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朝起きて、顔を洗う。
井戸から汲み上げるのではなく、蛇口を捻り水を出す。
転生してから4年くらい経った時期
その時期には自分の内側に何かが芽生えている感覚に気付いた。それは別に悪いものではないが、他人にとっては棘になる物だという事をなんとなく理解していた。
僕は前世じゃ特段働きものって訳でも全然無かった。
村には、僕よりも小さな子も普通に働いていたし日が落ちても勘定手伝いをしてる子どもだっていた。
僕が6つになる頃には、村作業やらなんやらでいつも家に帰るのは日暮れどきだった。
それは別に大変とかそういうものじゃなくて、
"そうあるべきだ"と決まりごとのよう考えていた。
なんなら王都の子どもは、剣術やら魔法の勉強やらでもっと大変だろう。
ところがこっちの世界の5歳のときの自分は何をしているかというと、小さく閉鎖的な場所で楽しくもなんともない遊戯をやらされ、歌を歌わされた挙げ句、粘土細工で訳の分からないぐちゃぐちゃした物を作るという。
なんとも退屈で偏屈な日々を浪費する毎日だった。
僕は追いつかれたらズタズタに引き裂かれる様な化け物と何度も走り回ってたし粘土細工なんか6歳までに壺を作るくらいには上達していた。
そんな2回幼少期を体験した身から言わせてもらうと、こっちの世界はあまりにもぬるま湯過ぎた。
だから、段々とこっちの世界を知らずのうちに心の中で格下の世界だと思い込んでいた。
転生には何かしらの才能やら能力が授けられるというのが法則としてあると書物にはあった。
この時はまだ自分の才能も能力も僕は分からなかった。が、それらを使うまでもなくこの世界の平均的な能力値と僕の能力値ではかなりの差があった。
変化---それも比較的悪い方に変化があったのは、僕が訳の分からない小さな箱庭をでた後の事だった。
言った通り基本的にこの世界を僕は見くびっていた。
僕も同じようなモノだが魔法はろくに使えないし、子どもはだらけきっている。だけど、そんな考えと相反してこの世界の方が前の世界より優れていると感じる事は多々あった。
治安は圧倒的にこっちの世界の方がいいし、子どもの扱いも多分6歳までは丁寧だった。
で、まぁ何があったかと言うと僕は転生でハズレを引いた。
僕は向こうの世界の両親にはずっと感謝してきた。
大変だったけど農作業をやれば褒めてくれたし
何より家族全員仲がよかった。
王都の大工匠との付き合いは最悪だったから心の何処かしらに家族との団欒を癒しと考えていた。
じゃあこの世界での家族はと言うと前世とは本当に真反対な感じだった。
母親と父親はそもそも家に帰ってくること自体珍しかった。
帰ってきたところで母は寝てるか、父は酒を飲んで酔い潰れてる姿しか見たことがない。で、いざ2人が揃うと毎回毎回大声で口論し始める。ひどい時にはガラス瓶が宙を舞う事もあった。
こんな形成を保ってるとは言い難い家族だったからもう末路は大体想像できた。
何がきっかけなのか自分には分からないけど
一度ものすごい大喧嘩があった。
窓ガラスは割れるし、椅子はバキバキになって壊れるしでまぁひどい有様だった。
僕は家族同士の喧嘩なんて考えたことも無かったから、本当にその時は怖かった。
だからことが済むまで押し入れでじっとしていたんだ。
喧嘩が終わったのか出て部屋を見渡すと、そこには母が一人で煙草を吸っていた。
その喧嘩以降父親が帰ってくることは今日まで無い。
というかもう顔も思い出せないから、はっきり言ってどうでもいいけど。
ただこの家族、金だけは沢山あったみたいでおかげで僕は学校に入ることができた。
これだけだとまぁ比較的悪い生活には聞こえないかもしれない。
貧困に遭ってないだけで生活の水準は一気に良くなるし。
現に金があったから食事には一切の困る要素は無い。昔(前世)みたいに四六時中飢える必要もなくなった。
ただ悪い変化は家族のことだけで止まらなかった。
大きな変化があったのは自分が学校に入ってから3年ほど経ったくらいだった。
急に全くと言っていいほど学問についていけなくなった
計算やら語学やら実験やらを学校で行う様になったわけで、僕は常に混乱してた。
第一に実験器具なんか国の科学委員会くらいしか取り扱わなかったし、計算も足し引き以外僕は全く知らない。
小さな箱庭で悠々不敵になっていたのも束の間、大海に放り出された金魚の如く自分の程度の低さにうちひしめかれた。
何よりも僕は、他人より自分の方が優れているっていう優越感で自分の悲惨な家族関係のことを覆い隠していた。
周りが全く苦戦してる様子もないのを見たときは本当に虚しかった。
自分の能力が劣っていて、家族は父親がいないなんて一体僕はどこを誇ればいいんだろうかと、本当に自分の惨めさで押しつぶされそうだった。
おまけに僕は家族以外の人間関係も酷かった。
前世で僕は良くも悪くも娯楽と向き合う時間が限りなく少なかった。
こっちだと皆んなボールを蹴り合ったり、よく分からない機械で遊んでたりと、「子どものすることは分からない」と子どもの頃達観してた。
子どもが子どもの人生観に困惑するのは中々おかしい話だが。
今は当然皆んなが何をしていたか分かるし、この世界特有の物や言葉、それぞれの世界の文化を上手く区別出来ている。
常識や固定概念を頭から追っ払うのはホントに大変だったけど。
こっちの世界に来て16年も経ってるんだから、世界観なんか時間と共に体に染み渡るものだ。
でもそれを理解する前に他人との繋がりを手に入れるための"期間"は終わってしまったから、中学を卒業する頃にはひとりぼっちになっていた。残念な事にその頃の僕はそれを理解する事の重要性に気付いていなかった。
結果的にこれがこの世界と僕の乖離を広げる数ある原因の1つだったわけだけど。
中学は記憶に残ってるのは机の木目くらいだ。
最後の儀式みたいな変な行事は周りの皆んなははしゃいだり、泣いたりしてたけど、僕は泣くこともないし感動を分かち合う相手もいなかった。
それくらいに何も無く、誰とも関らず、静かに過ごしたっていう感覚を身に染みて感じた。
僕がこの世界に来てからかなりの時が経過した。
が、現状異世界に来たからと言って何かいい事が起きたわけでも無く、寧ろ前世のハイエナの様な生活が形を変えて手元に戻って来ただけだ。
僕の前世での窮状は異世界に来たところで解消される訳でも無さそうだった。