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一、邂逅



人の口に戸は立てられぬ。とは、よく言ったもので。

それは、ここ宮中でも変わらず。

妬みや嫉みによる誹謗中傷から、真偽も定かではない噂話、はたまた怪談めいたものまで。多種多様、選り取りみどりを取り揃えられたその中に一つ。


いつからか、まことしやかに囁かれる噂があった。


曰く、書庫に幽霊がでる。と。





「暇だ」


だらしなく頬杖をついた天泡(テンホウ)は、そう言ってため息をこぼした。


書庫勤めの天泡に、仕事はさほどなかった。

高官ではあるものの朝儀にも参加しない、窓際官吏。

これで野心のひとつでもあれば違ったが、天泡にそういった欲は皆無。

そんな訳で皆がせっせと働いている中ひとり、趣味の読書を満喫する生活をしていた。


しかし、ここ最近、天泡はその仕事(しゅみ)に勤しめなくなっていた。


なぜなら、非常(ひじょーー)に残念なことに宮中内にある書の全てを読み終わってしまったのだ。

強いて言うなら、書庫内は三回ほど往復をしている。


あれやこれやと、珍しくも仕事らしいことをしていたが元々の仕事の少なさで、暇ではあったが趣味のために忙しかった天泡。

ここにきて、はじめて時間を持て余していた。





実は天泡は自身の権限で、ありとあらゆる書を集めていた。

本来であれば、天泡がこうして暇を持て余す前に、依頼していた書が大量に届くはずだったのだがーー。



窓を仰ぎ見れば、薄らと全天を覆う雲がみえる。


「ふむ。もう暫くかかりそうか」



異国から遠路遥々とこの王都にやってくるのには、それなりに時間がかかる。それが更に、このところの天候悪化の影響で、想定よりも遅れに遅れていた。



追加また別の書をとも思ったが、今回頼んでいる書に全て予算を使い切ってしまった。追加の予算案を通すのにはどうにも面倒だし、現在手間をかけてまで心惹かれるものもない。


ちょっと異国まで書のための遠征という大義名分を掲げて出かけることも考えたが、それを実行にうつすと、やかましい人間がでてくる。




こうして、本当に暇人になってしまった天泡は頭を悩ませた結果。珍しく宮中を練り歩くことにしたのだ。


散歩するとは言っても大手を振ってという訳にもいかない。この時刻に暇そうにしていると、面倒事押し付けられそうだ。ーー何度か経験済み。

そう思った天泡はこっそり人気のない所を選んでいた。


そんな特に行く宛もない天泡が、たどり着いたのは外廷の端にある池だった。

池の先には、高く白い壁に隔たれた鳥籠ーー後宮がある。

昏く、どろどろとした澱を美しく、きらびやかな装いで覆い隠した内情は、暫し政治にも影響を及ぼす。

が、これまた興味ない書庫の番人ははてさてと、どうやって、暇つぶしをしようかと考えていた。



(書庫内の整理はしたばかりだし、書の目録も更新した)


壊れていた本の修復も終わっている。指折り数えて、考えを巡らせてみても、本当に一つもやることがない。


しいて言えば、新書が届いたら色々やることができる。だけど、それもまだ先のことだろう。なにせ、物が届いていない。




「ふむ。取りに行こうかっ」



天泡は思いついた名案に、うんと頷いた。その時。

白壁に近い茂みから葉ずれの音が聞こえた。


風ーーー、のせいではない。


音の方向からと、辺りをつけて件の茂みをじっとみつめる天泡。

はじめ曲者かとも思ったが大人が隠れるにしては、少々無理があるだろう。


(獣でも迷い込んだか?)


場所が場所(内廷が近い)だけに、無視する訳にもいかない。

一応、念の為にとそっと近寄って茂みの中を覗き込んだ天泡は、久しぶりに目を丸くする羽目になった。








「ーー何をなさってるんですか」



それは縮こまるように丸まっていたそれは。

獣ではなく、皇族のみが使える禁色(きんじき)を身にまとっていた幼子。

思わぬ人物の登場にぽろっと本音を吐き出してしまった。

そんな天泡の様子に瞭昊(リョウコウ)皇子は、視線を向けるのも恐る恐るという風だった。


(うーん)


まだ幼い子どもを怯えさせるのは本意ではないし、絵面からして天泡の方がいたいけな子どもを虐めている感じがするのもいただけない。



「ーーそこは窮屈ではありませんか?よろしければ、こちら側に来られませんか?」



瞭昊は、びくっと大きく震えると声の主を伺った。



「…………」


「…………」



両者の間を沈黙が訪れる。

ただ、無言で瞬きを繰り返す公子を観察しながら天泡は内心頭を抱えた。ーーこういう感覚は久しかった。


流石に、地面に丸まったままの皇子を放置することは出来ない。

そう、皇子。本来であれば、後宮の中、乳母と女官侍女、護衛兵に囲まれている筈。なのにも関わらず、たったひとりぼっちで彼はそこに居た。

伸ばしっぱなしの髪に、皺と煤汚れた身なりからして、正直皇族の色さえなければ、高貴なる身の上とは一見わからなかっただろう。

さて、どうしたものかと天泡が頭を悩ませたのは一瞬だった。



「瞭昊公子。私はあちらに見えます、緑の屋根をした書庫に勤める天泡と申します。怖いことや、痛いことはしません。一緒に来ていただけますか?ーーそのままだと、冷えるでしょう?」



誘拐犯みたいな科白(せりふ)を口にする羽目になるとは、世の中何が起こるかわからないな。と胸中で独り

言ちた天泡はそっと、瞭昊に手をさしのべた。




天泡は知らない。

これが瞭昊にとってどれほどかけがえのない意味を持つものだったのか。


瞭昊はわからなかった。

これが自分の人生を大きくかえる転換期になることを。




知らず知らずのうちに、ふたりの縁は結ばれた。





「どうぞ、召し上がってください」



瞭昊の目の差し出された白茶と饅頭を見つめると、再度天泡に視線を戻した。


書庫に移動した天泡は、明るい場所に移動して改めて瞭昊の手足の傷の多さに眉をひそめることになる。

瞭昊の服の袖を捲った辺りからもう不敬罪などと言ってられないという心境になった天泡だったが、流石に手当てをするとき。痛いことしない、と言ったのにもかかわらず、早速破る羽目になったのは、少々決まりが悪かった。



消毒は染みただろうに泣き言も漏らさず、じっとこちらを静かに伺う小さな皇子の様子と漏れ聞こえる噂。()()()()()()()()。総合的に鑑みて、ある程度の事情は察せられた。





「あ、あのっ」


物思いに耽っていた天泡は、一瞬反応が遅れる。

天泡は彼が喋れたのかという驚きを笑みで隠しつつ、手当てしていたときと同じように膝まづいた。


「なんでございましょう、公子」


椅子に座った自分よりもちょっと目線が下がる位置にきた天泡に、躊躇した。けれど、静かに真っ直ぐ自分と目を合わせてくれることに、背中を押して貰えた気分になったから、瞭昊はその言葉を振り絞る。


「あ、あのっ、て、コレっ…あ、あっ、あり、ありがとう、ございます」


「ーーどういたしまして」


痛くないですかと、問おうとして天泡は辞めた。出来たのは結局真心が伝わったと表すことだけ。


「どうぞ」


再度、茶を進めるが瞭昊は頑なに唇を結んだままだった。

天泡は、少しその様子を訝しげに見つめて。やがて、どうして彼が出された食事に手をつけないか、に思い当たる。



「公子、少々失礼いたします」



立ち上がった天泡は、一つの木箱を持ってくる。

この書庫に気まぐれにくる御仁が、気まぐれに置いていった物がこうして役に立とうとは。

蓋をあけて出てきたのは、銀製の食器だった。



「お隣失礼しても?」


気安い天泡の様子に気分を害した風もなくぶんぶんと縦に首をふるう瞭昊に、天泡は「ありがとうございます」と告げてから、斜め横に座った。



銀杯に茶を注いで、先程出していた饅頭を半分に割って、その半分を銀製の皿に置くと天泡は何でもないように、瞭昊の前に置いたのと取り替えた。

そして、素知らぬふりして、半分こした饅頭をぱくぱく食べ、白茶をすすった。



いつもにしては、温めのお茶だった。

自分好みの熱々の茶だと、子どもは火傷する可能性もあるからと、適当に淹れてはみたが、まあいい味を出している。



全身で意識がこちらに向けられてるのを感じていたが、天泡は気にせず、もう一つと、半分に割った饅頭を瞭昊の前の皿の上に。そして、もう片方を自分が食べる。



天泡が横目で公子の様子を確認すると。

じっと、皿と茶器を見て、ややあって、ほっと息をついてぱくりと饅頭を口にしていた。



(難儀なものだな)


ーー毒見がいないとお茶もままならないのは。



天泡は先ほどまで甘く感じた筈の茶を何処か苦く感じたのを、陶製の杯を煽ることによって無理に喉へ流し込んだのだった。



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