桜の並木町
いきなり眼前に拡がる光景に息を飲んだ。
まさか、こんな場所でこんな風景に出会えるとはまるで予想外のできごとだった。
気温がたかく春がはやく訪れた今年。まだ三月だというのに、満開の桜はあちらこちらで見かけられた。
しかしこんなに見事に、咲き誇る桜の並木道をみつけられることは滅多にない。
脈々とつづく桜の道は、終わりを知らずに小川の水路とともに、どこまでものびてゆく。
満開をむかえた花びらが陽光のなかで、ときおりひらひらと静かに散っている。
並木道沿いに建つ家の住人が数人、外に出てぽかんと口を空けてその風景を眺めている。しかし、そのほかに人の気配はほとんどない。
こんな絶景スポットであるというのに、なぜだろうと不思議に感じる。
新型コロナウイルスの流行でみな自粛して、わざわざ花見になどこないのだろうか?
ベビーカーを押して小学生ぐらいの女の子の手をひいた母親が通りがかる。はしゃいで花に埋もれる女の子の姿を、母親がスマホの画面におさめていた。
※※※
「ぜーーっていに地元の人間なら、あそこには近づかんって」
桜並木のとなりには、総合病院がある。市内ではかなり大きな病院なので、そこに勤める職員をお客にしている飲食店街もある。
たまたま依頼がきて、蕎麦屋の主人の取材に訪れた時のことだ。
わたしは会社勤めをするらかたわら、今流行りの副業ビジネスもかけ持ちしている。
ウェブライターといって、地元の店を取材して記事にまとめる仕事だ。
コロナのクラスターが発生して、市内で有数の総合病院は閉鎖。
感染疑いのある職員が飲食にきたため、店内全域を消毒されて休業に追いこまれている店主の心情を記事にするという、いささか気の毒な案件ではあるが。
ひととおりのインタビューを終えて、ふと近くにある桜並木を思い出したので、
「病院の横に桜の綺麗な並木道がありますよね」と切り出したのだ。
店主のおやじの意外な答えに、
「どうしてですか? あんなに綺麗な桜のスポットはなかなかないですよ。いくらコロナ自粛中とはいえ、野外だしインスタ映えするとかいって、若者とかが集まりそうなものですけれどねぇ」
と、返す。
蕎麦屋のおやじは、首をぶんぶんと横に振って、
「あんたは知らんだろうが、あの桜の上の山は墓地になっとるんよ」といった。
“墓地”と聞いて、一瞬背すじがゾクっとする。
「墓地といっても一画だけじゃない。山一面が公営の墓地になっとるんや。
前の住宅地の住人から、窓から墓が丸見えなんでなんとかしてくれ!と苦情がきて、市役所が桜を植えて見えなくしよってん。気味が悪いから、誰も犬の散歩にも通らへんわ」
帰り道、そういえばあの静かな桜たちは、どこか寂しそうに散っていたことを思い返す。
五月の陽は長い。駅まで歩く途中で、もういちどあの並木道に立ち寄ってみる。
今はもう花の面影は消えて、緑の葉の生い茂った木が横一列にどこまでものびてゆく。
道の真ん中あたりでふと、若葉に埋もれた石碑を見つけた。手でさすり文字を読み取ると、なるほどと頷ける。
石碑に刻まれた文字には『死出の淵の桜』
そう記されていたから。
新型コロナウイルスの流行で病院がクラスターを出してしまった今年の春は、例年より多くの魂が桜並木を通って、向こう側の世界に旅立っていったのかもしれない。
fin.