034話 フェリシアのルール
「――それで? わたくしの大切な側近に拳を振るった理由は、お聞かせ願えるのでしょうか? 」
タイミングが良いのか悪いのか、ミシェルの整った顔面を殴りつけた現場に居合わせた一行。
その中にはミュリエル、パトリス、フランツと……俺が殴ったクソ野郎のご主人さまである、フェリシアがいたのだ。
俺が一方的に暴力を振るった現場を目撃しても、声を荒げるでもなく表情も穏やかなものだ。
……でもこれは、かなり怒ってるな。
一方的に俺を非難するでもなく、事情を聞いてきたのは上に立つ者として当然だろうし、俺の行動を何年も注視してきたフェリシアなら、俺が無闇に暴力を振るう人間かどうかも理解しているはずだ。
それでも怒りを隠しきれていないのは、それだけコイツを御気に召しているからだろう。
「フェリシア様! この者が無抵抗の僕に突然暴行を! 僕の功績とフェリシア様のお傍にある事に醜い嫉妬を覚えたのです!」
結構な量の鼻血を流す――鼻が折れたか?――顔を抑えながら、普段とは違う濁った声で俺を糾弾するクソ野郎。
その言葉にフェリシアの表情が僅かに反応を見せる。
さて、どうするかな。
フェリシアは初対面から俺に好感を持ってくれてたらしく、思惑があったにせよずっと俺に甘い裁定を下してくれていた。
でも今回は相手もフェリシアのお気に入りだ。
なにせ夜中に寝室への出入りを許すくらいだからな。
だが殴った事を後悔するかというと、当然そんな訳は無い。
「ミュリエル、ミアとタロが潜入に協力した子供達を助けに向かってる。この近くの教会らしい、パトリスも付いていってくれ。フランツは続けて指揮を頼む、略奪行為は厳禁だぞ」
「子供……? 分かりました、行こうパトリス!」
「あ、あぁ……」
「まあ十分に報酬を頂けるなら、あえて命令に背く奴も出ないでしょうな」
俺が指示を出せる相手はこれで場を離れた。
一緒に防壁に上った傭兵隊は、そこにいた衛兵達の武装解除をしてもらっているしな。
でも、まだフェリシアの周りに親衛隊がいるんだよなあ。
「ユーマ様?」
「先に手を出したのはすまなかった。理由については今言った様な内容だ」
「そうだろう! 貴様は僕に――!」
再び声を荒げだしたミシェルを見て少し考える様子を見せたフェリシアはそれを手で制し、側にいた親衛隊に先へ行くよう促す。
これで残ったのは俺達3人、込み入った話もしやすくなった。
「ミシェル、わたくしがあなたを選んだ理由は口の固さにも大きな理由があると言ったはずですが」
「それは……! 申し訳ございません……」
「まあそこについては今は重要じゃない」
人避けをしないと話し難い理由ではあったけどな。
フェリシアの周りにいた警護の近習なら知ってたかもしれないけど、まあ念の為に。
「何を! 僕にこんな真似をしておいて、今更言い逃れ出来ると思うな! 貴様は僕とフェリシア様が関係を持っていた事を聞いて――」
「いや? それについては本人から聞いて知ってた。実の兄を籠絡する為の練習台になったのがそんなに自慢か」
「なっ……⁉」
愕然としながらフェリシアに視線を移し、平然と頷かれて言葉をなくすミシェル。
こいつに嫉妬するくらいなら、フェリシアの処女を奪った奴にその感情が湧いてるだろう。
そいつ、公爵家の嫡男シャルル――ミシェルの腹違いの兄にだ。
何事にも準備万端で挑むフェリシアは、公爵家に囚われた後でどんな目に合うかを正確に予想していた。
そこで逆手に取ってシャルルをベッドで籠絡して情報を引き出す、その訓練を直前になってしたらしい。
その時、相手に選ばれたのがミシェルだ。
公爵が認知していない隠し子を、利用価値があると手駒として取っておいたが、忠誠心と口が固いこと対象に年令が近いこと、そして兄弟なら何かしら通じるものがあるかもしれないと練習台として選んだ。
処女で無いとシャルルに不審がられることや、相手を満足させるという目的から主に練習内容は相手への奉仕や仕草など。
が、その練習だけで練習台がしっかりと落とせてしまい、調子づいて態度が変わったのは誤算だったらしい。
それでも目の前に人参をぶら下げられた馬の様に良く働いた事から、重用していたというのが現状だ。
公爵家への裏工作に使うという本来の目的で潜入工作の訓練を受け、他の者がいない時に報告を行える権限を持って寝室にも出入りを許し。
人知れずそれなりに手柄をあげていたが公表できない内容である事から、個人的なちょっとしたご褒美をその場でやっていた――等々。
「――俺が聞いたのはそんなとこだな。あとなんだ? この反乱で俺より功績をあげれば愛人になれるんだったか?」
「考えても良い、とは言いましたね。ですが秘密を守れない愛人や間者というのは……。いずれ公爵の位につける可能性を示唆しておきながら、もはやそれが叶わない代替としてあなたが望んだ事でしたが、失望しましたよミシェル」
「フェリシア……さま……」
そんな餌をぶら下げられれば、俺が功績をあげる事に敵意むき出しになってたのも理解はしないでもない。
でもそもそも人妻に横恋慕してんじゃねぇ。
「それはそれとしてだ、元から知ってた事を当事者から自慢気に聞かされたってキレたりはしない」
イラッとはするけど。
「問題はそいつが潜入に協力した子供達に薬を盛って、口封じしたって事だ」
「あの子供達を、ミシェルがですか?」
「悪評に繋がりかねない工作に使った者を処分したのです、これは間違いなくフェリシア様の勝利にとって必要な事!」
フェリシアの一言を拡大解釈した結果らしいが、直前までうなだれていたミシェルがそこに恥ずべき点はないとばかりに、再び勢いづく。
――少し前にフェリシアを理解してるとか言ってたが、俺にだって十分にできてない事を、どうして自分ができてると思えるんだか。
少なくともこの件に関しては、俺の理解の方が正しいだろう。
だってほら、さっきまで浮かべてた作り笑いすら消えてるし。
「あの子供達とは、将来を保証する契約を交わした味方であったはずですが」
「その通りですが、彼らの利用価値は終わったのです。このまま残していてはむしろフェリシア様の害にしかなりえません!」
「……害になって、何が悪いんだ? あの子達は味方だ、フォローするのが味方ってもんだろう」
「何を甘い事を……!」
悪いが今の俺の発言は、お前のご主人さまの心の内を発してみた物だ。
フェリシアの目的は勝つことじゃない――舞踏会を楽しむ事。
それは彼女本人だけではなく敵味方の全て、周りも含めての話だ。
遊びってのは皆で楽しんだ方が面白いからな。
「知識や経験の足りてない子供達なりに努力し、立派に契約を果たして見せた。それを褒めるでもなく、用済みだからと手にかけるとはな」
「貴様に何が分かる! 裏切りが悪いというならこの反乱も――」
「敵を騙すのは良いんだよ多分な、途中で寝返りや裏切るのもだ。ただお前はあの子達を敵だと認識してたか? 今も言ったように、不要になったからって味方を処分したんじゃないのか?」
俺なりにフェリシアの中にあるルールを理解しようと努めた結論だ。
フェリシアは人の活躍に対して喝采を送るが、無能な味方を嫌っている訳じゃない。
そして真剣に勝利を目指すが、それは勝つ為ではなくそうした方が楽しいからであり、敗北を嫌っている訳でもない。
能力の足りていない味方がいるならフォローして当然。
ましてやその味方に嘘のルールを教えて自分の活躍の踏み台にするなんて行為を、フェリシアが是とするとは思えない。
「お前はフェリシアの望みを、その表面しか見てないんだよ! 関係を持っただ? その程度で浮かれるような小者が、一人前に俺の対抗者ヅラしたところで相手をする気にもならん!」
フェリシアがいつかは片腕にとまで言い、体の関係をも持っているなら、フェリシアの望みについて聞いていないとは思えない。
それを自分の野心か、欲望か、そんなもので歪めて実行するとはな。
まだ何か言い返そうとするクソ野郎を無視し、フェリシアに視線で裁定を促す。
俺とお気に入りの間男の視線を受けた王女様は――怒りを押し殺した目で俺を見て、口を開いた。
「……先程、子供達へ助けを向かわせたと聞きましたが」
「今ミア達が向かってる。眠るように死ぬ毒だそうだけど、ミアとミュリエルは解毒の魔法を使えない、親衛隊に使える人間はいるか?」
「毒に心当たりがあります、解毒剤を運ばせましょう。ユーマ様、現場に向かって子供達に謝罪したく思います。案内と警護をお願いできますか? それと――わたくしの愚かな従者が不快な行為を働いたこと、この身も理不尽な怒りを向けてしまったこと、ユーマ様にも深くお詫びいたします」
「そんな……フェリシア様、僕はあなたのために……」
少なくとも俺は、フェリシアがこれほど深く謝罪する姿を見たことがない。
ミシェルの扱いについて、よほど反省したんだろうフェリシアに衝撃を受けたらしい間男からも、力ない言葉が発せられる。
だがもはや言葉をかけるどころか、血を流したままのミシェルに怒りのこもった一瞥すら向け、俺に道案内を急かすフェリシア。
さすがにそれを見て、裁定がどちらに下されたのか分からないほど馬鹿でもなかったらしい。
せっかくの勝利に水を差されてご機嫌斜めなご主人さまに、すがるようにかけられた声にも力はない。
「君は伝えるべきことは伝えてくれてたからな、謝罪されるようなことはないさ」
「いえ部下の不始末――それにミシェルがあのような暴走を起こしたのは、軽率にベッドへ招いたわたくしの失態ですから」
まあ確かにそこは今後自重して欲しいものではある、俺にもソフィアがいるんで強くは言えないが。
最後に想定外のアクシデントはあったが、ニーネの街はこうして陥落した。
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