「助けてもらった礼に、予知能力を授けよう」と悪魔に言われたOLの話
「お礼に、予知能力をさずけますっ」
あわあわ、という感じで、その悪魔は言った。
ふらふらと道路に出て車に轢かれそうになった黒い子猫を助けた、その夜のことである。
怪我はなかったがお腹が空いているようだったので、アパートに連れ帰って、ゆでたささ身をやり(ミルクは卒業している大きさだったので)、このアパートはペット不可なので明日から里親を探さなければ…………と、思案している最中の出来事だった。
子猫は突然「どうもありがとうございました」としゃべり出し、月の光を浴びて人間の姿に変身したのである。
長瀬京香二十七歳、独身、OL。冬の出来事だった。
「下級悪魔ですが、恩をうけたからには、返さなければ名がすたりますっ。ぼく、予知系の魔法が得意なんですっ。だからあなたに、予知能力をさずけます!」
黒い翼に黒いねこ耳とねこしっぽ、ノースリーブに短パン、ソックス姿の、見た目は小学校低学年の自称悪魔は、びしっ! と手をあげてそう主張した。
京香は内心で(ええええ…………)と呻く。
たしかに目の前で変身された以上、ただの人間や猫でないのは明らかだ。
が、悪魔と名乗られても、はなはだ頼りなさそうなのも事実だった。
(…………帰ってもらったほうが良くない? 悪魔から力をもらった人間が、最後にはひどい目に…………って、昔話じゃ定番の気がするし。へっぽこ悪魔のへっぽこ魔法で、かけられた人間のほうが悲惨な目に遭うってのも、漫画で定番の気がする…………)
「気にしないで、このまま帰っていいから」と言い出すタイミングを見計らう京香の前で、悪魔を名乗るねこ耳少年はしっぽをふりふり、訴える。
「あ、予知能力といっても、何百年も先とか、人類の滅亡を視る力はないんですけど…………」
「いや、そんな先のことがわかってもしょうがないし、使い道もないから」
「でもっ! 人間界の単位で、およそ一週間先までなら、ほぼ百パーセント的中できますっ!」
潤むような大きな瞳で力説してきたねこ耳少年の言葉に、京香も「悪くないかも…………」と呟いてしまう。
何百年も先のことなんて、知ってもしかたない。むしろ一週間後のほうが、いろいろ便利なはずだ。
「え、じゃあ能力を授けてもらえたら、今から一週間後の未来がわかるようになるの?」
「! はいっ! 最大一週間ですけど、三日後とか明日でも大丈夫です!」
京香が興味を持つと少年はぱあっ、と笑顔で力説する。
「いったんさずけたら、人間界の単位で三十年間は使えます! 保証しますっ! ぼく、この魔法は大得意なんですっ!」
「え、じゃあ、授けてもらったら、これから三十年間はずっと、一週間後の出来事が視えるってこと?」
「あ…………」
少年の表情がくもった。
「その…………三十年間、最大一週間あとまで、は保証します。ただ…………範囲がせまくて…………」
「範囲? どれくらい?」
「その、あなたを中心に、半径十五センチ以内の出来事しか予知できないんです。ぼく、まだ下級悪魔だから…………」
「やっぱり帰っていいよ」と、あやうく京香の口から飛び出しかけた。
「半径十五センチ…………というと…………」
「えっと、たとえばあなたが一週間後に蚊に刺されるとして、蚊が半径十五センチ以内に入る時間を特定できる、というか」
「…………」
「一週間後の何時何十分に蚊が半径十五センチ以内に入って、その一分後に皮膚に接触して刺される、みたいに予知するので、刺されたくなかったら、その時間は気をつけてもらうことになります」
「…………」
京香は押し黙った。
(蚊に刺される時間がわかってもなあ…………)
いや、蚊の中には重大な伝染病を媒介する危険な種類もいるから、一概に軽んじるのは良くないかもしれないが。
「まあでも、蚊じゃなくて通り魔に刺される、なら、一週間前に知っておくのは意味あるし。あ、そうか。自転車にぶつかるとか、階段から落ちて怪我するとかが、あらかじめわかれば便利か!」
「あ、そのっ」
気をとりなおした京香の言葉に、少年悪魔の反応がさらに暗くなる。
「その…………ぼく、まだ下級で…………予知できるのは、一種類なんです。一種類の出来事しか、予知させてあげられないんです。下級だから…………」
「? どういう意味?」
「つまり…………蚊に刺されるなら、蚊に刺される時だけ、通り魔に刺されるなら、通り魔に刺される時だけしか、予知させてあげられないんです」
「…………」
重苦しい沈黙。悪魔は大きな瞳を潤ませてプレゼンしてくる。
「あっ、でも、欲しがってくださる方は、一応いるんです! ぼくみたいな下級悪魔でも、わざわざ悪魔召喚の儀式を行ってまで呼んでくれる人もいて! えと、一週間後の病気とか怪我とか、予知できると便利ですから!」
「それは便利そうだけど…………でも、一種類なのよね?」
「はい…………」
「その『一種類』は、どれくらい限定されるの? たとえば『病気になる時』と限定した場合、風邪をひいても癌になっても脳梗塞になっても、同じように予知できるの?」
「あ、それは…………できないわけじゃないですけど、設定が曖昧になるほど、的中率も下がってしまって…………」
もじもじと、少年悪魔は恥ずかしそうに説明する。ねこ耳がしおしお垂れる。
「たとえば『癌ができた時』と設定すれば、七割から八割の的中率だと思いますし、『胃癌だけ』『肺癌だけ』と限定すれば、ほぼ確実に的中します。でも『病気全般』と設定してしまうと…………下手をしたら、三割以下にさがってしまうかも…………」
「三割…………」
病気や怪我が予知できるなら、一週間前でもありがたい。が、的中率三割以下では…………。
(人間ドックのほうが頼れるかも)
「で、でも『癌だけでも知りたい』っていう中高年の方もいて! あ、あと血の流れを知りたがる方も…………!」
「血の流れ? 高血圧とか?」
「それもありますけど、脳梗塞とか心筋梗塞とか。血の塊ができたり、血の流れが止まったりするのを予知できるのは便利だって、中高年の方は喜ばれます!」
「ああ、そういう…………」
たしかに、そういう用途なら一週間後の血流が予知できるのはありがたいだろう。が、二十七歳の京香には今一つ、ぴんと来ない。
(今から三十年間…………ということは、五十七歳まで…………)
「たとえば、十年か二十年後にあらためて来てもらって、三十七歳とか四十七歳から三十年間、予知できるようにしてもらう、というのは…………」
年齢を考えれば、そのほうが有益に思える。しかし。
「すみません、悪魔の成長は人間よりゆっくりで…………二十年後くらいだと、まだ、ぼく一人で人間界に来られるか、わからないです。今回は、先輩悪魔がこちらに来るのに同行させていただいて、それで先輩とはぐれて迷子に…………っ」
やっぱりお帰り願おうかな、と考えた、その時。
「待って。血?」
ひらめいた。
(あ)
キーボードを打っていた京香は手を止めた。さり気なく席を立ち、トイレに行って確認する。
(よし)
今月も『当たり』だった。すばらしい的中率に、つい拳をにぎる。
(さすが、潤くん。『大得意』というのは伊達じゃなかった!)
京香は席に戻りながら、黒いねこ耳少年悪魔に、もう百回以上くりかえした感謝と感嘆の念を送る。
一年前の冬の夜。
悪魔を自称する少年に「お礼に予知能力をさずけますっ」と言われて。
京香が願ったのは「生理が来るタイミングを予知すること」だった。
つまり一週間前になると「あ、来週の今頃からはじまるな」と感知することができる。
「そんなことでいいんですか?」
と、ねこ耳の悪魔には訊かれたが。
「すごく重要なの!!」
京香はそう訴え、そうしてもらった。
(おかげでこの一年間、すっごく便利!! すごく助かってる!!)
QOL、いわゆる『クオリティ・オブ・ライフ』が上がったと評してもさしつかえない。
はじまりが一週間前にわかるだけでなく、はじまってからも次の出血がいつか、どれくらいの量か、九割以上の精度で把握することができる。
おかげで、朝にシーツを見て「もっと大きいのをつけておけば良かった…………」と、朝食前の洗い物に悩まされることはなくなったし、シャワーも出血と出血の合間にすばやく済ませて、体を拭いた直後に一滴垂れて、またシャワー…………なんてこともなくなった。
一週間前にわかるのでプールや温泉の予定も立てやすくなったし、外出先で予定より早くはじまってコンビニやドラッグストアに駆け込むことも、予定より遅れて「今日なの? 明日なの?」と苛々することもない。
はじまる日がわかるので、症状の重い二日目のために前もって有給をとり、それに合わせて仕事のスケジュールを調整できる。
「そろそろ終わりでしょ」と予想して小さいのをつけて大量の出血が来ることも、逆に「まだ多いかな」と予想して大きいのをつけたら少量で「多い日用は高いのに…………」と惜しむこともない。
(もともと私は周期の乱れが大きかったし。正確な日がわかるだけでも、ありがたい…………っ!)
魔法の効力は三十年間。かけてもらったのが二十七歳の時だから、切れるのは推定五十七歳。その頃には閉経を迎えて、この魔法も必要なくなっているだろう。
(我ながら、上手い頼み方だった…………! ブラボォー、ハラショー、ビバ、私!!)
キーボードを叩きながらも、口角が勝手にあがって腕も『万歳』しそうになる。
(ありがとう、潤くん!! いい魔法だったよ!!)
心の中でねこ耳悪魔を絶賛した。
その悪魔の少年は、というと。
「おかえりなさいっ、京香さん」
玄関の鍵をバックからとり出そうとしたらドアのほうから開いて、ぴょこっ、と小学校低学年の少年の笑顔が現れた。
黒い翼とねこ耳、ねこしっぽの自称・下級悪魔は一年経った今でも、京香のアパートにいた。
「今日は早くお月さまが出たので、お夕食を作って待てました!」
にこにこと京香の手からビジネス鞄をうけとり、単身者用のせまいアパートのせまい部屋の中央に置いたテーブルへ案内する。テーブルには味噌汁、フライ、野菜サラダと、ささやかだが温かい食事が用意されていた。
「あ、ご飯が炊けました! 今、よそいますねっ」
鞄を所定の位置に置いたねこ耳少年は、いそいそとしゃもじを手にとる。
帰ったらご飯が用意されている。一人暮らしの身には、これだけでもどれほどありがたいことか。
「ごめんね。留守の間、家の中のことを色々やってもらって…………」
「置いていただいてるんですから、当然ですっ。むしろ、お料理とかお掃除とか、色々新しい技術を知れて、楽しいです!」
「潤くん、前向きだね…………」
潤、と京香が名付けた(うるうるした大きな目だったので『潤う』からとった)少年を(この子、本当に悪魔かな…………?)と、今夜も疑問と共に見つめる。
悪魔は京香の部屋にいた。居ついていた。
いわく、
「恩返しの魔法に全力の魔力を注いでしまって…………魔力が溜まるまで、魔界に戻れません…………」
だ、そうである。しかも魔力が溜まるまで、
「五年か十年か…………ひょっとしたら、二十年先かも…………」
とのことだった。
(恩返しのために魔力を使いきって、自分が戻れなくなるって…………本末転倒じゃないかな…………)
京香は思うが、面とむかっては口に出さない。
潤は昼間は黒い子猫の姿でスペースをとらないし、月が出れば人間の姿に変身して、あれこれ家事や用事を済ませてくれる。アパートはペット不可だが、本物の猫と違って言葉が通じるし聞き分けもいいし、匂いが移ったり柱や壁を引っ掻くこともない。
なにより京香自身が『帰りを待っていてくれる誰かがいる生活』に慣れてしまった。
(ま、なにかあったら、その時はその時か)
「どうかしましたか? 京香さん」
「ううん。ちょっと着替えるね」
言うと、ご飯をよそった茶碗を置いた潤が、律儀に目を閉じてうしろをむく。
手早くスーツを脱いで、二人での夕食となった。
「いただきます」と手を合わせる。
京香は悪魔に笑った。
「ありがとうね、潤くん。今月も助かっちゃった」
一瞬、ぽかんとし、なんのことか察した悪魔は、
「どういたしまして」
と天使の笑顔を見せた。
自分なら、こんな予知能力はほしいです。切実に。