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アルバイトの履歴書の職業記入欄を書くとき、毎度書くのを躊躇してしまう。
ろくにそれらしいことの1つもしていないのに「学生」という言葉を使うのは、ある種他の学生への間接的な侮辱行為にあたるのではないか。
だが金さえ払えば称号が手に入れる辺り、あっちより断然楽でいい。
ただ単純に自分自身のプライドが邪魔をしているのだろう。こんな平凡で偉大さの欠片も無い様なことを書かなければならないくらい、今の自分が落ちぶれてしまったという事実を、僕はただ認めたくない。
僕は誰かに必要とされているんだという自意識過剰な自己肯定感でなんとか自尊心を繋ぐ
そんな過去の、少なくとも今よりは輝かしかった時代のに縋り付かないと僕はやっていけない。
履歴書を書き終えると、足早に家を出る。まだ残暑が残り季節外れな暑さが自分を包み込む感覚が感じられた。
自宅の最寄り駅に行き、ベンチに座りながらひと息吐く。ここ最近になってからため息をする頻度が上がった気がする。自分の幸福値がどんどん下がっていく様で、そんな自分に嫌気がさす。そうしてまた僕はため息を吐く。
数分ほどで電車に乗り、揺られながら学校を目指す。
課題は山ほど溜まっているし、前回のテストも赤点が3つほどあった。それでも不思議と自分に危機感が湧いてこない。というか、もう正直なところどうでもよかった。
駅に停車した時に、乗客が雪崩れ込んでくる。
ふと、僕の前に爺さんが吊革を掴んで立った。そして、露骨に僕に聞かせるかのように、ため息をついた。
「僕だって疲れているんだ」
と言いたかったが、勿論そんな勇気は無い。顔を下に俯け、事が終わるのを待つ。大丈夫、見て見ぬふりをすればきっと大丈夫。
「あの、ここよかったら」
隣の女性が爺さんに席を譲った。爺さんは頭を下げ、礼を言うと座った。
ほら、僕じゃなくて他の誰かがやってくれる。
反論する勇気は無かったが、席を譲る勇気も僕には無かった。
自分の中にある小さな自責の念がじわじわと身体全体に広がって僕を苛む。
ごめんなさい、僕はもう勇者じゃないし、なんなら勇者としての素質も最初から無いんだよ
だから、もう自由にさせてほしい。
肩書きをそろそろ下させて欲しい。
僕がこの世界に来たのは、ちょうど16年ほど前の話だ。
僕は前の世界、いわば異世界…ということになるのだろうか
その世界で勇者だった。
勇者……御伽噺で出てくる悪者を退治したりとかするやつ。
「勇者」と言ってもそんな大層なものじゃない。
話を聞く限り前任者が死んだため、僕が選ばれた…というだけの話らしい。
特別な素質が自分にある訳でもなく、日雇いの家造りの仕事をするくらいしか脳の無い自分にとって、「勇者になれる」と言われたら断る理由が無かった。…なんなら金も無かったし。
そんなこんな紆余曲折あり、僕は勇者になった。その時の、いわば勇者のお披露目会は未だに脳裏から消えず自分を締め上げる。
「えー……と、" "だったかな?其方に2つ選択肢を与える」
多分、王は僕が責務を完遂しようが仮に失敗しようが本当にどうでもよかったんだ。
僕みたいな日雇いで働くような人間が選ばれたって事は、代わりは幾らでもいるって言ってるようなものだ。
現に僕の前の勇者もそうだったのだろう。
この際だから言っておくと" "というのは、僕の名前。
まぁ…もうこの名前知ってる人いないから正味どうでもいい事だ。
「…陛下、その選択肢というのは」
「黙れ、無駄口を叩くな」
側近の人が牽制し、細長く鋭い眼を向けた。
怒られた。
「貴様如き代わりは幾らでもいる。口を慎め愚弄」
立て続けに針のある言葉が飛んでくる
…尋問かな?
こっちだって死に物狂いでやってきたのに。
「…じゃあ貴方がいけばいいじゃないですか」
「何か言ったか愚鈍?」
再度鋭い眼がこちらに向く。
言ってません。
というか言えません。
こんなとこで首を飛ばして逝きたくない。
本当は凄く言いたいけど。
「オホン」
国王が咳払い1つ付くと、側近は姿勢を戻した。
「で、だ。貴様は今2つの選択に立たされている」
「家に帰ってそのまま暮らすか、勇者として国に使命を全うするか…お前が今決めろ」
暮らす?使命?
王都に来てからこの時点で5年が経っていた。
この頃は昔の夢を見ていた自分が本当に羨ましかった。
5年間の夢も希望も無い生活っていうのは僕の今までの価値観をぶち壊すのには、十分過ぎる素材だと思う。
なんならお釣りが来るぐらい。
すっかり悲観的になってしまった僕は前者を選んだ
可笑しな話だって自覚はあった。
勇者になる為に王都へ向かった筈なのに、その勇者の役職を今自分で拒んでるんだから。
でもそんな事がどうでもよくなるくらいに自分は追い詰められていた。
もうさっさと楽になりたかった。
家に帰って、家族と平穏に暮らしたい。
童心と夢は失ってしまったけれど、
失ってから分かる大切なものに気付けた。
それだけでいい教訓になったじゃないか。
「私は」
「あぁ、言い忘れておったが、もし貴様が前者を望むのであるようなら悪いが…もう故郷はないぞ」
思い返したかのように国王は言った
…はい?
何を言っているんだ、と思った。
いや違う。
多分僕は無意識に考えられる"最悪の状況"
を拒否したかったんだと思う。
だから自分に対しても疑問句を投げかける。
そうでもしないとどうにかなってしまうから。
「…確か西の辺境の小さな村出身だったな」
横の腰巾着野郎(敬愛すべき側近様)が徴収書にかかれたことをつらつらと読み上げる。
震えがする。
「あそこの村は2年ほどだったかな…疫病が蔓延したそうだ。今の時代医者に見てもらえば簡単に完治できるものを…お前は幸運だったな」
「簡潔に言えば、今の貴様には身内はいないし、故郷もないということだ」
ここまでだった。
第一の人生はここでおしまい。
その後は簡単な話だった。
僕は結局勇者を選んだ。
いや、正確には選ばされた…なのか
その先は…勇者としての僕の話は別にこれといって面白くももないから結論から先に話そう。
死んだ
幕引きが3文字で片付くのは僕の人間性が希薄な雰囲気を後押ししているように見えなくもない。
でもまぁ、正直「よかった」と思っていた。
遅かれ早かれ心の中で高を括ってたから死の恐怖は薄かったし
それにどんな形であれ夢で人生を終えられたんだから。
だから、最期は自分が勇者として死ねる事に感謝ぐらいはしとこうかなって思った。
「ありがとう世界」
「さようなら世界」
別れを告げるほどこの世界を愛していた訳じゃない。
キリ良く自分の人生を締め括るための言葉だ。
そんな訳で僕は死に、
僕の人生は終わった。
そして目が覚めた。
眠りから覚めるかのように、目が覚めた。
目を開いた時に自身の境遇を理解するのに、半日くらいは費やしたと思う。
だって僕は確かに死んだのだから
『目が覚める』という事がおかしい。
死んだ人間がもう一度目覚められるなんて奇跡でも起きないかぎり。
その奇跡が自分に起きたわけだから本当にパニックだった
そもそも今していること全てが不可能なことだ
目を開いたり、足を動かしたり
一動全てが不可能なこと
死の否定
王都の図書館で見た書物に「転生」はあった。
それが自分の身に起きたなんて、到底考えられなかった。
兎にも角にも、僕の人生はもう一度やり直すこととなった。
本当に破天荒で行き当たりばったりな話だと思う。
でも現に起きてしまったのだから、受け入れなければならない。
こうしてなんの前触れも無く、なんの説明も無く僕の第二回目の人生の火蓋は切られた。
今こうやって淡々と思い返している訳だけど、別に悲しいとか嬉しいとか楽しいとかっていう感情を、完璧に再現して思い返せるわけじゃない。
だから今の世界でも前世での負の感情を持ち越してるっていうことじゃないから、具合はそこまで悪くない。
でも、思い返すときどうしてか泣くことがある。
ベラベラと話しておいてなんだけど、前の世界のことをもう思い出したくない。
不快だからじゃない。
また涙が出るかもしれないから。
それに明日も学校に行かなきゃいけない。
寝る前に泣いてたら寝心地が良くない。
今の世界は前よりマシなんだから。
過去のことを引きずる訳にはいかない。
おやすみなさい1回目の自分。
おやすみなさいまだ夢見がちだった頃の自分。
おやすみなさい。
………あぁそういえば、
明日までの課題やってなかったなぁ