元に当てられて、「冷たい感覚がしているか?」と尋ねられた。「いや、わからないです」と応じる。足先からじわじわと麻酔が効いてきて、完全にしびれて動かなくなっていく。足先を動かそうとしてもピクリとも動かない。足が動かないとはこんな感じなのだろうか。足よ、動け、という信号を意識的に出している自分に気づくと同時に、麻酔が迫り完全に脇腹まで何も感じなくなる。触れているのかどうかも良くわかない。

そして、さっき麻酔を背中にブスリと打った医師がやってきて、右足をやや上げる形になってたいることはわかるのだが、パンツを脱がされているのか、チンコを触られているのかさっぱりわからない感じのまま、ただなすがなされるままの状態。内視鏡は先端のカメラがちゃんと映像を映してくれる。

「目の前にモニター持ってきて、見ることできるけど、見る?」と医師が言った。自分の体内の、しかも尿管のところからの映像をリアルタイムで見るなんて、なんて悪趣味なことだろう、と思う。でも、そう思うと、ぜひ見たくなってもくる。「はい、お願いします」

すると、すぐにでっかいモニターがすっと目の前にやってきた。あまりに目の前過ぎて「すいません。少し後ろにしてもらえますか?」と頼んだ。

モニターには、すでに尿管に入っている内視鏡の映像が映っていて、それは何だか、深海を進んでいるかのような映像に見えた。「これから入っていくから」僕の足の方で医師が言い(お腹のところでカーテンが敷かれて、どんな作業をしているのかは全然見えない)、尿管を切ったのか、少し血の塊のようなものが見えた。これから前立腺をぐりぐりと切り取って、ミンチにするのだ。医師は、映像を見ている僕に説明するかのように「ここが・・・」とか「それで、こっちが・・・」とかいろいろ言ってくれるのだが、補聴器を外しているから何を言っているのか全然聞き取れない。特段知りたいわけでもないから、「へぇ、そうですか」とか「はぁ、なるほど」とか適当な言葉を並べてやり過ごした。

機器の先端からレーザーの光のようなもの出て、白いものを攻撃するように削っていく。つまり、前立腺を削っているのだろう。最初はなるほどなぁ、と思っていたのだが、作業としては単にそれを繰り返すだけであり、あまりに単調過ぎて、途中で意識が遠のいて眠っていたような気がする。

手術のスタッフが「何かあったら言ってくださいね」と助手の若い男性が言うのを聞いて、はっと意識が戻った。え?何か、って何か起こるの?と逆に気になる。

「寒くないでですか?」とも言われて軽いヒーターカバーのようなものをあてがわれる。「すぐに暖かくなりますからね」と優しく話しかけてくれたのが、実のところ、むしろ暑いのだが、と思ったが、いやもしかすると、これから寒くなるのかもしれない、と身構えることにした。しかし、しばらく時間が経っても全然寒くはならない。やっぱり暑い。しかも暑さのせいか何だか気分が悪い。うまく息ができないような気がしてきた。そういえば、さっき「息が苦しかったら言ってくださいね」と言われたのを思い出した。これは言わないといけない事象なのか?考え出すと、息が苦しい、というレベルがどれくらいかよくわからないのだけど、多分言っても問題ないだろう。

「あの、すいません。ちょっと息が苦しいんですが」と言った瞬間、手術室は「えっ!?」という空気に変わった。「息苦しい?いや、酸素濃度はおかしくないよ」と先生は言ったのだが、直後に「血圧がさがってるよ!」と強いの声で言い、さらにその次の瞬間に、血圧やら心拍やら心電やらを測定している大きな機械がびっくりするほどの「ビッビビビビビーっ!」というアラーム音を部屋中に響かせた。本当にビビビビビのビの音が続いた。僕は驚くと同時に息も苦しくて、ハァハァと息を大きくした。全速力で走ったみたいに苦しかった。

落ち着いていない雰囲気だったが、実はすぐに準備がなされていて、「落ち着いてください。これから血圧をあげる注射をしますんで。すぐに血圧が上がりますから」と助手が言うなりプスっと僕の左肩のところに小さな注射を突き刺した。僕は息が苦しくて痛さも感じない。

数秒のうちに、どういうわけか少し楽になったような気がした。血圧が一気に上がったのかな。昇圧剤だっけか?バイアグラが関係している薬だったかな。モウロウとする気持ちの中でそんなことを思った。

「定期的にちゃんと見ないとダメだよ」と医師が、血圧のことを周りの助手たちにぼやくように注意していた。「はい」という神妙な誰かの声が聞こえた。でも、医師を含め誰も血圧の低下には気付かなかったわけだから、仕方ないのことなのかもしれない。尿管を切ったときに内出血が多くて、血圧が下がってしまったのかもしれない。酸素が行かないとあの世までは本当に一瞬だな、思う。

「じゃ、ゆっくり深呼吸をしてみましょう」と言われて、僕はスーハーと繰り返した。気持ちがいい。細胞にも酸素が行きわたったみたいで何にもしてないのに、体の中での活動が復活しているような感覚がした。

落ち着いたところで、モニターを見ると、内視鏡の先端部分のレーザーが微妙に変化しているのがわかった。丸い輪っかのようなものになっていて(最初はハサミのようなものだったのに)、切り取られた前立腺をザクザクと切ってミンチ状にしているように見えた。

同時に、僕の右足の親指が動き出しているのに気づいた。麻酔が切れ始める前兆なのだだろうか?

「あの、すいません。気にしなくてもいいのかもしれませんが、足の先が動きはじめました」誰にという感じではないものの、手術室の中にいる人にはハッキリと聞こえるように、少し大きくクリアな声で言ってみた。

「麻酔が切れ始めているんでしょうね」

いや、そんなこと、言われなくてもわかるよ。麻酔が効くのが結構早かったわけだから、切れるのも早いのかもれない。大丈夫なのかな。ちょっと心配になってきた。でも、内臓には痛点はなかったんだっけ?お腹が重くなり、目の前にセットされた生理食塩水が少なくなくっているのも気になる。なんでも、膀胱に液を送った後でそれを出しながら、前立腺の抹殺ミンチをやっているそうで、つまり尿管から膀胱に液を送って、その液を出しながら、ミンチを外に出しているわけである。

お腹が押し込められるようにズキズキと痛んだ。見ると医師がギュッ、ギュッと僕のお腹を押しているようだ。削り取った前立腺のミンチを外に出すようにしているのかもしれない。

「もうすぐ終わりますからね」と言われたが、気持ちは落ち着かなかった。まずいんだけど、もう右の膝も動くよ、このままいくと腰のあたりが動くもの時間の問題じゃないか、と感じられる。まずいんじゃないか。麻酔が切れたあとでの手術が続いているのって、どんな痛さなのか。もしかしたら失神してしまうのか。

などなど思いめぐらせている気持ちが通じたのか、「じゃ、終わり」と医師が宣誓した。手術は終わった。

麻酔の効きが弱まったことを確認するために、冷たいものを順次充てられて冷たいと感じることを確認された後、ストレッチャーに「セーノッ」と移動させられて(もう歩けるような気がしたのだが)、ずっと廊下の天井を見上げながら廊下を移動した。見える風景が違うせいか、やたらと移動が速く感じられて、何かにぶつかるような危険を感じた。

廊下で止まった時に、医師がやってきて、ホルマリン漬けにした前立腺のミンチ(約100ml×3)の瓶を見せながら、「こんなに取れたよ」と嬉しそうに説明し始めた。充実感があるのかもしれない。

その日は、手術着のそのままで一度も起き上がることなく、後から病室に来た妻からおにぎりとおかずを寝たままで食べさせててもらい(寝たままでちっともおいしくなかった)、それ以外はひたすら天井を見上げるだけだった。看護士がストローで飲ませてくれたお茶がおいしく感じられた。

カテーテルがつながったままで、ベッドの下にある尿袋を見ると赤い血が混じっているせいかどす赤かった。寝たままなので、詳しく見ることができないし、状況がよくわからなかった。少し頭が痛んで寝苦しかったが(それは、血圧が一時的に低下したことが影響していると思う)、その他は特段何もなかった。

目が覚めたり、また眠りに入ったりを繰り返した。夜間、看護士が尿の回収に来ているのをまどろみながら確認していた。2時間毎に来ているらしい。これも大変なものだな。僕は入院患者としては調子の良い方なだろうけど、こういう病人を相手に仕事をし続けるのは本当に大変なんだろうな。

まどろみながら、午前6時には、完全に目が覚める。点滴は終了して、血が逆流していた。点滴スタンドから点滴が外され、替わりに尿袋が取りつけられる(カテーテルはまだ外れない)。起き上がって移動しても問題ない、とのことで、暇すぎて院内の1階にあるコンビニに2回も行ってしまう。カテーテルと尿袋と一緒に。

風呂にはいることもできず、体は自分で拭く。カテーテルをつけたままのペニス周りは看護士が拭くことになっていた。「自分でできるのに」と思ったが、そうもいかないみたいで、知らない看護士が来て、「失礼します」と言って、丁寧に拭いて、カテーテルをテープで固定した。無言でオチンチン周りを清められるのはとてつもない奇妙な気まずさがあった。それをごまかすために「昨日の手術も入院自体も生まれて初めてでして」とか、「ごはんがおいしいですね」とかありきたりな話を無理やりしたのだが、その方が奇妙にぎこちないような気がした。何やっても無駄な気がした。

しばらくして、頭を洗ってくれるということで、別の看護士が来て、シャンプーとリンスしてくれた。それも自分でできるのに、と思ったが、黙って従った。

それが終わるとすることもなく、仕方がないので、PCを開いて仕事をしてした。メールを作っては送った。受信メールには上司がありきたりな言葉で見舞いの言葉と手術の経過について問い合わせているメールが来ている。ありきたりな字面を素直に受け止めることができない。だから、手術の生々しい感じがわかるような文面を客観的な視点で階いて、最後に「まだカテーテルが付いたままです」と付け加えて返信した。

食事がやたらとおいしい。水分をいっぱい取るように言われたので、飲みたくもないのにグビグビと飲み、2Lくらいは茶を飲んだ。

目の前の港にある日本製鉄(新日鉄でなくなったのはいつからだろう)の工場群を眺めつつ仕事しり、日記を書いているとカンヅメ状態だな、と思う。

コンビニに行ったら、どう見てもラテン系としか見えない人が流暢な日本語でレジをしていた。大学生だろうか?


2020年8月7日

昨夜はよく眠れず、まどろんでいるところで、看護士が見回りに来ているのが分かった。朝7時過ぎに立体駐車場を見てると、病院の職員が次々に来てるのがよくわかる。海はなんだか煙っていて、まったく見えない。霧なのかと思ったら、火山性のPM2.5なんだとか。本当なのか?明日で退院だから、美しい夕焼けをもう一度見と思っていたのでにそれはできない。少し惜しく感じる。

フェイスブックに病室からの風景を載せると、いろんな人が見舞いの言葉をコメントしてくれた。しかし、後で少し後悔した。別に隠していたわけじゃないけど、この歳での前立腺肥大。なんとお見舞いの言葉をかければいいのか?「お大事に」じゃ、あまりにありきたりな感じで、やり取りするのもめんどくさい。

今日にはカテーテルを外すことになっている。それでシャワーを浴びられる。風呂に入りたいな。


2020年8月8日

11時過ぎに退院した。

昨日カテーテルを外してからは自由になったのだが、思った以上に尿が漏れまくり、驚いた。まるで赤ん坊になったようだ。男性用の尿パットなではとてもじゃないがフォローできず、いわゆるオムツ型のものを履く。最近のものはは需要が増えてきているせいかとても薄いのに性能が良く、履きやすい。

腰あたりに力を加えると尿が漏れてしまう。トイレで排尿してみようとすると(当然便座に座っている)、赤くくすんだ血尿がボタボタと落ちてきて、突き刺すよいうな痛みを伴う。その血が便器にポタリと落ちて淡い膜をつくり、水洗では汚れがなかなか落ちない。その血を見ながらこれから大丈夫だろうか?と心配になってくる。

「最初はそんなもんだよ。なにしろ、横綱級の前立腺を取り除いたんだからね、これから少しずつ良くなっていくはずだよ」と、退院前に医師が言っていたから、そういうものだろうと思い込む。諦めるしかない。


帰宅してからも血尿と尿漏れが続く。夜、床に就いた後で、しばらくすると痛みで目が覚める。痛いところをくり抜いて、つかんで拭い去ってしまいたい気持ちになる。その気持ちに、この数年前立腺肥大に付き合ってきて、こんなことがいつまでつづくのだろう、という不安が入り混じり、トイレから戻って再び眠ろうと思ったが、目が冴えてきて、再び寝付くことができない。暗闇に目が慣れるとますます意識が明確になってくる。天井を見つめるばかりになり、ため息をつく。

横になっていることが重圧のように感じられてきて、もうどうでもいいような気持ちで起き上がる。そのまま寝室を出て、居間のダイニングテーブルに何気なく置かれた新聞を眺めた。一面の隅にある「カーボンニュートラル」という言葉が、ふと目にとまる。何とも言えない感じの苦しい言葉じゃないのか。表立って反論することもできない正義のイメージであり、しかし、大手を振って賛同するにはあまりにも僕という人間が小さくひ弱なのだ。自分の体の一部のことでこんなにも四苦八苦してるのだから。それに、この人間の活動を無理に方向づけるようなにも感じられ、閉じ込められるような切迫感を覚える。あちこちで聞くものなのだが、それが具体的に自分にどうふりかかるのかわらない。いや、反論してるわけじゃない。ただただいくら説明されても実感できない、ということには変わりはないわけだ。

それにしても、ニュートラルか。前立腺をほぼ削除した僕は言ってみれば性的にニュートラルになっていくのじゃないだろうか。いやユニセックスと言うべきなんだろうか。もはや身体的にも精神的にも尖がったものを失ったような気持ちがして、何もかもどうでもいいという感覚が前に出てきているように思える。その思いが自分で思うというより、取り囲まれている発生しているような感覚がして、何かが改善するという方向へは抜けていないような気がする。そんなことを繰り返し繰り返し自意識の中で見つめている。目についたはずなのに、結局、新聞はほとんど読むことはなく、やっぱり起きていたところで何も良いことなどない、と考え直した。寝室に戻って、眠れなくても暗闇を見つめていよう。好きなだけため息をつけばいいわけじゃないか。

そのようにすべく、寝室に戻ると、僕が起きたり寝たりする様子に気が付いた妻が目覚めていて、そっと僕の布団に横から滑り込んできてた。何かを理解しているのか、それともやはりそれなりに心配をしていたのか、僕を包み込むように抱きしめてくれた。妻の胸に顔を預けると少し涙が出た。その涙から感謝の気持ちが素直に湧いてくるのを感じた。

なるほど。自分に素直に生きて、我慢することを少しやめればその分だけ少し長く生きられるのかもしれない。それができるのなら、そうやって生きていくのが一番いいことだろう。ちょっと変わった体験を歳の割りに早く経験しただけで、結局のところ、どの人のどの人生だって同じなのかもしれない。そう思って何とかなるような気がする。よくわからないけどあふれるよう気持ちに向かい合って生きていくことが必要なのだろう。

そして、今度は僕から妻を強く抱きしめた。


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